139:緊急会議
昨晩の会談で取り決められた、これから会談は毎日夜に行うという約束は、交わされたその翌朝にはさっそく破られることとなった。
なにしろ夜を待つ余裕もないほど突然に、竜昇達を取り巻く事態が急激に変化したのだから当然である。そもそも、たった二つのグループの、参加人数四人のごくごく小規模な会談だったことも相まって、この深刻な事態のさなかにいちゃもんを付けるような人間はどこにもいなかった。
「やはり城司さんも愛菜さんと同じ症状のようです。自分はこのウォーターパークに遊びに来たと思っていて、それと矛盾する事項も、頭の中で適当なつじつま合わせがなされている」
誠司と理香、そして静の、その場に集った三人に対して、竜昇は先ほど城司と会話してわかったことのありのままを報告する。
ちなみにこの情報は、城司の体の、まだ怪我が治り切っていなかった箇所の傷口が開いてしまったため、城司をどうにか言いくるめて手当を行った際にようやく聞き出した情報だった。
あんな怪我、普通ならもっと痛がってもよさそうなものだが、どうやら城司は怪我の存在そのものを忘れていたらしく、指摘されてもなおほとんど気にした様子も見せなかったのである。
それでもどうにか包帯を巻きなおし、【治癒練功】で傷を塞いで傷を完治まで持って行く。
本来ならば【治癒練功】はあまり使いすぎると傷や疲労を回復してくれる代わりに体力を持って行ってしまうため、あまり一度に、一気に治癒を行わない方がいいのだが、しかし今回はむしろ城司の体力を奪う目的で一気に治癒を行った。
正直あまりやりたい手ではなかったのだが、しかしいつ傷が開くかもわからない状況で遊びまわられるよりははるかに良い。
結果、狙ったほど城司を消耗させることはできなかったが、それでも傷の治癒に栄養を持っていかれたためか空腹を覚えた城司は、現在詩織の付き添いの元外のレストランで食事をしている。
予定では、この後浴場スペースに足を運んで日ごろの仕事の疲れをゆっくりいやすらしい。
「なんともまあ、狂気の沙汰ですね」
竜昇の報告を聞いて、その様子を見ていなかった静がそんなシャレにならない感想を漏らす。
実際、その言い回しは本当にシャレになっていない。なにしろここはウォーターパークを再現してこそいるが、いつ敵に襲われるかも定かではない不問ビルの中なのだ。そんなビルの中でのんびりバカンスを楽しむなど到底正気とは言えないだろう。
だがその狂気も、何者かによって仕組まれていたのだとしたら話は別だ。
「それで、やっぱり例の魔力を放っていた敵の手がかりはつかめなかったんですか?」
「残念ながら、ね。あの後四人がかりで探し回ったけど、それらしい敵の存在は影も形も見つからなかった。肉眼ではもちろん、僕の索敵網や渡瀬さんの耳、これは通常の音と【魔聴】、だっけ? 君たちがそう名付けた例の共感覚を含めての話なんだけど、そんな彼女の耳でさえ何の音も拾えなかったんだ。正直彼女なら見つけられるんじゃないかと思ってたんだけどね……」
竜昇の質問に対して、誠司は落胆を隠すように軽い口調でそう言って肩をすくめる。
ちなみに、話に出てきた詩織は今この場所にはいない。
彼女に関しては誠司たちとの関係にまだ心の整理がついていないことも相まって、今は浴場エリアに言っている城司の護衛についてもらっている。
幸いこのウォーターパークはプール以外の施設も水着で入る形となっているらしく、男女で浴場も分かれていないためその点に関しては問題なく同行させられた。
同じように、むこうのパーティーの馬車道瞳も及川愛菜について、むこうは今日もプールに遊びに行っているらしい。
こうも連続で飽きることはないのだろうかと妙な心配もしたものだが、しかし当の本人はあまり飽きた様子はないらしい。あるいはそう言う部分にも、件の魔力の影響が及んでいるのか。
