112:覚悟の提案

「あいつの捕縛を、諦める、だと……」


 城司の顔色が劇的に変わる。

 表情が消えて、見開く目だけが力を帯びて、凍り付いたような沈黙が場の空気を支配する。


「――そいつはまた、笑えねぇ、冗談だな」


 ほとんど爆発寸前の激情を吐息一つで押しとどめ、代わりに城司は表面上は理性的な態度でそんな言葉を絞り出す。


「――あいつは、捕まえる必要がある。華夜の行方だけじゃねぇ。お前らだって脱出のために、このビルの正体を暴く、その必要があるって話だったじゃねぇか」


「ええそうです。それは間違いありません。このビルを脱出するためには、【決戦二十七士】なる者達を捕まえて話を聞き出す、その必要があるのは確かでしょう。ですが、それは決して自分たちの命よりも優先されるべきものではありません」


 苛立ちを押し殺したような城司の主張に、静は一歩も引かずにそう判断を口にする。

 その言葉はどこまでも冷静で、冷徹で、そして何より、どこまでも正しいものだった。


「詩織さんの音による探知すらできない現状、あのフジンという殿方の行方を掴む方法はありません。竜昇さんの【探査波動】だとて、探せる範囲にも限りがあります。恐らく己の姿を消すことを極めたあの方が本気で隠れたら、私たちにそれを探し当てることは不可能でしょう」


 それは、竜昇自身も内心でたどり着いた結論とまったく同じものだった。

 現状竜昇たちの中に、あの隠形を極めたような敵を探し出す手段はない。

 向こうから近づいてきてくれれば気付く手段はないわけではないが、こちらから向こうを探すのはどう考えても不可能だ。

 仮に探しに向かったとしても、恐らくこちらが向こうを発見する前に向こうがこちらを発見し、感知不能な距離にまで逃げられてしまうか、下手をすれば罠を張られて迎え撃たれてしまうだろう。


「加えて言うなら、現在のこの階層は様々なエネミーが入り乱れる危険地帯です。先ほどの囚人以外にも、どんな敵がいつ襲ってくるかわかったものではありません。そんな状態の中、ほとんど見つけられる見込みのない相手を探してうろつきまわるなど、ただの自殺行為でしかありません」


 厄介なことにそうした周辺環境も、今回はフジンの側に有利に働いている。

 常に姿をさらし、気配を発して移動せざるを得ない竜昇たちと違い、恐らくあのフジンはこの階層にいる敵達の目を掻い潜ることができるのだ。

 見つかれば戦闘は避けられない竜昇たちに対して、そもそも敵に見つかることの無いフジンの異能は、それを探すものにとっては致命的なまでに不利に働く。


(――いや、待てよ……)


 そこまで考えて、ふと何か、脳裏に引っかかるような感覚を竜昇は覚える。

 とは言え、竜昇がその感覚を突き詰めるも先に、恐る恐ると言った様子で先に詩織の方が声をあげた。


「あ、あの……!!」


 すぐさま静が仕草だけで促すと、彼女もまた城司にとって喜ばしくないだろう情報を、罪悪感のにじむためらいがちな様子で提供してくれた。


「さ、さっきの、あの囚人の位置の話ですけど、あの囚人、今はまだそんなに遠くには行ってないみたいです。この通路を進んだところにある階段を下って、そのままあっちの壁沿いに向こう岸に向かう通路を道なりに進んでて……。たぶん、さっきの苦無の攻撃を受けたせいで体が損傷しているのが原因だと思うんですけど」


「それは移動能力が落ちている、ということですか?」


「う、うん。けど、たぶんすぐに回復すると思う。肉体を損傷した影人シャドーは、それでもしばらくすると黒い魔力で肉体を再構成して元通りに動けるようになる性質があるから……」


「つまりは、やはり時間的猶予はない、ということですね……」


 グズグズしている時間はない。これ以上時間が経てば、すぐにでもあの囚人は肉体の修復を終えて再び他の囚人や看守を狩り、その力を我が物として最悪の怪物へと近づいていく。

