161:迫られる決断

 重苦しい沈黙が場を満たす。


 話を聞きながら移動して、誠司達がいるが故に使えなくなったホテルに代わり、仮の拠点とした展望食堂のその一画で。

 詩織からこれまでの経緯を聞き出した竜昇と静が、しかしその内容について何も言えずに、言うべき言葉をすぐには見つけられずに押し黙る。


(……ッ、ぅぅぅぅ―――――――――!!)


 臓腑から湧き上がるその思いを言葉にするまいと必死に念じて、竜昇はまるで頭痛を堪えるように頭を押さえながら、己のうちで暴れる獰猛な感情を抑え込む。


 これまでの詩織の様子を見ていて、『なにか』があったのだろうとは薄々感じていた。

詩織と誠司達、両者の間にある微妙な空気を鑑みて、単純にはぐれただけではないのだろうと、竜昇自身なんとなくそんな予想はついていた。


 だがいくらなんでも、ここまで深刻な状態だったとは流石に思ってもみなかった。


 否、なにより予想外だったことがあるとすれば、それはこれだけのことをされておきながら、詩織がなおも誠司たちのことを庇っていたというその点だ。


 なにしろ、具体的に何をされていたのかというそういった話すらも、竜昇や静があれこれと問い詰めるような真似をしてようやく聞き出せたくらいなのだ。

 かつてのパーティーメンバーに義理立てしてのものなのか、それとも彼女自身の自責の念によるものなのかは定かではなかったが、どちらにせよ彼女の口の堅さは竜昇達の目から見ても尋常ではなかったと言える。


 深呼吸を繰り返す。


 こうなって来ると、精神干渉の影響で一人だけ話に参加できず、今はレストランの一画にあるデッキチェアの一つで、一人休んでいる城司の呑気さが少しだけうらやましかった。

 彼にしてみれば、若者三人が自分を置いてきぼりにして話に盛り上がっているという認識らしいので、今の彼はむしろ疎外感さえ覚えていじけた様子すら見せているのだが、しかし精神干渉が無ければまずありえないようなその温度差が、今の竜昇には少しだけ妬ましい。

 とは言え、現状ではそんな現実逃避的思考にいつまでも浸っているわけにもいかない。


「――これは、もう……、ダメかもしれませんね」


 時間をかけて、竜昇がどうにか自身の感情を抑えることに成功したちょうどそのとき、不意に静が、まるでため息でも吐くかのようにぽつりとそんな言葉を口にする。

 あるいは彼女は、竜昇が自身の感情を沈めるのにかけた時間で、ひたすら冷徹に思考し、その言葉を口にしていたのかもしれない。


「え……、えっと、ダメって――」


「いえ、そのままの意味ですよ。ただ単純に、もはやあちらのパーティーの方々とは、これ以上行動を共にできないのではないかと、そう思っただけです」


「――ぇ、そッ――」


「静、それは……」


 一切の容赦なく、そして何より感情の乗らないどこまでも冷静な口調で行われたその発言に、それを聞く二人がそれぞれ少なからぬ動揺を見せる。

 そんな中で、それでもどうにか先に言葉を絞り出したのは、やはりというべきかどこまでもかつての仲間を擁護しようとする詩織の方だった。


「――ちょ、ちょっと待って。ちょっと、待ってよ……。

ダメって、行動を、共にするべきじゃ、ないって……。でも、前にあったことは、あくまで、私の方に問題があったからで――」


「――本当にそうでしょうか? 関係性を迫られてそれを断ったことや、自身のコンプレックスにまつわる話を言い出せなかったことが、それほどまでに悪いことだったと?」


 いつも以上に淡々と、感情の消えた容赦のない言葉でもってして、静は詩織の自責の念を、その罪悪感の根拠をきっぱりとそう斬って捨てる。


 あるいはそれは、強烈な自己嫌悪によって自身を追い詰めてしまっている詩織への、彼女なりの気遣いだったのかもしれないが、しかし静自身の感情を排した無機質な態度も相まって、言われた詩織の口から返す言葉を奪ってしまうには十分すぎる効果を持っていた。

