190:取りこぼした希望
油断は、していないつもりだった。
いかに一度は捕えるところまで行っていたとしても、アパゴの戦闘能力は先ほどの交戦の中で嫌と言うほどに味わっていたし、自分たちが圧倒的な苦境に立たされていることを、竜昇は十分すぎるほどに理解しているつもりだった。
けれど、結末だけを見てしまえば。
やはり竜昇は心のどこかで油断していたのだろう。
離脱する際に誠司が発動させた強烈な魔法。
人体をひき肉にできるレベルの【加重域】と、竜昇自身も身をもって味わった下降気流の鉄槌【白嵐天槌】。
単体でも最大級の破壊力を誇るそれらの魔法を同時発動して、それによって発生した余波に思う存分煽られて、その威力を竜昇自身が肌で感じていたことで、思わず竜昇はその瞬間だけは油断してしまっていた。
まさか、こんな攻撃を受けた後で追撃など行えるはずがないと。
いかに無敵に思える戦闘力を発揮していたアパゴであったとしても、あんな攻撃を受ければ流石にすぐに動けないくらいのダメージは負っているだろうと。
そう思ったその直後に、竜昇は自身のそんな、油断にも似た思考を後悔することになる。
自身の目の前で、誠司が先端のとがった鉄パイプによる投げ槍と言う、極めて原始的な方法でその胸を刺し貫かれる光景を目の当たりにしたことで。
先ほどまで共闘していた相手からの血しぶきを浴びて、否応なく竜昇は自身の思考の、その浅はかさを嫌と言うほどに呪う羽目になる。
「――ッ、中崎さん――!!」
真横に倒れようとする誠司の姿に、竜昇は天馬の首にしがみ付いたままとっさに片手を伸ばして、服の端を掴んで誠司の落馬を回避する。
だが一方で、落馬程度ならば防げても、天馬の制御が失われたことによる墜落までは竜昇ではどうにもならない。
案の定、先ほどまで当然のように空をかけていた天馬が急激にその高度を落として、広げた翼で滑空するように真下の地面を目がけて落下する。
「ぐ、っ――、中崎さん――!!」
誠司の体をとっさに抱えて、竜昇はすぐさま天馬の背を蹴りつけ、その四つ足が地面に接触したことで横倒しになろうとしているその背からなんとか身を投げ、脱出する。
どうにか転がって受け身を取りながら、竜昇は即座に起き上がって、途中で付近に投げ出されることとなった誠司の元へと走り寄る。
手に握ったままとなっていた剣を急いで鞘へと納め、誠司の傍にしゃがみこんで急ぎその傷の状態を確認する。
否、それはもう確認するまでもなかった。
かろうじて心臓からは逸れていたようだったが、胸を貫かれている以上その傷はもはやどうしようもない。
竜昇が習得する【治癒練功】も、このレベルの負傷となるともはやどうしようもない。そもそもあれは、傷の治りを速めるだけの技術なのだ。
こんな明らかに外科手術が必要なような、簡単な手当てでは治せないような怪我は、竜昇程度では到底手におえない。
つまるところ、この場における誠司の命運は、残酷なまでにすでに決してしまっていた。
どこにでもいる普通の少年。
【不問ビル】が現れる前の中崎誠司は、まさにこの言葉がぴったりと合ってしまうような人間だった。
普通で、凡庸で、ありきたり。
自分でもそのことを自覚していて、それゆえにそんな自分を変えるチャンスを、否、変わらざるを得ない突発的な事態が起きることを心のどこかで期待している。
今にして思えば、あの時の誠司は本当にそんなどうしようもない人間だったのだろう。
だから、それゆえに。
町中にあのビルが現れた時、誠司はそのビルの存在が不可解なものであると知りつつも、心のどこかで猛烈なまでに期待した。
あのビルの存在が自分と言う人間を変えてくれる、もっと言うなら
それこそが、中崎誠司に最初に道を誤らせてしまった、後々にまで響く決定的なまでの勘違い。
そんな勘違いに囚われてしまったからこそ、あの時誠司はまんまとこの不問ビルの中に四人もの人間を道連れに飛び込んだ。
その勘違いを引きずったまま突き進んで、いらぬ犠牲を出した挙句、似通った立場の少年にそんな自分の本性を暴かれる羽目になった
どこまでも無様で、滑稽で、独りよがり。
そんな格好を付けようとして失敗したようなどうしようもない醜態の果てに、一つ年下の少年に文字通り叩き直されるような形で、中崎誠司と言う少年はようやく今ここにいる。
ようやくたどり着いた、はずだった。
「中崎さん――!! 意識をしっかり持ってッ、聞こえてますか中崎さん――!!」
そんなうるさいくらいの呼びかけを聞いて、そうして誠司は遅ればせながらもようやく我に返った。
「ゴ――、ホ――」
我に返って、同時に喉の奥からこみ上げるものを耐えることすらできずに嘔吐する。
否、吐き出したのは胃の中の内容物などではない。赤く熱を持った、中崎誠司と言う生き物が生きるのに必要不可欠なはずの血液だ。
(――ぅ、ぁ――、な、なんだ――!?)
