29:諦観
実のところ、静もこのマンモスに対して具体的な対抗策を持っていたわけではない。
自分一人が逃げられるとなって、それでも一人で逃げるということをしなかったのは、本当に竜昇に言った通り、それでは流石に不義理だろうと、そんな場違いなことを考えてしまったからだ。
ただし、彼女の場合、こうした義理・不義理という言葉は、通常のそれよりも少々重要度が異なる。
不義理と、それだけを聞くと、流石に命を張るには少々軽い理由に聞こえるが、しかし義理というのは静にとってそれは数少ない、自身を人間の側に繋ぎ止めてくれる事項なのだ。
人間離れした自分を、人間の側に居させるための大事な楔。より人間らしく、人間的であろうと思うのならば、決して果たさない訳にはいかない人間的な行動。
自身の同類ではないのだと、そう竜昇に対して見切りをつけた静だったが、しかしそれで静が彼に助けられたという事実が変わるわけではない。なにしろゲームに疎い、このビルのルールすらまともに把握していなかった静が、竜昇の存在に大いに助けられていたのもまた事実なのだ。
ならば最低限通すべき筋として、少なくとも竜昇との今の関係が続く限りは、彼を見捨てるようなまねはせずに置こうと心に決めていた。
それくらいの義理は果たしておこうと思っていた。
「なるほど、先ほども見ていましたが、飛ばした石器は後からご自身で回収するのですね」
静の周囲で、叩き落とされて地面に転がっていた石器の数々が浮き上がってマンモスの体へと戻っていく。
先にも一度見た、一度飛ばした石器の回収風景。
切っ先を自身に向けてまるで躊躇なくその体に突き刺して、マンモスはこちらの出方を覗うように、わずかに鼻を揺らしながら背中の石器に魔力を流す。
再び体中に食い込んだ石器が浮き上がる。視認できた石器は石槍二本、石斧八本、石刃十本の計二十本。石刃は直線に飛で来るため一番対応しやすく、石斧は威力こそ石刃と同程度か少し上くらいだが、回転しながら弧を描いて飛んでくる性質がある。
そして石槍、実を言えばこれが恐らく一番厄介だ。先ほど一度見たその威力は、このフロアの階段を一撃で使用不能なまでにふっ飛ばすほどのものだった。
性質としては陰陽師の召喚獣、そのうちの一体だったカラスの鉄杭と似ているが、こちらの方が恐らく威力はさらに上。弾速の速さを考えても撃ち込まれてしまったら、いかに静と言えども防御は不可能に近い。
そんな戦力分析を一瞬で済ませて、そのあと少しだけ静は自分という人間を省みる。
こんな状況でも思考はクリアで、心音は穏やかで、小原静の異形の精神は、自身の中にまるで揺らぎというものを見出せない。
本当に、自分という人間の、なんと人間味の無い事か。
ならば自分は、他の誰よりも人間の振りをしなくてはなるまいと、そんな思考で静は背後の竜昇にできうる限りの人間らしさをアピールする。
「下がっていてください互情さん。ご安心を。互情さんは私が守りますので」
「守、る……?」
静の背中に感じる竜昇の気配がそう呟いて、しかし静はそこまでで竜昇の反応を頭の中からシャットアウトした。今は話をするよりも、目の前の敵に集中しなくてはならない。
「ブブブブウウウウウウ」
まるでノイズの混ざったような、マンモスのものとしては少々不適当な声が重く響いて、同時にその周囲にあった石器が次々と切っ先を静に向けて動き出す。
まず解き放たれた攻撃は、石刃四本に石斧二本の計六本。正面から石刃が、左右から石斧がそれぞれ迫る中、 対する静がとった行動は酷く単純だった。
「――フッ」
短く息を吐き、静はまず前方から飛来する石刃を十手と刀を使って続けざまに叩き落とす。
一応と発動してみた【磁引の十手】の特殊効果は相手が金属でないせいか効果がなかったが、それでも纏力スキルの技術である【剛纏】によって強化された筋力を存分に使い、静は両手の武器を素早く石刃の軌道に割り込ませて問題なく四つの石刃を迎え撃った。
静にとって、飛んでくる物体を手にした得物で叩くのはさほど難しくない。
もとより、飛んでくるボールを打つような行為なら普段からやっていたのだ。
普段テニスボールだったものが、命を奪う刃物に変わったところで、少なくとも静にとっては大した変化ではない。むしろ“ちゃんと自分に向かって来てくれて”、“相手に撃ち返さなくていい”分難易度は下がったと感じているくらいだ。これなら届かないコートの隅にでも打ち込まれたときの方がよほど対応が難しい。
相も変わらずそんな常識外れの思考回路で四つの石刃を叩き落とし、続けて左右から襲い掛かる石斧をシールドを用いて受け止める
もとより一本や二本ならば、シールドだけでもなんとか受け止められることが判明しているのだ。最初からシールドのみに頼らず、しかも真っ向から受け止めるようなまねをしなければシールドも十分に役に立つ。
左から来た石斧が籠手から発せられたシールドによって横から撃たれて彼方に吹っ飛び、そこからさらに拡大したシールドが右から来ていた石斧を半ばまで刃を喰いこませる形で受け止める。
