47:譲れない一線

 乱れた呼吸を整えるべく、深呼吸を繰り返している最中ではあったが、上の階からその音が聞こえてきたその瞬間には思わず息をのんだ。

 体の芯に響くような、強烈な振動と爆発音。

 それだけであっても、今の竜昇には上の階で何が起きたのかは、それこそ火ならぬ鬼火を見るよりも明らかだった。


(……ッ、今の爆発、まさかさっきの鬼火に、小原さんが引っ掛かったんじゃないだろうな――!!)


 思い、ほとんど願うような思いで竜昇は上の階、そこに感じる魔力に意識を集中させる。

 一応静の魔力はまだ感じられたが、しかし先程使った【探査波動】の効果が切れ始めているのか気配が希薄で、上の階の静がどんな状態にあるのかは不透明だった。


(くッ……。せめてさっきの鬼火の存在を、小原さんにどうにか伝えられていたら……)


 竜昇とて大量の鬼火が二階の廊下に散布されるのを指をくわえてみていたわけではない。

 否、結局のところ廊下を漂う空中機雷のようなあの鬼火の魔法発動は阻めていないのだから、そこは指をくわえてみていたと言われても仕方がないのかもしれないが、しかしその魔法が発動した直後、なんとか静にその魔法の存在を伝えようと、声を張り上げるくらいのことは当然していた。

 だがそんな些細な抵抗すらも、あの銅像の魔法攻撃によってあえなく阻まれた。

 張り上げた声は撃ち込まれる鬼火の爆音によって遮られ、さらには竜昇自身が撃ち込まれる鬼火に追い立てられたことで、なりふり構わず一階に逃げ込まざるを得なくなってしまったのだ。

一階の昇降口、そこに並ぶ下駄箱の一番奥に身を潜め、息を殺して物陰から状況を覗いながら、竜昇は結局何もできなかった自分自身に歯噛みする。


(……落ち着け。ここで俺が見つかったら元も子もない。とにかくここは俺は俺で、どうにかこの状況を打開しないと……)


 意図して大きく息を吐き、竜昇は今陥っている、この状況を打開する術を必死に模索する。

 現状、今竜昇がとりうる選択肢は大まかに分けて三つだ。

まず一つ目は逃げること。単純な魔法の発動速度、正面からの撃ち合いでは勝てないあの銅像との交戦を避けて、何らかの手段でこの場を離脱するという選択肢。

 とは言えこれは現状難しい。この学校が校舎の外に出られない構造になっていることは先ほど確認したばかりだし、他に逃げる場所と言えば階段を上って上の階に行くしかない。

 だがこの校舎内に三つある階段の内、中央にある階段は銅像がいるため使えない。その向こうにある、大校舎側の階段も同じ理由で使用不能だ。

 唯一残るのは小校舎側の、先ほどピアノや人体模型から逃げるのに使っていたあの階段だが、そもそもこの校舎内の、碌に遮蔽物もない廊下を走ってあの階段を目指そうとすれば、背後からあの銅像の鬼火によって狙い撃ちにされてしまう。第一仮に上の階に上れたとしても、そこでは静が人体模型と交戦の真っ最中なのだ。そこに竜昇が銅像を引き連れて舞い戻ったとしても、恐らく不利になるのは竜昇たちの側である。


 では二つ目の選択肢、この場で待つというのはどうだろうか。

 要するにこの場ではひたすら時間稼ぎに徹して、上の階の静が人体模型を片付けて、こちらへ救援に来てくれるのを待つという考えである。


 実際ない選択肢というわけではないだろう。先ほど撃ちあった限りでも、魔導書による何らかの補助を受けているらしきあの銅像の方が魔法の発動速度が速く、その分強いというのは既に判明している事実である。まともにぶつかり合って勝てない以上、救援が来るのを待つというのは、少なくとも無謀な力比べを挑むよりはまだ正しい選択と言えるだろう。


(……けど、その選択肢はないな)


