178:先なき選択

 先口理香は、他のパーティーメンバーのことを操り切れている訳ではない。

 静がそう結論付けたのは、実のところつい先ほど理香と直接二人だけで話していたときのことだった。


 とは言え、どうやら静のそんな予想はある程度正鵠を射ていたらしい。

 案の定、手にしたレイピアに斬光の輝きを宿した理香が、しかしそれ以上その剣を振るうこともできずに、驚きに目を見開いた表情で固まってしまったかのように立ち尽くしている。


 あるいはこの反応、他ならぬ理香自身が、誰よりも自分自身のことを黒幕として見ていたのかもしれない。

 そう思いながらも静が口にするのは、そんな理香の考えとは相反する静なりの結論。


「結局のところ、それが実情だったのでしょう?

 確かにあなたは、裏から他のメンバーに働きかけることで、パーティー全体の意思決定を操作しようとしていた。

 けれど結局は、他の方々の感情的な行動までは制御できず、彼女らの暴走を許す形となってしまった」


「……!!」


 静の言葉に、まるで受け入れがたい事実を突きつけられたかのように理香がその唇をかみしめる。

 それはまるで、自身の失敗を他人に指摘されたことで、改めてその失敗を恥じて、悔いるかのように。


「貴方の最初の失敗はやはり、詩織さんが中崎さんを振ってしまう展開を予想できなかったことでしょうか?

 本来ならば貴方の助言を受けた中崎さんが、詩織さんを含めた女性メンバー全員の心をものにして、あの方を中心とした一つに結束したパーティーを作れるはずだった。

 ところが予想に反して、中崎さんは詩織さんを口説き落とすことに失敗。まとまった五人になるはずだった集団は、実際には中崎さんを中心にした四人と、あの方になびかなかった一人という、集団の中に一人だけ異物が混じっているような、そんな形へと変質してしまった」


 五人の中に一人だけ異物が混じっているような状態。

 それは他ならぬ理香自身が、自身がその異物と見なされることまで含めて一番恐れていた状態だ。

 言ってしまえば彼女は、自分自身がそうした異物とならないために、自分を含めた新たな枠組みを作ろうとしていたとさえ言っていい。


「その後に起きたことは、まあことさら改めて言及するようなことではないでしょう。一人だけ異物となってしまったことで詩織さんに対する風当たりが強くなり、挙句彼女の【魔聴】の存在が発覚してしまったことで、詩織さんに対して感情をぶつけることを容認するような空気が出来上がってしまった」


 そこから起こった詩織に対する迫害は、言ってしまえば彼女たちの感情の暴走と言ってしまってもいいような現象だ。

 命を脅かされたただでさえストレスの多い環境下で、さも攻撃することが許されるような、そんな存在が現れてしまったために。

 彼女の存在を自分たちのストレスのはけ口として、身の内に抱えた苛立ちを遠慮容赦なくぶつけ始めてしまった。


 否、あるいはそうした感情の暴走に見舞われたのは、なにも瞳や愛菜との二人だけではなかったのかもしれない。


『なぜあなたは、そんな大事なことを黙っていたのですか?』と、理香からそんな言葉をぶつけられたと詩織はそう言っていた。

 思えばこれとて、普段から感情をあまり表に出さぬよう努めていた彼女らしからぬ、酷く感情的にも思えるそんな言葉だ。


 あるいはそれは、状況に追い詰められてストレスを抱え込んでいた理香が、自分の思い通りに動かない、計算をことごとく狂わせる詩織に対して思わず苛立ちをぶつけてしまった、そんな瞬間だったのかもしれない。


 なんにせよ、少なくとも静には、あちらのパーティーで起きていた出来事が、一から十まで理香の狙い通りのものだったとは到底思えない。

 むしろ次から次へと計算外の事態が積み重なった結果、事態が最悪の展開にまで発展してしまった、そんな状況にすら静には思えてくる。


「そうした事情を考えれば、やはりあなたを『黒幕』という言葉で呼んでしまうのは、少々正確性を欠く不適切な言い方と言わざるを得ないでしょう。

 少なくとも私は、放っておくとどんな暴走をするかわからない、多くの問題を抱えた方々の手綱を必死に握って、その軌道修正を試みているような方を『黒幕』と呼ぶことが正しいことだとは到底思えない。せいぜい影のリーダーとか、そのあたりの呼び方をするのが妥当なところのように私には思えます」