「まあ、彼女のおかげでこの魔力を察知できたのはやっぱり大きな進歩だ。もし彼女がいなければ、僕らはいまだに件の魔力を察知できないまま、あるいは全員があの状態になるまで気づけなかったかもしれない。……もっとも、一人ならともかく、二人以上あんな状態になっていたら流石におかしいとは思っていただろうけどね」
自分の発言がいつの間にか詩織に責任を押し付けるような言葉になっていると気づいたのか、若干フォローするように誠司がそんなことを言う。
確かに、精神的に弱っていたという愛菜だけならばいざ知らず、他のメンバーがまったく同じように現実認識に異常をきたせば流石に誰でもおかしいとは思うだろう。
実際、城司に関して言うなら昨晩まで極端に精神が弱っているような様子は見られなかったのだ。彼に関しては娘の華夜の行方不明という、他のメンバーより切迫した事情はあったものの、しかしそうした事情がむしろ城司に強い目的意識を与えていたという側面がある。城司自身が無理をしていた部分は恐らくあるだろうが、それにしたとていきなりあんな状態になってしまうというのはどう考えても異常な事態だった。
「それにしても少し意外ですね……。上への扉が閉ざされてしまったというのに、皆さん随分と冷静に見えます」
と、そうして城司たちの現状確認が終わったところで、静がそんな、ある種の爆弾のような話題へと自ら踏み込む。
竜昇の本心としては、この話題はできれば避けて通りたいものだったが、しかし現実的に考えるなら、これはどうあっても避けて通る訳にもいかない問題だった。
昨晩までの段階では、この階層と上の階層を繋ぐ階段、そこに通じる扉は、前の階層で調達した鎖などでしっかりと固定されていた。
これは扉が閉まってしまうことで前の階層に戻れなくなることを防ぐための処置だったのだが、あろうことか城司はこの扉の固定を外して扉を完全に閉めてしまったのである。
案の定、先ほど理香と詩織の両名が確認に向かった時には、もう扉は閉じてしまい、どう頑張っても開けることができなくなってしまっていたらしい。
恐らくこれまでの予想から考えて、もはやこの上の階のあの監獄とのつながりは完全に途絶えてしまったと見ていいだろう。
それはつまり、先に進むための道筋が見えないこの階層の中に、竜昇達は完全に閉じ込められてしまった形となる。
しかもとりわけまずいのは、この扉を閉ざすという暴挙を成してしまったのがこちらのパーティーの城司だということだ。
もちろん、その行動は現在のように正気を失ったと言っていい状態での行動であり、もっと言えば敵によって操られたと考えてもいい状態でのものなのだから、彼の責任を問うべき問題ではないのだが、しかしこの命の危機が付きまとうビルの一階層に閉じ込められた状態で、そんな道理がどこまでまかり通るかはわからない部分がある。
それでなくとも、直前まで竜昇達は城司と行動を共にしていたのだ。
最悪の場合城司が責任を問われることは避けられても、一番近くにいながら城司の異常を察知できず、彼を止められなかった竜昇達が責任を問われる展開は十分にありうる。
否、責任を問われるだけならまだいい。と言うよりも、こちらが責任を問ってそれで話が終わってくれるなら、むしろ竜昇としてはそれは望むところなのだ。より恐ろしいのは、むしろこの件が白黒つかないまま後々二つのパーティーの感情的しこりへと発展してしまうことである。
そんな考えがあった故に、竜昇としては誠司たちがこの件をどう受け止めているのかと内心戦々恐々としていたのだが、実際に見られた誠司たちの態度は予想以上にあっさりとしたものだった。
「まあ、考えようによっては悪いことばかりじゃないからね。むしろ今回のことで、話はだいぶ分かりやすくなった」
「わかりやすく、ですか?」
「だってそうだろう? もしもあの二人の状況が、あくまで彼女達自身の精神的な問題だったのならば、正直僕らには手が出せなかった。なにしろ僕らは精神科の医者って訳じゃないし、その手の知識を持っているわけでもないからね。
けど、これが敵からの攻撃だったって言うなら話は単純だ。先に進むのも二人の症状も、攻撃の主だろうこの階層のボスを倒せばそれで片が付く訳だからね」
