179:揺るがぬ在りよう

 元々、先口理香はビルの中での戦いにおいて、幾度となく同じ問題へと直面していた。


 敵の守りを突破できない。理香がどれだけ攻撃を加えても、相手に防御のための魔法が一つあるだけで簡単にそれらの攻撃を無力化、防御されてしまうという問題である。


 もとより、理香たちが行っているのは銃弾による攻撃すら防御できる魔法を、その身一つで発動させられるような相手が普通にいる戦いだ。


 特に静達が『シールド』などと呼んでいる全方位防御型の魔法は、汎用技能なのか遭遇した【影人】の中にも習得している者がやたらと多く、相手に攻撃を阻まれて倒しきれないという展開が極めて多かったのだ。


 そうした事情もあって、【斬光スキル】がドロップした際、パーティーのリーダーたる誠司は、そうした攻撃力不足に悩んでいた理香にこのスキルを優先して習得させた。

その甲斐もあって、理香の抱えていた攻撃力不足の問題はこれ以上ない形で一応の解決となったわけだが、しかし理香にその力を与えた誠司だけは、理香がただ単にシールドを突破できるというだけでは満足しなかった。


 そうして考案された技こそが、理香の使うレイピアとソードブレイカーからなる一対の双剣――【朱雀の両翼】と、新たに手にした【斬光スキル】を組み合わせた複合発展技、【花葬献火(クリメイションブーケ)】。


単に相手のシールドを破るだけでなく、シールドそのものを逆手にとって、相手の逃げ場を奪うための棺として活用してしまおうというそんな技。


 考案された当初はレベルが低かったことも相まって、実現にまではこぎつけることができなかったその技を、しかし理香はこの土壇場に置いて、上昇したレベルにものを言わせてものの見事に成功させた。


 渦を巻く斬光は大量の火花をその渦の中に封じ込めたまま、確かに理香の予想通りに静のシールドを、それこそ紙屑のように容易い手応えと共にあっさりと貫き、突き破った。


(なん、で――)


 ただ一つ、計算違いがあったとするならば、それは今理香の目の前で起こった、ただ一つ。

 理香の刺突が、狙っていたシールドの正面から大きく下へとずれて、ほとんど静の足元付近にまで落ちてしまっていたということだ。


(なんで……、なんで、苦無(こんなもの)が――、このタイミングで落ちて……!!)


 自身の目の前、緩やかに落下していく苦無の姿に、思わず理香は声を出せないまま、それでも胸の内の想いだけでそう叫ぶ。

 実際そうせざるを得ないほど、眼の前の事態は理香にとって予想外のものだった。


 実のところ、こうなる直前に理香の目の前で起きた事態は単純だ。

 理香が【花葬献火(クリメイションブーケ)】の刺突を放ったその瞬間、まるでその刺突の軌道を狙いすましたかのように、真上から一本の苦無が落ちてきて、それが斬光の刀身に接触すると同時に暴風の魔力が炸裂、その風圧によってシールド正面にあたるはずだった刺突を、大きく下へと叩き落してしまったのだ。


(予想してたって言うの……? 私の攻撃を、その攻撃の軌道まで、全部――!?)


 半ば恐慌に近い感情でそんな考えを頭に浮かべた理香だったが、しかしその推測が間違っていたことはすぐに明確な形で示されることとなった。


 直後に、剣を叩き落としたのと同じ苦無が、内に秘めた暴風の魔力と共に理香の周囲に無数に降り注ぐという、そんな形で。


「な――!?」


 直後に鳴り響いたのは、炎と暴風の二種類の爆発音。

 シールドの内部で火花が爆発し、同時にその外側で無数の暴風が炸裂したことで、舞い上がる粉塵の中から半ば吹き飛ばされるようにして、体を丸めた理香が転がるように逃れ出る。


 同時に、先ほど抱いた疑問の答えを否応なく理解する。

 自身の攻撃を予想して、それに先手を打つ形で苦無を投げたのだと予想していた理香だったが、真実はもっとシンプルだった。


 なんのことはない。実際のところ静は、理香の攻撃を狙って叩き落としたわけではなく、分裂しながら大量に降って来た苦無がたまたま【斬光】によって巨大化していた剣の刀身に接触してしまったというだけなのだ。

