86:父の葛藤
竜昇が眠っていたのは、それほど長い時間ではないようだった。
「ああ。起きましたか竜昇さん」
ベットの上で目を開けて、視界に飛び込んでくる狭い天井を眺めていると、すぐそばからなじみ始めた声がそう呼びかけてくる。
自分が眠るまでの状態を思い出しながら起き上ると、眠る前よりも幾分思考がすっきりして、疲労によって低下していた脳機能が幾分戻ってきているのが感じられた。
「なにか食べますか、互情さん。いろいろあったせいで食事も後回しになっていましたし、脳の疲れなら糖分も取った方がいいでしょう」
言いながら、静は竜昇の分の荷物から少し甘めのパンを取り出して、ペットボトル飲料と一緒に手渡してくる。
どうやら二人は先に食事を済ませていたらしく、狭い室内には竜昇達が調達して来たパンの袋と思われるものが一つにまとめられて転がっていた。
「起きてくれて助かりました、竜昇さん。どうにも入淵さんが、なにも行動できない状況に焦りを見せ始めていましたので」
パンを手渡されたそのタイミングで、城司の注意がそれた隙をつくように静がそんなことを耳打ちして来る。
どうやら竜昇が寝ている間に静が城司の手当てをだいたい終わらせてくれたようで、出会った当初出血が見られた城司の頭には静が手当に使ったと思しき包帯が巻かれていた。
「悪いな少年。食いながらでいいから、そろそろ今後のことについて話し合いをしたいんだが」
「ああ、ちなみに、互情さんが寝ている間に入淵さんの手当ての他、私たちがこのビルに入ることになった大体の流れ、あの駅で入淵さんたちに遭遇するまでの話は済ませておきました」
「まあ、このビルについての少年の考え方とか、前の層に残ってたって言う手紙の話とか、いろいろと気になることはあったけどよ。それよりも、俺が今気がかりなのはうちの娘の件だ。それと、娘を連れ去りやがったって言うそのハイツって男のことだな。
生憎と、娘が連れ去られた状況を最初から最後まで見てるのはお前さんしかいないんでな。できれば早いところ話を聞かせてもらえると助かる」
内心の焦りを押し殺しきれていない様子で、それでも情報を求めて竜昇に対して城司はそう問うてくる。
その様子に、竜昇は自身が知りたいこと、聞きたいことをひとまず棚上げにして、先にあのハイツという男についての情報交換を優先することにした。
ここで下手に情報を出し渋れば、今すぐにでも娘の行方を捜しに行きたいだろう城司との間に精神的な溝ができかねないという判断だ。
そんな考えを、竜昇はパンを口に運びながら即座にまとめる。
「わかりました。とりあえず、俺があいつを追いかけたところまでの話は済んでるんですね? だったらその後の、二人とあのホームで合流するまでの話から始めましょう」
パンを飲み込み、竜昇はすぐさまそんな言葉と共に話し合いを開始する。
現実問題として、あのハイツという男についてはできるだけ早く話しておかなければならないという、そんな認識が竜昇の中にもあった。
「……なるほど。それでお前は、あのハイツって男と華夜を見失ったって訳か」
攻めるような口調にならぬように自身を押し殺して、それでも滲む苛立ちを隠しきれないと言ったそんな様子で、話を聞き終えた城司はそんな言葉を口にした。
大きくため息を吐くその様子からは、ハイツから娘を取り返せず、むざむざ取り逃がしてしまった竜昇を責めたてたいという衝動と、それが筋違いであることをしっかりと理解した理性とが拮抗している様子が否応なく見て取れる。
と、自身の発した言葉が、意図せず責めたてるような方向に傾きかけていたのに気付いたのだろう。
城司がハッとした様子で怪我をした頭に手を当てると、自身の不甲斐なさを悔やむような表情で竜昇に対して頭を下げて来た。
「悪いな。このことに関して、お前さんを攻めるのは筋違いだってのに。むしろあんな奴を相手に、危険を冒してまでギリギリまで追いかけてくれたことを感謝するべきなのに……」
「……いえ、それでも結局娘さんを取り返すことはできなかったわけですから……。それよりも、娘さんが攫われた件について何か心当たりはありますか?」
