160:失墜の物語

 それ・・が始まってしまったのは、詩織達が第三層に進んで少ししてからのことだった。


 詩織達が攻略した第三層は、竜昇達が訪れた地下鉄駅とはまた違う、八つもの劇場を持つ巨大な映画館のような場所だった。 

 この階層のギミックというのが、一定時間が経過するごとに劇場の一つから大量の【影人】達があふれ出し、それらが劇場の数だけ繰り返された後に最後の劇場から現れる【映画監督】倒すことでようやくクリアになるというもので、第二層が少数の強力な【影人】を配置した階層だったのに対して、第三層は質よりも量でプレイヤーを攻めたてるという、そんなコンセプトの階層となっていた。


 幸いにして、ギミックがわかってからは敵の出現を待ち伏せるなどの戦術も確立され、また詩織たち自身が戦い慣れてきたこともあって、この階層は前の階層ほど苦戦せず、比較的スムーズに攻略することができていた。


 ただし、攻略できただけでこの階層での話がそれで終わったかと言えばそうではない。


 というのも、それなりの苦労の末にボスを倒したその直後、誠司が詩織の予想に反してメンバーに足を止めさせ、しばらくその第三層を拠点に活動することを全員に提案してきたのである。


 誠司の提案、そこにあった意図はゲームをやる人間の目から見れば比較的単純だ。

 彼は、【不問ビル】のシステムがゲーム的であることから、時間経過によってその階層に再び【影人】が補充されると予想して、それらを待ち構えて狩ることによってドロップアイテムやスキルを収集し、なによりそうして得られた各種スキルの『レベル上げ』をしようと画策していたのである。


 ことがゲームと違って本当に命がけの戦いであることを考慮すれば、危険が伴う戦闘を余計に行うというのはなかなかに大胆な選択だったわけだが、しかし結論から言えば誠司のこの目論見は、提案した本人が思っていた以上にうまくいった。


 第三層でのレベル上げにあたり、予想以上に役に立ったスキルが三つある。


 一つは、第一層のボスからドロップし、その後誠司が習得することになっていた【魔刻スキル】。

 これは、指先などから魔力を放出し、その魔力を用いて術式などを物品に焼き付け、刻み込むことができるようになるというスキルで、うまく使用すればマジックアイテムを自作することも可能になるという非常に有力なスキルだった。

 とは言え、刻み込む術式を術者が知っていなければならないことや、術式を刻み込むのにそれなりの作業時間が必要になることなどの条件もあいまって、習得した誠司自身これまでほとんど活用できないままとなっていたスキルでもある。


 ところが、そんなスキルが一所に拠点を構えると決めたことでいよいよその真価を発揮する。


 まず移動と探索を中断したことで時間の問題が解決し、【魔刻スキル】を使った作業そのものが腰を据えて行えるようになった。

 続けて、その階層の【影人】が八つある劇場からしか再出現リポップしないことを利用して、それぞれの劇場の出入口付近に【魔刻スキル】を用いて固定砲台代わりの術式を設置することによって、劇場の出入り口から現れた【影人】を誠司たちの側が一方的に攻撃して狩ることすら可能となった。


 加えて、そうして倒した【影人】から残り二つのスキルである【講陣スキル】と【錬金スキル】がドロップし、誠司がそれらを習得したことでいよいよ第三層での戦力強化はそれまでにないほど軌道に乗っていくことになる。


 自分たちに有利な拠点、陣地を構えることができるようになる【講陣スキル】の存在によって再出現(リポップ)した【影人】の迎撃態勢はさらに強固なものとなり、魔力を用いて金属を粘土のように加工できるようになる【錬金スキル】が加わったことで、【魔刻スキル】と合わせて本格的にメンバー全員に合わせた武具の改造や製作ができるようになった。


 同時に、術式を知っていればいるほど作成できるマジックアイテムのバリエーションが増える【魔刻スキル】の性質から、魔法系のスキルのほとんどが誠司の元へと回されるようになり、そうした魔法の発動を補助する【魔本スキル】や【魔杖スキル】をも習得したことで、本人が【魔導師ソーサラー】や【錬金術師アルケミスト】などと呼ぶ、誠司自身の戦闘スタイルも確立されていくこととなった。


 そして、誠司自身が習得する魔法が増えれば、当然それを刻み込んで作るマジックアイテムのバリエーションも比例して増えていくことになる。

 結果、パーティーのメンバーにはそれぞれの適性や保有するスキルに合わせて専用の装備が製作され、また本人達も誠司が定めた特定のコンセプトに沿ってスキルを習得して言ったことにより、その戦闘力を順調に増強していくことになったのである。







