51:敵は己の中にあり

 幸いだったのは、敵に追われて一度は一階へと降りた竜昇が、上の階へと戻る前に保健室を発見していたことだった。

 おかげで衣食住にも事欠くこの不問ビルの中で、それでもどうにか立て籠もれる場所と治療道具だけは確保することができたのである。


 【探査波動】を用いて室内の安全を確認した後、とりあえず二人で室内へと入り込んで鍵をかける。竜昇が周囲のものを使ってバリケードを築く中、静が室内を物色して治療に使えるものを確保する。


「互情さん、ちょっといいですか?」


 竜昇がバリケードを設営し終えた直後、保健室内にあるカーテンで仕切られたベッドの方から、なにやら静が竜昇を呼ぶ声がする。

 なんだろうと、その呼びかけに応じて竜昇が近づくと、カーテンの向こうから『入ってきてください』と静の声が続けてきた。

 手当が終わったのかと、そう考えながらカーテンを開けて、言われるがままに中へと入る。


 中では裂かれた制服を脱ぎ、下着すら外した上半身裸の静が、ベッドに腰かけ、こちらに背中を向ける態勢で待っていた。


「――ブ」


 思わず吹き出すような音が口から洩れて、慌てて竜昇はカーテンの外へと脱出する。


「あの互情さん、いくらんでもその反応、流石に少々傷つくものがあるのですが……」


「いや丸見えだから!! 言ってくれれば準備できるまで待つんだから隠すくらいしてくれッ――!!」


「いえ、一応背中を向けているので丸見えとまでは言えないはずです。実はちょっと自分自身の手当てに難航しているところがありまして、できればお手伝い願えないかと……」


「てっ、手伝い!?」


 動転する竜昇をしり目に、カーテンの向こうから非常に冷静な静の声がする。

 言われて、そこでようやく竜昇は今静が問題視していることに気が付いた。要するに彼女、自分の体を自分自身で治療しきれず、竜昇にその手助けを求めているのだ。


「いや、でも……、小原さんはそれで大丈夫なのかよ?」


「まあ、私も一応女の端くれなので、全く抵抗が無いわけではないのですが……。流石にこの状況でそうもいっていられません。前は自分で何とかなるのですが、後ろ側は見えないので手当てしにくいのです。胸の傷がある状態で背中側の手当てをすると、こう、胸の傷を開くような姿勢になってしまいますし」


「……ああ、まあ、確かにそうかもしれないけど」


「かと言ってこの怪我では、なんの手当てもせずにいるわけにもいきませんし」


 どこまでも合理的な静の物言いに、多少なりとも竜昇の中に冷静さが戻って来る。

 静の言う通り、彼女の怪我の手当て自体は必要不可欠だ。

 現状、一応の治療方法として【治癒練功】と言う異能こそ保有している竜昇たちだが、【治癒練功】は怪我の治癒速度を速めるだけで、実際に治るまでにはそれ相応に時間がかかる。

 それまでの間の処置としても、とりあえず消毒や止血などの最低限の手当てはどうしても必要になって来るのである。


「そう言う訳ですのでどうかよろしくお願いいたします。今なら少しくらいのスケベ心は許容いたしますので」


「それはそれで結構不本意な物言いだな……。なんだったら目隠しでもしてやろうか?」


「いえ、そこまで気を使わなくても結構です。むしろ私としては、怪我の手当てはちゃんと手元を見てやっていただきたいですから」


 言われて、なんとなく退路を塞がれたような気分になりながら、再びカーテンを開けて竜昇は静が座るベッドのそばへと歩み寄る。

 思わず生唾を飲み込む自分に自己嫌悪を覚える。

 現状背中側しか見せていない静かだったが、しかしいかに背中側だけであってもこの光景は非常に目の毒だ。加速度的に上昇していく頬の温度を自覚して、竜昇は必死の思いで己の心の中に湧き上がるエネミーへと動きを封じる電撃(イメージ)を浴びせかけながら、できるだけ早く済ましてしまおうと心に決めて、脇に置いてあった薬瓶の方へと手を伸ばす。


「……、それじゃあ、まあ、失礼して……」


「はい、よろしくお願いします」


 どうやら静も、すでに自分の胸に負った裂傷については治療を終えていたらしい。

 恐らく消毒し、薬を塗布して上からガーゼを張り付けるか何かしたのだろう。薬瓶が置かれた台の上には、消毒の際に血を吸ったと思しき脱脂綿や、使われた形跡のあるテープやガーゼなどがいくつも残されていた。


 それを参考にして、竜昇も消毒液の瓶を手に取り、ピンセットで脱脂綿を突っ込んでアルコールを吸わせると、目につく傷ややけどなどにあてて静自身では届かないだろう怪我に片っ端から対処していく。


「…………、……、…………ッ、……フ、ゥ……」


 流石に傷に染みるのか、聞こえる静の呼吸が時折乱れる。

 これだけあちこち怪我をしていて、ほとんど声を漏らさないというのは恐るべき精神力だったが、それでもやはり静も痛みを感じていないわけではないらしい。

 その吐息の音がどこかなまめかしくも感じられて、竜昇は時々息を吹き返す、心の中の強敵を何度も何度も鎮圧しながら、どうにか背中側の手当てを一通り終わらせた。

続けて静から包帯を一巻渡される。

 どうやら胸の周りに包帯を巻く作業を頼まれているらしい。


(……まあ、これも背中に手を回さなくちゃいけないから、胸の傷には触るか)


