143:特異なる存在

 竜昇達が詩織と合流し、静が詩織から必要な情報を聞き出して何らかの真相に至った後、しかし実際にその真相について説明されるまでには若干の時間的な空きがあった。


 事の発端は、詩織と共に先にこの場所に来て入浴を楽しんでいた城司が、サウナに移動すると言い出したことにある。

 相も変わらず、この場所を普通のウォーターパークであると信じてしまっている以上、城司のその言動はまあ仕方がないことだったのだが、そんな城司の様子を見て、なにを思ったのか静までもがこの場での入浴を希望し始めたのである。


 曰く、『せっかくお風呂に来たのですから、のんびりお湯につかって話しましょう』とのこと。


 まあ確かに、いくら重要な話だからと言って立ち話もなんであるし、別に竜昇とて入浴が嫌いと言う訳でもない。

 竜昇としては、なにもこのタイミングでなくてもという思いはないでもなかったが、しかし静の方にも何か意図があるのだろうとそう判断して、その意図がわからないながらもとりあえずその提案に乗っておくことにした。


 提案に乗って、そして即座に後悔した。

 恐らくは提案した静が、まったく頓着していなかっただろう、そんな理由によって。


「――う、ん……。ああ、何というか、生き返ったような気分になりますね」


 城司が入っているサウナが見える位置にある、四、五人の人間が円卓を囲むように入れる家族用(?)と思しき大型のジャグジーに浸かりながら、入浴の提案者である静が両腕を上に大きく伸ばして大胆にもそんなことを言う。


 そんな、見るからにリラックスした様子の静に対して、その対面に座ることとなった竜昇は酷く居心地の悪いような、落ち着かない気分を味わっていた。


なにしろ静ときたらくびれがすごい。

 ――間違い。なにしろ今の竜昇の目の前では小原静と渡瀬詩織という、それぞれ別の意味でスタイルの良い少女二人が水着姿でお湯に浸かっているのである。


 当り前の話だが、入浴するとなれば当然服のままでとはいかない。

 一応、ここは男女共用の入浴施設である関係上、別段裸になる必要まではなかったが、それでもお湯に浸かるとなれば上に着ているものくらいは脱ぐ必要がある。


 先ほどまでは、静もまだパーカーを羽織っていて肌の露出も少なかったが、しかし今は入浴するとなったことで上着を脱いだことで、肌の露出がこれまで以上に増えていた。

竜昇とて二人の水着姿を見るのは初めてではないが、こういうのは見た経験があったとしても慣れるようなものでもない。

 先ほどから竜昇も二人の姿を直視しないようできうる限りの努力はしているのだが、しかし気付くとなぜか視線が彼女たちのくびれやふくらみへと吸い寄せられている。

 抗いがたい、圧倒的な誘因力。もはや竜昇には、男という生き物に生まれてしまったことを嘆くよりほかにできることなどありそうになかった。


「――ふふ、どうやらこの格好、竜昇さんにはなかなかに好評のようですね。それだけでも、選ぶときにいろいろと迷った甲斐があるというものです」


「――ッ、ちょ、なんのことかなッ!?」


 そんな竜昇に対して、どこか楽しそうな様子でそういう静に、竜昇は反射的にそう見えを張って白を切る。

 だが悲しいかな、どうやら竜昇の視線の動きなど、静かからは手に取るように見通されてしまっていたようだった。


「いえ、実を言いますとこれを選んだ時は着られるのならもう何でもいいのではないかと思っていたのですが、せっかくなら似合うものを選んだ方がいいかと思いまして……。詩織さんと二人でいろいろと悩みながら選んでみたのです」


「あふ――」


 突如として話を振られて、二人のちょうど真ん中あたりでお湯に浸かっていた詩織がなにやら奇妙な声を漏らして反応する。

 彼女は彼女で、竜昇とは別の理由で居心地悪そうに、身を縮めるようにしてお湯の中に身を沈めていた。

 あるいは、本人としては常に泡の吹き出すジャグジーに肩まで身を沈めることで自分の首から下が見えにくくなることを祈っていたのかもしれないが、生憎とお湯の透明度は当然のように高く、目隠しの役にはまるで立っていない。さらに自らの体を抱くようにしたその態勢も、日本の腕だけでは隠し切れない己のふくらみを浮かないように抑えているようにも見えて、これはこれで妙な艶めかしさを醸し出していた。

