72:闇に包まれし体育館

 【探査波動】という魔法、まあ、これも術式を用いずに発動するタイプの技であるため、厳密にいうなら魔技とでも呼ぶべき能力なのだが、何はともあれ、この技の持つ効力というのは理屈の上では単純だ。

 普段は感じられないだけで、人間の体の中にも魔力というのは確かに存在している。これは、魔法を使うのに使う魔力だったり、それ以外の魔力だったりといろいろなのだが、ともかく【探査波動】という技が行うのは、そうした通常では感じられない魔力を魔力の波動をぶつけることで刺激し、一時的に感じ取れるような魔力にするという理屈なのである。

 そして、これまで出会ってきた敵達についても、一応この理屈は適応されてきた。

 今回の敵、この体育館に潜む、というよりも体育館そのものと化していると思しき敵についても。


「この体育館自体が敵、ですか――!?」


「ああ、間違いない。俺達は今、巨大な敵の体の中にいるんだ……!!」


 ほとんど周囲を見渡せない闇の中、周囲を満たす魔力の気配、その正体に驚く静の声に対して、竜昇は確信を込めた声でそう答える。

 対して、静の方も最初こそ驚いたようだったが、しかしすぐに状況と照らし合わせて理解したのか、すぐに納得したような声が竜昇の耳にも聞こえて来た。


「……なるほど、周囲一面、探査波動による気配に満ちているというのはそんな理由ですか。――というか、敵の方たちの体を構成している黒い煙って、やっぱり魔力だったんですね」


「ああ、そういやそうだな。気配を感じないから俺もよくわかんなかったんだけど……。って言ってる場合じゃないぞ。敵の体内でしかもこの暗闇だ。これじゃ何処からどんな攻撃が来るかもこっちには掴めな――」


 と、言いかけた時。ふと周囲の、黒煙によって形成される闇のその向こうで、何やらボールが体育館の床を打つような、ボールが床上ではねているような、そんな聞き覚えのある音がする。

 思ううち、聞こえる音が徐々に連続して耳へと届いて、その音の感覚が時間とともにどんどん短くなっていく。


(これは……、バスケットボールかなにかか?)


 思い、その方向に意識を集中させた瞬間それが来た。

 黒煙の闇を貫き、どうにか視界が効く雷光の領域へと突然バスケットボールが現れて、そちらへと意識を集中していた竜昇の顔面へと一直線に飛んでくる。


 直撃すると、不意を突かれた竜昇がそう理解した、その瞬間。


「フッ――」


 激突する直前、眼の前まで迫っていたボールを横から伸びた手が、その手に握る十手であっさりと弾き飛ばし、顔面へと飛んできていたボールが弾かれて、闇の中へと転がっていく。

 一応用心はしていたのか、籠手を装着した左手で、さらにオーラによる加護で守ったまま十手を振るっていたようだったが、しかしそんな用心も実際に触れた限りではあまり意味がなかったらしい。


「ふむ……、本当にただのバスケットボールだったようですね。電撃仕込という訳でもなければボール自体が硬質化しているわけでもない」


「あ、ああ。ありがとう、小原さん」


「いえ、お気になさらずに。それよりも気を付けてください。どうやらこの暗闇の中に、今ボールをぶつけてきた何かが――、互情さん!!」


 言いかけていたその時、なにかの危険を察したらしい静が竜昇の前へと立ちはだかり、同時に左手の籠手の力を発動させて竜昇の身も飲み込む形でシールドを展開させる。

 竜昇にはまねできない直感と反応速度。

 そしてそれに驚く暇もなく、静が察したその攻撃が、展開された半透明のシールドに、鈍い音と共に目で見える明らかな形で着弾した。


「なっ……、これは――」


「野球ボール、いえ、この場合はデッドボールと言った方がいいのでしょうか」


「確かに、バスケットボールなら痛いですんでも、野球ボールは下手すりゃ死ねる、なッ!!」


 言いつつ、竜昇はすぐさま周囲に浮かべた雷球へと意識を飛ばし、うち二つに指令を出してボールが来たその箇所目がけて光条を叩き込む。

 視界が効かない中での闇雲な射撃。それゆえ、攻撃者に反撃が当たるかは少々分が悪いかけだと思っていたのだが、しかし直後に起こった現象は予想したよりもさらに悪いものだった。


「煙が……」


 放たれた光条。それを構成する雷撃が、周囲の黒い魔力の煙と干渉しあってみるみるその規模を減衰して消えていく。

 敵を撃ち抜ける確率は低いと思っていた。すでに敵が移動していて、こちらの攻撃が当たらないというのならばそれは予想の範疇だった。

 だがそもそもの話、こちらの攻撃がこの闇の向こうにまで届かないとはさすがに思っていなかった。


「おいおいマジかよ……。この煙、こっちの攻撃を減衰させる効果もあるのか……!!」


「減衰、というよりも相殺に近いのでしょうか……。だとしたら厄介ですね。向こうの攻撃はこちらに届くのに、こちらの攻撃は向こうには届かないなんて」


 言いつつ、静はシールドが消えるとともに撃ち込まれたバレーボールを十手で叩き落とし、続けて腰のベルトに差していたボールペンを引き抜いてボールが飛んできたその方向へと勢いよく投擲する。