 後ろ向きな考えを吐き捨てるように、竜昇は自嘲と共にその第二の選択肢を却下する。


 確かに竜昇が銅像とまともに戦えば、不利であるという事実に間違いはないだろう。

 だが一方で、静が確実にこちらへの救援に来られる保証もまたどこにもない。

 スキル抜きでも相手を圧倒できる、絶大な才能を持つ静であるが、しかし静の才能が絶大ではあっても絶対ではないという事実を竜昇は既にあの半骨のマンモスとの交戦で知っている。先ほど戦った時の状況をかんがみても、あの人体模型と静とはあまり相性がいいとも言い切れない。

 それでなくとも先ほどの爆発のこともあるのだ。どうかすると上の階では、すでに静があの人体模型を相手に苦戦を強いられているという可能性も十分にある。


 それにもう一つ。竜昇にはこの二つ目の選択肢を選ぶわけには行かない、なによりも大きな理由がある。


(共に歩くって、隣を歩くって誓っただろうが……!!)


 そう。竜昇は既に心に決めたのだ。あの博物館の最奥で、あるいは昨晩のあの教室の中で。彼女の隣を歩くと、彼女に並びたてる存在になるのだと。


 そのために昨晩、静が眠るその間に、竜昇は自分がどうするべきかを考えた。

 このビルの中に囚われた不自由な状況下で、静と並び立つために、竜昇は何をするべきなのかと。


 まず真っ先に思いついたのは訓練などの努力の方向性だったが、しかしビルに囚われ、敵を倒しながら出口を目指さねばならない現状ではそれも難しい。


 訓練や練習というのはあくまで安全な場所で時間と体力を費やして行うものであって、この極限状況下でそれを行うなど、泥棒を見てから縄をなうような、はっきり言って手遅れの愚考である。そもそも今を生き延びるのも難しい現状で、時間と体力を無駄に費やすことなどどう考えてもできそうにない。


 ならばスキルや魔法はどうだろうか?

 このビルに入ってから使えるようになったいくつかの常識外の要素、それらの中に現状打開の可能性を模索して、それによってより強い力を獲得するというのは絶好の選択肢なのではないか?

 そう考えた竜昇だったが、そもそもスキルの効果によって知識を与えられているだけの竜昇ではそれも難しい。一応【静雷撃】の使い方など、既存の魔法の応用方ならいくつか思いつかないこともなかったが、しかしスキルによるもの以上の知識を持たない竜昇では、スキルで強くなろうと思うならレベルを上げるか、あるいは新たなスキルを獲得するよりほかに手段がなかった。


 そうなって、結局最後に残った選択肢が何だったかと言えば、ある意味では基本よりさらに前の段階の、自身の意識と思考、もっと言うならば心構えの領域の話である。

 一晩真剣に考えて、竜昇は自身の発展のその形を、己の内面の中にこそ求めることにしたのである。


 何も特別なことをしようとは思わない。

 先の博物館、そこでの戦闘の経験を参考にして、自分の長所と短所、できることとできないこと、するべきこととそうでないことを明確に意識して、それを参考にした行動指針をしっかりと自分の中に刻み込む。


 自分がとっさの事態に弱いことはわかっていたから、事前に様々な事態を予測して、それに対してどう対処するかを意識に刻み付けておいた。

そしてそれでも想定外の事態に直面したならば、とっさの判断能力に優れる静の指示を信じて、従おうと心に決めた。


 その決断が間違っているとは思わない。

 どんなに意地を張ろうが、竜昇自身の能力が静に劣っているのはやはり事実なのだ。そこを認めて、その部分で足手まといにならないように立ち回るというのは決して間違った判断ではないだろう。


 けれど一方で、それがある種の妥協であるというのもまた事実なのだ。竜昇の判断は決して間違っているわけではないのだろうが、それでも竜昇が静の隣を歩ける存在になろうと望むならば、彼女の後ろをついて歩き、背後から彼女を補佐するだけでは、その役割に大きな不足がある。


 だからここは、やはり譲れない一線だ。


 もしも竜昇が後ろをついて歩くだけの存在になることを良しとせず、あくまでも静の隣を目指すというのなら、たとえどんな障害が目の前に立ちはだかろうとも、竜昇は静を助けに向かわねばならない。

 そのためには、今竜昇が選ぶべき選択肢は何なのか。


(そんなの、決まってる……!!)


 それは第三の選択肢、戦うこと。

 正面からダメならば絡め手でもなんでも使って、自力でこの場を突破して上の階の静の救援にいち早く向かうこと。


 たとえそのために危険に飛び込むことになるのだとしても、救援に向かうのは自分なのだと、そう自分に言い聞かせて、竜昇は胸の内で戦いに挑む覚悟を決める。

 即座に思考を切り替えて、竜昇は眼の前の状況を打開するべく必死に頭を働かせる。


(さて、となると、どうする……?)


 現在敵である銅像は階段の前に陣取ったまま動く気配がない。恐らく竜昇がこの近辺に隠れたことはわかっているのだろうが、一階にある他の部屋、トイレや受付、面談室などの、ここからでも見える部屋のどこかにいるのか、あるいはこうして下駄箱の影に隠れているのかがわからないのだろう。注意がこちらに向いている様子なのを考えればどちらの方向に行ったのかくらいはわかったのだろうが、その後何処に隠れたのかがわからずにいるらしい。


(となれば、こっちのやるべきことは一つだ。なんとか相手に位置がばれる前に準備を整えて、あいつが背中に背負っている核を破壊する)


 思いつつ、竜昇は一階に逃げる途中で回収しておいた荷物の中から追加の石斧を取り出し、その武骨な握りの感触を確かめる。


(敵の魔法発動はあの魔導書の影響なのかほとんど隙が無い。こちらが先に術式の準備を始めていてもある程度なら間に合わせてくるし、複数の魔法を同時に操作することまでできるみたいだった……。同等レベルの魔法を打ちあっていては確実に負ける。……けど、威力に関しては果たしてどうだ?)


 先ほど背後からの奇襲をかけた際、その魔法として【雷撃】を選択した竜昇だったが、しかし今にして思えばあの時もしもより上級の、【迅雷撃】を選択していたら事態はこうはならなかったのではないかと思う。

 一度撃っただけの魔法だから確かなことは言えないが、あの魔法の威力は通常の【雷撃】よりもはるかに高い。少なくともとっさに発動できるような簡単な魔法では相殺などしきれないはずなのだ。

 問題はこの敵に、こちらの最大火力と同等以上の手札があるのか否か。


(後はあいつの魔法発動の隙をついて、どうやってあんなタメの大きい魔法を使うか、だな)


 気を緩めると焦りを帯びてきそうな思考を必死に制御しながら、竜昇は己の手持ちの最大火力に一縷の望みを託す。

 後はどう攻めるべきかと、そんなことに頭を悩ませていると、不意に竜昇の隠れる下駄箱、その位置から見える廊下の一画に、それまでになかったものが大量に流れて来た。


 先ほど銅像から逃げる際、銅像が廊下にはなっているのがちらりと見えた、ピンポン玉大の小さな鬼火が。


(――ッ、逃げ道を塞ぎに来やがったか)


 まるでシャボン玉でも浮かべるように、竜昇が潜むすぐそばの、廊下全体が小さな鬼火によって満たされていく。

 空中に浮かび漂う、追跡誘導弾ともまた違う、先ほど二階でも使っていた鬼火の魔法。

 恐らくはこちらが接触するなどすれば、それだけで炸裂する空中機雷の様なものなのだろう。これでは反撃するどころか、相手に照準を合わせるべく飛び出したとたんに大量の鬼火によって爆殺されてしまう。


(見たところ奴は銅像の体のせいか動きが鈍い。廊下を鬼火で満たして通れないようにしたことを考えても、あいつはほぼ間違いなくあの場をうごかずにこちらを狙い打つつもりだ……)


 廊下に充満する大量の鬼火は、確かに竜昇の動きを封じるものではあるが、しかし同時にあの銅像自身も廊下を自由に歩けないようにするものだ。

 もちろん、術者である以上あの銅像が自分の意思で鬼火を消す可能性は十分にあるが、少なくともあの敵はこちらの殺害を確認するまではあの鬼火の群れを消すような真似はしないだろう。

 なにしろあの敵には、動かなくても敵を爆殺できる手段がある。


(――!!)


