188:男たちの放散
手の中から光の粒子が舞い上がる。
握りつぶした
否、もしもこの場に静達がいたならば、アパゴが今しがた砕いたそれが、ドッグタグではなくハンナが使用したのと同じ、本に挟む栞であることに気付くことができたかもしれない。
とは言えそれは、一人の人間が二か所に存在できない以上まったくもって無駄な仮定だ。
そもそもドッグタグだと思っていたものが栞だったからと言ってそれで何かが大きく変わる訳でもない。
もしも今重視するべき事柄があるとしたら、破壊された物品の正体などではなく、それが及ぼす影響とその意味合いだ。
「ああ、まったく……。そういうことか――」
「そういうことって、なにかわかったんですか?」
目の前の光景に突如として悪態をついた誠司の様子に、思わず竜昇はそんな言葉でその理由を問いかける。
それに対する誠司の答えは、どこまでも自身の失態を悔いるような、酷く苦虫を噛み潰したような言葉だった。
「今しがた観測した妙な魔力、あれは人の精神に干渉する【邪属性】の魔力を人間の感覚でも察知できるように色付けしたものだ。
そしてそんな魔力が観測されてすぐに、あのアパゴって奴が取った行動があるなら、その行動の意味は明らかだろう……。
なんでこんなタイミングであいつが脱走したのか疑問に思ってたけど、なんてことはない。あいつは精神干渉に対抗するためのアイテム、あのドッグタグをずっとどこかに隠し持ってて、さっきの取り調べの時に微かにでも正気を取り戻したことで、それを使えばいいって正気に戻る方法を思い出したんだよ……!!」
早口に語られるその推測に、竜昇はすぐさま彼の表情の、その理由を理解する。
確かに正気に戻るアイテムを隠し持っていて、そのアイテムが先ほどの取り調べをきっかけに使用されたというのなら、この状況は言ってしまえば誠司たちの手落ちによるものだ。
なにしろ、アパゴを拘束するにあたってその身体検査をしたのは他ならぬ誠司たちなのである。
彼が正気を取り戻すことと成ったきっかけにも関わってしまっている点と言い、確かにアパゴが脱走するそのきっかけが自分たちの行動にあるとなれば、それは確かにこの状況は不本意極まりないものだろう。
努めて冷静にそう答え合わせをしながら、しかし一方で竜昇は気付いてしまったもう一つの事実に激しい動揺を押し殺す。
精神干渉への対抗するアイテムと、誠司は言った。
先ほどアパゴが取り出して、握りつぶしドッグタグを、精神干渉に対抗するためのアイテムであると誠司はそう判断したのだ。
だがもしもそうだとすれば、アパゴ達【決戦二十七士】はこの階層における精神干渉の存在を事前に予期していたことになる。
無論、アパゴ自身が対応できていなかった点から考えて、厳密にどの階層で精神干渉を受けるかと言ったことまでは予想できていなかったのだろう。だが一方で、彼らはこのビルの中で使われる一つの手段として、精神干渉の存在を知っていたことになるのだ。
加えて、アパゴが問題のドッグタグを握り潰した際に生まれた、竜昇達がスキルを習得する際に吸収していたものと酷似した、あの光の粒子。
もしもアパゴの持つ精神干渉への対抗手段と言うのが竜昇の推測通り、人間に記憶をインストールする機能を利用して、偽物の記憶を正しい記憶で上書きするような方法だったのだとすれば――。
(同系統の能力者がいる……!! このビルの、スキルカードを作ったゲームマスターと同じ……。人の記憶に干渉するアイテムを作れる奴が……!!)
あるいは、精神干渉の魔力に色付けを行ったという話から考えて、今しがたこの階層に現れた問題のハンナと言う人物こそが、その同系統の能力を持つ人物なのか。
考えただけでは答えの出ない、そんな思考がいくつも竜昇の脳裏を駆け巡って――。
(――いや、ダメだ、落ち着け……!! 今はこの状況を切り抜けることが最優先だ……!!)
