126:思わぬ遭遇

 次の階層たる第五層へ、竜昇が足を踏み入れる決断をしたのは、第四層のボスを倒し、最下層の扉を開いてから実に半日近くが経過した後だった。

 これについても理由は明白で、第四層の大監獄における戦闘の中、【決戦二十七士】の一人たるフジンによって負わされた怪我の影響が大きかったためである。


 これまで竜昇達は、それまでの階層から次の階層に移動するにあたって、怪我などを負っていてもとりあえずそれを回復させて、行動可能な状態になってから次の階層へと踏み込んでいた。

 例外は第三層の地下鉄駅から第四層に突入した時で、あの時だけは攫われた城司の娘、華夜の奪還を目指していた関係上、特にどこかで足を止めることもなく直接第四層に踏み込んでしまっている。

 とは言え、そのときも運よく監獄の独房の一つに身を隠し、そこで休息をとることで事なきを得た訳だが、しかし一方でそういったことができた背景には、それらの階層で負った怪我が【治癒練功】を用いれば短時間のうちに回復できる程度にとどまっていたことも理由として存在していた。


 ところが、今回の怪我はこれまでの怪我と比べても類の無いくらいの重傷だ。

 傷が深いとはいえ右足の負傷だけで済んだ竜昇や、逆に数はそれなりに多いものの、それぞれの傷自体は軽く済んでいる静などはまだ良かったが、それなりに深い傷を全身に負ってしまうこととなった城司の問題はその中でも特に深刻だった。


 戦うことはおろか、動くことも困難な全身の負傷。

 動き回るなどもってのほか、絶対安静が求められる危険な容態。


 いつ敵に襲われるかもわからない、そんな【不問ビル】のただ中で、遂に竜昇達は身動きすらままならない重傷者を抱えてしまったのである。

 しかも、残っている三人にしても万全のコンディションを保っているのは詩織一人だけ、静は戦闘こそ可能なものの負傷と出血で消耗しているし、竜昇に至っては足を負傷しているためまともに立って歩くこともできない状態だ。


 結果、竜昇達はひとまずの安全地帯を求めて、現在のところ敵が出現しないことが唯一確認されている場所、すなわち階層と階層を繋ぐ階段空間へと身を潜めることとした。

 候補としては、監獄内の独房の一室に隠れ潜む手も考えたが、やはり監獄内だとなんのきっかけで敵が襲撃して来るかもわからない上に、グズグズしている間に扉が閉まって再びボス戦などということになったら今度こそ勝てるかどうかがわからない。男二人がそろって負傷してまともに動くことも逃げることもできない現状敵との遭遇はできる限り避けたいというのが話し合いの末に出した竜昇達の結論だった。


 とは言え、その階段空間も安全地帯ではあっても休息をとる場所としては決して適してはいない。

 落ちればどこに行くかもわからない暗黒の中、足場となる輝く板だけが浮いているようなそんな空間。


 もちろん、階段という形状故に座ることくらいならば可能だが、逆に言えばそれ以上の態勢、それこそ安静が必要な城司を寝かせるようなことは間違ってもできず、やはりというべきかその場所は長居するには適していなかったのだ。


 結果、竜昇は【治癒練功】によって城司の回復を図りつつ、静の怪我と竜昇自身の足を急ピッチでどうにか直して、四人中三人がどうにか動いて戦闘可能になった段階で第五層へと突入し、そこで改めて休息の取れる場所を探すこととなった。


 それぞれ武器を手にした少女二人が先を歩き、その後ろを城司に肩を貸した竜昇が続くという布陣で階段を下りて、その先にある未知の空間への扉の前に立つ。

 ようやく歩けるようになったばかりの竜昇には、肩にかかる城司の体重は予想よりもはるかに重く感じる。

 元々城司の方が体格がいい上に、今は城司自身がかなり衰弱しているため、自分自身でほとんどその体重を支えられていないのだ。

 現状かろうじて意識は保っているものの、すでにその体力は限界に近い。

 竜昇と静の怪我の治りを待つ間、同じように城司にも【治癒練功】を使用していたはずなのだが、その効果は城司自身の体力をつぎ込んで、ようやく出血が収まった程度だ。その出血とて、いつまた傷口が開くかわからない現状、やはり一刻も早く彼をどこかに寝かせて休ませる必要がある。


