40:夜は明けない

 まあ、考えてみれば当たり前の話である。

 いかに静が超人的な立ち回りが可能な存在であると言っても、かといって彼女がそこまで本格的に人間をやめているわけではない。

 このビルに入って魔法的な技術は習得してしまったものの、しかし元々の肉体的にはごくごく普通の人類の少女だ。

 当然人間である以上、いや、それ以前に生物である以上どうあっても生理現象からは逃げられない。


「まあ、厳密にはそこまで切羽詰まっているというわけではないのですが」


 二人で廊下を進む道すがら、何やらいつもと変わらぬポーカーフェイスで、静はそんなことを口にする。彼女が言うには、いつも行くような時間が近づいてきたから、そろそろ言っておきたいとそう言うことらしい。

 確かに彼女の言葉通り、その表情は少なくとも切羽詰まった人間のそれではない。ないのだが……。


(いや、でもどうなんだろう?)


 なんだかずいぶんと濃密な時間を過ごしているせいで、静とはずいぶんと長く付き合っていたような気がするが、しかし実のところ竜昇と静はまだであって一日も経っていない、賞味精々十数時間という非常に短い時間を過ごしただけの間柄だ。ただでさえ普段からポーカーフェイスを貫いている彼女の表情から、その言葉の真意がどうであるのかなど検討のつけようがない。


(まあ、早いところトイレを見つけた方がいいかもな)


 一応最悪の事態を想定して、竜昇はひそかに心の中でそう決定する。

 とは言え、一口にトイレを探すと言っても、それはそれであまり簡単な話ではない。


 なにしろここは常識外の力を振るって襲ってくる、黒い煙の塊のようなエネミーの闊歩する不問ビルの中なのだ。いかに外に良くある街並みが広がる、ただの学校のような環境であるとは言っても、そこについては決して見誤ってはいけない。

 当然、『トイレに行きたいです』『はい、行ってらっしゃい』などと送り出す訳にもいかず、竜昇たちは現在、荷物をすべてまとめて二人で周囲を警戒しながらトイレを探索していた。


「こうなると、ここが学校であるというのが幸いですね」


 隣にある教室の扉をあけ放ち、教室の中を確認しながら、ふと静はそんなことを口にする。現在竜昇たちは、廊下を進むうえで隣にある教室の中からの奇襲を避けるため、扉の前を通るたびにそれをあけ放ち、中に何かがいないかを確認するという、そんな作業を進めながら廊下を進んでいた。一応竜昇としては【探査波動】を使うことも考えたのだが、しかしあの技は波動を振りまいた範囲にいる相手にどうしてもこちらの存在を知らせてしまうため、隠密行動の意味もあってその使用を控えていたのだ。


「教室は四クラスですか。いちいち一つ一つ確認するのは面倒でしたが、特に変わった様子はありませんね」


「なんだか、本当に普通の学校って感じだな。掃除用具入れや教壇の中にエネミーが隠れてるって訳でもないみたいだし……」


 そんな会話をしながら進んでいくと、ほどなくして見慣れた男女の、トイレのマークが見えてくる。

 やはりと言うべきか、この学校の内部構造は普通の学校のイメージとそれほど大差はないようで、教室が立ち並ぶのと同じ階の中にきっちり男女それぞれのトイレが存在していた。


「さて、それでは互情さん、とりあえず交代で用を済ませてしまいましょう。一応互情さんは何かあった時に動けるよう、トイレの前で控えていてください。出てきたら交代で互情さんの番です」


「いや、俺は別にそれほど行きたいわけではないのだが……」


「無理強いするつもりはありませんが、行ける時に言っておいた方がいいと思いますよ。この後いつ行ける機会があるかもわかりませんから」


 静の言葉に、まあそれはそうかと竜昇も納得する。

 実際探索を進めていけば、本当にいつどこで用を足せるかもわからないのだ。彼女の言う通り済ませられるうちに済ませておいた方がいいのは確かである。

 まあ、もしかすると静の意図としては、自分が行くのだからお前も行けという、そんな考えもあったのかもしれないが。


「それでは、少々ここでお待ちください」


 そう言う静を何も聞かないように見送り、竜昇は壁にもたれて周囲に警戒しながらこれからのことを考える。

 この学校のような階層では今のところ敵には出くわしていないが、しかしここがこれまでと同じ不問ビルであることを考えるなら、恐らく基本的なルールもこれまでと同じだろう。上の博物館がそうだったように、恐らくこれから竜昇たちはどこかにあるはずのボス部屋を探し出して、そこにいるボスを倒して下の階に進むことを当面の目標にするべきだ。


 では、目指すべきボス部屋はどこなのだろうか。

 それ以前にこの階層、この学校の構造はどうなっているのか。

 そう考えて、竜昇は窓の外、廊下側とは反対の、教室の中から見えた校舎の配置を頭の中で思い出す。

 どうやらこの学校、五つの建物が台形を形成するように配置されているらしく、それぞれの建物が角で通路によってつながっているようなそんな構造になっているようだった。

 まず今竜昇たちがいる四階建てと思われる校舎があり、その正面にここと同じくらいの校舎が、こちらに対して若干斜めになる形で立っている。さらに左手にはこちらはかなり横に大きい、高さも一回分大きい五階建てと思われる校舎が立っており、どうやら正面の校舎が斜めになって見えるのは、こちらの校舎の戸の位置が関係しているようだった。