 唯一思いつくシナリオとして、理香が自身をストレスのはけ口として標的にされる事態を避けるべく、詩織にその矛先が向くよう誘導していた、というのが真相だったならば、まだしも理香のことを『黒幕』と呼べたのかもしれない。


 だが、先ほど直接話して確信した。彼女はそれができるほど、非情にも自分本位にも徹しきれてはいない。


 少なくとも静には、身体検査を行うのにすら躊躇していた理香が、パーティーをひとつにまとめるのに失敗したその途端に、孤立した一人を迫害する形に方針を転換できたとは到底思えない。


「フ、フ、フフ……、フフフ……」


 静の言葉を聞き終えて、ようやく理香はそんな笑い声を漏らしながら、まるで力を抜くように構えたままだった剣の切っ先を地に向けて下ろす。

 乾いた笑いのあとに続けられるのは、どこか諦めたかのような、そんな言葉。


「本当に、どこまでも見透かされてしまっているんですね。私たちの関係性から、その失敗に至るまで……」


 そうして、自らの不作為と失敗をつまびらかにされたことで、ようやく理香は自身の本音を語り出す。

 それはどこか疲れたような、うんざりしたようなそんな口調。


「…………ええ、そうです。確かに私の思惑は、実際のところ黒幕を名乗れるほどうまくいってなどいませんでした。かろうじて自分の身に危険が及ばないよう立ち回るのが精いっぱいで、それ以外の部分でのことなんてほとんど理想としていたものからは外れてしまっていた」


 肩を落とし、理香は他のパーティーメンバーが相手であったならば決して聞かせられないような、そんな言葉を観念したように口にする。

 語るのはそう、彼女自身の目から見た、他のメンバーの一人一人について。


「……瞳さんを攻略するのは簡単でした。

 元々彼女は自身の思考能力をそれほど信用していなかった。それに加えて他のメンバーをこのビルに導いてしまったという自責の念からか、自分が何とかしなければと焦って、果たすべき役割を、それを与えてくれる存在を求めているところがあった……。

 だから自分の役割を教えてくれる、自分を導いてくれる存在が現れてくれれば、彼女がその相手に従って、心を開いてくれるだろうことは想像に難くなかった……」


 どこか偽悪的に、黒幕を気取ろうとしてそれができ切れていないようなそんな口調で、先口理香は瞳についてそう口にする。


 さも簡単そうに言っているが、しかしそれは少なくとも、静のような人間には到底まねできない芸当だった。

 人間という生き物の習性についてはある程度理解できていても、個人個人の内面を推し量ることに関してはあまり得意と言えない静にとって、そこまで細かくパーティーメンバーの内面を分析していたというのはもはや想像を絶する行為である。


「逆に愛菜さんに関しては少々デリケートでした。

まだ正式な交際にまでは至っていなかったようですが、それでもあえて言うなら、彼女はいわば恋人と死に別れてしまったような状態でしたから……。

 精神的に不安定になっていた……、いわば弱った状態に付け込むような形で、誠司さんに依存させる形で精神を安定させる道を取らざるを得なかった……。 

 ……まあもっとも、その後の彼女の言動を考えれば、それがうまい手だったとは必ずしも言えませんが……」


 詩織に聞いた話を考えれば、その目論見自体はうまくいったのだろう。

 だが愛菜の場合、あまりにも誠司に依存しすぎてしまったがために、今度は彼の行為を無碍にする人間を許せなくなってしまった。


 否、それに関しては瞳も同じだ。

 彼女たちの誠司への傾倒は、もはやある種病的と言っていいレベルに達しつつある。


 それぞれがそれぞれの形で、誠司という少年一人を信仰しているがゆえに、彼の思惑に逆らう、彼の思い通りにならない人間を許せなくなってしまっている。

 強いストレス環境下であるが故に必然的に生まれてしまった、二人の常軌を逸した依存状態。

 それでも、理香の思惑通り全員が誠司に攻略されていたのなら問題はなかったのだろう。


 けれどただ一人。

 瞳と同じように攻略できるだろうと考えていた詩織に対してだけは、さしもの理香も決定的な、大きすぎる失敗をしてしまった。


「……詩織さんのことは、正直に言って予想外でした……。当時は彼女のことを、てっきり瞳さんとは似た者同士でつるんでいる、良くも悪くも流されやすい、与し易い部類の人間だと、そう思っていましたから」


 そう、彼女の中に誤算があったとしたら恐らくそこだろう。

 言ってしまえば彼女は、渡瀬詩織という少女の人間性を根本的なところで見誤ってしまったのだ。

 他ならぬ詩織自身が己を包み隠し、偽りの自分を演じていた、それゆえに。


「本当に、彼女のことはまるで警戒していませんでした……。渡瀬詩織という人間が周囲との間に築いていた心の壁に、彼女の人間不信に、私たちは誰一人として気付くことができなかった……」


「なるほど、人間不信ですか……」


 どこか悔やむような理香の言葉に、しかし静は内心で『なるほど言い得て妙だ』と場違いな感想を密かに抱く。

 確かに言われてみれば、他人からの理解を諦めたような詩織の生き方は、人間不信というその表現が一番合っているのかもしれない。


 そしてそれは同時に、他ならぬ静自身にも言えることだ。

 他者と自身の違いを自覚しているがゆえに、己を偽り、人の皮をかぶって生きて来た静の生き方は、それこそ自身の本性を見られるわけにはいかないという、人間不信に近い感情から生まれ出でたものであったと言える。


 あるいは、このビルの中で竜昇に出会っていなければ。

 彼が隣に並び立っていてくれなければ、静かもまた、どこかで詩織と同じような事態に直面していたのかもしれない。


「……本当に、人間というのはつくづく面倒な生き物ですね……。誰も彼も全然思い通りに動いてくれない。たまに思い通りに動いたと思ったら、今度は過剰に動きすぎて別の問題を起こしてくれる……」


 パーティー内における理香の立場は複雑だ。

 いかに誠司を通じて裏で実権を握ったと言っても、彼女一人だけが部外者であることに変わりはないのだ。

 そう考えると、彼女もまた他のメンバーの反感を買うことが命取りになる立場にあったと言え、詩織に対する他のメンバーの行いに対して、あまり強く言うことはできなかったことは想像に難くない。


「本当に面倒です……。面倒で、面倒で、面倒で、たまらない……!!

 しかもそれだけ面倒な生き物なのに、関わらずに生きていくことはできないというのは始末が悪いにもほどがあります……。

 ……ねえ、わかりますか小原さん……? 人間というのは、本当に面倒な生き物なんですよ――!!」


「――ッ!!」


 理香が声を荒げたその瞬間、それまで下げられていた右手が勢い良く跳ね上がり、そこから伸びた斬光が二人の間の床面を深々と削り切り裂いて容赦の欠片もない斬撃が静の足元から襲い掛かる。


「先口さん――」


「――【曲光斬】」


 寸前で攻撃を察知して、飛び退き回避した静が声をあげるが、しかし理香は攻撃の手を緩めない。

 振り上げられたことで天井にまで食い込んだ斬光が鞭のようなしなりを帯びて、次の瞬間には縦横無尽に駆け巡って周囲一帯を切り刻みにかかる。


「私の立場に理解を示せば和解できる余地があると、そんな風に考えていましたか、小原さん……?」


 問いかけるその声に、もはや先ほどまでの疲労の色はない。

 あるのはひたすらに張り詰めた、一切の余裕を感じさせないがゆえに平坦な、そんな声。


「あなた達は邪魔なのですよ。あなた達の存在は、どうあっても私たちの関係性をかき乱す……。

 せっかく……、ようやくパーティー内の人間関係が安定してきたというのに、ここでさらにあなた達が加わっては、どうあれ私たちの関係は再び引っ掻き回されることになってしまう」


 冷静な口調でありながら、いっそヒステリックに聞こえるそんな声で、淡々と理香はそんな言葉を口にする。

 それは、そう。まるで恐怖に駆られているかのようなそんな口調で――。


「だからいりません。私たちの関係にあなた達はいらない……!! いいえ、あなた達だけじゃない……。どこの誰であろうとも、新しい登場人物なんて私はいらないんです……!!」


