122:急天直下

「エフ……、レルグ……!!」


 その少女の存在を、不覚にもフジンは驚きに支配された思考のままで見つめていた。

 自身が駆けあがる柱、その側面に剣を突き刺して、それに掴まる形でこちらを待ち構えていた一人の少女。

 先ほど乱戦に紛れて背後から近づき、苦無を投げつけて確かに打倒したはずのその娘が、いつの間にか逃走を余儀なくされた自分の真上に回り込んで、こうして待ち構えている。


 こうして間近に近づかれるまで自分が気付かなかったこと、そのことには別に疑問はない。遺憾ながら、フジンは耳が碌に聞こえない状態で視界をつぶして隠形まで使用していたのだ。その隠形とて決して完全なものではなく、下の階層からの視線を躱すくらいならともかく、フジンがやったように空中を走るなどして追われていたならば隠れおおせられなかったとしても無理はない。


 だからその点については疑問はない。疑問があるのは、自分を追ってきたのがよりによって一度は仕留めたはずのこの娘だったという点だ。


 確かに先ほど苦無を投げつけた際、フジンは彼女の死亡確認をしていない。

 それは確認を怠ったという話ではなく、迂闊に近づくなどすればあの時残っていた二人に位置がばれかねないという判断に基づくものだった。加えて言えば、仮に死亡しておらず意識を失っていただけだったとしても、あの時のあの状況であれば遠からず囚人と看守の乱戦に巻き込まれて命を落とすだろうと踏んでいたというのも理由としてはある。

 なにより思いもしなかった。よりにもよってこの状況、このタイミングで、こうも都合よくこの娘が意識を取り戻してこちらを追ってくるなどとは。


 ――否、それともまさか、意識すら失っていなかったというのだろうか。

 まさかフジンがほんの少し気まぐれを起こして追撃をかけたり、何かの拍子にあの乱戦に巻き込まれたりすれば今度こそ間違いなく命を落とすあの状況で、この少女は無防備に隙を晒して死んだふりを決め込んでいたとでもいうのだろうか。


「驚いていただいたようで何よりです。正直詩織さんが頑張ってくれたおかげで、一時は出番がないのではと心配していましたから」


 忘我の境地で見つめる視線に、当の娘が何やら通じない言葉でフジンに語りかけてくる。

 意味は解らない。なにを言っているのかは見当もつかない。

 だが意味不明のそんな言葉も、しかし今のフジンを現実に引き戻すには十分なものだった。


「――ッ、オブト、レルグフォル――」


「とは言え、あまり時間もかけてはいられません。下も何やら城司さんが大変なようですし――」


 何かを言ったその瞬間、フジンが身構えるその前に、娘はフジンの懐にまで飛び込んで来ていた。


「――!!」


 娘が掴まっていた剣が消え、重力に引かれて落ちる娘が、さらに柱の側面を駆け下りて彼我の距離をゼロへと変える。

一息のうちに詰められた、吐息がかかるほどの距離。

 そして見下ろす少女のその手には、先ほど柱に突き刺していたのとはまた違う、一振りの小太刀が収まって、今まさにフジンを切り上げるべく弧を描いている。


「――“下につくまでに”片を付けます――!!」


 直後、とっさにフジンは苦無を逆手に持って構え、それを相手の攻撃の軌道上へと滑り込ませた。

 動揺ゆえに反応が遅れたが、それでも対応することはたやすいそんな攻撃。

 ただ一点、予想外だったのは、振るわれるその刃が、苦無と接触するその瞬間、なぜか小太刀から奇妙な石刃へと・・・・姿を変えたことだった。


(――!?)


