138:安寧強授

 事が起こったのは翌朝、まだ竜昇が眠りについていた時だった。


「――竜昇君、竜昇君起きて――!!」


 時刻としては明け方近く、静の勧めに従い、就寝していた竜昇を切迫した詩織の声が叩き起こしたのである。

 相も変わらず【不問ビル】の中とは言え、それでもホテルというフィールド故になかなかの寝心地のベッドで久しぶりに心地よく眠っていた竜昇は、しかし天国から地獄とばかりに否応なく夢の中から引きずり出された。

 とは言え、頭がうまく回るようになるまでにはそれほど時間はかからなかった。

 詩織に叩き起こされる、それが何を示しているのか、その事実に思い至ったことで、寝ぼけていた頭が急速に覚醒する。


「――敵襲かッ!?」


 すぐさま飛び起き、布団を蹴り飛ばしてベッドの上から転がり下りる。

 寝る前に枕元に置いておいた魔本を掴み取り、すぐにでも状況を確認し――。


「落ち着いてください竜昇さん、それは電話機です」


「――お、おう」


 ――ようとして、詩織と共に起きていた静に突っ込まれて、ようやく自分が掴んでいるものが目的のものと違っていたことに気が付いた。

 思わず頬が熱くなるのを押し殺しながら、今度こそ目が覚めたような気分で枕もとにあった【雷の魔導書】と、受話器ごと掴み取っていた据え置きの電話機を交換する。


 酷く出鼻をくじかれたような、しかし逆に冷静さを取り戻したとも言えるそんな気分で、竜昇は気を取り直して自分を起こした詩織へと問いかける。


「えっと、詩織さん、なにかあったんですか?」


「あ、えっと、音が、聞こえるの」


 そんな竜昇に自身も本来の用件を思い出したのか、慌てて詩織がそう異変の内容を告げてくる。

 それは単純な敵襲ともまた違う、しかしそれゆえに到底無視しえない内容だった。


「さっきから魔力の音がいきなり広がってきて、竜昇君の【領域スキル】みたいに、このあたり一帯魔力で包まれてるみたいなんだけど――」


「――ですが、私達にはその魔力が感じられないのです。どうやら【魔聴】を持っている詩織さんだけに聞こえるみたいで」


「なんだって……?」


 言われた言葉に、即座に竜昇の中に危機感が舞い戻る。

 暢気に寝ぼけていたことへの後悔すら置き去りに、二人がつたえてきた状況と、それに対する対処法を一瞬のうちに吟味する。

 そうして竜昇が判断するまでにかけた時間はほんの一瞬。


「【領域】、展開――!!」


 即座の判断で、直後には竜昇は自身を中心に魔力の領域を展開していた。

 周囲にいた静と詩織、そしていつ起きたのか、背後のベッドのそばで立ち上がっていた城司をその領域のうちに取り込んで、竜昇は自分達を包んでいる魔力の領域を自らの領域で押しのける。

 いや、押しのけようとした。


「どうだ、詩織さん、音の方は――!?」


「ダメ、まださっきまでの音が聞こえてる。魔力の領域同士が重なってて、竜昇君の領域でも防げてないみたい」


「――クソッ!! まずいぞ」


 詩織の申告に、竜昇は内心で猛烈なまでの焦りを覚える。

 何者によるものかは知らないが、しかし他者の魔力の領域に取り込まれているというこの状況がまずい事態だということは、竜昇自身も己の経験によって知っている。

 そもそも竜昇自身、【領域スキル】と魔本に搭載された機能である【属性変換・雷】を組み合わせて【領域雷撃エリアボルト】というオリジナルの魔法を編み出している立場なのだ。

 仮に今竜昇達を呑み込んでいる魔力が、一斉に電撃にでも変換されよう物なら、そのうちに取り込まれている竜昇達は瞬く間に感電させられてしまう。

 だがそんな心配をする竜昇達に対して、やはりというべきか静の方は酷く冷静だった。


「待ってください。この魔力が攻撃のためのものだとは限りません。詩織さん、先ほど竜昇さんを起こす前に言っていたことをもう一度言っていただけますか?」


「え? う、うん。この音、外で、ビルの外でずっと前から聞いていた音と同じ音なの。静さんの【穏纏】とも違う、昔から聞いていたあの音……」


「なんだって……?」


 詩織のその証言を耳にして、竜昇はようやくわずかながらも平静さを取り戻す。

 こんな状況でも、静が妙に落ち着いている理由がようやくわかった。

 詩織の【魔聴】は魔力の属性によって聞こえる音が違う。

 これは通常の魔力を感じる感覚でも同じことで、基本的に魔力というものは属性その他の性質が違うと全く別の感覚として人体には感じられるらしい。

 もしも詩織の言うことが確かなら、今竜昇達を襲っている魔力は竜昇達が外にいた時から定期的に接触していた魔力ということになる。

 それはそれで相当に問題のある事態ではあるのだが、しかし逆に言うならこれまで何度もこの魔力に触れても何ともなかったということであり、今この魔力を防げないからと言って直接に命の危険があるというわけではないとも考えられる。