 本来ならばこうして揉めている時間すら惜しいのだ。恐らくそのことは、誰よりも城司自身が痛いくらいに感じていることだろう。

 猶予の無い状況に、いよいよ静が城司に対して畳みかけるように説得を試みる。


「次の遭遇を待ちましょう、城司さん。今はあのフジンという敵をやり過ごして、もっと捕まえやすい相手と出会うチャンスを待つべきです」


「その次の機会ってのは、いつ来るんだよ……」


「……わかりません。二階層連続で遭遇したことを考えれば、次の階層でも遭遇できるかもしれませんし、次に会えるのは十階層先かもしれない。あるいは――」


「――もう二度と、遭えないかもしれないだろうがッ!! だったら――」


「――それでも、ここで確実に返り討ちに遭うような、そんな無謀な真似をするよりはよほどましです。そしてこれは、私達だけに限った話ではありません。

 城司さん、差し出がましいことを言いますが、あなたは今内心で、だったら自分だけでも残ってあのフジンを探そうと考えたのではありませんか?」


「――ッ!!」


 図星を指されて、城司が反論の言葉を直前に噛み潰したような音を漏らす。

 その予想は静だけでなく、竜昇や、そして恐らくは詩織もしていただろう予想だった。

 決して長い付き合いとは言えない、それどころか出会ってから丸一日経ったかどうかも怪しい城司との付き合いだったが、彼の様子に、娘のためならば無謀に命を投げ出しかねない危うさがあることは少し見ていればすぐにわかることだった。


「わかっているとは思いますが、それは最悪の選択です。あなたの目的は志半ばで倒れることではなく、ちゃんと華夜さんを救出しきることでしょう? ならばここは、次がある確率がどれだけ低くとも、生存確率が高い方にかけるべきです」


「……グ、ぅ……」


 静の言葉に反論の言葉を見つけられなかったのか、城司が歯を食いしばりながら呻く声のあとに黙り込む。

 感情的にこそなっているが、城司は決して理性を失っているわけではない。

 実際のところ、静に言われるまでもなく、城司も自分の行動の無謀さなど分かっているのだろう。


 だがいかに理性で分かっていたとしても、焦る気持ちはどうしても治まらない。


 いかに攫われた華夜がすぐに殺されることはないと予想できてはいても、時間が経てばやはり危害を加えられる可能性はそれだけ大きくなるのだ。そしてその危害の定義は、なにも殺害という形だけには止まらない。

 こうしている間にも、娘がどんな目にあわされているかわからない。

 それがわかってしまうから、城司は目の前に現れた、最短で娘の元まで駆けつけられるかもしれない、その可能性を手放せずにいるのだ。


 ふと、視線を感じてそちらを見る。

 するとこちらを見ていた詩織と、竜昇の目が合った。

 その視線が何を思ってのものなのかはわからない。

 この気まずい状況を何とかしてほしいと思っているのか、それとも単純に、意見を表明していない竜昇の出方を覗っているのか。


 ……一つ、先ほど話を聞いていて気付いたことがある。

 それは、対処しないわけにはいかない、そしてその対処のやり方いかんによっては城司を説得できるかもしれない、そんな問題だ。

 問題があるとすれば、それに伴う危険に対して、竜昇が覚悟を決められるかどうか。


(――いや、このビルで危険とか、本当に今さらだな)