 内心で諦めるようにそう考えて、竜昇は包帯を受け取り、静の体の前側を見ないようにしながら彼女の胸元に包帯を巻いてやる。


 包帯越しに静の体温が竜昇の手へと伝わって来る。

 ピンセットだけでもどうにかできた先ほどまでの治療と違い、包帯を巻くとなるとどうしても竜昇自身が静に近づかなくてはいけなくなるし、作業の都合上竜昇自身の手が静の体に接触せざるを得なくなるのだ。


(落ち着け。これは医療行為だ。接触は最小限に、おかしなところには触らない。俺は今男としての紳士度を試されているんだ)


 己の理性をフル回転させて言い聞かせ、次々に心の中にわいてくるエネミーに渾身の電撃を浴びせかけながら、竜昇どうにか紳士的ならざる接触を回避して静の体に包帯を巻き終える。

 途中、男を試されているのならば我慢するのは間違いなのではというボス級のぼんのうが出現したが、どうにかそんな敵をも鎮圧して竜昇はこの理性を削るような作業をやり切った。

 包帯を厳重に巻いたことでとりあえず一番まずい部分が隠れ、竜昇は少しだけ惜しいような気分になりながらもホッとする。


「すいませんが腕の方の火傷もお願いします。包帯などは、流石に片手では少しやりにくいですから」


「ああ、わかった」


 胸元が包帯によって隠れ、それもあってこちらへと向き直った静の要請にこたえて、竜昇は今度は彼女の二の腕当たりの火傷の後に包帯を巻きつける。

 その途中、よく考えたら裸の直接包帯を巻いただけという今の静の状態はそれはそれで無防備極まりない、非常に危険な状態なのではないかと気が付いたが、追撃のように現れたそのしこうも竜昇は意思の力を用いて強引に封殺した。

 できるだけ静の胸元に視線を向けないようにして、どうにか竜昇は静の腕の怪我の手当てを完遂する。


「お世話をおかけしました、互情さん。一応、足の方はなんとか自分でできますので」


「あ、ああっ、後はちょっと、外に出てるわッ!!」


 腕の治療が終わった後、ほとんど躊躇なく太腿に負った火傷の治療に入ってしまった静を見て、竜昇は慌てて立ち上がり、外へと飛び出してなんとか心の敵との戦線から離脱する。

 最後の最後で裂けたスカートの隙間から見えてはいけないものが見えかけた、そんな光景が頭に張り付いて離れない。静も静で治療だからと言って割り切りすぎではないかとそんなことを思いながら、それでも竜昇はどうにか深呼吸を繰り返して己の中に冷静さを呼び戻した。


「ありがとうございます。助かりました、互情さん」


「イヤイヤイヤ、それはこちらこそありがとうございますって言うかッ、ああっ、それだとなんか違う意味になりそうだけど決してお礼を言わなきゃいけない見え方はしていないというかッ――」


「いえ、今のことだけではなく、先ほど助けていただいたことについてもです」


 カーテンの向こう側、表情を覗えないそんな場所から、どこか申し訳なさそうな声色で静がそんなことを言う。

 もっとも、たとえ表情が見えたところで彼女の場合はいつものポーカーフェイスなのかもしれないが、しかし表情が変わらなかったところで、彼女が何も感じていないわけではないことはもう竜昇にもわかっている。


「いや、昨日なんかこっちが助けられっぱなしだったわけだし、そこは気にしなくてもいいと思うけど」


「いいえ。気にしないわけにはいかないでしょう。なにしろ二人そろって命を落としかけたのです。正直この階層に来てからの私は、どうにもいいところがありません。油断するにもほどがあります」


 思いつめすぎなのではないかと、そう思っていた竜昇だったが、しかし静の言葉を聞いて少し考えを改める。

 いかにゲーム的なシチュエーションを整えられて、ゲーム的な技や魔法を使うものであろうとも、それでも今竜昇たちが行っているのは命を懸けた戦いだ。

 一度の些細なミスで不利に陥ることなど十分にあり得るし、それどころかそんなミスが一気に命を落とす展開にまで行ってしまう可能性もあるのだ。

 どんなに些細なミスであっても、そのミスの取り返しが毎回つくとは限らないのだ。思いつめすぎてもいけないが、しかし今回陥った危機については、“二人そろって”しっかり反省しておく必要はある。


「そうだな。ちょうど腰を落ち着けられる場所も確保できたことだし、手当が終わったら二人で反省会でも開催するか。ちょうど話し合わなくちゃいけない、スキルや装備関連の問題もあることだし」


「反省会、ですか……。そうですね。少々お待ちください。すぐに手当てを終わらせますので」


 竜昇の言葉、そこに込めた意図を察してくれたのか、静からそんな言葉が帰ってきて、直後にカーテンの向こうから衣擦れのような音が聞こえてくる。


 耳に入ってくるその音に、『これは包帯の音、包帯の音』とたぶん真実だろうことを自分に言い聞かせながら、竜昇は意識を逸らす意味も込めて荷物と一緒に置いてあった、先ほど手に入れたばかりの二枚のカードへと手を伸す。


 一枚は走るグランドピアノとの戦いでドロップした、人が走るような絵柄が描かれたスキルカード。そしてもう一枚、先ほどの人体模型からドロップしたものには、風らしきものが渦巻く、剣を構えた人間の柄と思しきものが描かれていた。

 後者はもちろん、前者に関しても入手した直後に敵が来てしまったためその内容までは確認できていなかったが、こうして落ち着ける場所を得たことで、とりあえず解析アプリにかけて何のスキルなのかを確認することには成功していた。


 鑑定アプリで調べて表示された名前は、それぞれ【歩法スキル】と【嵐剣スキル】。

 くわえて、竜昇がすでに習得してしまった【魔本スキル】こそが、多くの武器と静の負傷という代償を払ってなんとか確保した、現状の戦力の喪失を穴埋めしうるかけがえのない戦利品だった。

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