「……とりあえず、これは攻撃って訳じゃない、のか?」


「とは言え、このまま放置するというわけにもいきません。そもそもなんの害もないなら、いったい何のためにこんな魔力の領域が展開されているのかという疑問もあります。詩織さん、この魔力の出どころはわかりますか?」


「ごめんなさい。魔力の領域に飲み込まれたら周り中から音が聞こえるようになっちゃったから、どこから聞こえてるのかは何とも……。わかるとしたら魔力の領域が向こうの方向から広がってきたって言うことだけで……」


 そう言うと、詩織はおもむろに片手をあげて、部屋の壁の方を指さし示す。

 音の発生源がわからないというのは竜昇にとっては残念な知らせだったが、それでもどちらの方角から来ているのか、その方向がわかるだけでももうけものだ。

 なにしろ本来ならば、この魔力は竜昇達とて感じ取れなかったはずのモノである。詩織がいなければ、竜昇は今もこの得体のしれない魔力の中で呑気に寝ていたに違いない。


「とにかく行ってみましょう。静、念のため全員に【甲纏】を。城司さんももう動けますか?」


「んん、ああ。そりゃ動けるけどよ……。ったく、ホントに朝っぱらから元気だなぁ……」


 逼迫した状況に反して、妙に呑気なことを言う城司だったが、生憎と竜昇もそれを咎めている余裕はなかった。

 すぐさま数少ない武装を手に取って、四人全員で部屋を出て魔力が来たという方角に向けて出発する。


「この方向、むこうのパーティーの方々が宿泊している部屋の方角ですね」


「この魔力があの人たちの何らかのスキルによるものだったらいいんだが――」


 もしそうなら、それはそれで人騒がせな話ではあるものの、しかし同時にまだ安心できる事態だ。

 なによりそう言った自体であれば、少なくとも彼らの元を尋ねれば魔力の正体は判明することになる。


「――ッ、音が止んだ……」


 と、竜昇達が走り出したそのすぐ後に、不意にこの中で唯一その魔力を音として聞くことのできる詩織が魔力の状態についてそう発言する。

 音が止む、それが意味することが一体どういうことなのかを瞬時に理解し、一行の動きにわずかながらも迷いが生じるが、しかしすぐさま静が――。


「とりあえずあちらの部屋に行って合流しましょう。どちらにせよこの事態を互いの間で共有する必要があります」


 と、そう言ったことですぐさま全速力で廊下を走り出した。

 ほどなくして、あらかじめ場所を教えてもらっていたホテルの一室へと特に問題もなくたどり着く。

 一応、彼らの身に何か起きていた場合を考えて武器へと手をかけ、静が十手を握ったまま部屋の扉をノックする。


「――どうされたのですか、こんな朝から?」


 そう言って出てきたのは、眼鏡をかけた竜昇達より二つ年上だという女性、先口理香だった。

 一応彼女も用心はしていたのか、腰の細身の剣に片手をかけてはいたものの、扉の隙間から顔を見せた彼女の姿に竜昇達が緊張を緩めるのを見ると訝しげな様子で扉を開ける。


「そちらは異常ありませんか? 実は今詩織さんが妙な魔力を察知して……」


「――ッ。なるほど、それで急ぎ駆けつけてきたわけですか。――待ってください、すぐに他の人たちを起こします」


 そう言うと、理香は慌てた様子で扉の奥へと引っ込んでいった。

 竜昇としては、彼らの無事を確かめる意味でも中に入りたかったのだが、出入り口の扉にはチェーンがかかったままで中に入るのは難しい状況だった。

 厳密には、今の竜昇達ならばチェーンくらい難なく切断可能なのだが、しかしさすがに他人の宿泊している部屋にいきなり押し入るのははばかられるものがある。


 と、どうしたものかと竜昇が背後を振り向いて、そうしてようやくそこに居並ぶメンバーの異常に気付く。

 否、正確に言うなら居並ぶメンバーではなく、いないメンバーの存在に気が付いた、というべきか。


「あれ、城司さんは――?」






 その日の朝は、まだ日も明けきらぬうちから酷くあわただしいものとなった。

 詩織が聞きつけた他の人間には感じ取れない魔力の音。それを理香に知らせたその直後に城司が行方不明になってしまったため、少しして部屋から出て来た誠司と理香に協力を仰ぎ、今度は彼を探さねばならなくなったのだ。