 言ってしまえばそれは『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』の言葉の通りに。


 ただし、それでも一つ疑問は残る。

 例え攻撃を叩き落とされたのがただの偶然だったとしても、それでも静があのタイミングでの攻撃を予想して、それに対処するべく布石を打っていたのは事実なのだ。そうでなければあんなタイミングで、まるで理香の追撃を妨害するかのように苦無が降って来るなど到底あり得ない。


 だがそうだとするならば、いったいなぜ静は【火花吹雪】の後の理香の攻撃を事前に予測することができたのか。


 そんな疑問の答えは、しかし直後に彼女の真上から、今もっとも聞きたくない声によってもたらされることとなった。


「――ついでですので、もう一つ指摘しておきましょう。

 どうにもあなたは、必殺コンボや初見殺しなどと呼ばれているような、特定の攻撃パターンに頼りすぎているのですよ」


 声に釣られて上を見上げて、それによって理香は天井に逆さに着地する静の姿を改めて目の当たりにする。

 恐らくは火花が爆発する寸前、理香が予想していたよりも早くシールドを解除して、そのうえで足元で起きた爆発の爆風に乗るようにして、先ほどから使っていた空中を飛び回る技で真上へと飛び上がっていたのだろう。


 同時に、先ほど抱いた疑問の答えも理香は同時に理解する。


 こちらも種がわかればなんてことはない。

 そもそも理香は、静に対して【火花吹雪】の爆炎で視界を奪ったうえで、それを防御した相手を【斬光スキル】によってシールドごと切り裂くというその一連の流れを、すでに静に対して一度使用し、見せてしまっていたのだ。


 だから静は理香の元へと距離を詰めるその段階で、すでに彼女の【火花吹雪】による迎撃を想定した上で動いていた。

【火花吹雪】を使われたその瞬間、シールドを展開するその寸前に自身の体で隠すようにしながら手首の動きで上空へと苦無を投擲して、続けて【斬光スキル】による追撃を行うだろう理香の動きを阻害するべく事前に布石を打っていた。


 【花葬献火】という複合技が使われたのはさすがに予想外だったのだろうが、それでも続く攻撃自体は予想できていたがゆえに、自身の逃げ場を奪うシールドの解除も理香の予想よりも一手早く行うことができた。


 最終的には運に助けられた部分もあった物の、それでも多数の必然を積み重なって生まれたこの結果。


(――ああ、本当に……。やることなすこと裏目に出てばかりで嫌になる……!!)


 胸を苛む苛立ちでどうにか己を支えて、そうして理香は改めて天井に足を付けて力を溜める、静の姿に己の剣の切っ先を差し向ける。

互いの視線が空中でぶつかり合い、見えない火花を散らしていたのは、しかしほんの一瞬のことだった。


「【空中跳躍(エアリアルジャンプ)】――!!」


「【斬光】――!!


 魔力の炸裂と共に静が天井を蹴りつけて、同時に理香が光の刃を纏ったレイピアでそれを迎え撃つ。


 一直線に急降下してくる静に、斬光の刃が容赦なく迫る。

 いかなる防御手段も通じない、かと言ってこの勢いでは回避することも難しい、必殺の切れ味を持つ刃の迎撃。

 一瞬理香の脳裏によぎった『殺った』という感覚。だがそんな確信は、直後に他ならぬ静の手によってあっさりと覆されることとなった。


「変遷――、【応法】――!!」


急降下する静が右手の武器を小太刀から長剣の形態へと変化させ、輝く長剣で斬光の光を真っ向から受け止める。

 【斬光】の性質を考えれば一秒と持つはずもない、あまりにも頼りない金属による防御。

 だがいかなるものをも切り裂くはずの斬光の刃は、容易に破断できるはずの長剣を切り裂くことができずに跡形もなく消滅した。


「――!?」


 静の石刃の持つ一形態である【応法の断罪剣】。それが持つ魔力吸収の機能によって必殺の迎撃手段を無効化されて、とっさに理香は混乱しながらもその場所から背後へと飛び退る。