いつの間にか自分が意識を失っていたことにようやく気付いて、同時に遅ればせながら自身の体の現状を、冷たい床に横たわっている感覚と、そして胸のあたりに灼熱の痛みがあるのをようやく自覚する。
開いた眼に胸から生える血塗れの鉄パイプがようやく映って、その光景に否応なく、今自分が手遅れの状況にあることを理解させられる。
「――ガ、ァ――、ァアッ――。ああああああああああァぁぁぁぁッッ――!!」
怒涛の如く押し寄せてくる絶望的な情報に、思わず誠司は声の限りに、その絶望の大きさを表すかのように絶叫する。
否、力の限りに叫んでいるつもりでも、実際に出たのはほとんど擦れたような悲鳴だけだった。
肺かどこかを損傷しているのか、口から出たのは擦れた音と大量の吐血がせいぜいで、それがますます誠司自身に自身の命の絶望的状況を嫌と言うほどに突きつけてくる。
(――なん、だ――、なんだ、これは――!!)
こんなはずがないと、穴の開いた胸の内で心が叫ぶ。
こんなに簡単に、こんなにあっさりと、自分が死ぬなどあるはずがないと。
けれど、どれだけ考えてもこんな状況で生き延びられる方法など思いつかない。
第一、死ぬはずもないも何も、そもそも誠司とて本当は知っていたはずではないか。
他ならぬ、沖田大吾と言う友人の死をその目にして。
人間というものが、実際には思いのほかあっさりと死んでしまうものなのだということを。
ただ目を逸らして、自分には当てはまらないと、無理にでもそう思い込もうとしていただけで。
(――こんな、ものなのか……? こんなにあっさり、終わってしまうものなのか……?)
止まらない命の流出に、かわりに胸を満たす虚無感に、誠司の手足から誘われるように力が失われていく。
目の前では竜昇が、なんとか誠司の傷口からの出血を止めようと奮闘しているようだったが、そんなものでどうにかできる傷ではないのは誰の目にも明らかだ。
(ああ、くだらない……。本当に、なんて、くだらない……)
もはやここまでなのだろうと、そんな諦観が胸に開いた穴を満たして、もはや最後のその瞬間を、みっともなく足掻くことなく待つべきかと、そんな思考が頭をよぎって――。
ふとそんな緩慢な意識の中で、誰よりもみっともない必死の形相でこちらへと呼びかける竜昇の姿が眼に入った。
(ああ。まったく――)
微かに腕に力が戻る。それでも重い腕を、自身の重量を魔法で消すことで強引に持ち上げる。
(――死にそうな本人より、よっぽど必死な顔をしやがって――)
どこか嫉妬に近い感情と共に、伸ばしたその手が竜昇の着る血塗れのシャツの、その襟元を掴んで――。
「――ォ、けろぉッ――!!」
次の瞬間、誠司は【羽軽化】の魔力によって竜昇の体重をも消して、その体を半ば力づくで床の上へと引き倒していた。
同時に、倒れた竜昇の直前までいた場所を貫くようにして、直前に彼方に見えていた鉄パイプの投げ槍がその場所を通り過ぎ、その先にいた誠司自身の脇腹をかすめるようにして抉り取っていく。
「が――、あ――、あアアアッ――!!」
「誠司さん――!!」
すぐさま自身が攻撃を受けかけていたことに気が付いたのか、跳ね起きた竜昇が慌てた様子で誠司の傷へと手を伸ばしてくる。
だが当の誠司にしてみれば、そんな竜昇の判断はあまりにも愚鈍で腹立たしい。
「――な、にぉ――、グズグズ、して、るんだ――!! すぐ、に――、この場を、離れるぞ――!!」
半ば八つ当たりのようにかすれた声で竜昇を怒鳴りつけながら、誠司はすぐ近くで、かろうじてその形をとどめていた天馬を起き上がらせて、自分たちの元へと走らせる。
流石の竜昇も、その天馬の動きを見れば即座に誠司の意図を理解できたようだった。
即座に体重の消えた誠司の体を抱きかかえ、走り寄る天馬に軽やかな動きで飛び乗って、先ほどまでと同じようにそのまま天馬の首へとしがみ付く。
すでに終わりの見えた誠司の体を、その手にしっかりと抱きかかえたままで。
(お人好しめ……)
内心でそんな竜昇の行動にほくそえみながら、すぐさま誠司は天馬を操作し、その翼をはばたかせて再び天へと離陸する。