 そんな風に、竜昇が現状を再認識する中、前を歩く二人が扉を開き、最初に最も対処能力の高い静が中へと滑り込む。

それに続く形で高い魔法察知能力と索敵能力を持つ詩織が、そして二人の合図を待つ形で城司に肩を貸した竜昇が扉の向こうへと飛び込んで――。


「ふぁ……」


 最初に竜昇が耳にしたのは、どこか気の抜けるような詩織の感嘆の声だった。

 扉から出たその空間は、先の監獄と比べても勝るとも劣らない広い空間が広がっていて、さらに監獄とは違いやたらと開放的な、美しい夜空が広がっていた。

 それはドームの天井に夜空を投影しているのか、薄暗い周囲には天井から月や星の明かりがうっすらと降り注いでいて、少なくともそれを見た一瞬はここが【不問ビル】という建物の中であることを一瞬忘れさせるほどの光景だった。


「竜昇さん、明かりを」


「ん、ああ」


 それでも静に言われて、竜昇はすぐさま【光芒雷撃レイボルト】を発動。暗い中で狙撃の目印にされないよう六つの雷球を周囲へとバラバラに放って、薄暗い空間を照らすための光源として使用する。


「これは……。もしかしてウォータースライダーか?」


 最初に見つけたのは、竜昇達のいる場所のすぐ近くにあった、人一人が余裕で入れる巨大なパイプが三本。しかもそのパイプ、下に向かってグネグネと蛇行しながら伸びていて、その内側をちょろちょろと僅かながらも水が流れている。

 竜昇自身、幼いころに家族で遊びに行ってみたことがあるから間違いない。どうやらそれはプール施設などに設置されるウォータースライダーで、そしてこの場所はどうやらそのウォータースライダーを滑り降りるための高台らしい。


「なるほど……。となるとこの場所は屋内プールという訳ですか……」


開いた扉を固定するべく、前の階層で手に入れた手錠や鎖を使って扉を近くの手すりに縛り付けながら静が大まかにこの階層のデザインをそう予測する。

 竜昇としてもその予想には同感だったが、しかしそれは同時にうれしくない予想でもあった。

 少なくともその時、竜昇はプールという施設で城司を寝かせられる場所が簡単に見つかるとは思っていなかったし、その上どんな敵が襲ってくるかもほとんど見当がつかなかったのである。

 とは言え、だからと言ってここでのんびりしているわけにもいかない。


「とにかく、早いところ城司さんを寝かせられるところを探そう。詩織さん、周囲の音、なにか聞こえますか……?」


「えっと、ちょっと待って……」


 投げかけた問いかけに、とりあえず周囲の安全だけを確認した詩織が耳を澄まし始める。


 両耳に手を当て、聴覚を魔力によって強化して行う【音響探査】。目を閉じた詩織が音を拾う知覚域をどんどん広げて、この階層を動く者達を片っ端から洗い出す。


「……えっと、そこら中から水の流れる音がしてる。そこのウォータースライダーみたいな少しずつ流れてるのもあるけど、川、とは少し違う、流れるプールがあるみたい。あと、大きな……これは二十五メートルプールかな……。それとなんか、波の音みたいなのが聞こえてる」