寸でのところで、竜昇はそう自分を律して、思考の矛先をこのビル全体のことから目の前のことへとそのスケールを切り替えた。
正直得られた情報を精査したいのはやまやまだが、現状ではまだそんなことをしていられるような余裕はない。
むしろ思考の一欠けらに至るまで、その全てを現状を突破するために使わなければ、すぐにでも命を落としかねないような状況なのだ。
少なくとも今だけは、余計なことを考えずに現状に集中しないと、それこそ竜昇自身が真実にたどり着くその前に、命を落とす事態にすらなりかねない。
「それでどうする、この状況……? この場でもう一度あいつとやり合って、なんとかして捕縛を試みるかい……?」
恐らくは誠司も同じような結論に達したのだろう。胸の内の様々な思考や疑問を押し殺しながら、現状への対応手段を竜昇に対して問うてくる。
そしてその質問についての答えであれば、竜昇はもうとうの昔に自分の中で結論を出していた。
「逃げるしかないでしょう。勝ち目があるならともかく、現状ではあまりにもこちらの分が悪すぎます。制圧できるならともかく、このまま戦っても明らかに勝ち芽がありません」
「まあ、そうなるだろうな」
竜昇のその答えを予想していたのか、誠司も特に異論をはさむことなくアパゴから視線を外さぬままそう返す。
一応の選択肢としては、先ほど言葉が通じたことを念頭に話し合いに持ち込むという手も考えてはみたが、既に相手が臨戦態勢に入ってしまっている現状ではそれもあまりにも分が悪すぎる。
なにしろ、一瞬の隙がそのまま致命傷になりかねないような相手なのだ。
話し合いに持ち込むにしても安全に話かけられるだけの余裕はない。
加えて、アパゴ自身が自我を取り戻してしまったことでふたたび言葉が通じなくなっている可能性も無視できない程度にはある。この相手と対話をするならば、最低限言葉が通じることと戦闘を膠着以上の状態に持って行くことが必須条件となるだろう。
「こっちで少しの間時間を稼ぎますから、中崎さんはその間に【召喚スキル】の発動を。召喚したら即座にこの場を離脱して、ひとまずは海岸エリアの詩織さん達のところと合流しましょう」
「わかった」
声を潜めて打ち合わせをして、ひとまず竜昇が剣を抜いて前に出る。
とは言え前衛ができるようなスキルを持たない竜昇では、剣でやり合っても命を無駄に散らすだけだ。
牽制や威嚇の意味も込めて一応武器を構えてはいるものの、竜昇が本来頼みとするものはそれとは別のものになる。
「【
周囲に雷球を生成し、即座にそれを操作してアパゴの元へと差し向ける。
六つの雷球が縦横無尽に動き回り、こちらへの進路を阻む壁の代わりに配置する。
触れればそれだけで感電する、それゆえに迂闊に近づくことができない電撃の前衛。
だが――。
「――、こいつ――!!」
あろうことか、アパゴはそんな雷球に接触することなど気にも留めずに、真っ向から竜昇達のいるところまでオーラを纏ったその状態で突っ込んできていた。
一つ、二つと、配置された雷球がアパゴの体へと接触し、しかしアパゴ本人はそれをなんの痛痒を感じた様子もなく打ち破って、まるで止まることなくこちらに向かって突き進んで来る。
(さっきの話じゃ自分にバフを山盛りでかけてる異常なまでの技巧派って印象だったけど――、戦い方は完全に脳筋のそれだな――!!)
内心でそんな悪態をつきながら、ならばと竜昇はすぐさま残る雷球に向かって一斉に指示を飛ばして対応を変える。
「
アパゴの体に雷球が接触しようとしていたその瞬間、一瞬早く雷球が光条へと変わってアパゴの胸板に突き刺さる。
通常であれば人体など貫通できていただろう手加減抜きのゼロ距離射撃。
着弾の勢いだけでも相当な衝撃になるはずのそれを、しかしアパゴはわずかにこちらへと向かう勢いを弱めただけで受けきった。
人体を貫通どころか火傷一つ負った様子もない。肉体の損傷と言う意味では完全なまでのノーダメージ。
(――だが!!)
そんな状況でも、しかし竜昇はアパゴの見せたその反応に一つの活路を見出していた。
たとえ電撃そのものが効いていなかったとしても、物理的な衝撃は受けているというならまだできることはある、と。
「【
魔本の力を借りて思考能力を増幅し、周囲の時間の流れを緩慢に感じながら竜昇は残る三つの雷球を操作する。
狙うのは、例え肉体が頑丈になっていたとしても庇わずにはいられないそんな場所。
すなわち、人体の中でも突出して脆弱で、なおかつ光に弱いアパゴの両の眼球だ。
「発射(ファイア)――!!」
「――!!」
至近距離から両目をえぐるように放たれた光条に、流石のアパゴも両の目を守るように自身の腕を割り込ませる。
たとえ大量のバフによって眼球の物理的な破壊は防げたとしても雷球の閃光までは防げない。
そして、アパゴが目でものを見ている以上光までは遮断していないはずなのだ。となれば、どれだけバフを重ね掛けしていたとしても、少なくとも閃光だけはそのバフに遮られずにアパゴに届くことになる。
(そんでもって――!!)
文字通り眼の前に腕を構え、自然視界を遮ることになったアパゴの一瞬の隙をつき、竜昇は残された最後の雷球を光条として発射する。
狙うは足元、攻撃によろめいたアパゴの軸足となる右足。
加速した思考の中でアパゴの足元を精密に狙い、半ば足払いをかけるような狙いで真横から光条で衝撃を叩き込む。
「――!?」
狙いたがわず光条がアパゴの右足にぶち当たり、その衝撃でアパゴの体が真横へ向かって倒れ込んだ。
ダメージを与えたとまでは言えなくとも、この敵が初めて見せた決定的な隙。
(よし――、これで――。――!?)
そう思いかけたその直後、アパゴの身に纏う魔力の感覚が変質し、同時に倒れかけていたアパゴが鋭い体捌きでその態勢を立て直して竜昇の元へと突っ込んで来る。
恐ろしく無駄のない、恐らくは竜昇の知らない武術の動き。
(――ッ、まずい――!!)
恐らくは先ほどの魔力の質が変わった時に、自身にかけるバフを耐久型のモノから高速型のモノへと変更したのだろう。
迫るアパゴの動きは脳の処理速度を底上げしているからこそどうにか追いきれるレベルのもので、そしてその速さの前では魔法の発動そのものがそもそも間に合わない。
せめてもの悪あがきと手の中の剣を構えるが、もはやそれとて悪あがき以上の意味がない。
(――く、シールド――、いや、ダメだ――)
「【
間一髪、再び誠司の魔法が一瞬早く発動し、重圧の魔法が迫るアパゴの体を強引にその場所へと抑え込んでいた。
「中崎さん――」
「こっちにつかまれ――!!」
同時に、金属の天馬がすぐそばにまで迫ってきて、馬上の誠司が杖をアパゴに向けながら反対の手で竜昇の手を掴み取る。
触れた瞬間、竜昇の体から重さが消失し、それによって酷く軽くなったその体が天馬の馬上へと軽々と引き上げられる。
傍から見れば、その乗り方は馬の首元に布団でも干すように引っ掛けられるという無様極まりないありさまだったが、元よりこの場を離脱する間だけでも乗っていられればそれでいい。
むしろ重要なのは、その『この場からの離脱』を果たすためにあと何をするべきか、という点である。
「無理やりにでもいいからしがみついててくれ――!! 最後にもう一撃、特大のをぶちかます――!!」
そうして、馬上に乗せられた竜昇の体重が戻ると同時に、竜昇を乗せ終えた誠司がそう声を張り上げる。
同時に、竜昇は気が付いた。
先ほどの竜昇と誠司の戦い、そのさなかに生成され、しかし戦いの中で遠くへと追いやられてそのまま消えていくことになると思っていた黒雲が、しかし今わずかながらも竜昇達の上空に集まり、なんらかの気象操作を行っているというその事実に。
そしてその気象条件が、竜昇自身酷く見覚えのあるものであるということに。
「落ちろ――、天槌――!!」
放たれるのは重力の力を上乗せされて放たれる、小規模ながらも災害の再現たる下降気流の鉄槌。
「【
その瞬間、発動された二つの上級魔法が合わさって、竜昇達の背後にある空間をその巨大な圧力でもって叩き潰す。
それ単体でさえ、周囲一帯を薙ぎ払う威力のあった気流の鉄槌にさらに重力の魔法が合わさって、その場に残るたった一人の人間を容赦なく押しつぶして、その余波ともいえる暴風が周囲一帯を吹き飛ばす。
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