 ボールペンを【鋼纏】で強化したうえで発動させる【螺旋スパイラル】。

 魔力によって回転のエネルギーを駆けられて、ドリルのように直進していたボールペンは、しかし先ほどの光条と同じく黒い煙によって勢いを殺され、瞬く間に空中で動きを止めて金属音と共に床へと落下した。


「物理的な攻撃もだめですね。下手をすると武器を振るうにも敵の妨害を受けるかもしれません」


「一応相殺ってことはこっちの攻撃を受ければ煙の方もある程度消えるみたいだな。さっき【光芒雷撃レイボルト】を撃ち込んだ箇所が少しだけ見晴らしがよくなった。

……けど相変わらず敵の姿が見えないな。ボールを投げつけてきた奴がこの体育館に煙を充満させてるのか、それとも煙の奴とは別々の個体なのかはわかんないけど、目くらましと防壁を兼ねてるとは厄介な煙だ」


「そうですね……。とは言え、動いている敵が一体ならまだやりようがあります。【迅雷撃フィアボルト】あたりの範囲攻撃で、煙ごと敵を倒してしまえば――、いえ」


 静がそう言いかけたその時、再び闇の向こうからボールが床の上ではねるような、そんな音があちこちから響いてくる。

 そう、あちこちだ。聞こえてくる音は決して一体ではない。

 ざっと数えただけでも十以上。それだけの数の大量の敵が、黒い煙に包まれた闇の向こうで竜昇たちを攻撃しようとボールの投擲態勢を整えていた。


「シールドッ――!!」


 危険を察して、静が再び竜昇を飲み込むようにシールドを展開したのは、まさに寸前のタイミングだったと言えるだろう。

 竜昇の周囲を半透明の防壁が包み込んだその直後、四方八方から多種多様なボールが一斉に飛来して、展開された防壁目がけて次々とぶち当たる。


「小原さん――!!」


「大丈夫です。ただのボールですから、野球ボールでもたいしたことはありません。それより互情さんは反撃の――、互情さんッ!!」


 言いかけて、静はシールドの内部で竜昇に飛び掛かるようにしてその体を床上目がけて押し倒す。

 すると間一髪、次の瞬間には竜昇たちを守っていたシールドが重い音と共に砕け散り、直前まで竜昇の頭があった位置を何かが通過して、倒れ込んだ竜昇たちのそばでふたたび重い衝突音が上がった。


「なんだ、これは……、砲丸?」


「どうやらそのようですね。恐らく、砲丸投げの要領で投げられて上から降ってきたのでしょう」


「なんっでもありかよまった、く……」


 言いかけたそばから、霧の向こうに先ほどまで感じていたのとは違う魔力の気配が現れて、同時に何も見えなかった闇の向こうに赤々とした炎が複数灯る。

 大小の球体を中心に、それを燃え上がらせているかのようなシルエット。

 炎の出現位置はまちまちで、胸の高さで構えられているものもあれば床上くらいに置いてあるものもあり、どうかすると真上に放り投げられているようなものもある。


「……おい、嘘だろ……?」


 その炎と位置の意味はすぐに分かった。同時にこの後自分たちに、なにが襲い掛かって来るのかということも。


「燃える魔球とかそんなのありか――!!」


 次の瞬間、野球のストレートが、バレーのスパイクが、サッカーのシュートが、その他様々な球技で使われるボールの数々が、皆一様に炎を纏って倒れる竜昇たちの元へと殺到する。

 こちらから相手への攻撃は届かないにもかかわらず、相手からの攻撃は減衰するどころかどうかすると勢いを増して、竜昇たちを殺害するべく襲い掛かる。

 対して竜昇の方はと言えば、この状況で打てる手はそう多くない。


「シールドォッ!!」


 すでに砕かれた直後の静に替わり、今度は竜昇の方が静を内側に取り込む形でシールドを展開する。

 直後、着弾。

 シールドの外、暗黒の霧の中で赤い炎が次々と爆ぜて、竜昇が展開したシールドに立て続けにひびが入る。


「クソ、守り切れない――!!」


「シールド――!!」


 竜昇のシールドが砕け散ったその瞬間、静がなけなしの魔力で二度目のシールドを展開する。

 遅れて着弾した燃える魔球たちを静のシールドがどうにか受け止めて、役目を終えたシールドが粉々に砕け散る。


「走りましょう互情さん。足を止めればいい的です」


「この暗闇の中でか――!?」


 言いつつも急ぎ立ち上がり、竜昇は雷球を先行させながら静に手を引かれる形で闇の中を疾走する。

 女子に手を引かれて敵から逃げているというこの状況は男としてはなかなかに情けないものがあったが、しかしこうして手を繋いででもいなければ静のことすら見失ってしまいかねない状況だった。


