129:探索道中
剣を構えて魔力を込める。
耳と全身の感覚を【功夫スキル】のものと同じ、気功系の魔力操作によって強化して、構えた青龍刀をそっと目の前の金属製の手すりへとぶつけて音を立てる。
金属同士のぶつかる音があたりに響く。
【音剣スキル・絶叫斬】の応用、音響拡大効果のある魔力を剣に纏わせ、それで軽く音を立ててその音波を拡大して周囲に放つことで、それによる音の反射を【
通常聞こえる音だけでなく、音の反射まで情報として取り込んで行う【音響探査】は高い集中を要する作業だったが、しかし幸か不幸か、今回は目を閉じて音だけに集中していても襲ってくるような敵はその姿どころか物音ひとつとして見つかっていなかった。
聞こえてくるのは、背後にいる竜昇が立てる音を除けば、後はこのウォーターパークという施設の立てる音と、あと一か所。
波音と共に聞こえる水が跳ねる音と、そして聞き覚えのある酷く楽しそうな少女の歓声くらいのものだった。
「……」
この【不問ビル】の中で聞こえるとは思えない、まるで本当にこのウォーターパークに遊びに来ているかのようなその声に、詩織はいつの間にか、探査用に放った音が止んだ後もその場に立ち尽くし、じっとその声を聴いてしまっていた。
自分がその声の中にいったいどんな感情を読み取りたいと思っているのか、もっと言うなら自分が彼ら彼女らに対してどうしたいのか、どうしてほしいのか、それすらも定かにならないままで。
「詩織さん」
と、そうして立ち尽くしている姿を見かけてか、背後に控えていた竜昇がそっと声をかけてくる。
「え、あ、ごめん。周辺の探査、終わったよ」
自身が本来するべきことを思い出し、詩織は慌てて竜昇に対してその結果を報告する。
現在詩織は、竜昇と二人でこのウォーターパークの中を巡回し、この階層の構造を探りつつ、どこかに隠れ潜んでいるかもしれないこの階層のボスの居所を捜索しながら階層全体を見て回っている最中だった。
今二人がいるのはこの階層に到着した際、最初に出ることとなったウォータースライダーのスタート地点にあたる高台の頂点で、この場所からならプールのエリア全体を一望できると見たために最初に訪れた形となっている。
そんな二人に対して、静は負傷して動けない城司の付き添い、誠司は理香の付き添いのもと、なにやらホテル近辺で作業を行っている様子である。
この二組については問題ない。問題があるとすれば最後の一組、瞳と愛菜の二人の組のことだろう。
「やっぱり気になりますか、その、愛菜さんのこと……」
「それは――、えっと……、うん」
反射的に取り繕うとして、しかし詩織は直後にそれも無駄だと思い直し最終的には竜昇に対して素直に頷き返した。
もはや彼に対しては何を隠しても意味はないだろうと、ある種観念した気分でこの一つ年下の少年へと弱音を吐き出すことにする。
「やっぱり、私のせいなのかな……。マナが、おかしくなったのって」
「……正直、原因については何とも言えませんけどね」
対して、竜昇の方はと言えばどちらとも言えない、そんな曖昧な答えを返すことしかできなかった。
慰めの言葉を頭に浮かべて声にできず、結局それ以上何も言えないまま黙ることしかできなかった竜昇のことをどう思ったのか、詩織は海岸を模して造られた、今も及川愛菜が馬車道瞳を相手に遊ぶプールの方を見つつ言葉を紡ぐ。
「マナはさ、沖田君が死んだとき、一番ショックを受けてたんだよね……。それこそ、しばらく何もしゃべらなくなっちゃったくらい」
「……特別な、関係だったんですか?」
「……そう言うのとは違うんだけど、それに近いって言うか……」
言いにくいことなのか、あるいは勝手に話すことが憚られることなのか、詩織はそんな曖昧なことを言う。
その物言いに、竜昇はそれ以上質問をぶつけるのをやめて、彼女の選ぶ言葉を黙って聞くことにした。
「……それでも、少しだけ持ち直してたんだよ。少なくとも、私がいなくなる前までは、マナはあんな風にはなってなかった」
「詩織さん――」
竜昇としても詩織が考える可能性は十分に理解できる。
沖田大吾という、親しい人間を目の前で失い、それでもどうにか持ち直して戦いに身を置いていた及川愛菜は、しかし渡瀬詩織という第二の犠牲者が出てしまったことで心の均衡を失った。
実際には、詩織はこうして生存していた訳で、しかも数日遅れとは言えこうして合流すらできているわけだが、しかし原因の一つが解消されたからと言って愛菜が精神に負った傷が完全に消えるわけではない。
結局、心に負った傷は傷のままで、及川愛菜はここが命がけの戦いを強要される【不問ビル】であることを忘却し、まるで普通にみんなでプールに遊びにでも来たかのように、ただ一人この階層を楽しんでいる。
本当に、心の底から楽しそうに。
「……もしかしたら、このままの方がいいのかも」
「――え?」