 自嘲的にそう思い、すぐに思考を切り替える。

 どのみちこのビルの中では、危険を避けていては先へは進めないのだ。

 現状は迷っている時間も惜しい。どちらにせよやらなければならないのなら、この場はとっとと覚悟を決めてやるべきだ。


「一つ、提案があります」


 そうして、竜昇はようやく口にする。

 あるいはこの場の問題を全て解決してくれるかもしれない、覚悟を要する最善手を。







「まず俺の意見ですけど、俺も基本的には静の意見に賛成です」


「――!!」


「――ただし、俺は一つだけ、フジンを無視して次の階層に進むというプランに懸念を持っています」


 何かを言いかけた城司を制するように、竜昇は先ほどの話の中で気が付いたその懸念の存在を表明する。

 言葉を押さえた城司の代わりに問い掛けるのは、相変わらず冷静な様子の静。


「竜昇さん、それは?」


「そもそも俺達が次の階層に進もうとすることを、あのフジンって奴が許容するかどうかって問題だよ」


 問いかけてきた静にそう言い返すと、その言葉だけで彼女は竜昇と同じ考えに至ったのか、『そう言えばそうですね』と納得したような様子を見せた。

 とは言え、流石にそんな会話だけで伝わったのは静だけだったらしく、よく分からないという顔をしている年上の二人に竜昇も改めて説明を行うことにする。


「そもそもの問題なんですけど、なんでフジンは俺達に対して攻撃を仕掛けて来たのかって話なんですよ。フジンの隠形は相当に高度な技術です。ビルの側にすら気づかれていなかったことを考えれば、これまでもエネミー達もやり過ごしてきていた可能性が高いし、その気になればあいつは俺達なんか完全に無視して、交戦のリスクなんて犯さないまま好きなように行動できていたはずなんです」


 いかに敵が自分の実力に自信を持っていたとしても、敵と戦うというのはやはりどう考えてもリスクを伴う行為だ。敵の目的が何なのか、上の階層に進むことなのか、あるいは別の何かなのかは推測することしかできないが、他に目的があったのならばフジンには竜昇たちのことなど無視して、接触など持たないまま自分の目的だけを優先するという選択肢も当然あったはずなのだ。

 だというのに、フジンは竜昇たちに対して攻撃を仕掛けて来た。

 もちろん、フジンが竜昇たちのことを舐めていて、軽い気持ちで襲ってきていたのだとしても決しておかしな話ではないが、しかし無視せず襲ってきた以上やはりそれ相応の理由があるはずだ。


「考えられる可能性は二つ。一つは、俺達を殺すことに、フジンにとって何らかのメリットがある可能性。ちなみにこれは、俺達を殺すことこそがフジンの、あるいは【決戦二十七士】なる集団の目的だった場合も含みます。

 そしてもう一つが、俺達の中の誰か、あるいは俺達全員を、自身の目的の妨げになる脅威と判断していた可能性です」


 実際のところはもっと他の理由なのかもしれない。

仮にこの二つのどちらかだったとしても、では実際にどちらなのかを判断する材料もこちらにはない。

 けれどこの二つの可能性を考えた場合、どうしても無視できない問題が一つある。

 そう、それはつまり――。


「――もしもこの二つのうちのどちらかが当たっていた場合、俺達が次の階層に進むのを、あのフジンという男が黙って見ているとは思えない」


「じゃあ、こっちがあの人を無視して先に進もうとしても、向こうはこっちの意図なんか関係なくまた襲って来るって言うの?」


「少なくともその可能性は十分にあり得ます」


 もちろん、そうならない可能性もないわけではない。

 例えば、フジンが先ほどの襲撃によってすでに何らかの目的を達成していた場合などはわざわざ再襲撃などかけてこないかもしれないし、あるいは自身を無視して先に進もうとする竜昇たちを見て、フジンが自分の中で下していた脅威判定を取り下げて、竜昇たちが先に進むのを見逃す可能性もある。


 だが、そうでなかった場合、竜昇たちには再びあの見えない敵から襲撃を受ける危険と、そしてチャンスがあるのだ。


「つまりお前は、わざわざこっちからあいつを探しに行かなくても、向こうからこっちに襲撃をかけてくるからそれを待てって言いたいのか?」


「ただ待っているのは論外ですね。先ほども話に出ましたが、それでなくとも状況は切迫しています。さっきのあの最凶悪囚人をこれ以上放置するわけにもいきませんし、なにより、敵が攻撃を仕掛けてくるとしたら、恐らくこちらが準備万端待ち構えている時ではなく、こちらが交戦中で他の敵に手いっぱいになって隙をさらした時でしょう。

