36:近づく距離

「【治癒練功】……? これは、【護法スキル】の方の技でしょうか?」


 差し向けられた竜昇のスマートフォン、そこに表示される表記を確認して、静は一言そんな予想を口にする。

 それに対して竜昇も頷きを一つ返すと、さっそく【治癒練功】なるそのアビリティの効力を説明していくことにした。


「さっきざっと確認してて気づいたんだ。内容としては、体内の魔力に働きかけることで怪我の治癒を促進させるって感じのものなんだけど」


 自身の左腕、そこに刻まれた裂傷の存在を示すと、静も思い出したように自分の右側頭部に手を当てる。

 先ほどの博物館の最後に、静がその箇所に受けた攻撃は、今でこそ止まっているがそれなりの出血を伴うものだった。恐らく彼女の髪をかき分ければ、そこにはまだ新しい傷が一筋存在していることだろう。


「なるほど、以前互情さんがおっしゃっていた回復魔法というものなのですか?」


「まあ、俺がイメージしてたのよりも若干時間がかかるみたいだけどな。それでも、一晩あればとりあえずこれくらいの傷なら塞げるはずだ。体全体に作用する能力みたいだから、他にも怪我があったら治っていくし、疲労にも効果がある」


「それは助かります。実を言うと、頭の傷以外にも少し痛むところがあったのです」


 竜昇の言葉を受けて、静は薄く微笑みながら少々心配になるような、そんな言葉を口にする。

 当然、竜昇としてはそれはなかなか看過しにくい証言だ。


「痛むところって、他にもどこか怪我をしてたのか!? 大丈夫なのか、いったいどこに――」


「いえ、お尻に痣ができていまして。たぶんあの大名に襲われたときだと思うのですが……。見たいですか?」


「え……、うん、ああ――ッてイヤイヤイヤイヤ――!!」


 真顔で言われて、危うく反射的に同意しかけた竜昇に対して、静がどこか楽しそうにクスリと笑う。

 その様子は基本的にポーカーフェイスでいることが多かった静の印象とは少し違うものがあり、なんとなくではあるが打ち解けたような印象を竜昇にもたらしていた。


(とはいえこの娘、ちょっと男を舐めすぎてないか……?)


 そう言えば霧岸は中高一貫の女子校だったなと思い出しながら、竜昇はふと、これまでとは違う意味で自身の先行きを懸念する。

 まさかこの先、ずっと理性を試される事態が続くのではないだろうなとそう思い、どこか後ろめたいような気分になりながら先ほどの話の続きをすることにした。


「ま、まあともかく、この【治癒練功】を使えば、とりあえずそういった怪我の治療はできる。その、相手と接触してれば自分と相手に同時にかけることも可能だから、手なりなんなりに触れていれば寝てる間にでも回復は可能だ」


「手、ですか。ですが互情さん、その技術、もしかして接触する面積が多い方が効果は高いのではないですか?」


「――え?」


 言われて、思わず竜昇は驚きにポカンとした顔をする。

 予想もしていなかった言葉だから、ではない。先ほどの会話の中で何となく意識してしまって、それとなくぼかして口にせずに済ませていた部分だったからだ。


「なんで、それを……」


「いえ、なんとなくそんな知識を思い出しただけです。もしかすると、これもスキルのレベル上昇によって得られる知識なのかもしれませんね」


 言われて、竜昇は驚きと納得双方が入り混じったような感情に襲われる。確かに、竜昇自身スキルのレベルが上がったせいなのか、これまでにも魔力や魔法という概念について、それに伴う知識のようなものが脳内に流し込まれているのをなんとなくではあるが感じていた。

 というか、そもそも今回の【治癒練功】、その他の魔法的技術全般の知識がそうなのだ。同じことが、同じようにスキルを習得していっている静に起きたところでなにもおかしくはない。


「性質的に見て、恐らくは【纏力スキル】の成長の恩恵でしょうか。他者に体内の魔力を操作させる場合、こちらはできるだけ力を抜いて、その操作に逆らわないようにした方がいい。服越しでも特に問題はないが、接触面積は多い方が干渉はしやすい。私が今思い出せる知識は大体こんなものですね」


 すらすらと、教科書でも読むようにそう言って、静は竜昇と必要な魔法知識のすり合わせをあっさりと済ませる。

 実際、静の言は竜昇の中にある知識とも特に齟齬があるようには感じなかった。あるいは魔力操作の技術における、これは基本的な事項だったのかもしれない。


「さて、となれば私は、できるだけ互情さんとの接触面積を増やしておくべきなのでしょうけれど、ならば果たして私はどうしたらいいのでしょうか……?」


「ど、どうしたらって……」


 なんとなくたじろぐ竜昇に対して、静はその顔に薄い笑みを浮かべて『決めました』とそう言うと、竜昇の横に回り込んだ後一歩一歩、彼我の距離を着実に詰めて、竜昇の元へと迫って来る。

 ドキリと心臓が跳ね上がる。鼓動が速くなり、思わず竜昇の両脚が後ろの方へと後退る。

 こちらに近づく静から視線を逸らせない。

 否応なく頬が熱くなるのを感じながら、竜昇はまるで追いこまれるように壁際までたどり着き、そこでに置いてあった荷物に躓いて壁に体重を預けるような形でその場に倒れ込んで――。


「――フフ」


 至近距離まで近づいた静が微かに笑って、そのままクルリと体を反転させて、竜昇の倒れ込んだ背後の壁に自分も背中を預け、そしてそのまま体を倒して竜昇の左肩へと頭を乗せた。

