158:避けられぬ問題
その光景を目の前にした瞬間、竜昇はつくづく事前の心の準備というものの大切さを思い知ったような気分になった。
正直に言って、この光景を事前に予測できていなかったならば危なかったかも知れないと、そう思う。
今目の前に広がる、明らかに詩織が魔法を突きつけられて、そして静が瞳によって攻撃を受けているという光景は、徹底して誠司たちとの対立を避けようと、そう決意して動いてきた竜昇と言えどもなかなかに
(落ち着け、あのメッセージが送られてきた時点で、可能性はい低いとはいえこの展開も一応予想できていただろうが……)
そう己に言い聞かせ、竜昇は油断なく誠司と瞳の姿を見据えながら密かに息を吐く。
そう、あの入浴エリアで静を【決戦二十七士】の味方として名指しするメッセージが送られてきたその時点で、そのメッセージが静とそのパーティーである竜昇達、そして誠司たちのパーティーというこの階層に集ったプレイヤーたちの間に不和を生み出すためのものであることは予想できていた。
だからこそ、竜昇は意地でもその思惑に乗るまいと、誠司たちとの対立を避けるよう、覚悟を決めてここに来た。
まあ、もっとも。
投げ込まれた疑惑によって疑心暗鬼になり、誠司達が静に対して疑いの目を向けるくらいならいざ知らず、あっさりと攻撃にまで至ってしまったというこの展開はさすがに予想外だったわけだが。
「そこまでにしてください中崎さん。はっきり言いますが、あのメールの内容は全くの嘘っぱちだ。あれを信用して行動するのは、ただ単にゲームマスターの術中にはまるだけの結果になる」
宣言する言葉に若干棘が出てしまったのが竜昇自身若干気にはなったが、しかしこの場は相手に与える印象を優先してはっきりとそう断言しておく。
とは言え、そんな竜昇の意図を知ってか知らずか、竜昇が放ったその言葉に対しても、誠司ははっきりと疑いの目を向けているようだった。
よく言えば毅然とした、悪く言えば若干威圧的な態度を見せる竜昇に対して、誠司の方はこれまで通りの、落ち着きを見せつけるかのような態度でこちらに話しかけてくる。
「まったくの嘘、ね。果たして本当にそうなのかな? なぜそんなことが断言できるんだい? 昨晩君達から聞いた限りでは、君がそこの彼女と出会ったのは本当にごく最近のことらしいじゃないか。昔からの知り合いというならいざ知らず、なぜ出会ってそう時間のたっていない彼女の身元を、君が保証することができるのさ?」
(――ッ)
誠司の言葉に反論しようとして、しかし思いつくどの言葉も誠司を納得させるには至らないと悟って竜昇は表情に出さぬよう内心で密かに舌打ちする。
はっきりと言ってしまえば、この手の疑惑は疑い出したら切りがない。例えば竜昇がこれまでの静の行動を根拠に彼女を信じられると主張したとしても、誠司はその行動がそもそも竜昇に取り入るための偽装であったのではないかと疑い始めるだろう。
仮にクエストメッセージの疑わしさを主張したとしても、この状況では互いに主張が平行線をたどるだけだ。
出会って間もないというのならば他のメンバーとて同じだと主張したところで、そもそも、元からクラスメイトだったという誠司たち四人以外、現在この階層にいるのはほとんどがビルの中で出会ったような人間ばかりなのだ。相手が信用できるかできないかなど、結局のところその人間の主観と線引きの問題ということになって来る。
「それにね、その話はさっきそこの本人ともしたんだけど、そのとき彼女からはほとんど満足な答えが得られなかったんだ。あとはそう、君もあのメッセージを受け取ったのなら、彼女がスキルを隠匿していることについても知っているはず――」
「――
「……へぇ、そうなのかい?」
ふたたび語気を強めて行った竜昇の反論にも、しかし誠司は明らかに疑いの意図を残した様子でそう聞き返してくる。
やはりというべきなのか、竜昇の言葉に対してもその信頼性はかなり低い。
もとより予想していたことではあったが、恐らく誠司は竜昇が静に騙されていて、愚かにも彼女を庇っているとみているのだろう。
その様子に、竜昇は意図して大きく息を吐き、熱くなりかけた頭を意識して無理やり落ち着かせる。
こうなって来ると、きちんとした信頼関係を築く前に、そして静が気付いた事実について、彼らに伝える前に事が起きてしまったことがつくづく悔やまれる。
もっとも、それらが行われる前のこのタイミングだったからこそ、こんな明らかに狙ったような謀略を仕掛けられてしまったのかもしれないが。
(……こうなると、今この場でこの人たちを説得するのはもう無理だな……)
『いったい何を吹き込まれたのやら』と、そういいたげな誠司の様子に、竜昇は一瞬迷った末に、この場での彼らの説得をひとまず諦めた。
どのみち今はあまり時間もない。なにしろ竜昇達には、もう一つ今すぐにでも対処しなければならない案件が迫ってきているのだから。
