45:命を預ける判断

 とっさにの事態に対応が遅れ、それでもどうにか呪符を構えた竜昇だったが、しかし幸いというべきなのか、呪符を使うまでもなく、迫る攻撃は別の攻撃によって排除された。

 迫りつくる鬼火の群れ、それに対して電撃をぶつけるその前に、静の方が先に攻撃に対応してしまったのだ。


 飛来する鬼火に、片っ端から電撃仕込の投げ銭をぶつけて相殺する。

 恐らくは竜昇よりも早く、新たに現れた敵の存在に気付いていたのだろう。とっさの対応においても竜昇の上を行く静の判断は実に的確で、しかしそれでも彼女一人にできることには限界があった。


「互情さん――!!」


「――ッ!!」


 呼ばれて静の方へと視線をやり、慌てて竜昇は発動させかけていた呪符に魔力を注ぎ直す。

 呪符を差し向ける。投擲を行った直後の静を狙い、棍棒を振り上げて駆け寄ろうとしていた人体模型の、その背中へと向けて。


再起動リブート――【雷撃ショックボルト】」


 直前で攻撃に気付いた人体模型が恐るべき速度で飛び上がったことで攻撃は回避されてしまったが、しかしそれでもどうにか静の身に攻撃が及ぶ事態だけは阻止できた。

 迫りくる最後の鬼火に投げ銭を撃ち込んで相殺しながら、態勢を立て直した静が一直線にこちらへと向かって走り寄る。


「階段から下へ。一度逃げますよ、互情さん――!!」


「あ、ああ。わかった――!!」


 竜昇とてとっさの状況判断で静が自分に勝ることは既に経験でわかっている。不利な状況もあいまって静の判断に運命を委ね、右手にいつでも打てるよう魔法を準備しながら背後の階段へと走り出す。


 当然、敵である人体模型もそうはさせじと追ってくるが、そんな敵の動きを見逃す静ではない。ポーチの中に残っていた最後の古銭二枚を牽制に投げつけて、敵が回避のために下がった隙をついて竜昇のいる踊り場まで一気に飛び降りてくる。

 当然、人体模型もそれを追ってきたが、こんどは竜昇の魔法がそれを阻むこととなった。


「【雷撃ショックボルト】――!!」


 人体模型が階段上に現れたその瞬間を狙い、用意していた魔法をその鼻面に叩き込む。

 竜昇としてはこれも牽制になればと言う程度の狙いの攻撃だったが、幸運にも放たれた電撃は人体模型の体にまともにヒットした。


(――当たった!?)


 回避されると思っていただけに驚きを覚え、下の階へと走り去ろうとしていた竜昇の足が一瞬止まる。意図せぬ攻撃成功で、しかしあの人体模型の足は今確実に止まっているはずだ。だとすれば今のこの状況は、あの厄介な敵を倒しうる絶好のチャンスに他ならない。

 竜昇の脳裏に、ほんの一瞬そんな考えが頭をよぎる。左手に握る石槍の存在が、ほんのわずかに竜昇の意識を刺激して。


「――互情さん」


「――ッ、ああ、わかった」


 静の声にすぐさま我に返り、己の中に生じた未練を断ち切って、眼下の階段を一息に駆け下りた。


 不問ビルに足を踏み入れ、幾度かの戦いを潜り抜ける中で、竜昇は自分という人間が、決して突発的な事態での状況判断力に優れているわけではないことを知っている。だからこそ竜昇は事前に危険を想定し、対処法を用意しておく心構えでそれをカバーしようとしていたし、先ほどのトイレでの対処などはその心構えがさっそく功を奏した形だ。

