157:信頼の天秤
目の前の状況にめまいを覚える。
自分の心臓が、まるで身の内に潜り込んだ異物のように、己の胸のその中で、不気味な悲鳴をあげている。
静の指示の元、愛菜と理香が退避していたホテルへと向かったはずの詩織が、ことが起きるその現場に駆けつけることができたその理由は簡単だ。端的に言ってしまえば、駆け付けたホテルでそこにいた理香の口から、送られてきていた第二のクエストメッセージの存在を聞かされたのである。
どうやら理香の方は、詩織が何かの形でクエストメッセージを目にして、静から逃れて自分たちの元へと逃げ込んできたと見たらしい。
そうした理由もあってか、彼女は詩織に対して、誠司達が静のことも捕縛しようと動いていると情報を明かして、それを聞いた詩織の方が、すでに問題の魔力の音が止んでいたことも相まって、理香の制止を振り払うようにしてこの場所まで泡を喰って飛んできたという訳である。
とは言え、起きている事態を察知して慌ててこの場所まで来てしまったがゆえに、ではこの場所に来てどうするかを詩織はきちんと考えていたわけではない。
彼女にしてみれば、第二のクエストの存在は青天の霹靂で、元のパーティーメンバーと静がぶつかろうとしているというその知らせに矢も楯もたまらず突っ走ってこの場所まで来てしまったというのが実情だ。
現状にどう対処するかはもちろん、自身がどういったスタンスでこの事態に臨むべきなのか、それすら考えずにこの場所まで来てしまった。
そしてそれゆえに、今詩織は何をどうしていいのかもわからないまま、目の前で起こる事態に対して呆然と立ち尽くす羽目になっている。
「やれやれ、返事はしてもらえないのかな、
「――ッ」
そんな詩織に対して、誠司がまるで答えを促すかのように、詩織のことを名前で呼んで話しかける。
思わずびくりと体が反応する。今この場に来なければよかったと、そう思いそうになっている自分がひたすらに嫌だった。
それでも、震えだしそうな手足を必死に制御しながら、何とかしなければという、その感情だけを頼りに頭を働かせて、詩織はどうにか、奇跡のように喉の奥から己の言葉を絞り出す。
「ま、待って、中崎、君……。ヒトミも……。静さんは――!!」
「――ああ、そういえば君だけはスマートフォンを持っていないからこの情報が伝わっていないんだったね。さっきクエストメッセージが来たんだよ。君には隠されていたのかもしれないけど、噂の【決戦二十七士】がこの階層に来たって言うのともう一つ……。そこにいる彼女がこの【決戦二十七士】に内通しているっていう、そんな情報がね」
「そんなッ、そんなこと……、だって、静さんは――」
「自分たちの味方だ、と君はいいたのかもしれないけどね、そもそもの話なぜ君は彼女のことを味方だなんて思うんだい? ……うん、これに関しては、流石に彼女を捕らえてから確認するつもりだったんだけどね。彼女には内通という以前にも、スキルを隠匿しているという疑いさえかかっているんだよ」
「え……?」
不意になされたその指摘に、思わず詩織は反射的にそんな些細な反応を見せてしまう。
スキルの隠匿という、その事実については詩織も心当たりがある。というよりも、その事実はつい先ほど、他ならぬ静の口から理由も含めて明かされていたことだ。
だが詩織のその反応を目ざとく見とがめて、誠司が『おや』という様子で詩織の表情の意味を暴きにかかる。
「ふぅん、その反応、もしかしてもうそっちのパーティー内ではバレていた話だったのかな? こちらではまだ件のクエストメッセージが来たときに、一緒に添付されていた、水着姿の彼女が二枚のカードを所持している写真を見て初めて知ったような状態だったんだが……」
「写真……?」
それは一体どういうことなのかと、詩織の思考があっという間に混乱で満たされる。
小原静が現在の水着に着替えたのは、それこそ彼女が他のメンバーと共にこの階層へ到着したその後の出来事だ。
昨晩会談を行った際、こちらが発見していたカードは【盗人スキル】のもの一枚だけだったため、恐らく誠司たちも現在の水着を着た静がカードを二枚持っているという、その姿を見たことで、静がカードを一枚以上秘匿しているのだという、そんな結論へと達したのだろう。