 さらに右手には、こちらは今いる校舎や正面の物より若干小さな校舎があり、その向こうにもう一つ、大きな体育館のような校舎が立っているのが見て取れる。

 体育館を除く、台形を形成する四つの校舎の真ん中には、今も月明かりに照らされる中庭のようなものが見えており、そこを通れば左手の大校舎を含みどの校舎からでも右手の小校舎、そして体育館までも簡単に行けそうだったが、しかし窓などが全て塞がれている現状、果たして外である中庭にまで出られるのかは不透明なところだった。


(教室が各階に四つでそれが四階建て……。そんな校舎があと一つに、それよりももっと大きい校舎が一つ、後は大きさ的にもよくわからない校舎が一つ、か。単純に教室数だけで考えるなら、中等部、高等部、それから初等部と……、後は職員室とか、その他の学校施設、ってことになるんだろうか……?)


 これまでに覗いてきた教室の数と見える校舎の大きさから判断し、竜昇は自分が今いるこの学校が、小中高一貫の学校なのではないかと予想する。今いる校舎が高等部のものなのか中等部のものなのかはわからなかったが、しかし並ぶ机の大きさや、教室内に掲示されていた掲示物などをかんがみて、竜昇はここが中等部の校舎なのではないかと予想を付けた。


(一応、校舎同士をつなぐ通路はあるみたいだが……)


 視線を巡らせ、竜昇はすぐそばにある、閉ざされた防火扉の方へと視線を向ける。どうやらその扉の向こうが隣の小校舎へと通じる通路の様なのだが、しかし閉まっている扉が妙にその道の通路を阻害しているようにも感じられた。静が戻ってきたならば、一度そこが開くかどうかだけでも確認しておく必要があるだろう。


(まあけど、今後について話し合う必要もあるし、一度さっきの教室に戻って夜が明けるのを待った方がいい、か……?)


 思いつつ、ふと竜昇は一つ重大な疑問を胸に抱く。

 暗い校舎。真夜中の学校。竜昇としては暗い中で行動するよりも、夜が明けて、明るくなってから探索した方が得策だろうと、そう思っていたのだが、しかしよくよく考えてみればその考えには一つ重大な疑念が伴っているのだ。


(なんでまだ夜が明けてないんだ……?)


 既に竜昇たちは、この階層に来てから交代で睡眠を摂っている。

 それは本格的な睡眠とは言えない、壁にもたれかかり寄り添い合うような態勢でのお世辞にも快適とは言えない眠りではあったが、しかし二人がそろって、とりあえず疲労を回復させられるくらいには眠ったのもまた事実だ。【治癒練功】によってかなり効率的に眠れたと考えても、それでも二人を合わせれば合計で八時間以上は間違いなく経過しているはずである。


(それなのに、なんでまだ夜が明けていないんだ……?)


 嫌な予感に襲われて、竜昇は慌ててスマートフォンの画面を確認する。

 先ほどステータスなどを確認したときには見損ねていた、外面の左上に表示される小さな時刻表示。意図してみなければ小さすぎて見逃してしまうその表示は、すでに朝の九時過ぎを表示していた。

 つまり現在のこの時刻、通常ならばとっくに夜明けなど通り過ぎて日が昇っている。


(そうだ……。よくよく考えてみれば……!!)


 窓の外に見える光景が本物の景色ではない、いわば一種の舞台設定なのだろうということは、つい先ほど静との会話の中で竜昇自身が予想したことだ。

 そして当然、窓の外に見える光景というのは、広がる街並みや校舎の全貌だけでなく、未だに夜明けを迎える様子の無い月夜の夜空も含まれる。

 では果たして、この階層がいつまでたっても夜であるという、その舞台設定の意味は何なのか。


(夜のままの学校……。真夜中の校舎。だとしたらここのコンセプトは――。――ヤバいッ!!)


 慌てて交輪は自身の背後、先ほど静が入って行った女子トイレの方へと振り返る。

いったい何でこんなメジャーなネタになぜ気付かなかったのだと、そんな自責の念が頭をよぎる。

 もしもこの学校が、“そう言うもの”だとしたならば、トイレというシチュエーションはあまりにも危険だ。


「小原さん――!!」


 名前を呼び、なりふり構わず女子トイレへと飛び込む。普段であれば絶対にできないような暴挙だったが、今この場でだけは竜昇の脳裏からそんな常識的な価値観は吹っ飛んだ。

 思い過ごしであるならばこの際後のことはどうでもいいと、ある種の覚悟まで決めて踏み込んだ女子トイレのその中では――


『――アカァ?』


 全身に白い布のようなものを巻き付けた、まるでミイラのような小柄なセーラー服姿のエネミーが、その全身に巻かれた白布を伸ばして静の体をかんじがらめに拘束し、今まさに彼女を絞め殺さんとしている、そんな状況だった。

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