「波の音……。そう言えばそんなプールの話を聞いたことがあったな……」


エネミーの音は聞こえないのですか? なんだか先ほどから水の音しか拾っていないようですが?」


「う、うん。さっきから目立つ音はほとんど水の音しかしてない……。結構広い範囲を探してるんだけど……、あっ――!!」


 と、耳を澄ませて静の質問に答えていた詩織の表情が、何かを聞きつけたのか劇的な変化を見せる。

 さっそく来たのかと身構える竜昇達に対して告げられるのは、案の定敵の襲来を告げる音の情報だ。


「足音が二つ、すごい速さでこっちに向かって来てる――!!」


「チィッ。【光芒雷撃】の光を見てこっちを見つけたのか――!!」


 すぐさま荷物をそばに置き、壁際に負傷した城司を座らせてその前に竜昇が立って、敵を迎え撃つべく臨戦態勢を整える。

 青龍刀を抜き放つ詩織に、小太刀と十手を構える静。ほんの数秒で戦闘準備を整えた三人に対し、遠くにいたはずの音が猛スピードでこちらに迫って来る。


「敵の数は二人。片方は金属装備の音がする。もう一人は布装備多め。一歩分の足音でかなりの距離を稼いでる……。これは、重力系の魔法か何か使ってる……?」


「それは二人共ですか?」


「うん。二人とも同じように流れるプールを飛び越して――、あっ、今二つ羽ばたくみたいな音が増えた――!!」


「羽ばたき音――!?」


「たぶん召喚獣――!!」


 詩織がそう断言する中、ようやく竜昇にも闇の中をかける何者かの姿がちらりと見えた。

 だが一方ですでに姿が見える距離にまで近づいていながら、その二人と召喚獣からは魔力の気配を感じない。


「これは、――ッ、【隠纏】か!!」


 明らかに人間離れした動きをしているにもかかわらず、感じられない魔力の気配に、ようやく竜昇は敵が【隠纏】を使っているのを察知して【探査波動】を発動させる。


 洗い出される魔力の気配。

 だが予想に反して、感じられる気配は真下だけでなく、すでに目の前の闇の中にも二つ潜んでいた。


(速い、さっき言ってた召喚獣、もう近づいてきやがったのか――!!)


 それでもその気配に照準を合わせるのはほんの一瞬。


発射ファイア――!!」


 空中の二つの気配目がけ、竜昇は周囲に配置していた雷球のうち二つを光条として撃ち込み、見事にその気配へと命中させる。

 レーザー状の輝きが一瞬だけ照らし出したその姿は、どこか金属質なフクロウを思わせる鳥の形状。

 見ごとに撃ち落されるその二体だったが、しかしただで撃ち落とされたわけではないのはその直後に理解させられた。


 竜昇の周囲、そこに残していたはずの四発の雷球が、何かに撃ち抜かれたように次の瞬間掻き消える。


「――!?」


 寸前に聞こえた風切り音、そして撃墜したフクロウ型の召喚獣から放たれた魔力の感覚に、竜昇は召喚獣が撃墜されるその寸前に攻撃を放っていたのだと理解する。

 だが逆に言えば、雷球の消滅した後の闇の中で竜昇が瞬時に理解できたのはそれだけだ。月と星の明かりがあるとはいえ、雷球の光に目が慣れていたせいで、光が消えた瞬間の視界はおよそゼロ。そしてその視界が聞かない瞬間を狙いすましてか、先ほど感じていた気配の一つが竜昇達がいるその場所まで到達する。


 高所から下へと蛇行して伸びるウォータースライダー。そのコースとなるパイプの上を、猛スピードで駆けて、跳び上がって来るという驚きの挙動で。


「――ッ!!」


「この音――」


 駆け上がってきたその人影に静と詩織が反応したがそれではすでに遅かった。

 二人の間にその太い人影が着地したその瞬間、その片腕に握られていた長いポールウェポン、長い柄に魔力の輝きを放つ三日月形の刃を取り付けたバルディッシュと呼ばれる戦斧が力任せに振るわれて、敵の左側にいた詩織がとっさに構えた青龍刀に激突する。


「――ぅぁっ!!」


 闇の中で刃がぶつかり合う火花が輝いて、同時に敵のパワーに耐えかねた詩織が背後へと転倒する音が聞こえてくる。

 突如として味方が陥った危機的な状況。だがそんな状況であっても、否、だからこそ、小原静の動きはこの上なく的確だった。

 左腕でバルディッシュを振り抜いた敵の右手側。その場所にいた静が素早く敵へと距離を詰め、武器による防御ができない敵を目がけて【静雷撃】を込めた十手で一撃を撃ち込む。