 言葉を失う詩織の様子に、静は少しだけ己を省みるように目を閉じて、再び目を開けた後今度は二人に向かって言葉の続きを語り出す。


「――それにですね、そもそもの話をするなら、この話はもう詩織さんに非が有ろうと無かろうと関係ないのです。

 この問題の本質はですね、詩織さん。あの方々が理由さえあれば・・・・・・・それだけのことができてしまう人間なのだと、その事実が判明してしまったことなのですよ」


「理由さえ、あればって――」


 戸惑いを見せる詩織に対して、竜昇の方は静の言葉の意味、その裏にある懸念を容易に理解することができた。


 そこにいかなる理由があったのだとしても、彼ら彼女らが行っていたのは明らかに一人の人間を対象とした迫害だ。

 それもただの迫害ではない。ことが起きたのが常に命の危険がつきまとうこの【不問ビル】の中だったことを加味すれば、詩織に対して行われていたそれは間違いなく命に係わるレベルの・・・・・・・・・迫害である。


 たとえそこになんらかの理由があったのだとしても、その理由故に本人がその扱いに納得してしまっていたのだとしても、そんな迫害を行ってしまったのだという事実は、それが持つ意味合いは、これから共闘体制を敷こうとしていた竜昇達にとって決して軽いものではない


「仮に詩織さんの方に非があったのだとしても、あの方々の行ったことは、すでにそれを理由にしてやっていいことの限度を超えています。

 好悪の感情や倫理にもとるという問題もありますが、それ以前に、これから行動を共にするとなった時に、そういうことをやってしまう相手というのは単純に・・・付き合う・・・・リスク・・・が高すぎる・・・・・


 ただでさえ命の危険がつきまとうこの【不問ビル】の中で、仲間割れや嫌がらせを警戒しなければいけないような相手と行動を共にするというのは、それだけでも無視しえないだけの大きな危険がつきまとう。

 これが特に何の問題もない、過去に何の問題も起こしていない相手であったならば、こうした危機意識は行き過ぎた失礼なものと言えるのかもしれないが、実際には誠司達あの四人は、すでに詩織に対して一連の行動を、前科と言ってもいいものをこうして積み上げてしまっている。


「加えて言うなら、あの方々が私のことを【決戦二十七士】の一味であると、そう認識しているというのも現実的に考えて大きな問題です。スキルシステムによって無条件に敵意を抱いてしまう、そんな対象の一味というそんな認識。しかもあの方々の場合、大量のスキルを高いレベルで習得して、私たちなどよりよほど強い敵意を植え付けられてしまっている」


「で、でも……、それはスキルの秘密をうまく伝えられれば解決するんじゃ……。みんなだって、時間を置いてからスキルの秘密について説明すれば、ちゃんとこっちの話を聞いてくれるかもしれないし……」


「そうでしょうか? 少なくとも私には、今のあの方達が私の立場を・・・・・弁護するような・・・・・・・話を、まともに信じてくれるとはとても思えません。むしろ適当な嘘をついて自分達を騙そうとしているのだと考えて、余計にこちらに対して敵意を強めてしまう恐れがあります」


 詩織には悪いが、しかしこれに関しては竜昇としても同意見だった。

 今の誠司達には、小原静は敵であるという、行ってみれば意識のフィルターがすでにかかってしまっている。

 よく言われる表現を使うならば、彼らはすでに静を色眼鏡で見てしまっているのだ。

 そして人間というのは厄介なもので、一度そうした認識を持ってしまうと、その人間が何をやっても、その行為行動を自身の認識を補強するものであると勝手に解釈してしまう。


 静の言う通り、仮に今この状況でスキルシステムの秘密をあちらに公開したとしても、むこうはそれを静に対する疑いを逸らすために口から出まかせを言っているとしか捉えないだろう。

 いや、それだけならばまだいい。下手をすれば『怪しい奴が自分達を適当な嘘で騙そうとしている』とそう捉えられて、余計にこちらに対する敵意を募らせてしまう展開も可能性としてはありうる。


「――少し、甘く見ていたかもしれませんね。スキルシステムに仕込まれた敵意の強さを……。いえ、甘く見ていたのはどちらかというと、人という生き物の業や性とでもいうべきものでしょうか」