シールドが受け止めた位置は静の顔の数センチ先。意図的に至近距離で、しかもシールドの強度を調整してシールドに食い込むように受け止めた石斧は、直後に静がシールドを消したことで真下にある静の手の中へとこぼれ落ちてくる。
元々持っていた十手ごと石斧をつかみ取り、同時に左手の刀を手首のスナップ一つで地面に投げつけるようにして突き刺して、静は手にしたばかりの石斧を空いた左手へと持ち替える。
「あまり刀が痛んでも困りますし、お借りしますよ」
言った次の瞬間、静は飛来した石刃を手にした石斧で叩き落としていた。
手に取った一瞬後には、すでに石斧は纏力スキルの黄色いオーラを纏っている。
纏わせた対象の存在強度を上げて守る纏力スキル四の型・【甲纏】。それによって最低限の強度を確保した石斧を振るって、さらに静は押し寄せる石刃と石斧を続けざまに叩き落として迎撃する。
続けて打ち込まれた石器は石斧四本に石刃四本の計八本。すでに浮遊していた石器の半分以上を使い切らせた形だが、しかしまだまだ油断はできない。実際すでにマンモス目の前では、恐らくは本命と思しき一発が発射のタイミングを待っている。
(――させません、よっ!!)
先ほどから見ていて最も威力の大きい石槍による攻撃に対し、静は投擲スキルを用いて左手の石斧を投げつける。
発射寸前の石槍に石斧が激突し、その狙いがわずかに逸れて静の左、三メートルほど先の地面が粉々にふっ飛んだ。
「――うわっ!?」
降りかかる土飛沫に背後の竜昇が反応し、我が身をかばうのが気配でこちらに伝わって来る。
対して、静が見せた反応はそれとは対照的に酷く淡白なものだった。
襲い来る土砂の中から危険な大きさのものだけを十手で弾き、さらに飛んできた大小の破片の中からちょうどいい大きさのものを黄色いオーラで包んだ左手で受け止めると、再び体を投擲体制へと移行して、静は続けざまに投擲スキルを使用、拳大の石を発射寸前のもう一本の石槍へと投げつけ、同じように狙いをそらして付近の地面へと狙いを外して着弾させた。
――他愛ない。
強がりでもなんでもなく、本当に心からそう思う。
思い上がりでもなく、油断ですらなく、本当に客観的事実として、静は拍子抜けするような、そんな思いを抱いてしまう。
恐怖はまるで感じない。
まるで本能が理解しているとでも言うように、目前にせまる驚異に対してどう対処すればいいかが直感でわかる。
今までにない充実感が心を満たす。
水を得た魚のような、生まれて初めて自由を得たような、そんな感覚。
このビルに踏み込んで、幾度も敵を前にしてずっと感じていた解放感が、今確信を伴って最大の大きさで押し寄せてくる。
(ああ、まったく。こんなことならばもっと早くこうしておけばよかった)
残る石器は石刃と石斧が、それぞれたったの二本だけ。それが終われば後はマンモスへと斬りかかり、適当にその身を切り裂いて相手を弱らせていけばいい。
多分時間はかかるが一人でもできる。
もはやそんな確信までもが、静の中には確かに息づいている。
「フフ、フフフフ……」
笑いがこみ上げる。
地面に差しておいた小太刀を引き抜き、飛んでくる石器、その最後の四つを出迎える。
もはやここまで数が減れば、石器への対応など片手間でもできてしまう。厄介な石槍は付近の地面に刺さったまま動く気配がない。再び回収されては少々手間だが、それでも対処できないわけではないのはこれまでの応酬ではっきりした。
「ウフ、フフフ――」
まず一発目が左から来た。問題なく左の刀で弾き飛ばす。静にとっては何も難しくはない。けれど背後にいるだろう竜昇には難しいのだろうそんな行為。
続けて二発目の石斧が右から襲う。今度のものはどうやら静を無視して背後の竜昇を狙ったつもりらしい。
これも問題なく対処する。
背後の竜昇が息をのむような、声にならない悲鳴を漏らすのを聞きながら、それこそテニスで鍛えた戻りの動きで回転する石斧を十手で叩く。
同時に、一瞬ではあるが背後で蹲る竜昇の表情が視界に入る。
どうやら彼はこの状況、静の動きにまったくついて来られていないらしい。ただ目の前で目まぐるしく動く状況に翻弄されて、呆然とした表情でこちらを見つめている。
(ああ、これはもう無理かもしれませんね)
その表情を目の当たりにして、静は漠然と、ほとんど直観的にそう思ってしまった。
その考え自体が酷く薄情で、そんな考え方をしてしまう自分が心底欠陥品に思えたが、しかしそれでも自分の中にいる冷静すぎる自分が、竜昇に対してそんな風に評価を下していた。
もはや竜昇とて、いやというほどに静の強さと異常さは理解してしまっただろう。いや、あるいは鈍い静などよりもっと前に、竜昇は静の持つ異常性に気が付いていたかもしれない。
気付いて、どう思ったのだろうか。
再び竜昇に背を向けながら、頭の片隅で静はついそんなことを考える。
恐ろしく思っただろうか? それとも利用できると考えただろうか? それとも頼もしいと感じたか?