「おーい竜昇、急に走り出して一体どうしたんだよ……」
と、緊迫するその現場で竜昇に対し、背後からどこか呑気な様子の声が、その
そう、この場に到着したのは竜昇だけではない。竜昇と行動を共にしていた城司もまた、言いくるめて連れてくる形で遅ればせながらもここにたどり着いてきているのだ。
なにしろつい先ほど、この階層のボスと思しき何者かから攻撃を受けた直後なのだから当然だ。まさか自衛のできない城司を一人で行動させるわけにもいかない以上、戦闘になれば彼を危険に巻き込んでしまう可能性を考慮したうえで、それでもなおこの場にまで彼を連れてくるよりほかになかった。
もっとも、竜昇とてなにも無策で城司をこんな場所に連れてきたわけではなかったのだが。
「ったくよぉ、こいつのことを俺一人に任せていくなよ。
「――!! 互情、君、その男は――」
現れた城司が肩を貸すような形で抱え、引き摺ってきたその人物の姿を視認して、初めて誠司が驚いたような、そして深刻に憂慮すべき事態を目の前にしたような表情を見せる。
それはそうだろう、なにしろ城司が引き摺ってきたのは、先ほどクエストメッセージで通知された、【決戦二十七士】の一人であるアパゴ・ジョルイーニその人だったのだから。
「なぜ、君達が、その男を――」
「んん? ああ、もしかしてこの兄ちゃん、そっちの少年の知り合いか? いや、さっきロッカールームで倒れててよ。ほっとくわけにもいかねぇし、
「――ッ!!」
暢気な、善意しか感じられない口調で語られるそんな言葉が、誠司の表情をどこか不快気な、忸怩たる思いをはらんだものへと変えさせる。
恐らく誠司自身、竜昇がこの場にアパゴを連れて来た、その意図をなんとなくではあれ察っしてしまったのだろう。
そして、その予想通りの言葉を、この場での説得を諦めた竜昇が突きつけるようにして口にする。
「――取引です、誠司さん。今この場であなた達にこの人をあなた方に引き渡しますから、そちらも静の身柄をこちらに引き渡して撤退してください」
「――なッ、なにヨそれッ――!!」
アパゴを人質にとったような竜昇の要求に、それまで二人のやり取りを聞いていた瞳が怒りの混じった声をあげる。
その様子に、竜昇は一瞬瞳がこちらに飛び掛かって来るのではないかと、
最悪近くにいる城司をも巻き込む覚悟で準備していた備えを使わずに済んだことに安堵しながら、竜昇は思考のうちで自身が持ちかけた取引の、その成功率を計算し続ける。
(そう、俺がこの人の立場なら、この要求は決して無視できない)
身内とは到底言えない、それどころかはっきりと敵と言った方がいいくらいの立場にいるアパゴ・ジョルイーニという男だが、しかしだからと言ってその命が誠司達にとって失われていいものであるかと言えば決してそんなことはない。
なにしろこのアパゴという男は、竜昇達だけでなく誠司たちにとっても、このビルを脱出するための大事な手がかりなのだ。そのアパゴが人質に取られている状況では、彼らも迂闊に竜昇や、そして静に手を出すことはできないだろう。
加えて、竜昇がこの場に来たことで誠司達の側と静側の、その数的優位が覆ってしまったという事情もある。
これがもし誠司たち二人に対して、相手が静一人きりだったり、あるいは静に味方するのが、明らかに誠司たちと敵対することに迷いのある詩織ただ一人だったならば、誠司達も自陣を有利と見て強硬手段に訴えることもできただろう。
だが今は、竜昇が加わったことで事実上の三対二。足手まといになる城司の存在を考えたとしても、アパゴという人質の問題なども加味すれば有利とは言い切れない状況になっている。
恐らく今この場で、誠司達を納得させることはもうできない。
ならば次善の策として、この場での衝突を何としてでも回避する。
回避して、先送りにして、それによって互いが落ち着くだけの時間と、竜昇達自身が話し合う時間を確保する。
誠司達を完全に説得することが困難なこの状況で、竜昇にできることがあるとすれば現状それしかない。
「君は……、ずいぶんと勝手なことを言ってくれるね。そもそもその男を捕まえられる状況にまで持って行ったのはこちらだというのに」
「なるほど、そうだったのですか。ではそれについては感謝の言葉を述べっておきましょう。権利を主張されるなら、ええ、この先彼の身柄は貴方たちに預けて、俺達が何かを聞き出す際も必ずあなた達の立ち合いの元行うことを約束しましょう」
恐らく意図してのものなのだろう、口調の端に苛立ちを滲ませて投げかけられたその言葉に、竜昇の方も意図してしゃあしゃあと、そんないかにも妥協しましたと言わんばかりの態度で、ずうずうしい言葉を口にしてのける。
案の定、そんな竜昇へと向けられる瞳の敵意がさらに強まったのとほぼ同時に、わずかな沈黙を挟んだ誠司が自身の主張を伝えて来た。