「……? どういう意味だ?」


「――いえ、詩織さんの話を聞いていて気付いたのですが、どうにもここにいる三人は、そもそもスキルシステムによって植え付けられる敵意の影響を、受けにくい性格をしてたのかもしれないと思いまして」


「敵意の影響を受けにくい? それは例の、俺達が備えているっていう精神干渉への耐性の話じゃなくて?」


「はい。それとは別の、あくまでも性格の問題です」


 竜昇達通常のプレイヤーが、この階層で使用されているような精神干渉系の魔法に対して強い耐性のようなものを持っているらしいということは、他ならぬ静の分析によって既に判明している事実だ。厳密に言えば、確固たる証拠がある訳ではないため事実と言い切れない部分があるのは確かだが、しかし状況的に見てその分析になんらかの間違いがあるとは竜昇は思っていない。


 だがここに来て静が口にした、スキルシステムの影響を受けにくい性格というのは、そうした精神干渉への耐性とは全く別の問題だったらしい。


「例えば詩織さんの場合、自身の異質さを自覚しているがゆえに、なにかがあった時に悪いのは自分なのだとそう考えてしまう傾向があるように見られます。

 竜昇さんは竜昇さんで、相手の行動の裏にある理由を推定できてしまうがゆえに、どこか他人を憎み切れない、斬り捨てられない所があるように思えますし、かくいう私も、他人、特に敵対者に対しては、怒りや憎しみを抱くよりもむしろドライになっていく傾向があります。

 こう言っては何ですが、ここにいる三人は三人とも、他人に対して怒りや敵意を燃やすことに根本的に向いていないのです」


「……!!」


 それは、これまで竜昇達が考えてもみなかったような分析だった。

 しかし同時に、言われてみればその分析にはどこか納得できるところもある。


 別に竜昇自身、自分が他人を憎まない、まるで聖人のような上等な人間だと思っているわけではないが、一方で他者に対してむやみやたらと憎悪や敵意を燃やすような精神性に対して、忌避感のような感情を抱いているのは自覚のある事実である。


「――ですが、残念ながらあちらの方々はこちらとは違う。

 あの方たちは、なにがしかの理由があれば、容易にその相手に敵意を抱いて、憎んで、自分達のことを正しいと思ったまま迫害することが、普通に・・・できてしまう方たちです。少なくとも第三層で詩織さんに対して行われていた行為の数々は、あの方々のそうした精神性を証明してしまうものでした。

 そしてそんな方たちに、今私は敵の一味だと認識されて、その敵意を向けられる立場になってしまっている」


「……!!」


 小原静という少女は自分という人間の異常性に自覚的だ。

 自分という人間の思考や価値観が他人とズレていることを自覚していて、そしてそのズレ方が、時に他人から非情で無慈悲な、いわゆる悪者のように見られかねないものであることを彼女は自分ではっきりと自覚している。


 そして自覚しているからこそ、彼女は自分とは違う他人と歩調を合わせる努力をし、同時に自身が悪者とみなされる状況に、そしてそうした状況を作ってしまう他者の存在に、常に注意を払っていたのだろう。

 それこそそう言った事態が起きる可能性、その予兆を敏感に察知して、何らかの対処ができるようにするために。


「仮にあの方たちがスキルシステムの秘密を信じたとしても、私に対する敵意や嫌悪感のような感情はそのまま残ります。そして敵意が残っているのなら、それを正当化する理由など、あとからいくらでも見出すことができてしまう。

 ことが私一人の問題であるならば、私一人がこのパーティーから離脱するという手も考えられましたが、仮に私の件がなかったとしても、お二人や城司さんがそれに代わる標的とみなされないとは限りません。

 むしろ詩織さんの時の事例や、あちらのパーティーが男女の関係性で繋がっていることを考えれば、詩織さんだけでなく、男性である竜昇さんや城司さんが異物とみなされる可能性はかなり高いと思われます。