「そんなもん、全く心当たりがねぇよ。あっちの理由だろうとは思うが、そもそもあいつの言ってること自体、言葉が通じなくてまるで分らなかったし……」
「互情さんはどうですか? 追いかけていて、なにか気付いたことなどありませんでしたか?」
「気付いたこと、か……」
言われて腕を組み、幾分うまく働くようになった頭で竜昇は先の追撃戦、その中で垣間見たハイツの行動を思い出す。
と、そうしてみて、竜昇はようやく自身があの時一番警戒していて、しかし相手がとってこなかった行動があったのを思い出した。
「そう言えば、当初はあいつがあの女の子を攫ってったとき、逃げるための人質にするつもりなんじゃないかと思って、人質を盾にされることを警戒していたんだけど……、あいつ最後の最後までまったくその様子が無かったな」
「……人質目的ではなかった、ということですか? あの女の子、華夜さんを攫うこと自体に、何らかの意味があったと?」
「あるいは、連れて行けるなら誰でもよかったのかもしれない。たまたま意識を失ってて、体格的にも攫いやすそうだったあの娘を連れて行ったって言うだけで、実は攫う相手は他の誰かでも良かったのかも」
「……クソッ!!」
竜昇と静の会話に、我慢しきれなくなったのか城司が拳を思い切り壁へと叩き付ける。
竜昇たち自身、会話の進め方に配慮が足りなかったかとも思ったが、しかしこの話を進めないことには彼の娘である華夜の奪還にも全く道筋が見いだせない。
「落ち着いてください。もしも敵の狙いが単純な人質ではなく、華夜さん自身を連れ帰ることなのだとしたら、相手もそうそう簡単に華夜さんに危害を加えないはずです」
焦りと苛立ちを滲ませる城司に対して、静がどこまでも冷静な口調でそう言い聞かせる。
とは言え、彼女の言はただ城司を落ち着かせるためだけの、根拠のない空論という訳でもなかった。
実際、あのハイツという男が華夜を殺害しようと思った場合、わざわざ抱えて逃げるようなことをする必要はなかったはずだ。
少なくとも連れて逃げた以上、生かして連れて行かなければいけない何らかの理由があったはずなのである。
もっとも、それはとりあえずすぐに命の危険はないというだけの保証であって、完全な身の安全の保障ではないというのがこの場合の厄介なところだが。
(とりあえず連れて逃げた以上はいきなり殺される心配はないはずだ。……けど、だとしたら一体何の目的であの娘を連れ去ったんだ? 仮に一番攫いやすかったから攫ったのだとしても、じゃああの場で一人でも攫って行かなくちゃいけなかった理由ってなんだ?)
仮に攫えるなら誰でも良かったのだとしても、ではなぜ攫って行ったのかという問題はどうしても残る。
否、そもそもの話、攫って行った理由を考えるならば、もっと先に考えなくてはいけない根本的な問題があるのだ。
「あいつは、いったい何者なんだ?」
「……何者、ですか……」
口をついて出た言葉に、静が反応して考え込むようなそぶりを見せる。
とは言え、少し考えたくらいで答えが出るほどこれは簡単な問題ではない。
なにしろあのハイツというらしい男についての情報は、竜昇たちのスマートフォンに届いた一通のメッセージだけなのだ。
「この『くえすと』と書かれたメッセージの中では、あのハイツという方の肩書に【決戦二十七士】とありますね」
「それもよくわからないな。何らかの集団の名前、と考えるのが妥当なんだろうが……。後わかることと言ったら、これがもし名前の通りだとしたら、その集団の構成メンバーが二十七人いることになる、ってことくらいか?」
その予想が正しければ、あんな強敵がまだあと二十六人もいるという話になってしまう訳だが、しかしそれよりも問題なのはいるかもしれない二十六人を含めた、あのハイツという男たちの立場である。
極論を行ってしまえば竜昇たちは、その二十六人がいなくともまだ地上までこの階を含めて五十六階、希望的観測として一階部分が出口になっている可能性を考慮しても、まだ五十五階層ものダンジョンを攻略しなくてはいけない身の上なのだ。
【決戦二十七士】などといういかにもな名前の敵性存在を軽んじるわけではないが、しかしこのビルの正体について考えた場合、どうしてもその脅威度よりもどういう立場にいるのかというその点の方に視線が行ってしまう。