 とはいえ、そうした心構えだけですべてカバーしきれると思うほど、竜昇もおめでたい思考はしていない。

 どんな時でも想定外の事態というのは起こりうるし、そもそも全ての事態を想定するなど不可能だ。

 ある程度ならば事前の予測で対応できるにしても、それができなかった場合の行動指針も、何らかの形で用意しておく必要がある。


「悪い、遅くなった」


「いえ」


 二階の廊下に差し掛かったところで静と交わす短い応酬。帰って来る短い返事に己の精神を落ち着けながら、どうにか竜昇は乱れた思考を通常の状態にまで引き戻す。


 自身の想定外の事態に際して、その対応策として竜昇が出した結論は、身もふたもない言い方をするなら『静を頼る』ということだった。

 少々情けない、他力本願にも思えるものの考え方ではあるものの、結局のところそれが一番だと、最終的に竜昇は結論付けたのである。


 実際、小原静の状況判断能力は明らかに常人の域を超えている。

 単純に頭の回転が速いというのもあるのだろうが、危機的状況においても揺るがないその精神力は竜昇には到底マネのできない代物だ。


 加えて、静にはもともと、こちらをある程度フォローして来るところがある。

 これはマンモス戦の時のような立ち回りの部分でもそうだし、今回のような判断の面でも言えることだ。

 恐らく彼女は、竜昇が窮地に陥ればフォローしに来てくれる。

 それがどんなリスクをはらんだ、危険な判断だったとしても、そのリスクを呑んだ上でだ。


 ならば竜昇がするべきことは、うまく働かない頭で自分の判断を持つことではない。

 情けなかろうがみっともなかろうが彼女の判断に従って、そしてその判断に命を懸ける。

 自己のプライドのために無理をして静まで危険に巻き込むくらいならば、自分では届かない所は静に任せて、静がカバーしきれない部分をどうフォローするかを考えた方がよっぽど建設的だというのが、最終的に竜昇が自身に下した判断だった。

 そして実際、少なくともこの局面においてはその判断が功を奏した。


「うぉっ!?」


 寸前まで竜昇たちがいた階段の踊り場に、先ほど銅像の背後に控えていたのと同一のものと思われる鬼火が立て続けに着弾し、階段を下りたばかりの竜昇たちの背中に熱風の余波が襲い来る。

 どうやら敵の魔法は単純に真っ直ぐ跳ぶだけの弾丸ではないらしい。廊下をまっすぐに進むだけではなく、階段をある程度下りてきたことを考えると、追尾性能か誘導性能のどちらかが備わっていると見た方がよさそうだった。


 あのまま戻っていたら危なかったと、竜昇は心中でホッと胸を撫で下ろす。

 とは言え、まだこの段階ではあの敵たちから完全に逃げ切れたわけではない。


「互情さん。【探査波動】をお願いします」


「【探査波動】? ――いや、わかった」


 言われて、抱いた疑問を無視してすぐさま竜昇は言われた通りに自身の中で魔力を準備する。


「範囲は上の階含めてこの校舎全体、最低でも先ほどの銅像を範囲内に捕らえられるように」


「オーケー」


 告げられる静の要請に従い、竜昇はすぐさま言われた範囲に展開されるように調整し、自身の中にあった魔力を外へと放出する。

 最悪さらに追加で迫る敵が探知されることも覚悟したが、幸いなことに顕在化した気配は目の前の静と背後の階段の上の人体模型、そして前方の中央階段から下りてこようとしている銅像のものだけだった。

 とは言え、人体模型はまだ動き出せてはおらず、銅像の方はその材質故なのか動きが遅い。


「これなら、行けそうですね。互情さん、すぐにお願いしたいことがあります」


「わかった」


 静の作戦立案を、竜昇は余計な問いを省いて二つ返事で引き受ける。

 直後、竜昇は静の指示に従う形ですぐさま行動を開始した。






 学校の怪談の定番、歩き回る銅像というそんな姿をした敵が階段を下りるのには若干の時間を必要とした。

 本来ならば自分が下りようとしている階段の前など、追いかける二人組がとっくに駆け抜けていてもよさそうなものだったが、しかしどういう訳か下の階に逃げた二人組は銅像に探査用の魔力をぶつけた後足を止め、何やら二階の教室付近でうろうろと動いているようだった。


 それは階段を降りつつ魔法を、自身の背後に展開する六発の鬼火を用意していた銅像にとっては少々予想外の動きだった。階段の前を通ろうとするならば、銅像はすかさず階段前を通る敵に鬼火の群れを叩き込むつもりでいたのだから。


 銅像故の重い足取りでドスドスと階段を下りながら、銅像はものをいうことなくその気配の様子を探る。


『……』


 標的に動きはない。いや、厳密には何やら魔力の気配があり、何らかの魔法を行使しているような気配がする。

 それだけを確認し、銅像は階段を下り切って廊下へと一歩を踏み出そうとして――。


 その寸前自分の背後に控えさせていた鬼火二発を、目の前の階段前の角を曲がる形で先行させた。

 撃ちだされた鬼火が階段前で大きく曲がり、廊下を進んで標的へと攻撃を仕掛けようとして、直後にそれが相手からの電撃によって相殺される。


『……』


 これが銅像ではなく人間であったならば、予想通りのその反応に『やはり』という言葉とともにほくそ笑んでいただろう。

 だが生憎と銅像はその金属の顔故ににこりともせず、ただ手元の本へと視線を落とした態勢のまま残る四発の火球を、今度は軌道やタイミングをばらけさせる形で標的へと撃ち出した。