 思ったその瞬間、竜昇が潜む下駄箱、立ち並ぶその列の三列向こうで立て続けに爆発音が響き、直後に大きなものが倒れる派手な音が耳へと届く。

 急いで足音を殺して下駄箱の影の昇降口側に回り、そこから何が起きたのか様子をうかがうと、銅像から見て一番手前にある下駄箱の間の一列が滅茶苦茶に破壊されて、一番向こうにある下駄箱が横倒しになって倒れていた。

 どうやら銅像から見て一番手前の下駄箱と下駄箱の隙間に鬼火を撃ち込み、手前の下駄箱を自分の側に倒して視界を確保、自身が狙ったその場所に死体が無いかを確認したらしい。


(撃ち込んだのは、六連発の誘導弾の内三発。つまり撃った直後を狙っても残り三発分の鬼火をこちらの迎撃に回せる計算か……)


 竜昇がそんな観察をする間に、銅像は自身の背後に控える鬼火をきちんと補充して元の六発に戻し、同時に再び小さな鬼火を自身が爆破したその空間を満たすように放ってきちんと逃げ道を塞ぎにかかる。

 丹念で執拗なシラミ潰し。機械的な作業のように一階廊下の一画を自分の領域へと塗り替えて、銅像は再び同じ流れで昇降口付近の制圧作業を進めていく。


(ここが攻撃されて居場所がばれるのも時間の問題か……)


 背後でふたたび爆発の音が響いた。どうやら二列向こうが爆破されて、同じように下駄箱が倒されたらしい。すでに倒れていた下駄箱と今倒れたものとがぶつかり合うけたたましい音が竜昇の元まで響いてくる。


(下駄箱は倒れると重なり合うように倒れる……。倒れた下駄箱の上を走るのは危険が大きい上に効率が悪い)


 極力思考を落ち着ける。竜昇の思考回路はとっさの事態には弱いが、しかし逆に言えば思考の時間さえ取れればそれほど頭が悪いというわけではない。

 ならば限られた時間の中でどれだけ思考できるかが、勝負の趨勢を左右するカギになる。


(手持ちの呪符は雷撃二枚に静雷三枚、そして迅雷が一枚。武器は石槍一本に石斧二丁、どちらも電撃仕込み済み。使える魔法は三種類、プラスシールド。探査波動と治癒練功はこの場で使うには不適切)


 頭の中で手札を確認する。

 相手の手の内を思い出し、相手が撃ってきそうな手段に対して対処法をいくつか想定し、その優先順位を思考の中で決めていく。


 廊下の向こうにあった扉が爆破され、そのあと室内に鬼火が飛び込んで中の部屋を焼き尽くす。どうやら一列向こうの下駄箱の通路よりも、そちらの扉の方が近かった故にそちらが先に潰されたらしい。


(幸い敵の判断は機械的で予想しやすい。大丈夫だ。少なくとも見せられた手の内に対してだけなら、こいつがどう使ってくるかの予想は難しくない)


 竜昇の脳裏に奇策はない。この現状を一発で打開できるような、そんな都合のいい手は結局思いつかなかった。

 だから竜昇が行うのは、より堅実で、地道な相手の分析と予測だ。相手が自分の動きにどう対処して来るか、その動きを頭の中で想定し、それに対する自分の動きをきっちりと頭の中で組み立てる。

 対処法の手順をいくつも頭の中に用意して、竜昇はその場にカバンを置き去り、使用する武器だけを携えて動き出す。


 そのための合図は、恐らく今竜昇がいる下駄箱の、一つ向こうの列から聞こえてくるはずだ。


 ――竜昇を探してあぶり出すための、三発の鬼火からなる誘導弾の攻撃という形で。


 直後、立て続けに三回の爆音が下駄箱の一列向こうから響き渡る。

 重い振動を背中に感じながら、意を決して、竜昇は自身の足元、下駄箱の手前に敷かれていたスノコの一枚を勢いよく蹴り上げた。

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