「ゲーム的に考えるなら、あいつらもこのビルが用意した強敵、ある種のユニークモンスターみたいなものなのかもしれないが……」
「いえ、それはどうなのでしょう? 私としては、そもそもこんなゲームを仕掛けた側の人間が、わざわざ倒してみろと言わんばかりのメッセージをよこしてこちらに姿を現す意味が解らないのですが……。
それに、互情さんの話では、あのハイツという殿方は自分で扉を開いたのではなく、開いた扉を鎖で強引に繋ぎ止めていたのですよね? なんと言うか、このビルの側の人間がとる手段としては、ずいぶんと強引なやり方のように思えるのですが……」
「……確かに」
言われてみると、確かにあのハイツがとっていた扉の開け方、否、扉の閉鎖阻止のやり方は、ずいぶんとハイツ自身の個人技に頼った、力技のような手段だった。
もしもこれがこのビルの管理人的立場にある人間だったならば、それこそマスターキーの様なもので扉を自由にあける手段の一つも持っていてもよさそうなものである。
「けど、だとしたらあいつはいったい何なんだ? あいつの装備と言い実力と言い、明らかに俺達と同じ一プレイヤーじゃなかったぞ」
「あるいは、立場の違う、しかし何らかの目的でこのビルを攻略しようとしている別口のプレイヤーなのかもしれません。このビルが何なのかを理解したうえで、きちんと準備を整えたうえでビルの中に侵入してきた攻略者、とでも言いましょうか……」
「俺達とは別口で、このビルに敵対する存在……?」
その可能性を考えた竜昇だったが、しかしそう考えると余計に不可解な点が増えてしまう。
もし仮にあのハイツという男が竜昇たちとは全く別の背景を持つ別口の攻略者だったと仮定すると、ではあの男が持つ別の背景というのはいったいどういうものなのか。
卓越した魔法戦闘と、それを前提として整えられた装備の数々。それだけならばまだ竜昇の知る現代ファンタジーの設定を思い出せば説明づけられないこともないが、しかしそれだけではあの男が使っていた未知の言語については全く説明がつかない。
使っていた言葉から推測するに、あの男は間違いなく日本人ではなかった。
装備や魔法だけならば、竜昇たちが知らなかっただけで世界の裏にはそう言う存在がいるのだ、で強引に説明がつけられないこともないが、そもそも使う言語からして違うとなるともっとそれ以上の、別の説明が必要になって来る。
それこそ、竜昇たちとはまるで別の国、あるいは別の世界から来た攻略者であるとでもいう可能ような――。
(いや、これ以上は根拠がないままの無理な憶測だな……。それに、わからないことはもっと他にもある訳だし)
そう、わからないことは実のところこれだけではないのだ。
もしもこの予想通り、ハイツたちが竜昇たちとは別口の攻略者だったと仮定するならば、竜昇たちの存在がそもそもよくわからないものになって来る。
なにしろすでに攻略者がいるような状態なのだとしたら、竜昇たちの存在は完全に不要だ。
というよりも、すでにこのビルを攻略しようとする、いわば敵と言っていい存在がすでにいるのに、そこからさらに竜昇たちというこのビルに対して決していい印象を抱かないだろう、いわば敵となりうるプレイヤーを新たに抱え込み、さらにはスキルという形で力を与えるというその判断がわからない。
(“俺達をあいつらにぶつけることが目的だった”、とか? けど……)
そんな可能性なら有りうるかと思いかけて、しかし竜昇の脳裏に次の瞬間には新たな疑問点が浮かび上がる。
もし仮に、ビルの側が竜昇たちプレイヤーと、ハイツたち【決戦二十七士】なる存在達との激突を望んでこんな状況をセッティングしたのだと仮定しても、そもそも彼らと竜昇たちが対立する保証などどこにもないのだ。
今回こそ実際に遭遇した瞬間に対立する羽目になってしまったが、出会い方によっては共闘体制を確立して敵が増えるだけの結果になってしまっていた可能性も十分にあり得る。
(言語が通じなければ結託の可能性はないと判断したか、とか? それとも言葉が通じても結託しないと確信するような理由があるのか?)