目指すのはもちろん、今なお誠司の仲間たちが戦っているだろう海岸エリア。
ただし今度は投げ槍によって狙われる事態を避けるため、ウォータースライダーなど空中で身を隠せるコースを選んで迂回するように飛行させる。
「誠司さん――。こんな……、一体、なんで……!!」
治療もままならない状況、どうにもならない胸の穴、そして先ほど竜昇を庇って負った脇腹の傷の存在を思って、傷を押さえるように誠司の身を抱きかかえながら、竜昇が叫ぶようにそう問いかけてくる。
どうやら竜昇にとって、誠司が我が身を犠牲にしてまで自分を庇ったことは相当に意外なものだったらしい。
それはそうだろう。なにしろ誠司自身が一番意外だと思っているくらいなのだから。
けれど、なぜそんな行動に出たのか、その理由だけは誠司の中ではっきりとして明白だ。
「別に、たいした話じゃ、ないさ……。単に、最後に少しくらい、カッコつけておきたかったって、それ、だけで――!!」
そこまで口にして、しかしそこで限界の近さを知らせるように、誠司の喉がゴホゴホとせき込んで真っ赤な血液を吐き散らす。
それはそうだろう。胸の傷だけでもただでさえ致命傷だったというのに、先ほどそれに加えてさらに脇腹にも大きな漏出元ができてしまったのだから。
しかもいまだ鉄パイプが刺さりっぱなしで出血を押さえている胸元と違い、わき腹を抉った鉄パイプは肉を抉るだけ抉って、そのまま勢いに任せてどっかに飛んで行ってしまったのだ。
邪魔な鉄パイプが刺さっていない分、その出血の勢いははるかに速いに違いない。
「――希望を、見たんだよ」
そんな状況で、否、だからこそ誠司は、あまりにも現状にそぐわないそんな言葉を口にする。
精々最後の最後まで、少しでもカッコつけておきたいと、そんなバカバカしいことを考えながら。
「希望を――、見たんだ……。君と戦って、負けて、話した、あの時に……」
ずっと自分が置かれた状況に絶望していた。
否、そうではない。自分でも、自分が絶望しているなんて欠片も思っていなかった。
ただ漠然と、自分たちはずっとこのままなのだろうと、そう思っていた。
「なにかが――、変わるかもしれないって、そう、思ったんだ……。変わらないって、思っていたものが、あの時に……!!
――なあ、わかるか……? 僕はあの時、確かにっ、希望を見たんだよ……!!」
「中崎、さん……」
あのまま死を待つだけの選択をしなくてよかったと、改めてそう思った。
もしもあのままでいることを選んでしまったら、またしても誠司はどうにもならない己の運命に、ただ流されるだけの存在になってしまうところだった。
だからそうならないように、最後くらいは誠司も何かを残そう。
あの時垣間見て、結局自分の手からは取りこぼしてしまった希望が、それでも誰かの手には届くように。
「これ、を――」
徐々に形を崩しつつある天馬を地上へと向かわせながら、同時に誠司はずっと握ったままになっていたものを竜昇の胸へと押し付ける。
それは先端が煙管のような形になった、誠司が自身で改造した、愛用の杖。
「どうにか、これだけは使用者登録を、初期化……き、たんだ…。だから、これで、これを使って――」
薄れゆく意識の中で、途切れ途切れのそんな言葉で、それでも誠司は最後の最後でこれ以上ないほどカッコを付ける。
「みんなを、守って――」
そこまでが、竜昇達の乗る天馬の、その形が維持できる限界時間だった。
天馬の四つ足、その蹄がどうにか地上を掴んだ次の瞬間、数歩と歩まぬうちに金属でできたその体が崩壊し、塵となり、魔力となって消えていく。
光の塵が舞い踊るその中で、誠司を抱えた竜昇だけがどうにか地面に着地する。
体重が戻り、ずしりと重くなった誠司の体には、しかし決定的な何かが抜け落ちてしまったかのように、まるで空っぽのように何かが足りていない。
「ずるい人だ……。結局あんたは詩織さんに、面と向かって謝らないまま行っちまった……」
すでにこと切れた誠司の体をそっとその場に横たえながら、竜昇は少しだけ恨みがましくそう言って、先ほど押し付けられた、託されたその杖を握る手に力を籠める。