「【突風斬】」


 再び起こった武器の変貌。しかも変貌したその武器が、武器というにはあまりにもお粗末な石器の刃だったことに混乱した隙をついて、直後に暴風が炸裂し、フジンの両脚が足場としていた柱の側面から引きはがされる。

 最上階から奈落の底まで続く高大な吹き抜けのその中央へ目がけ、強烈な暴風がフジンの体を遠慮容赦なく投げ飛ばす。


「――グ、ゥウ――!!」


 暴風にもてあそばれながら、しかしフジンは苦悶の声を押し殺して態勢を立て直す。

 どうにか体を上へと向けて、同時に娘の方を見上げたフジンは、それによって嫌でも目の当たりにすることとなった。


 先ほどフジンを吹き抜け中央へと投げ出した娘が、自身も柱を蹴ってこちらへと飛び出すその光景を。


「――其は、苦も無く生まれる増殖の刃、分かたれ増える、繁栄の一振り」


――そして彼女の手の中にある石刃が、在ってはならない姿へと変貌するその瞬間を。


「――【苦も無き繁栄ペインレスブリード】」


 そうして少女の手の中に、フジンが持つものとまったく同じ苦無が現れる。


「……!!」


 驚愕に目を見張る。

 ――写しとられた。自身の苦無が。神より賜わりし神造の刃が。恐らくは形状だけでない、その増殖機能に至るまで。

 目の前で起きた変貌にいやおうなくその事実を理解させられて、自らの手の中にある苦無が、相手の手の中にも存在しているという、そんな許しがたい事実を前にして――。


「ヘツべスッ――!!」


 次の瞬間、フジンは己が手の中の苦無を振り抜いて、その過程で分裂させた苦無を少女目がけて投げ放っていた。

 冷や水を浴たように思考は一瞬のうちに冷えていた。

 ただの一閃で三本の苦無を撃ち出して、それらを上へと飛ぶその間に倍に倍にと数を増殖させて、そうして生まれる刃の弾幕をこちらへと落下してくる少女目がけて叩き込む。


 とは言え、増殖の刃を持っているのは相手も同じ。

 ならば当然、フジンにできる増殖投擲は同じく相手にもできるということになる。


「フゥッ――!!」


 呼気と共に少女の方も苦無を一閃。現れ増えるその苦無をもってして、自身めがけて飛んでくる苦無の群れを迎え撃つ。

 彼我の間で刃がぶつかる音が連続する。同じ武器を同じように振るい、同じように投げ放たれた刃の群れが、二人の間でぶつかり合って互いの刃を弾き飛ばす。


「――ギィッ!!」


「――ィェァッ!!」


 即座に気迫の声を漏らし、フジンと娘、両者が同時に苦無を振るい、それによって放たれた苦無が彼我の間で火花を散らす。

 当初片手で持っていた苦無は、次の瞬間には両手で扱う二本になり、直後には指で挟んで振るう六本になっていた。

 吹き抜けの中央で金属のぶつかる音が連続し、上下に分かれて落ちる両者が互いに相手へと目がけて分裂した苦無をぶつけあう。

 双方ともに撃ち落とし損ねた苦無が手足をかすめて切り裂くが気にも留めない。

 もはや急所に当たる苦無以外は構う価値すらないと言わんばかりにひたすら両手の苦無を振るい続け、相手よりも一本でも多くの苦無を投げるべく落下のさなかに腕の動きを加速させる。


 とは言えいかに両者が死力を尽くして己の武器を振るっても、同じ武器を同じように振るっている以上いつまでたっても勝負がつかない。

 しいて言うなら、先に落ちているフジンの方が先に地上に落下する分不利と言えるが、フジンはもちろん、娘の方もそれを待つ気はないようだった。


「【突風斬】――!!」


「――!?」


 娘が幾度目かの投擲を行ったその瞬間、娘の手元から放たれた苦無全てが、フジンの苦無とぶつかって込められていた暴風を炸裂させる。

 苦無自体だけでなく、それに込められていた力まで写し取ってその全てに反映させる神造武装・【苦も無き繁栄ペインレスブリード】。

 手にしたばかりであるはずのその武器の真価をいかんなく発揮して、娘が自身に迫る刃の全てを吹き飛ばしたその結果、真下にいるフジンを目がけて吹き飛ばされた苦無が嵐のように降って来る。