「まったく、燃える魔球とかスポーツ漫画とかではよく見るけど、実際に見ると完全に凶器の類だな――!!」


「あるのですかあんなものが? ボールなんて爆ぜて燃え尽きていましたよ!? 試合続行など不可能ではありませんか――!!」


「いや、それはそう言う演出って言うか――、小原さんッ、前――!!」


 竜昇が叫んだのとほぼ同時に、先ほど竜昇たちを襲ったのと同じ、燃え盛るボールを持った人型の影が闇を突き破るようにしてこちらへと飛び込んでくる。


 竜昇が引き連れる雷球に照らされたその影は、これまで見て来た敵達と同じ、黒い煙で肉体を形成された見覚えのあるものだった。

 恐らくはバスケットのものなのだろう、上下のユニフォームとシューズを纏った影の選手が、手にしたボールを、先を走る静の脳天目がけて叩き付けるようにしてこちらへと突っ込んできていた。

 燃えるシュートならぬ、燃えるダンクシュートでこちらを仕留めようとする黒い選手に対して、静がとったのは回避ではなく、距離を詰めての攻撃の一択だった。


「【爆道】――!!」


 空気圧の爆発による加速を伴い、体育館の床を蹴った静が敵のシュートの間合いを掻い潜り、一気に相手の懐の中へと肉薄する。

 右手に携えていた【加重の小太刀】を腰だめに構えて、体ごと相手に飛び込むようにしながら、静はその刃を相手の胴体に滑り込ませるようにして斬りつけた。


「手応え、ありです」


 すれ違いざまの斬撃がバスケット選手の影を切り捨てる。

 胴体部分で上下に分かたれた影が形を失い、手にしていたボールが燃え尽きて焦げ臭いにおいと共に焼け落ちる。


「やったのか?」


「いいえ。今の敵、体のどこにもあの赤い核がありませんでした。恐らくあの影、体育館に満ちている煙の、その一部なのでしょう」


「体育館そのものの核を破壊しないとどんだけ倒しても無駄だってことか……!!」


 再び走り出してそう言って、しかし竜昇は直後にその難易度に思い至って戦慄する。

 ただでさえ広いこの体育館、しかも二メートル先の視界も効かないこの暗闇の中で、これまでにも見て来た敵の核のような、あんな小さいものを見つけるというのは相当に困難だ。

 なにしろ、竜昇たちがいるこの場所は体育館なのだ。

 単純な面積でも相当な広さがあるし、体育倉庫や用具の倉庫など、“隠し場所”のようなものまで想定しはじめたらこの闇の中で敵に襲われながらでは到底探しきれない。


(しらみつぶしに探してたんじゃ先にこっちがやられる。どうにか核の、大体の位置を特定する方法だけでも考えないと……。――ッ!?)


「互情さん――!!」


 考えつつ走っていると、突如竜昇の腰から下に、なにか硬いものぶつかる衝撃が走って体が前へと倒れ込んだ。

 闇に紛れて、否、闇に包まれて何も見えない不可解な障害物。

 だがその真上に倒れ込み、勢い余ってその上を転がって向こう側に落ちるという事態になって、竜昇はこれとよく似たものを体育の時間に使ったことがあるのを思い出した。


(これは、跳び箱か――!!)


 やられた、と、そんな感覚が全身を支配する。

 場所が体育館で、ボールを使う敵がいるという状況故に、無意識に竜昇はこの場に障害物がある可能性を脳内から排除してしまっていた。

 先ほどこの体育館に引きずりこまれたさい、恐らくは体育館を仕切るのに使うであろうネットとそのロープに捕らえられてしまったというのに、体育館にある他の設備を敵が使ってくるという可能性を竜昇は完全に思考の外に置いてしまっていたのだ。

 だがよくよく考えてみれば、この闇の中では間違いなくこうした障害物の存在は有効だ。

 なにしろ暗い中でこんなものを置かれて、しかも相手の、いわば体の一部であろう黒い煙で隠してしまえば、それはもう相手の不意を討つトラップとして、そして足を止める障害物として十分すぎる機能を果たす。


 そして一度でも相手の足を止めることに成功したならば。

 それは向こうにとって、こちらを仕留めるための絶好の隙となる。


「――ぐッ、っぅ――!!」


 闇の中に炎の瞬きをいくつも見て、竜昇は慌てて身を起こしつつ、手にする魔本に魔力を流して機能の一つを呼び起こす。

 直後、目前の闇を構成する黒い煙を突き破り、幾種類ものボールが炎を纏って集中砲火となって竜昇のいる場所目がけて殺到して来た。

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