189:舞台上の人形劇
舞台の上のハンナが栞を砕いて光の粒子をばら撒くのを見たその瞬間、ほとんど反射に近い判断で、静は行動を開始していた。
先ほど本に挟んでから砕いていたときはまだ確証までは得られなかったが、精神干渉を看破した直後に使用したとなれば、あの栞はその精神干渉に対抗するための、恐らくはスキルカードなどと非常に似通った代物だ。
否、もはやことがここに至っては、そのような推測はもはやどうでもいい。
重要なのは、相手が精神干渉に対して何らかの対抗手段を持っていると発覚した今、もはや静達には、ハンナが完全に正気に戻るのを悠長に見ている余裕はないということだ。
「詩織さん、むこうに来てしまっている及川さんを即刻退避させてください――!! 他のお二人は舞台上の敵の排除を――!! あの相手に攻撃の余裕を与えてはいけません――!!」
「――ッ、うん――」
「――ナ、ぇ――」
「わかりました――」
唐突な静からの指示に、詩織はともかく瞳などは一瞬従っていいのかと迷うそぶりを見せていたが、幸いなことに理香の方はすぐさま状況を理解したのか行動を開始してくれていた。
先ほどの静との戦闘で折られたレイピア、その刀身を光の刃を纏わせて包み込み、その輝きで弧を描きながら舞台上目がけて振りかぶる。
「【月光斬】――!!」
輝く刀身から三日月上の刃が切り離され、放たれた斬撃がブーメランのように回転しながら次々と舞台へと向かう。
対して、舞台上のハンナの方もそんな攻撃が来るのを黙って待っていてはくれなかった。
『エックレイサァッ――!!』
案の定、ハンナの呼びかけに応じて再び動き出した人形が次々と矢を撃ち出して、自身に迫る斬光の刃を次々に爆砕して迎え撃つ。
「構わず撃ち続けてください――!! あの相手にこちらを攻撃する余裕を与えないで――!!」
「わかりました――!! ヒトミさん――!!」
「わカってる、よぉッ――!!」
理香からの呼びかけにそう答えて、先ほどは迷いを見せていた瞳の方も、その【着装筋繊】によって強化された太い腕で、先ほどからの戦闘によって砕けた一抱えもあるコンクリート片を持ち上げては、力任せに投げ放つ。
多数の三日月斬撃と巨大な投石が次々と舞台上へと飛来して、それをハンナの傍の人形が次々と矢を放って撃ち落とす。
とは言え、それでもできたのはようやく均衡状態を作り上げるところまでだ。
(やはり、どうにか舞台上まで行って直接あの方を叩くしかない――!!)
そんな判断のもと浜辺を駆けて、静は迷うことなく海岸エリアの壁際、そこに設けられた舞台へと向かうための通路に向かって走り寄る。
ただし、舞台上のハンナの方が、そんな状況にいつまでも甘んじて、静の接近を許してくれるはずがない。
『エクレイサッ、アビスポウラ――!!』
舞台上のハンナが傍に立つ人形へと何かを呼び掛けて、それに応じて人形の背中から何かの魔力が噴出する。
生じた魔力の奔流がやがて二つ、四つと流れを分けて、やがてその魔力が一つの形へと変わって、それまでの人形にはなかった新たな器官が増設される。
すなわち二対四本の、もとからあった物と合わせれば六本にもなる新たな腕が。
否、腕だけではない。この状況で腕を増やしてきた以上、その腕で使う武装もまた当然のように増設される。
「なッ、矢ノ数が――!!」
浜辺で瞳が声をあげたその直後、案の定六本の腕で構えられた三つの弓から同時に矢が放たれて、それらが連続することで静達それぞれの場所に、文字通り雨のような矢が降って来る。
「――く、【突風斬】――!!」
押し寄せる大量の危険に対して、とっさに静は暴風の魔力を注ぎながら苦無を投擲、分裂によって増えた苦無が空中で矢の雨とぶつかって、暴風の魔力と共に周囲一帯に四散する。
(――爆発しない――? それにこのばら撒かれたものは――!?)
