185:度重なる最悪

 それは詩織にとって、およそ考えうる限り最悪のタイミングだった。

 瞳に対して自分たちの思惑を話し、まさにこれから自分のことについて、ようやく一番話したかった二人のうちの一人に話そうとしていたそんなタイミング。


 けれどそんなタイミングで耳に届いたその音によって、詩織はせっかく得られた対話の機会を嫌でも横へと放り捨てて、迫り来る現実に対して対処せざるを得なくなった。


「――ヒトミ、すぐにそこに置いてある装備を付け直して」


「――え? なんでそんな、いきなり――」


「早く――!!」


 膝の上に寝かせていた瞳を半ば強引に引き起こし、即座にそばに置いてあった青龍刀、【青龍の喉笛】を掴み取って詩織は海に向かって身構える。

 正確には、身構える先は海を模したプールそのものではない。

 海を模したプールのその沖の方に設けられていた、座礁した帆船に見立てられたステージの方だった。


(来る――!!)


 思ったその瞬間、背後で詩織以外の三人、その手荷物の中にあったスマートフォンが一斉にアラームを鳴り響かせて、沖にある帆船の舞台上に次々と黒い人影が現れる。


 どうやら相手の方も、すでに詩織たちの存在には気づいていたらしい。

 まるでどこかのマンションから迷い出てきたような、酷く所帯じみた服装のものがそろった影人の集団が、姿を見せた次の瞬間には海に飛び込み、あるいは空を飛び、あるものは水面を凍らせてその上を走って、それぞれがそれぞれの方法で一斉に詩織たちがいる浜の方へと向かって進行を開始する。


「【影人】――!? なんで――!!」


「私が前に出るから、瞳は装備だけしたら愛菜達を守って――!!」


 先ほどまで争っていたかつての相手に躊躇なく今の仲間である城司の命を預ける選択をして、詩織はまず空からやって来る敵を迎え撃つべく【天舞足】を用いて空へと駆けあがる。

 こうした敵は本来瞳の方が得意なのだが、今は彼女の準備が整うのを待っている時間はない。


 そんな判断の元、まず詩織は上空、両手から火を噴きだして単独で飛行していた、やたらとアクセサリーを付けた不良少年風の影人へと真下から斬りかかる。


『ジヨブリ……!!』


 迫り来る詩織に、それを正面から受け止めようとしたのだろう。宙を飛ぶ不良少年がシールドを展開し、同時に両腕を上に掲げてそこに巨大な熱量を集約させる。

 恐らくは詩織の一撃を受け止めたうえでカウンターで叩き込むつもりなのだろう反撃の予兆。

 けれど、こと詩織を相手にするうえで、防御を前提とした反撃と言うのはいっそ最悪と言っていい悪手だった。


「【鳴響剣】――!!」


 手にした青龍刀を【音剣スキル】の技で振動カッターへと変えて、シールド表面へと振動する刃を喰い込ませ、そのまま防御を強引に叩き斬ってその向こうにいる影人の顔面へと刃を届かせる。

 防御不能の初見殺しの刃が影人の核を叩き斬り、反撃の魔法を許すことなくすれ違いざまの一閃で敵の航空戦力を撃破する。


(次――!!)


 即座に踵を返して、真下を見下ろす形ですぐさま詩織は次に屠るべき標的の姿を探し求める。

 現状見降ろした限り、新たに現れた影人の数はおおよそ十体ほど。

 そのうちの四体は水の中に飛び込んでのろのろと浜辺へ迫っており、一体がプールの水を次々に凍らせて道を作って、三体ほどの敵がそれに続く形で水上の氷の道を走っている。

 対して、舞台の上に残っているのは残り二体。否、あともう一体、他の影人から遅れる形で小柄な個体が奥から歩み出してきた。


 と、そこまで観察して、空中の詩織は一つの看過できない事実に気付く。


(え、あれって――!?)


 フードをかぶった小柄な人影、それが周囲を固める影人たちとは決定的に違うものであることに遅れて気づいて、詩織の思考が僅かながらも混乱に満たされる。


(人が、混じってる――!? けど、なんで)


 否、よくよく考えれば先ほどあの影人たちが現れた時、詩織たちの背後で明らかにスマートフォンのものと思われるアラームが鳴り響いていた。

 詩織自身があれを聞くのはこれで三度目だが、あれは確かに【決戦二十七士】が同じ階層に現れた際にメッセージの着信を知らせる、そういう類のアラームだったはずだ。


 だが、そうだとして――。


(なんで【影人】と【決戦二十七士】が一緒に行動してるの――!?)