 回避は不可能。迎撃もできる数ではない刃の雨に、しかしフジンが見せた反応は舌打ち一つだけだった。


 直後、フジンの元へと降り注ぐはずだった刃の雨が、しかしその途中で見えないなにかにぶつかって、その襲撃を阻まれる。

 金属が金属にぶつかる硬質な音が幾重にも響き、増殖を繰り返す苦無の雨が、しかしフジンのいる場所だけを避けて落ちていく。


「――ッ、――【空中跳躍エアリアルジャンプ】!!」


 その様子に、今度は娘の方が焦りの表情を浮かべる番だった。

 暴風で撃ち出した苦無のほぼすべてが弾かれた次の瞬間、落下する娘の体がその場所へと差し掛かり、間一髪空を蹴りつけ真横に飛び退いたことで娘はその命を繋ぎ止めた。


 僅かそれ・・を回避できなかったのか、とっさに盾にするよう構えた娘の手足が、まるで鋭い刃物に引っ掛けられたように浅く裂ける。

 とは言え、それでも与えた被害としては軽微なものだ。

 もしもあと一瞬気付くのが遅れていれば、娘はフジンが空中に設置した見えない苦無の壁・・・・・・・・へと落下して、まるで針山にでも落ちたようにその全身を貫かれていたところだった。


 娘自身の攻撃によって自身の罠が察知されてしまったことに忸怩たる思いを抱きながら、しかし同時にフジンは身を守るために敵とったその動きをチャンスと見て、即座に己の落下そのものへと干渉を開始する。


 自身の両脚、正確にはそこに纏う衣服の布地に【遅延起動】を瞬間発動。一瞬だけ落下が止まったその隙に空中で身を起こし、直後に衣服が急速落下するその勢いすら利用して態勢を変更。さらに衣服の各所に次々と【遅延起動】を発動させ、フジンは苦無を逃れた娘がそのまま落下していくのをしり目に己の落下速度を減速させる。


 これで彼我の位置関係は逆転、今度は娘の方が転落とフジンの攻撃、二つの危険に同時に対応せざるを得なくなる――はずだった。

 もしもこの時フジンの背後まうえから、一本の苦無が回転しながら迫ってきていなければ。


「――!?」


 寸前に気配を感じて振り返る。

 よく見れば一本や二本ではない。いったいいつ投擲したのか、空中で分裂して増えたのだろう無数の苦無が重力に引かれて雨あられと降ってきて、そのうちの一本がフジンの背中を目がけて致死の勢いで迫ってきていた。


「ッ――!!」


 とっさに手の中の苦無で撃ち払うが、その対応はフジンにとって明らかに失敗だった。

 落ちてくる苦無の切っ先が自身の苦無に接触したその瞬間、込められていた暴風が炸裂してフジンの体が再び真下へ目がけて叩き落される。


「グァッ――!!」


 ――【突風斬】。

 強烈な風圧に殴られて、フジンの体が娘を追い越す形で錐もみしながら落下する。

 対して、娘の方は当然フジンのような無様は冒さない。


 直後、空気のはじける音と共に、娘の体が先に落下するフジンを追って砲弾のように撃ち出される。

 自身の体がフジン目がけて飛ぶようにうまく暴風の炸裂角度を調整し、急速落下を開始した少女が手の中の苦無を長剣へと変えて、体を回転させながら迫ってその勢いを剣に乗せて振りかぶる。


「グ、ゥゥッ――!!」


「【突風斬】――!!」


 振り下ろされた追撃の一撃に、フジンはギリギリ姿勢を制御して、苦無を構えて受け止めるのが精いっぱいだった。

 苦無を分裂させる余裕もない。ただ刃を受け止めるだけのそんな防御がこの相手に通じるはずもなく、直後にフジンは炸裂する暴風によってさらにその落下速度を加速させられる。


「グ、ゥ、ォォォオッ――!!」


 地面が迫る。

 二重に受けた暴風による加速が奈落の底までの僅かな猶予を瞬く間に食いつぶし、フジンを大地の染みへと変えるべく地上への落下という結末が刻一刻と迫って来る。


 そしてそんなフジンに対して、少女は追撃の手を緩めない。

 【遅延起動】による減速など許さぬとばかりに腰の十手を抜き放ち、自身の手の中で輝く長剣へとその十手を叩きつけて炸裂する暴風を吸収させると、頭を真下に向けて天を蹴り、着地のことなど考えているかも怪しい猛烈な勢いでフジンの元へと降って来る。


「応法・倍撃――」


 迫る大地と暴風の挟撃。

 それに対してフジンが打てる手段は、残念ながらもはや一つしか残されていなかった。


「――【突風斬】」


 ――直後、剣に込められていた分を合わせて二倍の暴風がフジンの展開した球体状へと防壁に叩きつけられて、それを受け止めたフジンが展開した防壁ごと奈落の底へと墜落する。