「だからそれで納得しろというのかい? そもそも、仮にその取引に僕が応じたとしても、結局は問題が先延ばしになるだけだ。他の階層への移動ができない以上、君達は僕たちとこの階層で、ボスを倒して先に進めるようになるまで過ごさなくちゃいけない。――ああ、そこの彼が扉を開けっ放しにしていてくれたならば、あるいは別の階層に移動できる目もあるけど……。ふむ、詩織のその様子じゃ、やはり望みは薄そうかな」
話す途中で目に見えて顔色を曇らせた詩織の様子に、竜昇と誠司はともに別階層への移動手段が断たれていることを察知する。
正直に言えば、竜昇もその点に関しては多少なりとも期待していたのだが、生憎と現実はそうそう甘い解決手段を用意してはくれなかったらしい。
とは言え、例えそうだとしても、否、そうであるならばなおのこと、この場での竜昇の方針に変更はない。
別階層への道が閉ざされていたことで誠司の言う通り、この場で話を収めたとしても時間稼ぎにしかならないことが確定的になったわけだが、しかし今はその時間こそが何よりも重要なものなのだから。
「……いいよ、わかった。とりあえず今回は、君のその提案に乗ろうじゃないか」
「……ありがとうございます」
やがて、決して短く無い沈黙の果てに返ってきたその言葉に、竜昇は表情に出さぬよう注意しながら心の中で安堵する。
とは言え、流石に誠司の方も竜昇に安堵させるだけで済ませてくれるわけではない。
「けど、これで終わりになるとは思わないでほしいな。どちらにせよ、彼女の疑いについてはっきりさせずに済ますことはできないんだ。僕らはただ優先順位を変えて、先にそっちの男から話を聞き出すに過ぎないんだからね」
「……ええ。わかっていますよ」
誠司の言葉にそう返答し、竜昇はアパゴを抱えて来た城司に、誠司達のことをアパゴの連れだと紹介することで、その身柄を彼らの元へと引き渡すよう促した。
一応竜昇としては、内心かなりの体格を誇るアパゴを彼らがどう運ぶのかについて多少気にはなっていたのだが、その点についてはその全身を繊維質な魔力で包み込んだ馬車道瞳が、さらに左手の籠手を用いて何らかの魔法を使って軽々と持ち上げ、運んでいったのを見て嫌でも納得させられた。
そうして、誠司達が立ち去るのを見送って、その姿が完全に見えなくなったところで、ようやく竜昇はほっと一息ため息を吐く。
「すみません竜昇さん、助かりました」
「いや、静が謝ることじゃないよ。むしろ俺の方こそ、来るのが遅くなってすまなかった」
なまじあんな露骨なやり口を信じるはずがないと、そう信じようとしてしまったことが今回は完全に仇となった。
むろん竜昇とて城司の問題など遅れるに足る理由はあったわけだが、それでもそこまでの大事になるはずがないと高を括って、それが到着の遅れにつながってしまった感は否めない。
とは言え、そのことばかりをいつまでも気に病んでいるというわけにもいかない。
ひとまず事態を膠着状態に持って行くことにまでは成功したが、今のままではいつまた誠司たちが静の捕縛に動き出すかわかったものではないのだ。
それでなくとも、そろそろ時刻は夕方に近づいてきていて、しかも誠司達との関係性に亀裂が生じた関係上、今夜の寝床も探さなければいけない状況なのだ。
まさか今のこの状況で、誠司達が拠点としているあのホテルにまでノコノコ戻る訳にもいかない。
「とりあえず、確か裏の方に職員が寝泊まりするための仮眠室みたいなところがあったはずだから、今夜はそこに拠点を構えよう。詩織さんも、どうにも無効との関係がうまくないようだから一緒に連れて……。おーい、詩織さぁん――!!」
と、暫定的な今後の方針を決めて、竜昇が離れた場所に立ち尽くす詩織に声をかけると、声に反応した詩織が振り返り、そしてどこか思いつめた表情でこちらへとやって来る。
否、それは単に思い詰めているというだけではない。
竜昇はその表情に見覚えがある。昨日彼女が自身の手の内について話してくれた時と同じ、あるいはそれ以上の、彼女が自身の中で何かを決めている時の表情だった。
「ふ、二人とも……、少し、いいかな……。話すことが……、話さなくちゃいけないことが、あるんだけど……」
それは、もしかしたらもっと早くに、竜昇達の方から聞かなければならない話だったのかもしれない。
詩織自身が、自らの傷をえぐるように話し始めるその前に、竜昇達の方から探りを入れて、知っておかなければならない問題だったのかもしれない。
そんな問題を、これまで誰も触れられずにいた事実を、遂に詩織は自らの口から語り出す。
「話しておこうと思うの……。私の、私たちのパーティーのことについて。私たちの間でなにが、どんなことがあったのかって、そういう話を……」
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