 そんな形で、階層の攻略と戦力の強化を、それまでの階層での苦戦が嘘のように順調に進めていたパーティーだったが、しかしそれとは逆に人間関係の方は順調とは到底言い難いものになっていた。


 ことの発端となっていたのは、やはり第二層で詩織が目の当たりにすることとなった、誠司と他の女子メンバーとの情事、およびそれに伴うパーティー全体での人間関係の変化である。


 実のところ、詩織自身、誠司がどういった理由で、どんな経緯で他のメンバーとそうした関係を築くに至ったのかを正確に理解しているわけではない。

 一応彼女の方でもあれこれと推測こそしていたものの、まさか本人たちに直接聞くわけにもいかず、本当のところがどうなのかは今をもってわからないままになっていた。


 ただその一方で、誠司と関係を持ったことにより、他のメンバーに決して悪いものとは言えない変化が起きていたのもまた事実だ。


 実際それまで無茶な戦い方ばかりしていた瞳も、誠司と関係を持った頃からそうした行動が鳴りを潜め、誠司の指示を仰いでその通りに動くようになっていたし、大吾の死以降ふさぎ込んでいた愛菜も、少々情緒が不安定な面こそあったものの、とりあえず生き延びるために戦えるくらいにまでには精神的にも持ち直していた。


 唯一、理香についてだけはそうした変化があったのかどうかよくわからなかったが、しかしどちらにせよ誠司との関係によって、危機的状況にあったパーティーが立て直されたというのは揺るがぬ事実である。

 そういう意味では、誠司の行動はあの場における最善の判断だったと、そう評することすらできるかもしれない。


 とは言え、いかにその選択が正しいものだったとしても、詩織本人までもがそうした関係の中に組み込まれるとなった時に、それを受け入れられるかと言えば、それはまた別の話だ。


 否、もっと露骨な言い方をするならば、すでに三人との交際が発覚している誠司から、詩織に対してまでそうした関係を持つよう迫られてしまえば、いかにそれが有効な手段だったとしても詩織の中では拒絶感の方が勝ってしまう。


 もとより、自身と他者との間に決定的な格絶があることを自覚していたがゆえに、どこか意識下で他人との間に壁を作ってしまっていた詩織である。


 たとえ誠司に三人もの女子と付き合っているという、現代社会の倫理感から大きく外れた事情がなかったとしても、根本的に他人に対して気を許すことができずにいた詩織では、どちらにせよ他者に対して身も心も預けるようなことはできなかっただろう。

 そういう意味では、詩織自身が普段から自身が気付いた壁の存在をひた隠しにしていたことも相まって、誠司は根本的に渡瀬詩織という少女の精神性を見誤っていたともいえる。


 結果として、詩織は誠司から自身に対して投げかけられた交際の申込みを拒絶して、そしてそのことが思いのほかのメンバー、特に瞳や愛菜といった、もともと詩織と友人関係にあった二人からの不興を買った。


『なんで、どうして誠司君のことを拒んだの……!!』


 詩織の誠司に対する対応に、一番最初にそう言って感情を露わにしたのは、意外なことにそれまでそうした感情を見せることの無かった愛菜だった。

 詩織としては、誠司との交際を断った理由の一端に、彼女たちすでに関係を持っている他のメンバーに遠慮したという事情もあったのだが、しかしどうやら関係を持つ当の本人たちの方は、詩織もその関係性の中に組み込まれることをこそ望んでいたらしい。

 それは他の女子たち、例えば瞳なども同じだったようで、詰め寄る愛菜をなだめたその後に、瞳が詩織に対して、どこかその本性を見透かしたような言葉をぶつけて来た。


『詩織ってさ、どっか私たちに心開いてないよね』


 隠せていたと思っていた自身の壁を、いつの間にか見抜いていたらしい友人に指摘されて、ようやく詩織は自身が選択を誤ったのだということを、そして自身が状況を見誤っていたのだということを理解する。


 そう、今にして思えば、見誤っていたというのならば詩織の方も、二人の中にあった誠司に対する感情を見誤っていたのだ。

 彼女たちの中にあるその感情が、単純な愛情というよりも信仰や依存に近いものだったということを、詩織はそうして彼女たちの反感を買うまで、察して気付くことができていなかった。




 そうして、詩織が二人との間に確執を抱えることになってしまったそんな状況下で、詩織にとって悪い、彼女の立場をさらに危うくするような出来事が続けて起きる。


 何のことはない。詩織が周囲に対してひた隠しにしていた己の秘密、そのころようやくその正体に気付くに至っていた【魔聴】の存在が、詩織自身が打ち明けるその前に、別の人間によって看破されてしまったのである。


 きっかけとなったのは、そのころ倒した敵からドロップした一枚のスキルカード。明らかに対人用のスキルであるが故にあまり役に立つとも思えず、協議の末に理香が習得することとなっていた【観察スキル】の存在だった。