状況は未だに嘆いていられるような猶予すらない。
誠司のおかげで大分距離は離せたが、それでも敵が健在である以上、竜昇は再びあの相手と激突を余儀なくされるだろう。
あるいは、追撃を避けるためか飛行ルートが僅かにズレたことも考えれば、アパゴの方が先にもう一つの戦場へと向かっているかもしれない。
なんにせよ、今ここで竜昇がするべきことはただ一つだ。
「もう一度、今度は皆を全員連れてここに来ます。だからそれまでに、詩織さんになんて謝るか、それだけでも考えといてください……」
最後に未練のようにそう言って、渡された杖を抱えて、竜昇はひとまず他のメンバーたちと合流するべく海岸エリアを目指して走り出す。
ただし、この時の竜昇は知らなかった、知る由もなかった。
死に際に誠司が残したその願いが、すでに叶わぬものとなってしまっているということなど。
もはや叶うことの無い願いをその手に抱えて、竜昇は中崎誠司の最後の場所を後にする。
すでに叶わぬものとなったその願いを、それでも精一杯にかなえるために。
「――逃したか」
彼方を見据え、撃ち漏らした敵が不時着していくのを視界に収めながら、アパゴは構えていた三本目の鉄パイプを下ろしてそう呟いていた。
その口から出ていたのは、竜昇達が使っていたのと同じ紛れもない日本語。
(やはり、気を抜くと少々引っ張られるな……。己を見失うことはなくなったにせよ、言語など無意識の言動に少々影響が出ている……)
思わず口にしてしまった先ほどの少年たちの言語にそう思考して、しかしアパゴはそれ以上その問題に拘泥することなく自身の思考を切り替える。
言語の問題などは、期せずして未知の言語を習得できたと考えればむしろ収穫だ。
むしろ今考慮するべき問題は、先ほどの戦闘を経ての自身の肉体のコンディションの方である。
(やはり、あれほどの一撃ともなると負傷は避けられんか)
先ほど誠司達が飛び発つと同時に打ち込んでいた【
最大威力の魔法の合わせ技とも言うべき攻撃には、さしものアパゴも全くの無傷とはいかなかった。
現に、今のアパゴはその全身が見るからにボロボロで、裸同然の上半身にもあちこちに打ち身や裂傷が見て取れる。
加えて――。
(やはり、傷が開いた、か……)
自身の脇腹、この階層に足を踏み入れる前に負った負傷の位置に手をやって、アパゴは包帯越しに自身の傷の状態を確認する。
とは言え、あれだけの攻撃を受けたにもかかわらず、彼が負っていた負傷はそれだけだ。
本来ならば人間一人を確実に葬り去れる攻撃を受けてなお、アパゴは多少の軽傷と、すでに負っていた傷が開く程度の被害で耐えきってしまっている。
(とは言え、この程度であれば戦闘に支障はない)
実際、先ほど誠司最大の攻撃を受けたその直後にも、アパゴは付近にあった手すりのパイプを力任せにねじ切って、それを逃げる二人の背に向けて投擲するという力任せの離れ業を行っている。
生憎と、ギリギリのタイミングであったため槍自体に仕込みをする余裕はなかったものの、そこまでできていたら二人の少年をまとめて仕留めることも可能だったくらいだ。
二人の少年のうちの一人を取り逃がしたのも、負傷の影響と言うよりも単に相手に運があったというそれだけの理由でしかない。
(さて、ではこの後はどうするか)
そうして、最後にアパゴはその思考を次の行動へと切り替える。
すなわち、今しがた取り逃がした竜昇の後を追うか否か。
(あちらを追えば、恐らく追いつくことは可能であろうが……)
そう思いながらも思考が向くのは、先ほど心を操る邪なる術の存在を暴いた、恐らくはこの階層に到達しているであろう同胞の存在。
(先ほどの小僧も向かっていたのはあちらの戦場だろう。虫の好かぬ輩ではあるが死なれるわけにもいかぬし、待ち構える形にもなるなら同じことか)
そう結論付けて、アパゴはその足を竜昇の追跡ではなく、静達のいるもう一つの戦場へと向けて歩き出す。
もう少しまともな武器があればと、手にしていた鉄パイプをあっさりとその場に放り出しながら。
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