周囲一帯に降り注いだ、何やら黒いジェル状の何かの存在に、すぐさま静は警戒の色を強くする。
とは言え、たとえ警戒していたとしても、それに個々人が対処できるかと言えばそれもまた別の話だった。
「――ッ、数が多すぎます――!!」
自身に迫る矢の雨を【斬光】によって切り払い、それでも対処できなくなった理香が【火花吹雪】を発動させる。
途端に起こる火花による連続爆発。否、その爆発は、本来彼女が想定していたものよりも、はるかに大きなものとなっていた。
「――ぅ、ぁあッ――!!」
自身に近い距離で起こった想定外に大きな爆発に、その衝撃波に煽られる形でそれらを撃ち落してしまった理香が大きく体勢を崩される。
そしてそうなったことで、初めて静は自身の周囲にまき散らされた黒いジェルが、いったいどのような性質のものなのかを理解した。
否、もはやこのタイミングは理解しただけではすでに遅い。
理香の【火花吹雪】によってまき散らされた熱と炎は、すでに周囲のジェルに引火する形でその爆発の規模を拡大させ始めている。
「――ッ、シールド――!!」
とっさに静が右手の籠手で防壁を展開した次の瞬間、連鎖爆発によって近づいてきた火の手が足元の黒いジェルへと引火して、静の周囲でも連続爆発が炸裂する。
幸い対処が早かったが故にダメージを受けることはなかったが、それでもこの敵を相手に守勢に回ってしまったというのは致命的だ。
案の定、体勢を崩した静達の状態を隙と見て、それに追い打ちをかけるように大量の矢が降って来る。
「――ッ、【
殺到する矢の雨による攻撃に対して、静はとっさに高速移動による回避を選択、不規則に進む方向を変える乱数機動でその一体を駆けまわり、どうにか自身が攻撃にさらされる事態を回避する。
とは言え、それができたのはあくまでも静にそれを可能とするだけの技能があったからだ。
もしも静のように高速で移動する手段がなかったならば、その人物に取れる手段は全く別の一手しかない。
「――く、
攻撃に対して回避を選択した静に対して、理香の方は自身が左手にはめた籠手に魔力を流して、巨大な円形の盾を作ってその攻撃を防御する。
否、防御してしまった、と、この場合はそう言った方がいいだろう。
なにしろこの矢に対する対応として、その方法は間違いなく最悪の悪手であったのだから。
「――!? この矢――!?」
盾で矢を受け止めたその瞬間、矢そのものがジェル状に砕けて盾の表面にへばり付く。
「なに、これ――、重――!!」
急激に重量を増した盾の重みに耐えかねて、たまらず理香はその場所に蹲らざるを得なくなった。
さらに、そうして蹲って床と触れた黒い何かが、そのまま接着剤のようにべったりとその床に張り付いて、同時に床に飛び散っていた別のジェルが理香の体をもその場所に完膚なきまでに接着する。
「理香さん――!!」
そうして、動きを封じられた理香の元へ、詩織の悲鳴のような声と共に追撃の矢が飛んでくる。
それも当然のようにただの矢ではない。見るからに爆発しますと言わんばかりの赤色と、特殊な感覚などなくても容易に感じられるような魔力の込められたその一矢が、まるでクラスター爆弾のように空中で分裂して、多数の火矢となって理香の元へ降り注いで――。
「【加重域】――!!」
その矢に理香が射抜かれるその寸前、猛烈な勢いで割り込んできた瞳が重力の魔法によってそれを叩き落としたことで、かろうじて理香はこの場で命を繋ぐこととなった。
「あアっ、もう――!! こいツさっきから、あタし以外のみんなを嫌がらせみたいに狙っテ来てッ――!!」
仲間ばかりを狙われる事態にいら立ちをあらわにする瞳だったが、しかしそのやり口は実際のところ非常に有効なものだった。
およそこの場において、舞台上の人形の弓による攻撃を確実に防御できるのは馬車道瞳ただ一人だ。
そのうえで考えるならば、攻撃を無力化できる瞳をわざわざ狙わずに、他の隙を見せたメンバーを次々と狙って彼女をそのフォローに奔走させるというのは、戦術としても非常に理にかなったものであると言える。
そして理にかなったものである以上、敵である人形、それを操るハンナに、それをやめる理由はどこにもない。
「――ッ、今度はシオリとマナを――」
「行ってくださいヒトミさん――!! この接着剤は、それほど長く効果のあるものではないようです」
魔力へと還って霧散していく黒いジェルに、自身の盾や手足を床から引っぺがしながら、理香が瞳を迷わせないよう素早くそう指示を出す。
それに対して、瞳の方もそこまで言われれば否もない。
自身の左足、そこに装着した籠手の力で自身の体重を消失させて、降り注ぐ矢と詩織たちの間に割り込む形で重力の魔法を行使しながら猛烈な勢いで跳んでいく。
「【加重域】――!!」