 当然、そんな勢いで叩きつけられて防壁が堪えられるはずもなく。

 次の瞬間、フジンは防壁が砕け散ると共に地面に叩きつけられ、耐え難い衝撃に成す術なく意識を失った。






 吹き上げる風を全身で受け止める。

 自身が放った倍撃の【突風斬】、その風圧によって落下の衝撃を緩和して、それによって静はどうにか奈落の底の、この監獄の最下層へと無事の着地を果たしていた。


 両足で床を踏みしめて、しゃがみこんだ姿勢からすぐさま立ち上がって周囲の様子を確認してから、あたりに自分と倒れるフジン以外がいないことを確認してどうにか安堵の息を吐く。


(流石に、少しクラクラしますね……)


 背中に感じるジットリとした感覚、恐らく背中を真っ赤に染めているだろう出血状況を感じ取りながら、静は内心で流石に血を流しすぎたかと自分の状態を省みる。


 背後から攻撃された際、とっさに【染滴マント】の機能を利用して大量出血を装った静だが、かといって本来の出血量が少なかったのかと言えばそう言うわけではない。

 直前に竜昇と詩織の会話を耳にして、背後からの奇襲を警戒して【甲纏】による防御を行っていたから致命傷こそ追わずに済んでいたが、しかし負った傷の深さや出血量で言えばあの深夜の学校で人体模型匂わされた胸の傷に匹敵する大きな怪我だ。

 動き回っていたがゆえにフジンが【遅延起動】を使わなかったことや、最も警戒していた背中以外の場所を狙われなかったことなど、いくつもの幸運が重なったがゆえにこの程度で済んだとも言えるが、それでも今の静の状態は決して楽観できるものでもない。


(とは言え、まだゆっくりもしていられませんね。竜昇さん達もまだ上で戦っているでしょうし、このフジンさんを拘束したら急いで上に戻らないと)


 考えつつ、静は腰のウェストポーチからこの階層のドロップアイテムである手錠を二つ取り出してフジンを拘束しようと歩み寄る。

 手加減して戦える相手ではなかった故に、最悪殺してしまっている可能性も考慮していた静だったが、どうやらフジンは意識を失いつつもギリギリ命だけは繋ぎ止めていたらしい。

 恐らく墜落寸前にシールドを展開したことで、少なからず落下の衝撃が緩和されたのだろう。怪我の程度などは詳しく見てみないとわからないが、生憎と今はそこまでしている時間的な猶予はない。

 一応警戒しながらフジンの元までたどり着き、とりあえず手足だけでも拘束し、武器を奪ってしまおうとそう考えて、しかしそれを実行に移す前に聞き覚えのある女性の声が降ってきた。


「気を付けて静さんッ、そっちに行ったッ――!!」


「え?」


 焦りを帯びた詩織の声に、静はとっさに十手を手に振り返る。


 そこにいたのは、城司の体をその内に取り込んだ監獄の怨霊。


 まるで拘束具の塊のような、そんな格好のエネミーが、まるで上の階から飛び降りて、そのまま飛び掛かってきたような態勢で静のすぐ後ろにまで迫ってきていた。


「『死ィィィぃネェぇぇェええエッッっ!!』」


 鎖を軸にした殺人の刃に、しかし静の防御は間に合わない。

 攻撃を受けようと構えた十手を敵の攻撃がすり抜けて、その先にある命へと、容赦なく刃が突き立てられて――。


「――え?」


 気付けばその鎖剣は、身構えた静の真横をあっさりと通り過ぎていた。


 いったい何がと、狙いを外された静が刃の切っ先を探して気が付いた。

 自身の背後、刃が通り過ぎたその場所で、しかし怨霊の刃がそこに倒れるフジンの喉を、見事に貫いているということに。


「――カ、フ……」


 漏れ出た吐息は、果たして生理的な反応故のものだったのか。


 直後、裂かれた喉から夥しい量の血が噴き出して、一人の人間のその命が血の海の底へと消えていく。


 数を増やす、繁栄の名を持つ一振りの苦無が、男の手の中から消え失せる。

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