「あ、……ううん、なんでもない」
「……そうですか。……そろそろ、行きましょうか」
詩織の直前のセリフ、聞きそびれたその内容を、それでもなんとなく察しながら、しかし竜昇はそれを表に出さないようにして、次の場所へ向かうべく歩き出す。
背後で詩織が自分について歩きだすのを気配で確認しながら広げるのは、出がけに誠司たちから渡されたこのウォーターパークの地図と、それを補足するように描かれた三枚の手書きの地図だった。
合計四枚のその地図には、しかし色とりどりのペンでびっしりと様々な情報が書き込まれている。
その書き込みの一つを見て、竜昇は思い出したように背後の詩織に確認の言葉を投げかけた。
「そう言えば、このあたりにもあるんですよね。例の誠司さんたちの索敵用のマジックアイテムが」
「あ、うん。あそこの、ウォータースライダーのパイプ付近に一つ見つけて、ついでだから魔力も注ぎ直しておいた。夕べは気付かなかったけど、たぶん昨日ヒトミと中崎君が私達に気付いたのも、あれに反応があったからだと思う」
詩織が言っているのは、この階層に先に到着した誠司たちが仕掛けた、ある種の警報装置のようなマジックアイテムのことだ。
見た目は四角い金属の板、いわゆるドックタグを一回り大きくした様なものなのだが、その表面に竜昇が呪符を作った時にその表面に浮かぶのにも似た、恐らくは術式と思われるものが大量に焼き付けられている。
詩織曰く、これは竜昇の【領域スキル】とよく似た動体感知センサーの様なものらしく、金属板を中心に張られた魔力の領域内に侵入する者が現れるとそれに反応して信号を送り、その信号を誠司たちが持つ親機のような別のマジックアイテムが受け取って、持ち主に何者かの存在とその位置を知らせるという仕組みらしい。
どうやら誠司たちは、そのマジックアイテムをこの階層全体に大量に仕掛けているようだった。
「それにしても、こんな便利なマジックアイテム良くドロップしてたな……。まあ、こうして拠点を構えること自体これまでなかったから、俺達にドロップしてても使う機会はなかったかも知れないけど……」
「あ、えっと……。それ、中崎君が作ったんだよ」
「作った? マジックアイテムをですか?」
驚く竜昇に、詩織はたじろぎ、若干迷うように視線を泳がせてから、やがて竜昇の手の中にある地図を見つめて重い口を開く。
どうやら地図に書き込まれている情報を見て、この情報は開示していいものと判断したらしい。
「えっと、中崎君が習得してるスキルの中にそう言うスキルがあるの。自分が知っている魔法の術式を物品に刻む【魔刻スキル】って言うのと、あと金属を加工する【錬金スキル】……」
「製作系のスキルってことですか……。道理で装備が充実してると思ったら……」
「私の【青龍の喉笛】も、もともとは最初の部屋にあった武器だったんだけど、中崎君が術式を刻んで改造してくれたものなんだよね……。あと、拠点や陣地を構えるための【構陣スキル】って言うスキルもあって、さっきのアイテムは、その中の知識も組み合わせて作ったんだと思う」
詩織の証言するスキルのラインナップに、竜昇は内心で少なくない驚きを覚える。
ここに来るまで、竜昇は製作系のスキルというものにはほとほと縁がなかった。それ故に、そんなものがあるとすら考えてもいなかったわけだが、しかしこの手のファンタジーゲームならば、確かにその手のスキルがあってもおかしくはない。
だがだから言って、そんなスキルを三つも習得している人間がいきなり現れるというのは予想外にもほどがある事態だった。
「いや、そう言えばこの地図のこともあったか。詩織さん、もしかしてこれも何かのスキルで?」
「あ、うん。それは【測量スキル】って言う、距離や面積を目測でもある程度測れるようになったり、地図を書いたりできるようになるスキルを使ったんだと思う。習得してるのはマナだったから、たぶんああなる前に書いたんじゃないかな……」
聞けば聞くほど充実したスキルのラインナップに、竜昇は内心で思わず嘆息する。
もちろん、【測量スキル】は前の三つと違い使いどころの限られる、どちらかと言えば使えない部類のスキルの筈だが、それでもこうして活用しているところを目の当たりにすると随分と向こうの方がスキル面で優遇されているように感じられた。
あるいは、ネットゲームでトッププレイヤーに相対するとこんな気分になるのかもしれないと、そんな風に竜昇が現状をやったことの無い類のゲームに例えて考えていると、不意に詩織が硬い雰囲気で声をかけて来た。
「……あの、竜昇君」
まるで何かを決意したような、勇気を振り絞ったような声と瞳を竜昇へと向けて。
「相談、したいことがあるの。私の、習得してるスキルのことで……」
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