「――テイム、したのかもしれません」


「テイム、ですか……?」


 理香と共に急いで準備を整えて、急いで詩織たちのところに向かいながら、静は自身が投げかけたその疑問に対して帰ってきた答えに、すぐにはピンとこずに首をかしげていた。

 対して理香の方も、静が自身の使った用語の意味を理解していないのをすぐに察して、冷静な口調で噛み砕いた説明を入れてくる。


「ゲームなどでそのような概念があるのですよ。敵として出て来たモンスターなどを、何らかの方法で手懐けて自分の味方にする行為、とでも言えばいいでしょうか……」


「そんなことができるものなのですか……? いえ、これはゲームではなく現実での話なのですが……」


「もともと、このビルで遭遇する【影人】の行動原理は一部の例外を除いて非常に単純です。ほとんどの個体の動きは、どちらかというと人間というよりロボットやゾンビのそれに近い。ならば、そんな彼らの行動パターンになんらかの方法で干渉して、自分たちの都合のいいように動かすこともできるのではないかと考えたのです」


「行動パターンに干渉……。ロボットの例に例えるなら、ハッキングのようなことをしたということでしょうか」


 無論、ここでの話はあくまでも送られてきた画像を見てのただの予想でしかない。

 そういう意味では、送られてきた画像を見ただけで語られるこんな推論などなんの根拠もないものと言うことになる訳だが、しかし不思議と静には、理香の語る推論がある程度正鵠を射ているように感じられた。

 なにより、そう考えれば【影人】と【決戦二十七士】は対立関係にあるという、これまで考えていた前提とも矛盾が生じずに済む。


「先ほどの画像の【影人】達の格好、このウォーターパークに相応しい装いというよりもっと別の施設の一般人のような恰好の個体が大半を占めていました。

 恐らくここに来る前の階層などでテイムした【影人】を、この階層に足を踏み入れるにあたってそのまま引き連れてきたのでしょう」


「となると、残る問題はなぜこのタイミングでそんな【決戦二十七士】がこの階層にやってきたか、ということですが――」







「――どうやらこのビルの裏にいる奴は、よっぽど俺達が手を組むのが面白くないらしい……!!」


 まだ動きの鈍い誠司に肩を貸して指定された場所まで運び、彼の言葉に従う形で周囲に散らばった【召喚スキル】用の触媒ナイフの残骸を拾い集めながら、竜昇は忸怩たる思いでそんな言葉を口にする。


 竜昇としては一刻も早く詩織たちの元へと駆けつけたいところだったが、厄介なことに今の誠司は先ほど攻撃の影響でまだ満足には動けない状態だった。


 一応後々のことも考えて手加減していたため、数分もすればそれなりに動けるようになるはずだが、しかし今はその数分の時間があまりにも長い。


(予想しておくべきだった……。横やりが入ることを……!! 俺達が手を組むのが面白くないなら、当然邪魔しに来るってその可能性を……!!)


 頭のどこかで、すでにビルからの攻撃は終わったものだと無意識のうちに思い込んでいた。

 誠司達への対応で精いっぱいになって、ビルの側がさらなる攻撃を仕掛けてくる可能性にまで思い至ることができなかった。

 偉そうなことばかり言っておいて、この展開を予測できなかった自身の無能さがつくづく悔やまれる。


 そんな思いを抱えて、それでも急いで言われた通りにナイフの残骸を拾い集めて戻った竜昇に対してかけられたのは、この場にいるもう一人である誠司からの思わぬ言葉だった。


「確かに僕は自分以外の者を甘く見る傾向があったようだが、かと言って敵を過大評価しすぎるというのもさすがに考え物だな……」


「過大評価……?」


「見ていればわかる。君は今、ビルの黒幕が俺達の状況を見て、最悪のタイミングで戦力を投入してきたと、そう思っているんだろう?」


 竜昇からナイフの残骸を受け取って、いつの間にか床に焼き付けていた魔法陣の上にそれをばら撒きながら、誠司は同時にそんな言葉を竜昇に対して投げかける。


「確かに嫌なタイミングでの横槍ではあるが、今がタイミングとして最悪かと言えば実はそういう訳でもない。最悪というなら、むしろ曲がりなりにも話がついてしまった今のタイミングなんかよりよっぽど悪い、こっちが争っている真っ最中や決着がついた直後みたいなタイミングの方がよっぽど僕らにとって都合が悪かったはずだ」