 私はそんな環境に、ここまで生死を共にしてきた方々を向かわせたいとは思いません」


 それは冷徹でありながらも、やはりどこか静なりに、竜昇達他のメンバーを案じているのがうかがえる、そんな言葉だった。

 そしてだからこそ、静の言葉には軽率な拒絶など許さない力がある。

 反論しがたい、絶対的なまでの正しさが、ある。


「――で、でも……。だったらこれからどうするの? 行動を共にしないって……。でももう、私たちはこうして、同じ階層の中で出会っちゃってるのに……」


「現実的に考えるなら、ボスを倒すところまでどうにか膠着状態を維持して、次の階層に進む段階で何らかの手段で別れてしまうのが最適ではないかと思います。

もちろん、プレイヤー同士で殺し合うなどという事態になってしまっては不毛にもほどがありますから、どちらにしろなんらかの形で、あちらの方々とは一度話を付ける必要はありますが」


「……そんな」


 突きつけられたその言葉に、詩織が何かを言おうとして、しかし何も言える言葉を見つけられなかったのか、沈痛な表情でうつむき、沈黙する。


 静の言葉に詩織がそんな反応を見せるのは無理もない

 なにしろ今静が持ちかけているのは、実質的には誠司たち四人を見捨てて行こうという、そういう決断だ。

 もちろん、ここで竜昇達と袂を分かったからと言って、それで誠司たちがすぐさま命の危険に陥るのかと言えばそんなことはない。むしろ戦力的に安定している誠司達との決別は、竜昇達の方の生存率にこそ、著しい影響を与えると見てもいいくらいだ。


 だがそういった戦力や現実的な事情とは別の問題として、静のその決断の中に、詩織のかつてのパーティーメンバーたちを見捨てて行こうという、そういったニュアンスが含まれていることは否定できない。


 恐らく静自身、それは十分にわかっているのだろう。

 わかっていて、竜昇達がそう受け取ることも嫌というほど理解していて、それでも今この場で静はその決断を竜昇達に求めてきている。


 冷静に冷徹に、自分たちにとってそれが最善なのだと、そう理解しているがゆえに。


「――竜昇さん、竜昇さんはどう思われますか?」


「俺……、か?」


「はい。竜昇さんはこれ以上あの方たちと行動を共にできると、そう思っているのですか? あの方たちと共にこの先を進むことにメリットがあると、そういうことができますか?」


「――、それは――」


 と、反射的に返答しかけて、しかしその寸前、竜昇は一つのことに気付いて一度口をつぐむ。


 小原静は自身の異常性に自覚的だ。

 自身の思考回路の異質さを理解している彼女は、だからこそ自身の判断に他人を付き合わせることを、どこか避けているような節があった。


 そんな彼女が、今誠司たちに見切りを付けるというその判断を、包み隠さず竜昇達の目の前へとこうして突きつけてきている。


 ともすれば彼女が最も恐れているだろう、自身が『悪』として見られてしまう可能性もあるというのに、それでも、なお。


 そしてそうだとするならば、果たしてその裏にある彼女の意図は、いったいどのようなものなのか。

 果たして彼女は、なにを考え、どんな覚悟したうえでこの発言をしているのか。


(――ああ、まったく……。この階層に来てから、静には本当に負担をかけっぱなしだな……)


 他人を斬り捨てられないと、竜昇を評してそう静は言った。

 他人の行動の裏に理由を推定できてしまうがゆえに、どこか他人を憎み切れない部分がる、とも。


 竜昇本人にしてみれば、自分のスタンスは決してそんな立派な、まるで聖人のような尊いものであるとは到底思えない。

 けれど現実問題として、他人を見捨てるようなこんな判断を、自分では思いついても決してできなかっただろうというのは、他ならぬ竜昇自身が自覚している、紛れもない事実なのだ。

 そしてそれを見抜いた静が、見抜いたからこそあえてその判断を自分で口にしたというのなら、それを受ける竜昇には彼女のその覚悟にきちんと答える義務がある。


「俺は……」


 考える。今自分が返すべき答えを。どうすれば彼女の覚悟に応えることができるのかという、その形を。

 考えて、悩んで、迷って、思考し続けて――、やがて――。


「俺は――」


 そうして、竜昇はようやく意を決して、自身の中で出したその答えを口にする。

 死なないために、死なせないために、憎まれ役すら買って出た静に対して並び立てるような、そんな自分自身の決断を。

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