 そんな自身の状態を知ってか知らずか、声に反応して竜昇が詩織の方へと視線を向けると、タイミング悪くこちらへ向いていた詩織と竜昇の目が合った。

 気まずい沈黙が場を満たし、真っ赤になった詩織がブクブクと音を立てつつ顔の半ばまでをお湯の中へと沈めていく。


「――とッ、ところで静、さっき気付いたことについてだけど、そろそろ話してくれないかッ」


 このままではいろいろとまずいと、そんな直感に従い、竜昇はまるで苦し紛れのように急遽話題を切り替える。

 とは言え、静が何に気付いたのか、その内容が気になっていたというのも実際嘘ではなかった。話の切り出し方が若干真剣味のかける形にはなってしまったが、いい加減本題に入りたいというのも紛れのない本音である。


「そうですね……。お湯につかっている間に私の方でも考えがまとまってきましたし、体を休めながらでもそろそろ聞いていただきましょうか。本音を言うと、もう少しお二人の様子を眺めているのも楽しかったかも知れませんが」


 最後に意地悪気にそう言って笑い、しかし直後には静はその身にまとう空気を真剣なものへと一変させる。

 静が醸し出すその雰囲気に触発されて、竜昇と詩織の二人が否応なく自身の意識を引き締めると、それを待っていたかのように静が口を開いた。


「――そもそも最初にあった疑問点は、どうして及川さんと城司さんの二人だけがあんな状態になってしまったのかという点です。朝方詩織さんが察知した未知の魔力、この階層にいた全員がその影響下にあったはずなのに、なぜあの二人だけにあんな現実を見失うような症状が出てしまったのか」


「それ、誠司さん達との会談の時から言っていたよな。二人の共通点、あるいはああなってしまうにあたって満たしてしまった条件が何かを探る必要がある、って……。それで、それがさっき詩織さんに聞いていた――?」


「ええ、そうです」


 会談の場にいなかった詩織に対して軽く注釈を入れる形で応じた竜昇に対し、静が頷きながら詩織の方へと視線を向ける。

 彼女が詩織に対してした質問、その内容は傍で聞いていた竜昇自身、多少の時間がたってもはっきりと覚えていた。


「それにしてもどうしてわかったんだ? 及川さんが城司さんと同じ、最初から・・・・スキルレベル・・・・・・をカンスト・・・・・した状態で習得・・・・・・・できる・・・人間・・だった・・・ってことが」


――『もしかして及川さんは最初からスキルをレベル一〇〇の、完全な状態で習得できる方だったのではありませんか?』


 それこそが、静がこの浴場エリアに飛び込むなり、詩織に対して問いかけた質問の内容だった。

 そしてそれに対する詩織の答えは、言葉にこそならなかったものの明確なまでの肯定。彼女にしてみても、なぜ突然そんなことを言い当てられたのか訳が分からない状況だったことだろう。


「竜昇さんに言われて思い出しましたが、昨晩誠司さん達との会談を行った際に、誠司さんは『重要なスキルは及川さんに回していた』と言っていました。

 思えばその時に疑問に思うべきだったんです。そもそもなぜ彼らの中で及川さんがそんなに重要なスキルを習得させられていたのか。私達は本来の及川さんの人柄を知っているわけではありませんけど、少なくともこれまで得られていた情報の中に、彼女が特別戦闘に秀でているような話は聞かれませんでしたから」


 確かに、それは竜昇も本来疑問に思うべき問題だった。

 思えば第二層で発見した詩織が残した手紙の中でも、及川愛菜に関してはわずかながらも記述が残っていた訳だが、その記述にしたところで決して彼女の強さやしたたかさを表すようなものではなかった。

 むしろ『マナでさえ』という記述はその逆、本来であれば彼女がこうした荒事に不向きな性格であることを示唆していたくらいである。

 あるいは、弱かったからこそ様々なスキルを与えて補強した、と見ることもできるかもしれないが、それ以上にもしもあのパーティーの中で彼女だけが、他の人間にはないアドバンテージを持っていたのだとすれば、荒事に不向きなはずの彼女に対して重要なスキルを回したというその判断にも一定の合理性が見いだせる。


 たとえばそう、竜昇達のパーティーにおいて入淵城司がそうだったように、及川愛菜と言う少女が最初からスキルをレベル一〇〇の完全な形で習得できるという、そんな絶大なアドバンテージを持っていたのだとすれば。