いったいいつの間に、どんなタイミングでそんな写真を撮られたのかは定かではないが、しかしそれがよりにもよって、事実を明かす前の誠司達の元へと送られていたというのが最悪だ。
これではなおさらに、誠司が静を疑う理由が増えて強固なものとなってしまう。
「……しかし、だとしたら余計にわからないな。その様子だと、君はすでに彼女がスキルを隠していたのを知っているみたいじゃないか? いったいどういう経緯でそれを察知したのかわからないけど、ドロップアイテムの秘匿なんて言う、命に直結するような信頼を損なう行為をしている相手を、どうして君は信じようなんて思えるんだい?」
「それは――、だって、それは静さんが――」
反論しようとして、しかし詩織の喉はそれ以上言葉を続けることができずただ空気が通るだけの洞へとなり下がる。
奇しくもその理由は、詩織と通じるものがあるといった静が同じように考えた理由と非常に近い。
否、近いというより、実際に経験している分その感覚は詩織の方がずっと強固なものだ。
なにを言っても聞いてもらえない。行動の全てが悪意あるものと解釈されてしまうその感覚を、すでに詩織は実体験として知っている
知っているから、もはやその流れにどう抗えばいいのかわからず、そもそも抗うための気力が自身のうちに一向にわいてこない。
なんとかしなければならないという焦燥に追い詰められて、詩織の中で頭を抱えて蹲りたいという欲求がどんどん大きくなっていく。
「ああ、いい機会だ。この際だから君に提案しておこう。
ねえシオリ、この際だからこちらのパーティーに戻ってくる気はないかな?」
「……戻、る?」
「そう。僕もずっと考えていたんだ。なにが僕らにとって最良なのか、その形を。
君が僕らに対してわだかまりのようなものを抱いているのは分かっていた。実際そうなっても仕方がないことをしたと僕らも思ってた。だから君がそっちのパーティーでうまくやれているのなら、君がそっちに行くのもいいんじゃないかとそんな風に思ってたんだ。
けど、君が所属するそのパーティーに、信用できない相手が混じっているとなるとさすがに見過ごせない」
そんな言葉の直後、誠司が『ヒトミ』と短く名前を呼んで、それを合図にことの推移を黙って見ていた瞳が床を蹴りつけ、一気に静の元へと飛び掛かる。
「んなぁぁアアアアアッッッ――!!」
「――ッ!?」
体重を消し、【怪力スキル】の三重強化によって身体能力を底上げした瞳が、一気に静の元まで距離を詰め、手にしたもう一つの専用武装である【如意金剛】の先端に斧の刃を展開して横薙ぎの一撃を叩き込む。
「静さんッ――!!」
ただの金属棍でも致命的だというのに、斧の形態で振りぬかれたその一撃に、その威力を何度も見て知っている詩織はたまらず肝を冷やす。
とは言え、流石に静もここまで生き延びてきただけあって、早いだけのそんな単純な一撃をむざむざ受けるような下手は打たなかった。
速度はあるが直線的なその一撃をあっさりと回避して、そのまま振るわれる金属棍の連撃を回避しつつ、自身も手にしていた十手を振るって瞳に対して応戦し始める。
「待って、瞳――!!」
慌てて止めに入ろうとして、しかしその進路を割り込んできた誠司によってあえなく阻まれた。
飛び込もうとした足を直前で止めて、詩織は否応なく、これまでどこかで避けていた誠司と、正面から向かい合うはめになる。
「……中崎、君、なんで……」
「いい加減仲間のことも考えなよシオリ。君は今何をしようとしていたんだい? 不用意に瞳の邪魔をして、それで彼女を無用な危険にさらす気なのかい……?」
「う、あ……」
丁寧な言葉遣いでありながら、わずかに強まった語気に、それだけで詩織は己の心が萎えていくのを感じる。
頭の中が真っ白になる。ちゃんと立っているはずなのに、バランス感覚が怪しくなって、今にも倒れてしまいそうな錯覚に襲われる。
このままではいけない、何かを言わなくてはならないとわかっているのに何を言っていいかがわからない。