空間を押しつぶして全ての矢を叩き落としながら、当の瞳は沸騰した頭で仲間を攻撃されたことに怒りを募らせる。
守ると決めた愛菜や、それを守る詩織に手を出されたことも腹立たしいが、瞳にとっては理香の存在とて決して軽いものではないのだ。
なにより彼女には、誠司と共にこれまで自分達を導いて来てくれた恩があるのだ。
流石に愛菜などと比べれば優先度の面では多少劣るが、それでも手を出されて平然としていられるほど、すでに瞳は理香のことを他人だとは思っていない。
「――いいっ、加減にシろォッ――!!」
故にこそ、この時理香はついに堪忍袋の緒が切れた。
襲い来るやの雨、その全てを完膚なきまでに眼前のプールへと落として爆散させ、水柱が立ちのぼるその中を、無重力の跳躍で勢いよく舞台へと向けて跳躍する。
「潰レろォ――!!」
迎撃のため、次々と撃ち出される矢の群れを再びの【加重域】で叩き潰す。
染みついた魔力操作で自身の体重を操作して舞台へと着地、舞台へ乗り込んできたこちらを見て若干たじろいだ様子を見せるフードの女目がけて躊躇なく突貫する。
「ぶっ殺ス――!!」
思わず出たその言葉はスキルシステムの影響と彼女の本心、果たしてどちらによるものだったのか。
なんにせよ、もはや瞳の中に躊躇はなかった。
主の身を守ろうと、割り込んできた人形の体に容赦なく鉄棍による一撃をぶち込んで、接触と同時に【羽軽化】の魔力を流し込んで体重の消えた相手を遥か彼方にぶっ飛ばす。
流石に、広いとはいえ屋内プールの中ではあるため、壁にぶつかれば止まって戻ってこられるだろうが、あの人形が戻ってくるころにはすでに攻撃は終わった後だ。
すでに標的は瞳の間合い、引き戻した鉄棍を槍へと変えて、眼の前の女を串刺しにするべく、勢いと力を込めて突きかかる。
(あれ、そう言えば――)
刺突を放ったその瞬間――。
(こいつさっき、フードを脱いでなかったっけ……?)
――微かな違和感が、ほんの一瞬頭をよぎって――。
その瞬間、奇しくも同じプールエリアの反対側で、誠司の魔法による重力と下降気流の鉄槌が振り下ろされて、その攻撃の余波が暴風となって瞳達のいる海岸エリアにまで吹き付ける。
追い風となった暴風に背中を押されて、同時に目の前の女フードが、風にあおられて再び剥ぎ取られて露わになって――。
「――え?」
槍がその身を貫いたその瞬間、同時に見えた相手の姿に、思わず瞳はそんな声を漏らしていた。
フードの下にあったのは、先ほど見た不健康そうな目の下に熊のある女の顔ではない。
そこにあったのは、瞳が先ほどふっ飛ばしたのと同じ人形の顔。
体格も同じ、マントも同じ、けれど決定的なところでそもそも人間ではないそんな相手が、自身の胸を貫く槍から、眼の前の瞳の方へと顔を向けて――。
――次の瞬間、瞳の体の中央で『ゾブリ』と言う、どこか不吉で聞いたことのない音がした。
「――…………え?」
視線を下ろせば、いつの間にかすぐそば、自身の胸の中央から、見覚えのない金属質な槍の穂先が生えているのが見えてくる。
刃の切っ先に返しのついた、槍と言うよりも漁などに使う銛に近い、絶対にこんなところに生えていてはいけないはずの、そんな刃が。
「――ぁ、ブ……!!」
喉の奥から灼熱の鉄がこみ上げて、直前まで重力をものともしていなかったはずのその体が何の抵抗もできずに真下へと向かって崩れ落ちる。
なにが起きたのか、いったいいつ入れ替わっていたのかと、そんな疑問で頭の中を満たしながら。
まるで糸の切れた人形か何かのように、あっさりと。
まるで奈落の底へと落ちるかのように、瞳の意識が闇の中へと消えていく。
そして、彼女たちは知る由もなかった。
少女たちがいるのと同じプールエリア、そこから少し離れたその一角で、馬車道瞳に起きたこととまったく同じ事態が、ほとんど同じタイミングで発生していたということなど。
「中崎、さん――」
天馬の首にしがみ付き、かろうじて天を駆けるそれからの落下を免れた竜昇が、しかし上を見上げて呆然とそう呟く。
天馬の首元しがみ付いているだけの自身とは違って、その背にしっかりとまたがった中崎誠司が、しかしその胸の中央から先のとがった鉄パイプを生やして呆然とこちらを見下ろしていた。
まるで投げ槍か何かのように、突如として背後から飛んできた鉄パイプに胸元を貫かれて、その鉄パイプの周囲から夥しい量の血があふれて、パイプの先端へと滴り落ちた血液が、眼の前にいる竜昇の頬へと滴となって落下して来て――。
「か、フ――」
そうして、呼気と共に血を吐いて、天馬の背に乗る誠司の体がぐらりと傾き崩れ落ちる。
どうしようもないその傷に、まるで命そのものを刈り取られてしまったかのように。
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