「それは、確かに……」


 誠司の言う通り、もしもこの敵が出現したのがもっと前の、竜昇達が対立している真っ最中であったならば、今よりもさらにその敵への対処は難しかったはずだ。

 無論対立している真っ最中に敵が現れるという事態になれば、竜昇達がそれに対応するべく結託する可能性もないわけではないが、それ以上に出現した敵によってより状況が混乱し三つ巴の混戦状態になっていた可能性は相当に高い。


「君らの話じゃ、このビルと【決戦二十七士】って奴らは敵対関係にあるんだろう? だとすればこのタイミングで敵が出現したのは、狙っていたというよりも偶然の可能性の方が高い。階層移動に際して、出現するフロアをここに設定することはビルの側にもできるかもしれないけど、敵対している相手が階層を移動するタイミングまでゲームマスターが好きにできるとは思えないから」


 無論何らかの方法で時間稼ぎを行ったり、逆に追い立てることで急がせた可能性もないではないが、たとえそうした方法を使ったとしても、任意のタイミングで狙って戦力を送り込むことはさすがに不可能だ。

 そう考えれば、このタイミングでの【決戦二十七士】の出現は半分以上偶然と考えるのが恐らくは妥当だろう。

 もっとも、出現のタイミングが恣意的なものではないということは、この先どのタイミングでさらなる追加戦力が送り込まれてくるかわからないということでもある。


「とはいえ、敵対必至の人間を送り込んでくるあたり、ビルの方も君達だけじゃなく、僕らを始末することに躊躇する気はないみたいだけどね……。まったく、君らが本命で僕らはついでのとばっちりを喰ったのか、それとも【決戦二十七士】を殺すことなく捕らえていたのが気に障ったのか……」


「……巻き添えにしたことを謝った方がいいんでしょうかね?」


「――いいさ。どのみちこのやり口を見る限りじゃ、いずれはビルの奴らも僕らのことを言いように使い捨てるか、あるいは不都合が生じて処分されるかしていただろうしね……。ああ、そうさ……。本当は昨日の段階で、僕らはそのことに気付かなくちゃいけなかったくらいなんだ」


「……」


 苦い思いをにじませつつ口を動かしながら、しかし誠司は一方で魔法陣の上に乗せたナイフの破片を幾つか選び取って、それらをひとつに合わせてゆっくりとくっつけていく。

 金属と金属、本来ならば硬質であるはずのそれ等の破片がまるで粘土のようにひしゃげて合わさって、魔力を放つ誠司の手の中でまるで粘土細工のように合わさり、接合されていく。


「この際だ、ナイフとしての機能は最低限のものでいい……。今必要なのは最低限触媒として使うための――」


 【錬金スキル】の効果で最低限ナイフを修復し、続けて誠司はその表面に刻まれた術式の、破損して欠けた部分を指先から放つ魔力を焼き付ける形で書き足し、修復していく。

 【魔刻スキル】と【召喚スキル】の【触媒作成】の知識をも動員することで、すぐ目の前で行われる召喚用触媒作成の行程。

 ナイフとしての切れ味を犠牲にし、なかば術式の刻まれた鉄板と割り切って作業工程を省略することで、誠司はどうにかわずかな時間でナイフの一本の修復に成功する。


「――よし、これでとりあえず足になる一体は召喚できるはずだ。僕の方も大分ダメージが抜けて来たし、すぐにでも瞳たちのところに向かって――」


 と、そこまで口にしたところで、誠司の言葉は付近で響いた微かな音によって遮られることとなった。


 どちらともなくほとんど同時に、竜昇と誠司がその音の方向、先ほど二人が出て来たばかりの従業員用通路へ続く扉の方へと目を向ける。


「――おい、この忙しいときにお前もかよ……!!」


 思わず口にするのは、本当に狙って引き起こされたのではないのかと疑いたくなるような、最悪の事態への罵倒の言葉。


「今ここでお目覚めかよ……、アパゴ・ジョルイーニ……!!」


 拘束を破り、オーラを纏い。

 明らかに上書きされた記憶にはない力をその身に使用して、こちらへと敵意を向けるアパゴの姿がそこには在った。

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