 対して、静の動きに混乱や迷いは見られない。

 直前まで理香が立っていた場所に軽やかな着地を決めて、間髪入れずに床を蹴りつけ、理香の元へと向けて容赦なく距離を詰めていく。


 その距離はもはや火花をまき散らすには近すぎて、そして【斬光】の魔力を使うにはそれを成すだけの猶予がない。


「――くぅ……!! このぉッ――!!」


 接近する静に対して理香が選択したのは、手にしたレイピアを用いた純粋な剣技による迎撃だった。

 乱れた精神、追いつめられた心を無視して、スキルによって体に染みついた技能が最適な動きで手にしたレイピアを突き出して、鋭い剣先が碌な防具も付けていない静を刺し貫こうと一直線に走り抜ける。


 ただしこと近接戦闘に関して、静の持つセンスはスキル習得者のそれと比べても引けを取るものではない。


「磁引――!!」


 迫る剣の切っ先を磁力を帯びた十手で引き寄せて絡めとり、鉤の部分でロックしながらその行く先をわずかに真横へ逸らす。


「――ッ!?」


 逸れた刺突のすぐそばをすれ違うようにして静が迫る。

 レイピアと十手、二つの金属がこすれ合って顔の真横で火花を散らすが、当の静はそんなこと気にも留めない。

 ただひたすらに敵である理香のことをその目で見据えて、長剣から小太刀へと変えた己の得物を右手に構えて一直線に理香の懐へと滑り込む。


(――ぐ、ぅ――!!)


 迫る斬撃に、かくなる上は自身も静の小太刀を受け止めようと短剣を構えて、しかし直後に理香は予想していたものとは違う、レイピアの刀身に石刃の切っ先が突き立てる、あまりにも予想外の澄んだ音を聞いた。


「――え?」


 突如として形を変えた静の武器に、その切っ先が自身ではなく自身の握るレイピアの刀身に向けられ、突きつけられているという不可解な事態に、理香が短剣を構えたまま硬直した、次の瞬間――。


「変遷――」


 静が微かにそんな言葉をつぶやいて、同時に理香の握るレイピアの刀身が真っ二つに分かたれて、その切っ先が明後日の方向へと勢いよくふっ飛んだ。


「な――!?」


 なにが起きたのかは実際に目の当たりにした理香にはすでに明らかだ。

 理香自身の手と静の十手、それらに両端を押さえられたレイピアが真横から武器の伸長による一点集中の圧力を受けて、その力を他へ逃がすこともできずにあえなく圧し折られてしまったのだ。


 否応なく目を奪われる、自身の武器が破壊されるというショッキングな光景。

 ただし理香がその光景に目を奪われたのは、単に自身の武装が目の前で折られたからというだけではない。


(――盗み、取られた……。私の武器が……。本物を破壊して、それになり替わるような、そんな形で……!!)


 静の手の中、石刃から変じたその武器が、|今しがた理香の手の中で(・・・・・・・・・・・)|圧し折られた(・・・・・・)|レイピアと同じ(・・・・・・・)|姿をしている(・・・・・・)という、そんな事実を目の当たりにして、すでに精神のキャパシティが限界を迎えつつあった理香の思考が敵を前にして一瞬の硬直を生み出す。


 そしてほんの一瞬であろうとも、小原静という少女を目の前に明確な隙を生んでしまったそのことが、理香にとっては文字通り致命的と言える失敗となってしまった。


(しまっ――!!)


 気付いた時にはもう遅く、理香の武器を圧し折った静が、そのまま流れるような動きでレイピアを振るって、理香の首の位置で容赦なくその刃を一閃させる。


 武器の破壊とその姿の奪取に注意を向けてしまっていた理香には、もはやそれを短剣で阻むだけの暇もない。


(あ――)


 理香の視界が落下する。まるで転落するかのように、刃を振り抜いた静を見上げる形で、真っ逆さまに。


 落ちる――。

 落ちる――。

 落ちる――。


 落ちて――。落ちて――。落ちて――。

 落ちて――。落ちて――。落ちて――。落ちて――。落ちて――。

 落ちて――。落ちて――。落ちて――。落ちて――。落ちて――。

 落ちて――。落ちて――。落ちて――。落ちて――。落ちて――。


 そして――。




















 そうして永遠にも思える一瞬の果てに、尻をぶつける衝撃と共に理香は長い転落から我に返った。


「――ぇ、ぁぇ……?」


 心臓の鼓動がうるさく響く。

 尻餅を突いた軽い痛みが脳へと伝わり、それ等の感覚を受信したことでようやっと、理香は自分の首がいまだ胴体とのつながりを保っていることを自覚する。


「――ッ、ハッ――、ハッ――、ハッ――」


 いつの間にか止めてしまっていた呼吸を再開する。

 正直に言って、なぜ未だに自分が生きているのか訳が分からなかった。

 あの瞬間、確かに自分は死んだのだと、少なくとも理香は喉元を通過する刃の感覚でそう思っていた。


 思わず右手で首に触れてみる。

 首と胴の接続を確かめるように触れた手は、確かにその場所にうっすらとした切り傷があるのを感じ取っていた。


 ただし、その傷は恐ろしく浅い。

 薄皮一枚斬られただけで、指先を確かめても血液の一滴も付着していない。


 まるで斬ったという事実が必要だったから、最低限の傷だけつけて済ませたとでもいうようなそんな傷跡。


「やれやれ危ないところでした。危うく勢い余って、本当にあなたを殺害してしまうところだった」


 自身の状態に愕然とする理香に対して、上から静が肩をすくめてそんな言葉をかけてくる。


 見れば、静の手の中の刃は、理香からその姿を奪い取ったレイピアでなく、本来の姿である石刃の形態へと再び戻されていた。

 どうやら静が理香の首を薙いだあの瞬間、再び武器の形状を変化させることによって、刃の長さを縮小して刃が理香の首に届かぬよう手心を加えていたらしい。


 そうと理解して、すでに決着はついたとばかりにこちらへの敵対の意思を消した静の様子を目の当たりにして、理香の意識は理性を飛び越えてほとんど反射的に声をあげる。


「――なにを……、考えて、いるのですかッ、貴方は……!! この期に及んで、今さら私を見逃して……。本当に、いったい、なにを――」


「いえ、今さらと言いますか、そもそも私があなたの殺害を思いとどまったのは今が初めてというわけではありませんよ。今しがたのものも含めても、すでに四、五回はそうした機会を見逃してきています」


「な――!?」


 何でもないことのような口調で語られたその事実に、それを聞く理香が驚きに目を見開いて絶句したような表情を見せる。


 だが実際、静のこの物言いはただのハッタリではなかった。


 例えばの話、理香が静の小太刀による攻撃をレイピアで防御しようとした際、静が小太刀の【加重】の効果を使用していたならば、細く脆弱なレイピアなど叩き折ってそのまま理香を切り伏せることができただろう。


 それ以外の局面でも、例えば先ほど【斬光】を【応法の断罪剣】で無効化した際、武器の形態を変化させることなく、そのまま吸収した【斬光】の魔力を使用して斬りかかっていたならば、静ほどの回避能力を持たない理香は自身の防御不能の斬撃によってあっさりと真っ二つにされていたはずだ。


 最終的に静は理香の武器を破壊し、明確に殺害する寸前でそれを取りやめるという形で決着をつけた訳だが、実のところ勝利することだけにこだわっていたならば、静はもっと早くに、理香に致命傷を負わせるような形で勝利することができていたのである。


「――そうですね、今なら少しは説得力が出るでしょうし、この際ですので、はっきりと伝えておきましょう」


絶句する理香の姿に、いよいよ静は彼女に対して自分たちのスタンスを突きつける。


「少なくとも私たちには、あなた達を殺して袂を分かつつもりなんて、最初から微塵も無いのです」

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