 激情の言葉と共に、再び理香が斬光を宿した剣を翻し、再び斬光による猛攻が静を引き裂くべく殺到する。


 攻撃から身をかわしながら、同時に静が抱くのは一つの納得の感情。


(ああ、なるほど……。そういうことでしたか)


 なぜ理香がゲームマスターからのメッセージを信じる気になったのか、その理由にようやく納得がいった。


 思えば理香たちがなぜあんな怪しすぎるメッセージ一つで、静達と敵対する道を選んだのかがずっと疑問だったのだ。

 普通に考えれば、相当に頭が回るはずの彼女たちが、あんなメッセージを即座に鵜呑みにし、静達を敵とみなすようなことは本来なかったはずだ。


 無論、疑惑から疑心暗鬼に陥ったりと言った、それはそれでろくでもない事態が引き起こされていた可能性は大いにあるが、しかしいくらなんでも送られてきたばかりのあんな一方的なメッセージ、即座に信じ込んで静を排除しにかかるというのは、あまりにもそこから感じる違和感が大きすぎる。


 だが、ふたを開けてみればなんのことはない。そもそも彼女は最初から、自分たちの人間関係を乱しかねない静達と、なんとか袂を分かつだけの理由を探し求めていたのだ。

 だから昨日、静達と敵対できる絶好の理由を与えられたその時に、その内容の怪しさを知りつつも一も二もなくその理由に飛びついた。


 メッセージの内容を信じたから敵対したのではなく、敵対するのに都合がよかったからその大義名分としてメッセージの内容を受け入れた。


 すべては、ようやく一つにまとまった四人のパーティーを、そのままの状態に保つために。

 静達という新たな登場人物を、自分たちの人間関係に加えることなく周囲から排除するために。


(――ですが先口さん、その選択の先に道はありませんよ……)


 押し寄せる斬光の中を掻い潜りながら、胸の内で静は理香に対して密かにそう語り掛ける。


 静の見立ては確かに正確だ。

 今のこの状況で、二つのパーティーが統合されることになれば、その人間関係は確実に何らかの変化を余儀なくされることだろう。


 しかも厄介なことに、静達の側にはその精神性に根本的なズレを抱えた静自身と、あちらのパーティーでトラブルの中心にいた詩織という、特大のトラブルの種が二人も存在しているのだ。

 それでなくとも、男女の関係性で繋がっているあちらのパーティーに対して、竜昇や城司という新たな男性二人が登場するというのは、彼らの人間性をそれほど知らない理香にとっては何が起きるか予想がつかない所がある。


 そういう意味では、仲間内の人間関係を乱されないために、静達を拒絶した理香の判断は確かに間違っているとは言い難い。


 そう、間違ってはいない。けれど一方で、彼女のその選択では歩んだその道の先に未来がない。


 なにしろ理香が行おうとしているのは、今の自分たちの関係性の安定を保つために、静達との共闘という戦力拡充の道を放棄しようという選択なのだ。


 無論、彼女たちの戦闘力を思えば、理香たちが四人のままでこの先を生き残っていける可能性もゼロではないのかもしれないが、しかし普通に考えて、一人が戦闘不能になるだけでパーティーの戦力が半分以下に落ち込んでしまう現在の体制で、このビルの中を戦い抜いていくというのは相当に無理があるだろう。


 たとえ今はよくても、いずれ彼女たちは必ず決定的な壁にぶち当たる。

 ましてやそれが、このビルでの戦いを静達に強いている、ゲームマスターの思惑通りなのだとすればなおのこと。


 そのくらいのこと、理香ならば少なからずわかっていたはずなのに。


(――まったく、対照的というのなら、私などより竜昇さんの方がこの方とはよっぽど対照的ですね……)


 昨晩竜昇の話を聞いていた今だからわかる。

 結局のところ理香は、竜昇のように勝負に出るということができなかったのだ。


 確かに彼女は、パーティーをひとつにまとめる為に尽力していたのだろう。

 その尽力と手腕は、現在彼女の仲間たちがこうして生き残っているという一事を見ただけでも十分に称賛に値する。


 けれど彼女は、いざ自分が嫌われることになってしまうかもしれないとなった時に、その危険を受け入れることができなかった。


 このままではいけないと、自分たちが悪い方に向かっているとわかっていながら、しかし彼女は状況を打開するための勝負に出ることができずに、ただ現状を維持するためだけの安全策に留まった。


 それは本来、あとから状況を知っただけの他人が軽々に非難していいことではないのかもしれない。


 状況を変えるためにリスクを冒すような決断や勇気などというものを、そのリスクと無縁な他人が求めることは、根本的に間違っているのかもしれない。


 けれど、それでもあえて言わせてもらうならば、やっぱり理香はどこかの段階で、この状況を変えるために勝負に出ておくべきだったのだ。


 このままではいけないと、碌なことにならないと、そんな風に感じたその時に。

 悪しき必然の流れを断ち切るために、どこかで、なにかの形で、勝負に出ておくべきだった。


(――けれどそれは、まだ今からでも遅くない)


 光の刃が静へと迫る。

 身を低くしたくらいでは避けられない、胴体をその中心から真っ二つにするような横薙ぎの斬撃。

 自分たちの関係を乱そうとする異物を、文字通りの意味で斬り捨てようとするそんな斬撃が、もはや回避も間に合わない速度で静の身へと迫ってくる。


「シールド」


 だがそんな状況にあってなお、静は自身の命の危険に対して、一切感情を乱さない。

 ただ冷静に左手の籠手に魔力を流し込み、周囲に放出された魔力を一定距離で固めて壁とすることで、迫る斬撃を一瞬その防壁によって受け止める。


(――ッ、無駄なことを――!!)


 展開されたシールドにそう思いながら、しかし理香はシールドごと静を斬り捨てるべく変わらず刃に力を籠める。

 どんな守りに身を固めていようと関係ない。理香の【斬光スキル】にはどんな堅牢な守りであろうとも突破できる切れ味があるのだから。


 だがそう判断した矢先、シールドの中の静が斬光の刃に抗うための更なる一手を身に宿していた。


「【瞬纏】――!!」


 迫る斬光の刃に対して、それを迎える静の動きがほんの一瞬だけ加速する。

 腹部を両断するような斬撃に対して静が地面を蹴って飛びあがり、刃の上を転がるような動きで、まるで棒高跳びで棒を飛び越えるように、あっさりと必殺であったはずのその一閃をものの見事に飛び越える。


(動作加速の魔力付与エンチャット――、いえ、それ以前に先の防壁は……!!)


 一歩遅れて、理香は先ほど静が展開していた、今しがた自身があっさりと斬り飛ばしたシールドの意味を理解する。

 あれはなにも、理香の斬光そのものを受け止めるために展開されたものではない。攻撃の寸前に展開されたあれは、言ってしまえばただの、一瞬の時間を稼ぐための時間稼ぎだったのだ。


 いかに【斬光】の切れ味がすさまじいとはいっても、いかなるものであろうと何の抵抗もなく斬り裂けるかと言えば流石にそういうわけではない。

 たとえ斬り裂くこと自体はできたとしても、硬いシールドを斬るとなれば当然斬撃の速度は多少なりとも落ちることになる。


 静が行ったのは、そんな斬撃のわずかな遅れを生み出すための、本当に些細な時間稼ぎだったのだ。


ほんのわずかな、刹那にも満たない短い時間。それだけの時間を稼ぎ出せれば攻撃を回避できる人間にしか許されない極限の回避行動。


 なによりも、一歩誤っただけで命を落とすようなそんな回避を、なんの気負いもなく平然と行った静の様子に、それを目の当たりにした理香が言い知れぬ戦慄を覚えて目を見張る。


 そんな理香に対してさらに静が突きつけるのは、どこまでも残酷に現実を突きつけ、決断を迫るそんな言葉。


「――勝負に、出てもらいますよ。これ以上、状況が悪くなるその前に……!!」


「勝、負……? 訳が分かりません……。あなたは一体、何を――」


「貴方はいい加減、他の方々と真っ向からぶつかる覚悟を決めなくてはならない。たとえそれが、相手となる方からの不興を買う選択だったとしても……!!

 もはやその選択を避けて、この先を生き抜くことなどできないのですから」


「――!!」


 その宣告に、今度こそ理香は色を失い、明らかな恐れの感情に微かにその身を震わせる。


「なにも知らずに――」


 恐れを抱いて、そして次の瞬間に彼女が見せるのは、まるで恐ろしいものを振り払うために爆発するかのようなそんな行動。


「――勝手な、ことをッ――!!」


 光の斬撃が迸る。

 もはや隠しようもない激情と殺意を込めて、一刻も早く目の前の脅威を消し去ろうとするかのように、鬼気迫る攻撃が静の首を薙ぎに来る。


 だが、いかに感情を加えて剣を振るおうとも、その斬撃は一向に静の喉元には届かない。


 しゃがみ、飛び越え、身をかわし。

 シールドで速度を殺して、急加速によってタイミングをずらして次々と襲い来る斬撃を回避する。


(なんで……、なんで――!!)


 既にレベルも上がり、【斬光】の操作精度も劇的異向上しているというのに相手を捕らえられないというその事態に、ただでさえ焦燥に乱れた理香の精神はさらなる恐怖に乱される。


 だが当の静にしてみれば、この展開はある種当然の帰結だった。

 なにしろ静は、まだ理香のスキルレベルが低い状態の時から【斬光】の攻撃にさらされ続けたことで、すでに彼女からの攻撃を見切りつつあるのだ。


 長い時間をかけずとも、スキルを使用しているだけで猛烈な速さでその技能を習得できてしまうというスキルシステムの特性は確かに脅威だが、こと静を相手とする場合に限ってはその性質もまた一長一短だ。


 なにしろ相手は、隠形の応用によって手足を消した状態のフジンを相手にしてなお、わずかな間斬り結んでいただけでその攻撃を見切れるようになってしまったような静なのである。


 そんな静に対してスキルレベルをあげながら攻撃を仕掛けるなど、そんなもの言ってしまえば、解きやすい初歩のモノから問題を解かせていって、その問題の解き方を丁寧に覚えさせてしまうようなものである。


 そういう意味では、そもそも理香はまだ満足に習得できていないスキルで攻撃を仕掛けるような真似をするべきではなかったのだ。

 もしも理香がこの【斬光スキル】で静のことを仕留めるつもりだったのならば、静に攻撃を見切られてしまうその前に、もっと早い段階で決着をつけておくべきだった。


 結果として、静は既にシールドや【瞬纏】を織り交ぜることですでに理香の攻撃を回避できるまでになっており、そしてこと静という少女に関して言うならば、見切れるようになった攻撃に対してただ回避して終わりなどという対応はありえない。


「変遷――【苦も無き繁栄ペインレスブリード】――!!」


 半歩横にずれて斬光を回避すると同時に、静の右手が勢い良く跳ね上がり、そこから一本のクナイが理香の元へと勢いよく投擲される。


 否。放たれた苦無は次の瞬間にはもう一本ではない。

 宙を飛ぶ刃が、数瞬のうちに二本、四本と分裂し、理香の元へとたどり着くころには八本にまでその数を増やして一斉に理香に対して襲い掛かってくる。


「――ッ!!」


 流石の理香も、自身が危機に瀕しているとなれば攻撃よりも防御を優先せざるを得なかった。

 鞭のような形状で振るっていた斬光の剣をいったん引いて、左手のガントレットを前に構えて全身を隠せるほどの巨大な盾を展開し、押し寄せる苦無の群れを真っ向から受けとめる。


 否、受け止めてしまった、と、この場合は言うべきだろ。

 次の瞬間、盾に接触した苦無がそこに込められていた暴風の魔力を一斉に理香の正面から炸裂させる。


「な――!?」


 突如として盾の前面から襲ってきた複数の暴風に、それを真っ向から受け止める羽目になってしまった理香はなす術もなく背後へと吹き飛ばされることとなった。

 とっさに展開していた盾を消し、床を転がったのちに素早く立ち上がるという的確な対応を行った理香だったが、しかしすでにその内心は既に平静なものとは程遠い。


(今の攻撃……、昨日瞳さんが受けたというふっ飛ばし斬撃……!? まさかあの苦無全てに同じ魔法を反映させたというのですか――!?)


 【神造物】の名を冠する石刃、それから変じた武器の規格外の性能に驚愕する理香だったが、しかし状況はまだ、理香にのんきに驚いているような猶予を与えてはくれなかった。


 見れば、今しがた理香をその苦無によってふっ飛ばした静が、その隙をつくように立ち上がる理香の元へと苦無を構えて突っ込んで来ている。


(盾で受けるのは不味い――!!)


 即座にそう判断し、理香が選択するのは守るのではなく攻撃によって撃ち落すというそんな選択。


「【月光斬】――!!」


「【突風斬】――!!」


 レイピアに灯した斬光、その先端から三日月形の斬撃を分離させて飛ばし、同時に放たれた静の苦無に正面からぶつけて撃ち落とす。

 三日月によって撃ち落された苦無が見当違いの場所で込められた暴風を炸裂させて、決して高大とまでは言えないロビーの内部で暴風の魔力が吹き荒れる。 


 荒れ狂う気流に苦無や月光の軌道が乱れるさなか、それをものともせずに駆けてくる者がただ一人。


(……く、この苦無、私が迎撃せざるを得ない状況を作り出して、私が対処に手いっぱいになっている隙に距離を詰めるつもりですか……!!)


 いかに理香たちが多数のスキルを習得し、多彩な装備に身を固めていたとしても、一度に切ることのできる手札の数は有限だ。


 結局のところ、どれだけ豊富に手札を抱えていたところで、それを操る人間の体は一つしかないのだ。

 当然、人間である以上手足は二本で、頭は一つ。

 魔法を使う魔力の量にしたところで、個人差こそあれ極端な違いがある訳もなく、魔法や魔技をどれだけ習得していたところで、それを行使するのが一人の人間であることに変わりはない。


 そしてそうであるならば、単純な数に任せた物量攻めは有効だ。

 【突風斬】の存在によって一度に全てを防ぐという選択肢を奪ったうえで、一つ一つを個別に迎撃しなければならない状況を作って理香の処理能力に負荷をかける。

 攻撃性能に秀でた斬光スキルを、しかし自身に向かってくる攻撃を撃ち落すための、言わば防御に使わせて、自身に向かってくる攻撃の手数が減じた隙に一気に理香の元へまでの距離を詰めに行く。


 唯一、注意しなければならないことがあるとするならば、それはこんなごり押しだけで最後まで押し通せるはずがないということくらいか。


「【火花吹雪】――!!」


 案の定というべきなのか、静が攻撃範囲に入ったと見たその瞬間、理香が左手のソードブレイカーを勢いよく振るって、眼の前の中空へと爆殺の火花をまき散らす。


 人であろうと苦無であろうと、その領域内にあるものを問答無用で爆破する、そんな火花が静の周囲へと広がって、次の瞬間には投擲していた苦無ごと静を飲み込むように、幾重もの爆炎が周囲一帯を包み込む。


 ただし、今さらそんな範囲攻撃で命を落とすほど、静かも理香のことを見くびってはいない。


(シールド……。残念ですがその攻撃は先ほどすでに見ています)


 球体状の防壁を展開することで爆炎から身を守り、怪我一つ負わずに【火花吹雪】による攻撃をしのぎ切った静が、周囲を満たす黒煙の中で内心密かにそう独り言ちる。

 即座にそのまま地を蹴って、シールドを展開したまま視界を妨げる煙を突き破って、その向こうにいる理香へと最後の攻撃を仕掛けようとして――。


「――!?」


 ――直後に静は、晴れかけた煙の隙間からまばゆく輝く花束を見た。


「渦を巻いて――、突き破れ――。」


 前に構えた短剣と交差するようにレイピアを構え、そのレイピアの周辺で斬光の魔力が猛烈な勢いで渦を巻く。


 先ほど柱を貫通して見せた、まるでドリルのような形状の斬光の槍。


「その守り《ひつぎ》の内を、火の花で満たせ――!!」


 ただ一点、先ほどと違う点があるとしたならば、それは渦巻く斬光のその中に、交差させた短剣から放出された無数の火花が混入し、巻き込まれているということか。


(これは、いけない――!!)


 繰り出されるのは単純に防御を突き破るだけではない。突き破った防御の内側を爆殺の火花で満たす、外見だけはまるで花束のようなそんな攻撃。


「【花葬献火クリメイションブーケ】――!!」

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