「……それこそがあの二人の、あの二人だけが朝の魔力の影響を受ける原因になった、共通点……」


 静が暴いたその事実を、竜昇は喉をすんなりものが通るような、ある種の納得感と共に受け止める。

 もちろん、二人に共通点が見つかったからと言って、それが即座に問題の魔力の影響を受けてしまった理由とは言い切れない訳だが、今の竜昇には静が導き出したその答えが、恐らく正解なのだろうと確信できる、なんとなくしっくりくるものとして感じられた。


 ただし、これだけならば、先ほど静が詩織にぶつけた質問によって竜昇もある程度推察できていた話だ。

 問題の根本、静が気付いた本当に重要な事実は、恐らくここからさらに先がある。


「――ところでお二人とも、上の監獄で出会ってすぐのころ、城司さんが気になることを言っていたのですが気付かれましたか?」


「気になること……? いや、ごめん心当たりがないな」


 振られた質問に、竜昇は一瞬記憶を探り、しかし思い当たる節が無いと首を横に振る。

 どうやらこれに関しては詩織も同様だったようで、彼女が見せた反応も竜昇と同様のものだった。

 恐らくは静自身も、その反応はある程度予想していたのだろう。二人の反応を見届けた後、さして落胆した様子もなく話を続ける。


「そうですか……。まあそれも仕方がないのでしょう。私とて城司さんのその物言いを聞いたそのときには大して気にも留めていなかったですから……。

実はあの時、城司さんはこう言っていたんです。『俺がこのビルのヤバさに気付いてさえいれば』、と」


「……え、っと、ごめん静さん、それって何かおかしいの? こんなビルに入っちゃったら、普通はみんな同じように考えると思うんだけど……」


 静の物言いに、恐らく実際に嫌と言うほど後悔しているからだろう、詩織がおずおずとそう反論するように問い掛ける。

 このビルの中がこんな危険地帯だとは思わなかった。その後悔はビルの中に入ってしまった人間が、恐らくは必ず一度は思うであろう共通した後悔だ。

 そう思っていたからこそ、恐らく竜昇も城司のその言葉を聞いた時には特に気にはならなかったのだろうが、しかしその言い回しの不自然さを静だけは見逃していなかった。


「確かにビルの中がこんな場所であることを知れば、誰でも多かれ少なかれビルの中に足を踏み入れたことを後悔するでしょう。ましてや城司さんの場合は、娘さんである華夜さんを誘拐されているのですからなおさらです。

――ですが、それを言うならなぜ城司さんは娘さんを伴ってこんなビルの中に足を踏み入れるような真似をしたのでしょうか?」


「それは……」


 言われてみれば、確かにそこは少々奇妙な部分だった。

 町中に突然現れて、しかも一部の人間以外はそのことになんの疑問も覚えない【不問ビル】。その建物の異常性は、少なくともあのビルを気にすることができる人間ならばわかりやすすぎるほどに明らかだ。

 にもかかわらず、城司はこうしてそのビルの中に足を踏み入れている。

 しかも命に代えても守りたいという、ならば必然、危険になど近づけたくなかったはずの娘を伴って。

 果たしてそれは、いったいどういった事情故に起きた事態だったのだろうか。


気付いて・・・・いなかった・・・・・としたら、どうでしょうか」


「え?」


「もしも城司さんが、この【不問ビル】の異常性に気付かないまま、あるいはその異常性を気に・・しない・・・まま・・このビルの中に入ってしまったのだとしたらどうでしょうか」


「――!?」


 言われた言葉を理解して、しかしそれによって竜昇の思考は即座に混乱に満たされる。

 なぜならそれは、本来ならばそもそもあり得ない、あり得ないと思っていた可能性だからだ。

 【不問ビル】の異常性に気付かない、あるいは気付いているはずなのに気にしていない人間というのは確かにいた。というよりも竜昇達の様な一部の例外を除けば、ほとんどの人間がむしろそちら側に位置する者達だった。

 そしてそもそも、そう言う人間は【不問ビル】に足を踏み入れようとは考えない。

 明らかに異常性の塊であるはずなのに気にも留めず、興味を抱かず、故に一切の調査も行わない。

 それこそがこれまで、竜昇達以外の通常の人間たちがこの【不問ビル】に対してとってきた、文字通りの意味でビルの存在を『不問』とする対応だったのである。


 それ故にそんな可能性はありえないと、竜昇はこれまでずっとそう思っていたのだ。

 そもそも興味すら抱いていないのだから、そんな者達がこのビルに足を踏み入れることなどないだろうと。


「確かに普通に考えてこのビルに興味の無い人間がビルの中に入ろうなどとは考えないでしょう。ですが城司さんの場合は少しだけ事情が異なります。もしも城司さんの娘である華夜さんが・・・・・・・・、この【不問ビル】の異常性に気が付いて、警察官である父を頼って城司さんを・・・・・この不問ビル・・・・・・に連れてきた・・・・・・のだとしたら・・・・・・、城司さんは【不問ビル】の異常性や、気付いてしかるべき危険性に気付かないまま、私達と同じようにノコノコとこのビルの中に足を踏み入れてしまう事態になりえます」


「「――!!」」


 語られる静の推測に、竜昇と詩織はほとんど同時に衝撃を受けて息をのむ。

 確かに、それならばありうる・・・・

 【不問ビル】に対して興味を一切持たぬまま、それでもビルの中に入ってしまうという矛盾した展開が、そういう経緯であれば確かに現実のものとして生じうる。


「そしてもう一つ、他人に連れられてこのビルに入ってしまうという展開がありうるのでしたら、その他人はなにも城司さん達のような親子関係でなくとも構いません。兄弟や恋人、それどころか友人やクラスメイトであってもそうした展開はありえます」


「友人や、クラスメイトって、……!!」


 静の言わんとしていることを理解して、竜昇は思わずその視線を詩織の方へと向けてしまう。

 そしてそれだけで真偽の確認などしなくても十分だった。

 湯につかっているというのに、顔色を失う詩織の表情を見てしまえば、静の言うことが当たっていたかどうかなど改めて問うまでもない。


「やはりそうだったのですね……。あなた達のメンバーの中で、及川愛菜さんだけはそもそも【不問ビル】の異常性に気付いていない、いえ、気付いていても気にしていない普通・・の方だった。彼女はあくまで誘われたからついてきただけで、自分で望んでこのビルに足を踏み入れた訳ではない……。いえ、ひょっとすると詩織さんも誘われた側だったのでしょうか? 詩織さんの性格から考えて、こんな危なっかしいビルに自分から近づくとは考えにくいですし……」


「わ、私は……」


 聞きようによっては追求にも近い静からの問いかけに、詩織はなにかを言おうと葛藤して、しかし結局なにも言うことができずに言葉を飲み込む。

 本当なら、竜昇もなにかフォローを入れるべきだったのかもしれないが、しかしさしもの竜昇もこのときばかりはそれができるほどの心の余裕はありはしなかった。

 なにしろ今の竜昇の脳裏ではもたらされた情報がとんでもない事実と連なって渦を巻いている。


「ちょっと、待ってくれ。もしそれが事実なんだとしたら、じゃあ俺たちと城司さん達のちがいって――!!」


「――そうです。私達にはない、あの二人のもつ特異性。いえ、厳密には本来私達の方が少数派なのですから、特異性を持っているのは私達の方と見るべきなのでしょうか」


 なまじビルのなかに入ったことで、人数の比率が逆転して事態を分かりにくくなっていた。

 城司の娘である華夜を含めた五人のなかで、異質な反応を見せていたのが城司一人だけだったことが、どちらが少数派であり、特異な存在なのかを分かりにくくさせていた。


 未知の技術に関する情報や知識を、意識に直接刻み込んでいると、そう捉えることもできるスキルシステム。

 もしも、そんなスキルの影響をダイレクトに受けてしまう人間が、この階層に置いて精神に変調をきたす人間と同一であり、そしてこのビルの外でビルに対する関心を失ってしまう人々と同一の存在なのだとしたら。

 ならばいったい、その三つの条件の一致は何を意味しているのか。



「――精神干渉系の・・・・・・魔法が効かない・・・・・・・


 そうしてついに、竜昇達は真実の一端にたどり着く。


「記憶操作や興味・認識の阻害、そしてスキル……。そうした、いわば精神干渉系とでも呼ぶべき魔法が正常に効果を発揮しない。それこそが、城司さん達特殊な事例のプレイヤーや、外にいる普通の方々と私達との決定的な違いだったのではないでしょうか?

 恐らくはこのビルが出現する前から持っていた、そんな私達の特異性こそが――」

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