わからない。わからない。わからない。
人と共感できない静には、竜昇の心など予想することしかできない。
もし一つだけ分かっていることがあるとすれば、それは竜昇がもう静の隣に立って、共に歩むだけの意思を折られてしまったということだ。
折られてしまった。敵からの攻撃によって。
あるいは折ってしまった。他ならぬ静自身の実力が。
そしてそうなってしまったら、もはや二人の関係は、静の望むような形にはなり得ない
それどころかこんな環境だ。命の危険を感じた竜昇が、藁にもすがる思いで静を利用しようとして、静一人に危険を押し付ける可能性も十分あり得る。
それがどんな形になるかはわからないが、対等であろうとする意思を失ったこんな関係性では、そう遠くないうちに綻びが生まれ、そしていずれは破綻を迎えることだろう。あるいはその形は、どちらかが命を落とすという、そんな形のものになるかもしれない。
(――もう、いいかもしれませんね)
目の前に迫っていた石刃を十手ではじき、空中に散る火花の輝きが消えゆくのを見ながら、静の思考はそんな結論にたどり着く。
もういいだろう。義理は十分に果たしたはずだ。確かに静は竜昇に助けられはしたが、その返礼としては十分すぎるほどに静も竜昇の命を救っている。もらったアイテム分の働きも十分に果たした。ここまでやったのだから、もう静一人でこの先に進んでも文句を言われる筋合いはあるまい。
もとより、静のような異常者が誰かと行動を共にすること自体に無理があったのだ。
ならばもう、足手まといになりそうな相方など放り出して、この先誰とも組まずに出口を目指した方が、共倒れの危険が減る分よっぽど互いの生存率も上がるというものだろう。
左から最後の石斧がやって来る。先ほどの石槍の着弾で上がった粉塵の壁を突き破り、回転しながらも真っ直ぐに静の頭を狙って飛んでくる。
問題になるような速度ですらない。右手の十手で叩き落とせばそれで済む。静自身がそう判断して、まさにそんな思惑通り、右手の十手で石斧を叩き落とそうとして――。
(――え?)
迎え撃とうとした右腕の動きがわずかに遅れ、石斧が迎撃の壁をすり抜けて静の防御の内側へと侵入した。
(――お、や……?)
伸ばして振り切った腕の真上を、回転した石斧が真っ直ぐに迫る。
やけにゆっくりと移り変わる視界の中、静はほとんど真っ白になった思考で、信じられない気分でその光景を眺めていた。
(……なぜ?)
腕の感覚に狂いはない。特に相手に何かをされたわけでもないのに、それでも一瞬だけ静の動きが僅かに狂って、そのわずかな狂いが致命的な失敗となってしまった。
このタイミングではもはやシールドも間に合わない。
そう理解して、同時に静は、ようやく自分の動きを狂わせた理由に思い至る。
(――ああ……、もしかして私は――)
何かを感じる心など持っていないと思っていた。
胸に感じる嫌な感覚は、他人が感じるそれよりもずっとたいしたことの無いものなのだと思っていた。
胸の内に感じる“これ”が、自分をおかしくしてしまうほどのものなどとは、これまで一度も考えたことがなかった。
人間味のない自分の感情の揺れを、他ならぬ静自身が信じていなかった。
自分にそんな人間味があるなどとは、思っても見なかった。
けれど今、確かに静の動きはわずかに鈍って、それがこうして致命的なミスへとつながっている。
(――自分で思っていたよりも、ずっと気にしていたのでしょうか)
次の瞬間、鈍い激突音が博物館の最奥へと響き渡り、頭部への直撃を受けた少女の体がなす術もなく土の地面へと倒れ込んだ。
互情竜昇
スキル
魔法スキル・雷:13
護法スキル:10
守護障壁
探査波動
装備
再生育の竹槍
雷撃の呪符×3
静雷の呪符×2
小原静
スキル
投擲スキル:9
投擲の心得
纏力スキル:8
二の型・剛纏
四の型・甲纏
装備
磁引の十手
加重の小太刀
武者の結界籠手
小さなナイフ
永楽通宝×10
雷撃の呪符×3
静雷の呪符×2
保有アイテム
雷の魔導書
黒色火薬
集水の竹水筒
思念符×90
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