わからない。他にもいろいろと、様々な可能性を脳内で検証してみる竜昇だったが、しかしどれも推測の域を出なかったり、無視しえない矛盾が存在していてこれという答えが見えてこない。
やはりと言うべきか、今回も答えに至るための、決定的な判断材料が足りていないような感覚を覚える。
このビルに入ってから何度感じたかわからない、パズルのピースが決定的に足りていないようなもどかしい感覚。しかも厄介なのは、そうした中で見つかるピースがパズルの内側を形成するものばかりで、外枠を形成するピースがほとんど見つかっていないという点だ。
おかげで竜昇たちはパズルの全体像や大きさはおろか、このパズルが本当に通常通りの四角い形をしているのかもわからないような状態である。
「なあ、悪いんだが、この話、これ以上進展しないならここで止めにしてくれないか」
思考に没頭してしまっていた竜昇に対して、無理やりに苛立ちを押し殺したような声で、城司がどうにかそう言葉を紡ぐ。
「俺はこれでも、お前たちには感謝してる。礼もしたいと思ってるし、ここで休みを取る意味も、こんなビルの中で過ごしたせいで嫌というほどわかってる。
だから休むのは構わない。準備するのもいい。あのハイツとかいう男について、わかることをまとめることも必要だろう。
……けどな。もしもここで、答えの出ない話し合いをいつまでも続けるなら、悪いが俺は一人ででも華夜の奴を探しに行く」
言葉の端に抵抗を覚えている事実を滲ませながら、それでも城司はそれを振り払うようにそんな言葉を口にする。
考えてみれば、城司のこの反応は当然だ。なにしろ城司には、もっと言えばその娘の華夜には時間が無い。
確かに無理を押してでも攫って行った以上、いきなり彼女が殺される事態は予想しにくいが、しかしその予想だとて必ずしも正しいとは限らないのだ。
仮に正しかったとしても、攫って行った目的を果たした相手が彼女を殺害する可能性は否めないし、仮に命は無事だったとしても、命以外のところで無事とは呼べない危険が及ぶ可能性は十分にある。
「そうですね。申し訳ありません入淵さん。あまり時間を無駄にしてもいられないのでした。どのみち今は答えなど出せそうにないのです。ともに行動を共にするなら、早く準備を整えてこの場を出発しましょう」
「……いや、嬢ちゃんも、少年も、俺の方こそ無理を言った。もとはと言えば俺があいつを守ってやれてれば済んだ話だってのにな……。いや、それを言うなら最初からこのビルのおかしさに気付いていれば、か……。
悪いな。こんな、余裕のない大人で……。年なんざ、多分お前らの倍以上離れてるってのによ……」
こちらが意見を受け入れたことでどうにか冷静さを取り戻したのか、深いため息とともに城司がそんな謝罪の言葉を口にする。
竜昇としても、城司と、その娘である華夜の現状を知っていながら疑問点への考察に時間を費やしてしまったのはあまり褒められない失敗だ。
痛恨のミスとまではいわないものの、状況を考えれば少々このミスは人情味のかけるミスである。
とは言え、人情味にかけるというならば竜昇以上にそのあたり、シビアな思考回路を持った人間が一人いる。
「とりあえず、私たちが今やらなくてはならないことは明白です。ビルを攻略するべくこの階層を突破するにしても、ハイツ・ビゾン並びに入淵華夜さんの捜索を行うにしても、とにかくこの階層を探索する必要があります。
つきましては、とりあえずこの階層の探索にあたって、城司さんとはできるだけ行動を共に、パーティーを組みたいのですが」
「あ、ああ。それはこっちの方が頼みたいところだ。俺自身、一人でこのビルの中をうろつきまわる危険くらいは心得てる」
「でしたら、共闘するためにもまずは入淵さんのスキルを、スマートフォンのステータス画面を見せていただいても構いませんか? 互いに何ができるのか、どんな役割が向いているのかがわからないと、やはり共闘は難しくなりますので」
「あ、ああ。構わねぇよ」
そんなやり取りによって、言葉巧みに城司からスマートフォンを受け取り、彼のスキル編成の情報を引き出す静の手管に、竜昇は頬が引き攣りそうになるのを必死に抑え込む。
静がとったのは城司の陥っている困難な状況と、それを打破する効率を盾に取った巧妙である意味悪質な手口だ。
なにしろ静は、言ってしまえば相手の弱みに付け込むような形でスキル編成という、ある意味では生命線とも言える情報を相手に先に出させることの成功してしまったのだから。
もちろん、相手の情報を見た以上竜昇自身も自分たちの手の内をさらすつもりで入るし、変に話がこじれないうちに相手の手の内を覗えたことは効率の面でも最善の展開ではあるのだが、間違いなく相手の弱い部分をついている自覚があるはずなのに顔色一つ変えない自分のパートナーが恐ろしい。
(まあ、これもまた今さらな話か)
思いつつ、竜昇もまた城司の手の内を頭に叩き込むべく差し出されたスマートフォンの、その画面をのぞき込む。
さて一体どんなスキルを習得しているのかと、並ぶその編成に目を通して――。
「――え?」
そこに表示されていたスキルの、その横に表示された数字に、思わず言葉を失った。
入淵城司
スキル
盾スキル:100
魔法スキル・盾:100
迫撃スキル:100
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