 その一撃は接触と同時に敵を感電させ、その動きから自由を奪い去る、――はずだった。


 静が十手を撃ち込むその寸前、その静の眼前目がけてその敵が、自身の右手を突きつけるように構えさえしなければ。


「――ぅッ!?」


 微かなうめき声と共に、低い態勢から敵の懐へと飛び込もうとしていた静が勢いよく床へと転倒した。

 否、それはただ単純に転倒したというだけではない。まるで地面に引き寄せられたかのように、あるいは何かに上から叩き落とされたかのような勢いで倒れ込み、そしてその後もまるで押さえつけ・・・・・・・・られたかのように・・・・・・・・動けない。


「これは――」


「静ッ――!!」


「待って――!!」


 静の、竜昇の、そして詩織の声が同時に声をあげる。

 闇の中にいる敵がバルディッシュを振り上げて、転倒した静の頭上へとそれを振り下ろす――。


「――ストップだ」


 ――その寸前、竜昇の声でもなければ城司のものでもない、聞き覚えの無い男の声がその攻撃をただの一言で差し止めた。

 見れば、声のした方向、先ほど目の前の影が駆けあがってきたウォータースライダーのパイプの上に、もう一つの人影が一人立っている。


「――な、に……?」


 寸前に放たれたのが明らかに人の声であることを理解して、竜昇は思わず唖然としたままその場で声を漏らす。

 同時に、静目がけてバルディッシュを振り上げていたその敵の、太く大きな影が急激に縮む。

 城司のそれすら超える太い腕が光へと変わって後に酷く細い女性のものと思われる腕が残されて、同時に霧散したその光がその場にいる全員の姿を映し出して――。







 ――コン、コン、と。

 その瞬間、ノックの音によって竜昇の思考は瞬く間に過去から現在へと呼び戻された。

 その音に竜昇が、詩織が、城司が一斉に扉へと視線を向ける中、唯一冷静な静だけが『はい、どうぞ』と、そう返事を返したことでノックの音を放った扉がその向こうにいた者達によって開かれる。


「おはようございます。皆さんもう起きてますか?」


 入って来るのは、そんな穏やかな、一人の少年の声。

 続けて、その声の主である少年と、その背後にショートカットの髪型で何処かスポーティーな印象の少女と、眼鏡をかけた知的な雰囲気の少女が、二人で少年のあとに控えるように部屋へと入って来る。


 三人とも格好は、ジャージにファンタジックな装備を組み合わせたある意味では自分たちと同じような姿。

 ただし彼らは、背後の少女たちも含めて一様に胸当てや膝あて、肘当ての様なものを装備しており、さらに少年は上からマントを、少女のうちの片方、ショートカットの少女の方は、手足にガントレットやグリーブ、頭には額当てのようなものまでキッチリと装備している徹底ぶりだった。


 武器とみられるものも、少年が先端がタバコを吸うパイプのような形状になった奇妙な形の杖を、少女たちも片方が腰に剣を、もう一人の重装備の少女は長い金属製の棒のようなものを持った、かなり本格的な格好だ。


「物騒な格好のまま失礼します。ああ、そちらの方も目を覚まされたんですね。よかった」


「……ああ。おかげ、さまで……。あーっと、お前らが?」


 入ってきた少年少女に、一応簡単な事情だけを話していたとはいえ、事実上初対面となる城司が困惑したようにそう問いかける。


「はい。僕の名前は中崎誠司なかさきせいじ、後ろの二人は左の彼女が先口理香さきぐちりか、右が馬車道ばしゃどうひとみと申します。立場としては、あなた達と同じプレイヤーですね。ついでに言うとそこにいる彼女、あなた達が連れてきてくださった渡瀬詩織のパーティーメンバーでもあります」


 そう言って少年、中崎誠司は、左側にいた眼鏡の少女と右側のショートカットの少女を順番に紹介し、その際に詩織にも軽く視線を送りながら、最後に四人に向かって穏やかな雰囲気で頭を下げる。


 不問ビル攻略五層目。

 この日、竜昇達四人は、監獄にて詩織を置いて先に進んだという四人組のパーティーに思わぬ形で追いつき、そして合流することとなった。

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