『詩織さん……? あなたは一体、何を隠しているのですか?』


 本人にしてみれば、別にそんなつもりで投げかけた質問ではなかったのかもしれないが、スキルを習得してからしばらくしたのち、とある戦闘の直後に不意に放たれたその言葉が、詩織と他のメンバーとの間の決定的な亀裂を生む言葉となってしまった。


 問われるままに、自身が以前から聞いていた不可解な耳鳴り、そしてその正体と思われるものの内容を話してしまった詩織に対して、彼女に対する心証が悪化していたことも相まって、一気に他のメンバーの感情が爆発する。


『なんで、なんでそんな大事なことを黙ってたの――!!』


 詩織の話すその事実にまず真っ先にそう反応したのは、やはりというべきか当時詩織に対する反発を強めていた愛菜だった。


 否、それは恐らく、単純な反発の感情だけのものではなかったのだろう。

 なにしろ彼女は、この【不問ビル】の中で沖田大吾という、自身と両想いになりかけていたその相手を敵からの不意打ちによって失っているのだ。

 そんな彼女にしてみれば、魔力を音という形で知覚することができる【魔聴】の存在は、大吾の死の原因にもなった不意打ちを防ぐことができるという点で、他のなによりも重要な要素として感じられていたことだろう。


『――それ、気づいたんだったらその時に話すべきことだったんじゃないの? なんでそんな大事なことを、みんなの命に係わることを言わないで黙ってたの?』


 加えて、詩織の【魔聴】が看破された、そのタイミングもよくなかった。

 詩織が【魔聴】について話すことになってしまったそのタイミングというのが、特殊な隠形系のスキルを持った敵が迎撃のための包囲網を突破して、不意打ちによってパーティーのメンバーの命を奪いかけるという事件が起きた、その直後のことだったのである。

 幸い、寸前に【魔聴】を持つ詩織が迎撃したことによりメンバーに被害はなかったのだが、しかし気付くことができなければ死ぬものが出ていたかもしれないというその危機感が、余計にそれを察知する能力の存在を隠していた詩織に対する怒りを煽る形になってしまったらしい。


『なぜあなたは、そんな大事なことを黙っていたのですか?』


 最後に投げかけられて、そして応えることができなかった理香からのその問いかけが、詩織以外のメンバーのその心情を如実に物語っていたと言える。


 結果、詩織による【魔聴】の秘匿は、他のメンバーの命を危険にさらす、裏切りにも等しい行為として他のメンバーに受け止められることとなった。

 詩織自身も、他のメンバーから糾弾されるその中で、遂にその言葉を否定することができないままとなってしまった


 なにしろ詩織自身、聞こえるこの音の存在を誰かに伝えていれば、自分たちはビルの中に囚われずに済んだのではないかと、そんな風に考えてしまっていたのだ。

 そんな考えが一度でも頭をよぎってしまったら、もはや詩織に自身を攻める言葉の数々を、否定することなどできようはずもない。




そうして、一度集団の中で裏切りを働いた『悪者』とみなされてしまえば、あとの状況と周囲からの扱いは、まるで斜面を転げ落ちるように加速度的に悪化していく。


 その日を境に、戦闘中に詩織に対する援護が頻繁に途絶えるようになった。

 寝食の際の見張りなどの関係も相まって、詩織が一人で行動させられることもざらになり、時には味方の攻撃に巻き込まれかけて、さらにはそうした連携の不備すらも、深刻に考えてもらえず笑ってすまされてしまったことも何度かあった。


 特に露骨だったのは詩織に対する戦力強化への対応で、この頃からスキルやドロップアイテムの分配を決める際、それらが詩織へと回されることが極端に少なくなっていった。

 誠司の手による装備品の制作もこれは同じで、他のメンバーが順調に装備を整える中、詩織のものだけはその製作を積極的に後回しにされるようになってしまった。


もはや詩織に対するそれらの仕打ちに、異論を唱えるものなどどこにもいない。


 結局、他のメンバーが多数のスキルを習得し、全身を誠司の手による装備で固めていく中、詩織一人だけが極端に装備もスキルも不足したまま次の階層と進むこととなる

 そしてそんな状態で、この過酷な【不問ビル】の中での戦いを、詩織が切り抜けられるはずがない。

 それはまるで当然の帰結のように、詩織はただ一人、第四層の監獄内にてパーティーから逸れ、敵に捕らわれてパーティーからの離脱を余儀なくされた。


『――なんで、私たちと同じにならなかったの――?』


 結局、自身の思い、その心の内を理解してもらうこともできぬまま。

 最後に恨みごとのように投げかけられたその言葉を、いつまでも耳の奥底にこびりつかせたままで。

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