 壁際に並んで座り、静は隣の竜昇へぴったりと体をくっつける形で寄り掛かる。


「お、オハラさん……!?」


「それではこの態勢でお願いします」


 どぎまぎする竜昇に対して、静は目を瞑って平然とそう要求する。

 確かに、今のこの態勢ならば手を握っているだけの場合よりも接触面積は大きいし、まともな寝具もないこの状況下では隣の人間に寄り掛かって眠るというのはまだ寝やすい態勢だ。寝ている間に【治癒練功】で回復を図るならば、なかなか悪くない態勢であるとも言える。


「一応膝枕というのも考えていたのですが、それだと何かがあった時に機敏に動けなくなりますからね」


 そしてこうして態勢の意味やメリットを語られてしまうと、竜昇としても無碍にはできない。そもそも【治癒練功】の存在を語って治療を提案したのは竜昇自身であるわけだし、命がかかったこの状況で治療にも効率を求めるのはそれほどおかしな話という訳でもなかった。


「さて、それでは互情さん、すいませんが互情さんの治癒、試していただいてもよろしいですか?」


「あ、ああ……。一応他人が体内の魔力をいじる訳だから、ちょっと最初はなれないかもしれないけど」


「フフ、わかりました。優しくしてくださいね」


 自覚して言っているのか無自覚なのか、やはりなかなかに危ういことを言って、静が竜昇の半身に寄り掛かった状態で今度こそ完全に体を弛緩させる。

 対して竜昇も流石にもう覚悟を決めて、初めて試す、しかしどういう訳か初めてという感じのしないそんな技術を、自分と静の中で試し始めた。


(――【治癒練功】)


 意識を集中させて、己の中の魔力を特定の色に染め上げる。

 スキルによってもたらされた術式の知識と、知識ともいえない、どちらかと言えば経験から来る感覚に近いものを動員して己の中の魔力に性質を与え、それを全身にめぐらせて己が体の治療を開始する。


「――ふぅ」


 少し体温が上がったような、ぽかぽかとした感覚が全身に広がり、思わず竜昇は一つ吐息を漏らした。

 とは言え、いつまでもその感覚に戸惑ってもいられない。自分の体が終わったならば、次は肩に感じる静の体だ。接触面から伝わる体温に意識を戻し、まるで己の魔力で彼女の体を侵食するように魔力を流し込み、彼女の中の魔力と接続させて徐々にその魔力を同じ治癒の色へと染めていく。


「……ん」


 肩に寄り掛かる静が小さな吐息を漏らす。

 だが彼女が返した反応はそれだけで、接続した彼女の魔力は特に暴れて竜昇からの干渉を振り切るようなこともなく、やがて静の全身に竜昇からの干渉が巡って彼女の体でも同時に治療が開始される。


「どうだ? 特に問題はないか?」


「ええ。少し慣れない感覚ですが大丈夫です。それよりも、すいませんがこのまま、先に休ませていただいていいでしょうか?」


「あ、ああ。適当に時間が経ったら起こすから、それまでは見張りは任せておいてくれ」


「では、お願いします。……あと、治療以上のことを、されるのでしたら……、できれば、起きた後に……、していただけると……」


 やはりそれなりに疲れていたと見るべきなのか、それとも【治癒練功】の効果に眠気を誘われたのか、眠る際に途切れ途切れにそんな時限爆弾のような発言を竜昇へと残しながら、静は竜昇の体に体重を預けたまま、吸い込まれるように穏やかな眠りへと落ちて行った。

 夜の教室の中を静寂が包み込み、そんな中で肩から感じる小さな呼吸音だけが耳へと届く。


(治療以上の、ことって……)


 残された竜昇の思考が、どうしても最後の、静の残した爆弾のような発言に引きずられる。治療に意識を集中させようとすればするほど、その対象になっている少女の存在が明確に感覚を刺激して、周囲を満たすあらゆる事象が、己の自制心を試しているような、そんな感覚に襲われる。


(これ……、絶対今俺手玉に取られてるよな……)


 顔に感じる熱は治癒の副作用なのだとそう言い聞かせながら、竜昇は最大の理性でもってして己と静の魔力の操作に集中し続ける。

 当初こそ、自分も静共々眠ってしまい、見張りが意味をなさなくなるという、そんな可能性を懸念していた竜昇だったが、少なくともこの状況では絶対に眠れそうになかった。


(……まあいい。どのみち一人の間に、考えなくちゃいけないことは山ほどあるんだ)


 どうにか落ち着いた思考を取り戻し、竜昇は当初予定していたそんな思考を開始する。

 そう、竜昇は考えなくてはならないのだ。

 先の博物館で、自分の足りなさは嫌というほど思い知った。静の常識外の才能と実力も、いやというほど理解させられた。

 それでも竜昇は彼女と共に歩み、生き残るのだと決めたのだ。


 ならばこそ竜昇は、考えなければならない。

この不問ビルのことを。ビルの中でのゲームのことを。先ほどのマンモスとの戦闘中に起きたことを。


 そして何より、これから竜昇がどうするべきかを。

 肩に感じる、圧倒的な強さを誇るこの少女に対して、自分が何ができて、そしてどうすれば並び立つことができるのかを。


(強く、なる……)


 薄暗い教室内を静かに見つめて、竜昇は心中でそう己の覚悟を確かめる。

 竜昇の不問ビルでの長い夜は、まだ始まったばかりだった。

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