そして何より、なにを言ったところでそれを聞き入れてもらえる気がしない。
「そもそも、なぜ君はそんなにも彼女達にそこまでの信頼を寄せるんだい? 彼女たちなんて、ここ数日の間に出会ったばかりの他人だろう? いくら確執があるとはいえ、元から知り合いだった僕達と彼女ら、どちらを信用するべきか普通に考えればわかると思うんだけどね」
優しげな口調で語られる、まるで聞き分けの悪い相手に言い聞かせるようなそんな言葉。
けれどその言葉を聞いた瞬間、詩織の中にひとつだけ、主張できるものが生まれたような、そんな気がした。
静と、そしてもう一人、竜昇の姿が脳裏をよぎって。
これだけは主張しておかなければいけないと、そう思った。
「他人なんかじゃ、ないよ……」
「ん?」
声がかすれる。
堂々とした主張とはお世辞にも言えない。消え入りそうな声で言葉になるそんな想い。
「他人じゃ、ないの、もう……!! 何度も、助けて、もらったの……。こんな私を、許してもらえたの……。通じるものがあるって、そう言ってもらったの……、だからッ――!!」
「――わかった、もういいよ」
必死の思いでそう訴える詩織に対し、しかし誠司はそんな言葉と共に、杖を持つのとは逆の手を詩織に向けて突きつける。
ピストルを構えるような、親指と人差し指を立てた手の形。その構えには、詩織自身はっきりと見覚えがあった。
「中、崎君……」
「まったく、君って人は本当に、浅はかで、かつ身勝手だ……。だからもういい。今は何も手出ししないでくれればそれでいい。けれどもし逆にこの場で僕らの邪魔をしようというのなら、そのときはたとえ君が相手でも容赦は期待しないでもらう」
同時に、纏うマントから覗く杖持つ左手、彼がそこに装備する特別製のガントレットのその中で、中に仕込まれた一冊の魔本が魔力を注がれ光を放つ。
中崎誠司が装備する三冊の魔本の一冊、竜昇が持つものと同じ手帳型で、誠司が戦闘の際に最も多用する思考補助型の簡易魔本、『明晰の魔導書』が起動し、その効果を発揮する。
もとより互いに手の内を知り尽くした間柄だ。誠司が見せたそれらの行為、その意味が解らないほど詩織は愚鈍ではない。
同時に、それまで穏やかに振る舞っていた誠司の顔に、隠しきれない苛立ちと怒りがにじみ出るのを詩織ははっきりと感じ取る。
それは長く行動を共にしていた詩織ですら初めて見る誠司の表情。
ぶつけられたそんな怒気に、詩織の全身に震えが走り、己の中に生まれたばかりのその感情が、早くもあっさりと二つに折れそうになって――。
「そこまでだぁァアアッ――!!」
その瞬間、聞き覚えのある声が、しかし聞いたことのない音量でそう叫ぶのを詩織は耳にした。
ほとんど反射的に詩織が声のした方に視線をやると、同時に誠司が何かを察したように声をあげる。
「ヒトミッ、そいつに触るな――!!」
素早いその指示も一歩遅く、誠司が声をあげたのとほぼ同時に静に攻撃を仕掛けていた瞳が『うわっちっ』と何やら悲鳴をあげて飛び上がる。
見れば、瞳と静、相対する二人のその間に、いつの間にか飛来した雷球が割り込んで両者の接近を阻んでいた。
どうやら先ほどの悲鳴は、瞳が勢い余って急に割り込んできたその雷球の一つに接触してしまったことによるものだったらしい。
感電したにもかかわらず、変わらずその手に武器を握り、戦意を見せる瞳の向こうで、その雷球を操る術者がいっそ堂々とした様子で姿を見せる。
「……これは、どういうつもりかな、竜昇君?」
「それはこちらのセリフだと思いますが。これがいったいどういう事態なのか、是非とも説明をお願いしたい……!!」
左手に魔本、右手に詩織が渡した【応法の断罪剣】を携えながら、現れた竜昇が周囲に浮かべた雷球から火花を散らす。
詩織から向けられる、現状打開への期待をその身に浴びて、息を切らし、感情を押し殺した様子の竜昇が先ほど誠司たちも通ってきた通路の出口でその状況を見つめていた。
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