 だからこそ、俺は基本的には静の意見に賛成なんです。俺達はあくまで、あの囚人を撃破して次の階層に進むことを目指すべきだ。もしもあのフジンという男が俺達を殺す気でいるのなら、ボスの疑いのある敵を倒して次に進もうとするのを看過できるはずがないから」


 こちらにフジンの接近を感知できる詩織がいる以上、他の敵との交戦中以外でフジンが仕掛けてくる可能性は限りなく低いだろう。

 そして、ボスさえ倒してしまえば次の階層に進む道は開ける訳だから、フジンにとって竜昇たちのボス戦は、竜昇たちを仕留められる最後のチャンスになる。

 流石のフジンも、詩織の存在がある中であの階段の中にまで追ってくるのは不可能だろうし、一度階段空間に逃げ込んで扉を閉めてしまえばもはや階層を隔てて離れてしまうため、竜昇たちがハイツと華夜に対してそうなっているように、それ以上の追跡は困難になる。


 逆にもしも、囚人を撃破し竜昇たちがこの階層を脱出するまでにフジンが襲ってこなかったならば、その場合フジンの側からの襲撃はないものとみて、捕獲も不可能と、そう判断するべきだろう。

 敵の位置をこちらが補足する手段がない現状、敵から襲ってくるその瞬間だけがフジンを捕らえることのできる唯一のチャンスだ。


「だから提案です、城司さん。俺はあの囚人との交戦中に、フジンの方も“おびき出して”捕らえるための作戦を提供しますから、もしも襲撃が無かったら、そのときはあいつの捕獲は不可能とみて諦めてください」


 城司と、大柄な彼を少しだけ見上げる形で向かい合いながら、竜昇はきっぱりとそう引くべき一線を突きつける。


 もしもここで城司が竜昇の意見を受け入れなければ、あるいは受け入れたとしても、フジンが結局最後まで現れなけれず、城司があくまでフジンの捕獲に固執したならば、恐らくこのパーティーはそれまでだろうと、竜昇は内心でそう思う。

 静の言う通り、城司以外の三人にはそれ以上この階層に留まって、フジンの捕獲にこだわる理由はないし、フジンが残るからと言ってそれに付き合うのはただ死人を増やすだけの判断だ。

 だが一方で、竜昇自身はここで城司と別れて行動する事態は何としても避けたかった。

 ただでさえ人数の補充もままならない中で、貴重な戦力を失うのは痛いという合理的な判断もあるし、心情的にもここで城司を一人残していくというのは忍びない。


 竜昇が考える限り、今話したことが現実的に考えても最善の判断だ。竜昇自身ビルからの脱出のために【決戦二十七士】からの情報を欲している身だが、それを鑑みても、この局面であのフジンという敵を相手にそれ以上の危険は冒せない。


 だが逆に言えば、この一回に限っては竜昇にもそれ相応のリスクを引き受ける覚悟がある。

 後はその覚悟が、どこまで城司に伝わってくれるかどうか。


「……ハァ」


 と、竜昇が内心で固唾をのんで見守っていると、当の城司は額を押さえて、一度大きく息を吐いた。


「……悪い、冷静さを失ってた」


 直後に口にしたのはそんな謝罪の言葉。


「んでもって、頼む。お前のその作戦に俺の力も加えてくれ」


 そして竜昇の言葉を受け入れる、そんな協力を表明する言葉だった。


「……それでは作戦を説明します。時間が無いので、全員一度で頭に叩き込んでください」


 そうして、竜昇はその作戦を三人に対して口にする。

 己の身を危険にさらす、城司に心変わりをさせないだけの覚悟を込めた、そんな一つの作戦を。

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