「それは、まあ確かに……」
誠司のそんなひどく前向きな考え方に、竜昇は戸惑いつつもどうにか同意する。
確かに、考えようによっては状況はむしろ単純化されたと言ってもいい。
二人の症状が敵の攻撃によるものだとするならば、その敵を倒せば二人も元に戻るという考えも、流石に断言まではできないがある程度の妥当性はあるだろう。
ただ、そう思う一方で竜昇にはその事実を指摘した誠司の様子が少し気になった。
確かに言っていることはもっともで、竜昇自身少し落ち着けば同じことを思ったかもしれないと、そんな風にすら思うのだが、しかし何かが腑に落ちないというそんな感覚。
それがいったい何に起因する感覚なのか、竜昇自身が理解に至るその前に、しかし話の方は竜昇の考察など置き去りにどんどん先へと進んでしまう。
「とは言えそうなると問題になるのは、やっぱりこの階層のボスがいったいどこに隠れているのかってことだ。と言うかそもそも、攻撃の直後に探し回って、あの詩織さんでさえ見つけられなかったって言うのは、いったいどういう状況なんだろう?」
「問題はもう一つあります」
誠司の意見に、続けて静が冷静な口調でそう付け加える。予想外の発言だったのか、誠司は少しだけ驚いたような表情を見せたが、しかしすぐに気を取り直して静の言葉に耳を傾けた。
「もう一つ、というと?」
「なぜこの敵の攻撃が愛菜さんと城司さんの二人にしか影響を及ぼしていないのか、です。
城司さんがあの状態になったのは、恐らく今朝、詩織さんが察知したあの魔力に接触したのが原因でしょう。ですが、それを言うなら私達もその魔力は浴びています。実際には気づいていなかっただけで、そちらの愛菜さん以外の三人にも同じことは言えるはずです。
あの魔力が具体的にどういう効果を持つものだったのか、催眠術の様なものなのか、それとも記憶の改ざんや洗脳に類するものなのかは定かではありませんが、愛菜さんと城司さんに影響が出て、私達には何の影響も出ていない、その理由は一体何なんでしょう?」
その問いかけに、しかし誠司は意表を突かれたかのような顔を見せ、すぐにその答えを探して考え込む様子を見せる。
数瞬のうちに導き出すのは、恐らく真っ先に思いついたのだろう一つの回答。
「それは……、例えば、強い精神を持っている人間には効きにくい、とか?」
「強い精神、というのは具体的にどういう精神なのでしょう? そもそもの話、私には城司さんがそんなに精神的にもろい方のようには思えなかったのですが……」
「肉体が弱ると精神も、という話もあるけど?」
「それはそうですが、そもそもその肉体の方も竜昇さんの治療で大分快方に向かっていました。城司さんの場合は個人的に、私達にはない問題も生じていましたけど、それとて精神的に弱くなる、という事態にはそぐわない気がします」
恐らくはこの場にいる誰よりも精神が強いだろう少女のその意見に、一方で竜昇も『確かに』と心の中でそう同意する。
静の言う城司の抱えていた問題というのは、むろん彼の娘である華夜のことだ。【決戦二十七士】の一人たるハイツにさらわれ、未だその行方が知れない彼女の問題は、確かに城司が抱える固有の問題ではあるものの、しかしその問題は彼を焦燥に駆らせる要因にこそなれ、精神的に弱らせるものとは少し違う気がする。
さらに言うなら、静が僅かな逡巡の後に発したもう一つの意見こそ、ある意味ではその場にいる全員にとって決定的なものとなった。
「加えて言うなら、精神的に弱っているというのなら、こう言っては何ですが城司さんよりもはるかにその条件に合致する人間を一人知っています。むしろそれは、他ならぬあなた方の方がよくわかるのではありませんか?」
「渡瀬さんのことか……」
静の問いかけに、誠司は瞬時にそう察して詩織の名字を口にする。
やはりというべきか、彼女に対する印象はこの四人の中でも一致していたらしい。
「やっぱり、彼女の様子は貴方から見てもそう思えるものなんですか?」