 直後、暗い廊下の中で炎の光とその爆発音が連続する。

 攻撃の結果は失敗。どうやら寸前で教室の中へと飛び込んで標的は難を逃れたらしい。

 感じられる一人の気配が教室に飛び込んだのが感じられたし、物陰から階段へと歩み出ると、黒く焦げた廊下の床の、そのすぐそばの扉が勢いよく閉められて、同時にその扉に鍵がかかる音が聞こえてくる。


 そして銅像が廊下へと顔を出したのとほぼ同時に、銅像と標的がいる二階の廊下に、もう一体の影が飛び込んでくるのが視認できた。


 標的のいる教室を挟んでその反対側。

 中央階段前に陣取る銅像に対して、後者の端の階段から勢いよく飛び下りてきた人体模型が、両腕に骨の棍棒を携えたまま素早い動きで廊下を走り抜け、標的が飛び込み、立てこもっていると思しき部屋の前までの距離を一気に詰めていった。

 銅像が自身の背後へと鬼火六発を現出させ、浮かべるその間に、すでに人体模型は両手の骨を勢い良く扉目がけて振りかぶっている。


『――』


 銅像が見ているその前で、人体模型が棍棒を振り下ろしたその瞬間、標的の潜む教室の扉が棍棒に寄って粉砕されて、同時に人体模型の動きがいきなりビクリと硬直する。


 まるで敵の電撃を浴びて、感電させられたようなそんな動き。否、まるでではない。なぜならそもそもその扉自体に、事前にそうなるように仕掛けが施されていたのだから。


「【静雷撃サイレントボルト】。教室の扉に事前に仕掛けさせていただきました」


 声と共に、粉砕された扉の向こうから何かが勢いよく飛び出してくる。

 感電しよろめく人体模型へと向けて、とどめを刺すべく飛び出してきたそのなにかは、しかし教室を飛び出したその直後、銅像によって放たれた二発の鬼火を受けて粉々になって吹き飛んだ。


『――』


 ただし、そうして鬼火の直撃を受け、粉砕されて廊下に転がったのはただの椅子。

 囮かと、そうと認識したうえで銅像は攻撃の手を緩めない。追撃に四発の鬼火を撃ち放ち、飛来した鬼火が誘導性能を利用して教室の前で方向を変え、中の標的を爆砕するべく教室の中へと飛び込んだ。

 爆発が連続する。

 だが教室内に感じる気配はいまだ消えていない。

 恐らくは教室内の机やいすを盾にしたか、何らかの防御魔法を用いたかして鬼火から身を守ったのだろう。

 実際魔法を使って攻撃を相殺するという手もあるのだ。少なくとも今の攻撃に関しては防御されることは想定内のものである。


『……』


 ただそこで、ふと銅像は一つの疑問を持った。

 先ほどからの敵の行動。恐らくはこちらを待ち伏せ、迎え撃つつもりだっただろうその算段。しかしどうにもその算段の中で、一度に行動する人間の数が少なすぎるのではないかということに。


『――』


 明らかにおかしいと、意思の無い機械的な思考が行き着くまでにはそう時間がかからなかった。どう考えても一瞬のうちに二人が同時に行動すればいいそんなタイミングもあったのに、しかしこの敵は一度に一人の人間しか動いていない。


 いや、そもそもの話。

 どうして気配が一つしか感じられないのに、相手二人がともに行動しているなどと考えていたというのか。


 と、そこまで考えたその瞬間。銅像の背後でその答えを示すように一つの音がする。


 振り返るまでもなく、銅像にはそれが標的の足音なのだとすぐにわかった。

 振り返るその瞬間には、すでに自分が陽動に引っかかったのだということが理解できていた。


 実際振り返って見たその先では、先ほどの標的二人の片割れが魔法の発動準備を整えて迫っている。


「――【雷撃ショックボルト】」


 直後。銅像の背後、一階へと続く階段から飛び出した竜昇が、魔法を撃ち切ったばかりの銅像目がけて容赦なく電撃を撃ち込んだ。

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