 とは言え、誠司の協力を得られたことで城司の位置は思いのほか早く見つかった。

 誠司たちが敵を探すために仕掛けた索敵用マジックアイテム、それらが織りなす感知システムの網に、瞬く間に城司の存在が反応し引っかかったのだ。


 どうやらそれが受信機らしい、音を鳴らして振動するコンパスのようなマジックアイテムを頼りにホテルを出て、竜昇たち三人に誠司と理香を加えた計五名で反応のあったその場所へと向かうと、特に問題もなく城司がいるその場所にまでたどり着く。


 そう、そこまでは問題はなかった。

 問題があるとすればその場所と、発見された城司の様子が明らかにおかしかったということか。


「ひゃっほぉぉぅうッッ!!」


 子供のように無邪気な、そして酷く楽しそうな歓声を上げて、城司がその場所からウォータースライダー・・・・・・・・・・滑り降りて・・・・・来る・・

 昨晩包帯の大半を取り去った際に着替えた海パンにアロハシャツという実にこの場に相応しいその姿。

 唯一相応しくない部分があるとすれば、彼の体にはまだ三か所ほど怪我が治り切らずに、包帯が巻かれた場所があったということか。

 ほとんどの傷が治り、しかしそれでも治り切らなかったはずの傷をまだ抱えているはずの城司が、そんな傷のことなど忘れたかのようにウォータースライダーを滑り降りてきて、その下のプールへと勢い良く飛び込んでいる。


「――城、司さん……?」


「んん? ああ、竜昇達か。……なんだよお前ら。良いだろ、大人だってたまには心の底からはしゃぎたいときくらいあるんだよ」


「いえ、そう言う、ことじゃなくて……」


 言葉が続かない。

 南国を再現した、温暖な室温のこの温水プールの中にあって、竜昇は背後から酷く冷たい何かがしなだれかかってきているようなそんな感覚を覚える。

 見れば、プールから上がってきた城司の左足、腿のところに巻かれた包帯のあたりが、わずかながらも赤く染まっているのが見てとれた。

 傷口が開いているのだと、傍から見ている竜昇ですらそう気づいているというのに、しかし当の本人である城司はそれをまるで気にした様子が無い。


 そんな、酷い違和感しかない光景を目の当たりにして言葉を失う竜昇に変わって、今度は静がいつもの冷静な口調で城司に問い掛ける。


「城司さん、こんなところで何をしているのですか? ――いえ、違いますね。城司さんは|

上でいったい《・・・・・・》何をしていたのですか・・・・・・・・・……?」


「え、上?」


 周囲の人間の理解が追いつかず、思わず静と城司、二人に視線が集まるその中で、問われた城司はどこか照れくさそうな、何かをごまかすような笑みを浮かべる。


 それは後から考えれば、気まぐれに行った、本来なら誰にも見つからずに終わるはずの善行を、誰かに見つかってしまったようなそんな笑みだった。

 否、事実彼の中ではそうだったのだろう。

 ただ気になったからやったというだけで、誰かに見て欲しかったわけではない、どころか知られるとすら思わなかったささやかな行為。

 言うなれば、道端のゴミを気になったからというだけで拾ってゴミ箱にまで運んだくらいの、その程度の気分で、彼はそれをやり、そしてついでとばかりにウォータースライダーを滑り降りて来た。

 まさか行ったその行為が、竜昇達にとって致命的なものにもなりうるものだなどとは思いもせずに。


「いや、実はこの上の扉が開けっ放しなのが下から見えてさ、気になったからちょっと閉めに行ってた・・・・・・・・・・・だけだよ。ほら、せっかく暖房かかってんのに、扉が開けっ放しじゃ、あったかい空気も逃げちまうだろ?」


「なっ――!?」


 思わず竜昇の視線が上へと向かう。

 とは言え生憎というべきなのか、近づきすぎたこの位置では下から扉の様子を確認することはできなかった。


 恐らく同じ結論に至ったのだろう。竜昇の背後で、同じく立ち尽くしていたらしい理香が立ち上がると同時に動き出す。


「確認してきます。詩織さん、一応あなたも一緒に来ていただけますか」


「――えッ、あ、はい」


 驚いたようにそう応じて、それでも理香に続いて階段を上りはじめる詩織を見ながら、しかし竜昇の思考は既に巨大な混乱の中にいた。


「どう、なってるんだ。なんだ、これは……」


 思わず言葉が口をついて出る。

 誰に答えを期待したわけでもない、ただ言わずにはいられなかったというだけのそんな言葉。


 だが幸か不幸か、竜昇のその問いかけに対して応じる人間が一人だけいた。


「――要するに、敵からの攻撃はとっくの昔に始まっていたってことさ」


 振り返ったその先で、口元だけを笑みの形に歪めて、中崎誠司はそう告げる。


 それこそが、偽物の安寧が崩れ去った決定的瞬間。


 これまでとはその性質が決定的に違う【不問ビル】第五層の攻略が、本当に始まった瞬間だった。







 第五層・安寧強授のウォーターパーク、攻略開始。

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