「……まあ、ね。元々の彼女は、こう言っては何だけど今の彼女よりずっと明るかったんだよ。うちの瞳と二人で、クラスのムードメーカー的なポジションにいたって言えば多少は伝わるかな?」
「ムードメーカー、ですか?」
返ってきた答えに、しかし竜昇はにわかには信じられないというそんな気分に襲われる。
それは、竜昇が抱く渡瀬詩織という少女の人物像とはあまりにもかけ離れたものだった。
少なくとも竜昇には、詩織がクラスで明るく振る舞っている様子というものをちょっと想像するのが難しい。
「まあ、今にして思えば、クラスでの振る舞いは彼女なりの処世術だったのかもしれないけどね。加えて、こんなビルの中だ。僕らの責任もあるとはいえ、彼女がどんな目に遭ったかを考えれば、あんなふうになってしまうのも無理はないと言える」
なにはともあれ、どうやら詩織の精神状態に関する見解は四人の中で一致を見たようだった。
そして、一度そうした見解が一致してしまえば、先ほどの疑問が再び首をもたげてくる。
すなわち、心が弱っている人間がこの洗脳、もしくは暗示の対象になってしまうというのなら、あそこまで消沈している詩織がなぜあの二人と同じような症状に陥っていないのかというそんな疑問が。
「これがもし、誰にも感じられなかった問題の魔力を音として察知できるという、詩織さんの特異性によるものだというのならさして問題はありません。いえ、実際は問題は山積みですが、例えば精神的に弱っていてもあの魔力に対して『身構える』ことができれば効果を受けずに済むというのなら、残る私達も何らかの対策を打つこともできます。
問題はそれ以外、あの二人が私達の知らない、何らかの条件を満たしてしまったがゆえに術中にはまってしまっていたという場合です。
なにしろその場合、今残っている私達もその条件を満たしてしまえば同じように術中にはまってしまう危険がある訳ですから」
静のその指摘に、流石にこの場の他の三人も言葉を失って静まり返る。
加えて言うなら、その指摘からさらに嫌な可能性が頭をよぎってしまったことも竜昇の沈黙に拍車をかけた。
もしもこの精神干渉に何らかの条件があったばあい、最悪竜昇たち自身に気付かれずにその条件を満たさせるべく、すでに精神干渉を受けた人間、例えば及川愛菜や城司と言った二人がなんらかのアクションを起こす可能性も否めない。
それは例えば、城司がなんの悪意もなく、竜昇達の退路を断ってしまったように。
この階層に潜むなんらかの敵が、自身の支配下にある人間を増やすべく、まるで病気を感染させるように支配を広げていく危険性も十分にありうる。
「そちらのおっしゃりたいことはよくわかりました。こちらでも、愛菜さんがああなってしまう前に何らかの条件を満たしてしまっていなかったか、仲間内で心当たりを当たって見ましょう。
……とは言え、正直こちらは特定できるかどうか見込みは低いと言わざるを得ません。やはりこの階層のどこかに潜むボスを探し出し、それを討伐してしまうのが一番手っ取り早いかと思います」
生じた沈黙を守るように、誠司に代わってこれまでその隣に控えていた理香が眼鏡を直しながらそうまとめる。
理香の言う通り、静の言うところの条件を割り出すのは相当に困難だ。なにしろ事例が二人しかいない上に、その二人の行動とて誰かが一日中監視していた訳ではない。
ならば、やはりボスを探した方が成功の確率は高いとも言えるのだが、しかし生憎とそちらに関しても、どこを探せばいいのか、見当すらついていないというのが現状だ。
「そうでもありません。実際にそこにいるかどうかまでは定かではありませんが、今こうして話している間に一か所、まだ探していない場所があるのを思い出しましたから」
竜昇の指摘に、理香が表情を変えぬままそう返答する。
全員の視線が集まるその中で、理香は冷静な口調で思いついたその場所を口にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます