186:累積する悪条件

 最悪の状況が更新される。

 一戦交えて疲弊して、そんな中で新たな敵が大挙して押し寄せてくるという、ただでさえ最悪と言っていい状況だったというのに、そこにさらに捕縛していたアパゴの脱走と言う最悪の事態が連鎖する。


 本当に、もしもこれが偶然だというのなら、竜昇としてはもはやそんな偶然をセッティングしてくれた神様を呪いたいくらいの状況だった。

 しかも厄介なことに、他ならぬアパゴの口から、そんな運命のセッティングをしているかもしれない神様なる存在について聞いた後でのこの状況である。


(なんて嫌なタイミングで脱走してくれるんだ……。それとも、この階層に仲間が現れたのを察知して、チャンスと見て脱出を図ったのか……?)


 なんにせよ、もはや状況は【決戦二十七士】の生け捕りなどと言っていられる事態ではなくなってしまった。

 なにしろ、たった一人でさえ散々苦戦させられた、完成された戦士ともいえる相手が、同じ階層に二人もそろってしまっているのだ。


 否、それどころか下手をするとさらなる増援が、竜昇達のいるこの階層に送り込まれてくる可能性すらある。


(そのうえ最悪なのはここにいるのが二人とも後衛タイプの人間だってことだ……。相手は馬車道さんとまともにやり合って戦える接近戦能力の持ち主……。見たところ装備の類は奪い返されていないみたいだが、徒手空拳でもかなり戦えるってのは昨日の段階ですでに証明されている……)


 対して、現在こちらにいる二人はお世辞にも接近戦が得意とは言えない二人のみ。あるいは、誠司であれば先ほど見せた【魔杖スキル】や【召喚スキル】の存在である程度その役割をこなせたかもしれないが、現在の彼は他ならぬ竜昇が行った電撃の影響で万全な動きができるとは言い難い状況だ。

加えて【召喚スキル】に至っては触媒を破壊しつくしてようやく一本を間に合わせで修復しただけのありさまであるし、今の誠司にこの相手とやり合う前衛としての能力を求めるのはどう考えても無理がある。


(近づかれたら勝ち目はない……!!)


 そう考えて、竜昇が魔法の発動準備と共に右手をアパゴへと差し向けた、次の瞬間――。


「――なッ!?」


 ほんの一瞬、竜昇が魔法を発動させるその前に、アパゴの体はすぐ目の前にまで一気に距離を詰めてきていた。


「シールド――!!」


 とっさに【雷撃】を放つ手を止めて、かわりに自身の周囲に使い慣れた防壁を展開させて、繰り出されるアパゴの拳をギリギリで受け止める。

 魔力が硬質な壁となり、まともに殴れば拳の方を痛めてしまうようなそんな防御にアパゴの一撃が激突する。


(ッ――!! こいつ、銃弾も防げるシールドにヒビを入れやがった……!!)


 シールドの正面、そこにまるで蜘蛛の巣のような形で刻まれた亀裂を目の当たりにして、その一撃の威力に竜昇は思わず戦慄する。


 恐るべきは、その全身にオーラを纏っていること以外に、アパゴが何か特別な技を使った様子がなかったということだ。

 あるいは、拳法的な意味での技なら使っていた可能性はあるが、身にまとうオーラ系の強化意外に魔力をほとんど使用していた様子がない。


 つまりそれは、この敵にとって今の一撃が本当にただの通常攻撃であったということ。


「うぉ――!!」


 続けて放たれた拳がヒビの入ったシールドを打ち砕き、いよいよ竜昇の身が無防備な形でアパゴの前に晒される。


 慌てて後ろに下がろうとする竜昇に対して、アパゴが容赦なくその拳を振りかぶり、追撃の一撃を叩き込むべくその一歩を踏み出して――。


 ――次の瞬間、竜昇が密かに展開していた魔力の領域へと足を踏み入れた。


「【領域雷撃エリアボルト】――!!」


 魔力を流した魔本からのバックアップを受け、周囲の竜昇の魔力が一斉に電気の属性へと変換される。

 周囲の空間が突如として攻撃魔法へと転化して、無造作にその範囲へと踏み込んだ哀れな獲物へと瞬間的に牙をむく。

 だが――。


(こいつ、今のをまともに喰らってオーラが薄れた様子もない……!?)


 浴びせられた電撃に対して、ダメージを受けた様子どころか防御するそぶりすら見せなかったアパゴの様子に、いよいよ竜昇はそのデタラメな戦い方に戦慄させられる。


 こんなもの、戦術も戦法もあった物ではない。

 ただ自身の圧倒的なパワーとタフネスにものを言わせて、力技によるごり押しで攻めてくるようなそんな戦い方。


「【突気流ガスト】――!!」


 そうして力押しによる強引な接近に、竜昇がなす術もなくねじ伏せられようとしていたちょうどそのとき、横合いから猛烈な突風が叩き付けられて、竜昇の体が拳に触れる前に強引に真横へとふっ飛ばされる。

 先ほどまで戦っていた関係上、それが誠司による魔法だということはすぐにわかった。

 同時にその魔法が先ほどまでとは違い、攻撃のためではなく竜昇を逃がすために使用されたのだということも。


(けど、こいつ――)


 吹き付ける突風に身を任せて飛ばされながら、同時に竜昇は逆方向からの突風を浴びて、しかしそれをそよ風程度にも感じていないアパゴの姿を目の当たりにする。


 否、厳密にはアパゴは、吹き付けるその突風に晒されているわけではない。

 吹き付ける風がアパゴの身に触れるその寸前、彼の身に纏うオーラがその風をいなすようにして受け流し、まるで風そのものがアパゴの身を避けて通るかのように、その流れが逸らされてしまっているのだ。


(どういうオーラ使ってるんだ……、多機能すぎんだろいくらなんでも……!!)






 竜昇が毒づいていたのとほぼ同時に、土壇場でどうにか彼を救出した誠司の方は察知したその魔力の気配に愕然とさせられていた。


 ただしそれは単にアパゴの纏う魔力量が大きかったからとか、そういったわかりやすい理由ではない。


 誠司の持つ第三の魔本、【第二版・帝国術理魔導全集】は、魔力の解析と検索に特化した、情報収集・分析用の辞書のような魔本だ。


 この魔本は、使用する人間の感覚器官を測定器代わりに魔力についての情報を測定し、それと類似、あるいは一致する魔力を内に収められたアーカイブの中から見つけ出して使用者に伝える機能を有している。


 そんな魔本を使用して、相手の使うオーラ系の魔力の正体を検索にかけていた誠司は、はじき出されたその結論に高速化された思考の中で驚愕させられることと成っていた。


(なんなんだこのオーラの種類と数は……!! 一種類の魔力じゃない……。筋力強化が最低でも三種類――。耐久強化に敏捷強化、炎熱耐性に毒耐性、風圧阻害に絶縁性能……、うわぁお、まだある……!!

 数にしたってこんなの十や二十や効かない……!! 二十九、三十……、三十四……、ダメだ、これ以上は複雑に混ざり合ってて判別できない――!!)


 相手の纏うオーラが三十種類以上の魔力が入り混じった物であり、さらにその種類が今この瞬間にも増え続けているというその事実に、もはや誠司は相手の手の内を探る行為の無意味さを理解せずにはいられなかった。


 分析に特化した魔本でも持っていなければ区別をつけるのも難しい。幾種類もの魔力を一瞬のうちにダース単位で重ね掛けして、しかもそのバリエーションが今この瞬間にも常に更新されている。


 瞳から話を聞いただけではわからなかった、恐らくは自分以外には解析することすら難しかっただろうこの敵の戦闘スタイル。


「気を付けろ、こいつは支援職(バファー)だッ――!! 二桁台のバフを、大量の強化と耐性の魔力付与(エンチャント)を自分に重ね掛けしてるッ!!」


 こんなもの、一つ一つに対応しようとしていたらそれこそ切りがない。

 当初はその身にかかったバフの穴を見つけてそこを突けばとも思っていたが、穴をつくどころかこの相手は、いかなる攻撃にさらされても耐えられるように、まるで考えうる攻撃全てを網羅するように耐性のバフをかけまくっている。


 傍から見れば強化を施して力任せに殴りかかっているようにしか見えないがとんでもない。

 蓋を開けてみれば力技の対極にいるかのような、技巧の極致のような戦闘スタイル。


「――ッ、だったらッ!!」


 竜昇が攻撃から逃れたことで、その矛先が自身へと向けられたことを即座に察知して、誠司はすぐさま前へと向けて杖を構える。

 鋭い踏み込みと共にアパゴの姿が掻き消えて、次の瞬間にはその殴打によって誠司の体を捕らえようとした、その直前。


「【加重域ヘビーゾーン】――!!」


 誠司の目の前の空間で強烈な重圧が発生し、誠司のいるところまであと数歩というところにまで迫っていたアパゴが上から押さえつけられたかのように膝を着いた。


 昨日の戦いの中で、瞳による最大威力の加重を受けても五体満足で生存していたというアパゴだが、それでも重圧そのものが一切効かなかったというわけではない。

 そして一度重圧のうちに捕らえたならば、誠司にはこの相手を力技で押しつぶすための手段がある。


(【魔力充填マナプール】解放――、範囲縮小、重圧増大――。効率がいいやり方とは言えないが仕方がない……!! 魔本に溜め込んだ魔力量にものを言わせて、力づくでこいつを押しつぶして圧殺してやる――!!)


 マジックアイテムとして使う性質上、瞳では成し得なかった効果範囲の限定と、それに反比例した威力の底上げを敢行し、さらにそこに追加の魔力まで流し込んで誠司はアパゴに対してかける重圧を一気に増大させる。


 アパゴの足元で加重範囲の床が陥没する。

 一点集中の重圧にさらにその周囲までもがクレーターのように陥没していき、その圧力に耐えかねたプールエリアの床のあちこちに亀裂が走って破壊の余波が周囲へとみるみる広がっていく。

 だが――。


(――馬鹿な……!! こいつ、この重圧に片膝をついただけで耐えている……!?)


 加速度的に威力を増していく重圧に、しかしアパゴの方は片膝をついた態勢から微動だにしない。


 通常ならば押しつぶされるように倒れてそのままひき肉になっていてもおかしく無い重圧だというのに、この男はその全身に纏うオーラの量を増やしてその重力にずっと耐え忍んでいる。


(さっきから【重量軽減】系の魔力が次々に追加されてる……。けど、だからってこの規模の魔法にまで耐えられるなんて……!!)


 あるいは纏うオーラ同士が相乗効果でも発揮しているというのか。誠司がかける重圧に、しかしアパゴは全く屈する様子がない。

 それどころか、重圧が増していくその間にもアパゴは徐々に片膝をついたその状態からわずかずつ立ち上がろうと態勢を変え始めている。


(――まずい、もう魔本に溜め込んでおいた魔力が切れる――)


「中崎さん、下がって雲を――!!」


 誠司が内心で焦りを覚えていたまさにその時、そんな呼びかけの声が耳へと届いて、誠司は即座に重力の魔法をそのままに自身の体重を消して背後へと跳躍し、言われた通り自身の眼前に杖から雲を吐き出して身を守るための壁とする。


 アパゴからの攻撃を防ぐためではなく、次に来るだろう攻撃の、巻き添えになるのを防ぐために。


「やるなら遠慮なく全力で撃ち込め――!!」


「【六亡迅雷撃ヘクサフィアボルト】――!!」


 返答の代わりに閃光が放たれて、極太の電撃レーザーが重力に押さえつけられたアパゴの体を丸呑みにする形で直撃する。

 これが誠司であったのならば、例え電撃対策の魔力付与を施していたとしても恐らくは耐えられないだろう規模の上位魔法。

 だが――。


(電撃の中で追加の魔力が次々に付与されてる……。まさか、これにも耐え切るつもりなのか……!?)


 強烈な電撃の魔力の気配の中で、しかしそれとは別の魔力が次々に形を成しているのが魔本による解析によってどうにか誠司には理解できる。


 恐らくは瞬間的に耐性を向上させる魔力付与を何種類もいっぺんに発動させているのだろう。

 幾体もの屠ってきた【影人】の中には同じようにな魔技を使う個体もいたが、しかしここまで瞬間的に多数のバフを付与する相手には出会ったことがない。


 一度は退けられたことで油断していた。

 考えてみれば、誠司達が彼を捕えることができたのは、この相手が今よりよほど消耗し、負傷し、疲弊していたところだったのだ。

そんなバッドコンディションの相手に勝ったからと言って、例え次があっても自分達ならば勝てるだろうとタカをくくっていたのは、明らかに集団のリーダーである誠司自身の失策だった。

 実際にはその捕えることができた前回でさえ、誠司達は実力だけでその結果を掴み取ったわけではなかったというのに。


(まずい、今のこいつは全快とまでは言えなくとも、昨日よりははるかにそれに近い状態だ……!!)


 放出されていた電撃が途絶えて、そこからさしたるダメージを負った様子もないアパゴが変わらぬ敵意を湛えて姿を現す。


(もうこの二人だけじゃ、これ以上コイツを抑えきれない――!!)


 一瞬だけ見えたオーラすべてが消え去った体にすぐに二桁台のオーラを纏い直し、今度こそ誠司達を捕らえるべく一歩を踏み出して――。


 ――しかしその直後、そのアパゴが何かに気付いたかのようにその表情を歪めて、直後に額を押さえて明らかにあせった様子でその場から飛び退いた。


「――、なにが……?」


 困惑しかけたその瞬間、まるで答えを示すかのようにそれが来た。


 突如として現れる、自身の周囲を包み込むような魔力の感覚。


 まるで巨大な魔力の領域の中に踏み込んだかのような、竜昇の【領域展開】の範囲を広大に広げたかのような感覚がいきなり誠司の脳裏を刺激する。


(なん、だ――!?)


 反射的に行うのは、意識を接続した魔本による魔力属性の検索解析。

 そしてそれによって、疑問を持ってすぐにはその疑問の回答が魔本の中から示されることとなった。


(邪属性――、精神干渉系魔力の検出状態……? なんだこれ……。いや待て、精神干渉だって……!?)


 魔本が提示したその答えに、誠司は即座に以前竜昇達と話した、その魔力の存在を思い出す。

 及川愛菜と入淵城司。二人の人間を術中に落とした、恐らくはこの階層のボスが使っているだろう大きな意味を持つ魔法。


(なにが起こっている……。いったいこれは、誰が何をやって起きている状況なんだ……!?)

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