25:異端者の葛藤
「こんなことならば、江戸時代でドロップした清酒を残しておくべきだったかもしれませんね。純粋なアルコールではないにしても、お酒ならば消毒にくらいは使えたかもしれません」
「――ぅ、っ」
【集水の竹水筒】で集めた水をかけつつ、静はふと思い出してそんなことを口にする。
かけられた水が傷に染みたのか、竜昇が少し呻くような声を漏らしたが、しかしそれでも動かさないように堪えてくれたのか、竜昇が見せた反応はそれだけだった。
幸いにして、竜昇の負ったけがは派手に出血こそしていたものの、それほど深手というわけではないようだった。痛みはするものの指先や腕自体も動かせないというわけではなさそうだし、出血で隠れていた傷口を見てもそれほど深い傷というわけではないらしい。
もっとも、だからと言って今このビル内でできる治療法はそれほど多くはない。せいぜい竜昇がこのビルに持ち込んでいたタオルを押し当てて、上から布を巻きつけて止血するのが関の山だ。それどころかタオルの上から巻き付ける布にすら事欠く始末で、迷った末に静は、竜昇が来ていたジャージの、その袖口を肩から切り落としてその代わりとすることにした。
少しの間、無言の時間が経過する。
静自身黙々と竜昇の手当てをしていたというのもあるが、やはりと言うべきか、この静寂は互情竜昇という少年の消沈した具合によるところも大きかった。
その理由については、静も多少なりとも想像がついている。
普段からあまり他人の心に理解が及ばず、そのことで何度か衝突した経験さえある静だったが、今回に限っては多少なりともその理由について理解が及んでいた。
なにが彼をそこまで消沈させたのか、その原因が自分という人間の中にあることにも。
(やはりこれは、私のせいなのでしょうね……)
思い、反省と同時に落胆する。
正直な感想を行ってしまうならば、期待外れという感想を禁じ得なかった。
それこそが、互情竜昇という少年に対して小原静という少女が抱いた偽らざる本音である。
期待外れと言ってしまうと、それはもう相当に辛辣で、容赦のない言葉になってはしまうが、しかし逆に言えば、静は竜昇という少年に対し、無意識のうちに相当な期待を寄せていたのである。
端的に言ってしまえば、静は竜昇に対して、自分の同類であることを期待していた。
他の人間とはどこかが違う、何かが決定的に欠けた異物である自分。
三年前の電車の中で、あるいはそれよりもっと前から、静は自分の精神がどこか外れた、異常なものであるということをしっかりと自分自身で自覚していた。
自覚して、だからこそ、静はそうした自分危険性をこれまでずっとひた隠しにしてきた。
単純に周囲と違う人間が排斥されるという人間社会の不文律を知っていたというのも理由の一つだったが、しかしそれ以上に静には、自分自身という生き物がかなり得体のしれない、危険な生物のように思えていたのである。
この生物を、このまま野放しにしては絶対にいけない。
誰かに言われたわけでもなく、静は自ら自分という人間をそういうものだと認識し、その後はずっと周囲に合わせ、できうる限り異常な行動をとらないようにと必死の隠ぺい工作を続けてきた。
怪物のような自分になんとか人の皮をかぶせて、そうして己の異常を押し隠し、そのまま墓まで己の本性を隠し通すつもりだった。
だからだろう。他の誰も気にしない、“自分しか疑問を抱けない”と思っていたこのビルで、同じようにビルに疑問を持つ“同類”に出会ってしまったその時に、これまで抱いたこともない、巨大な期待を胸に抱いてしまったのは。
自分と同じ感覚を部分的にとは言え共有し、同じようにこのビルの異常さに疑問を持つことのできるこの少年ならば、静という異質な存在を理解でき、そしてその正体を解き明かして、なんらか説明づけを行ってくれるのではないか。
明確に意識していたわけではなかったが、いつの間にか静はそんな風に期待してしまっていたのだ。
その期待がいかに儚く、実体のないものであるかなど考えればわかりそうなものだったのに。
(我ながら、ひどい話ですね)
手を止めず、竜昇の腕の手当てを続けながら、静は少しだけ視線を上げてもう一度竜昇という少年を観察する。
痛みに顔を歪めて、打ちひしがれたような少年の表情を目の当たりにして、もう一度静は期待外れという失望を、これは違うという実感と共に味わわされる。
確かに有能な少年ではあるのだろう。いくらゲームという、似通ったシチュエーションの事前知識があったとはいえ、この不問ビルの内部のルールをかなりの精度で予測して、それに冷静に対応していたことからもそれはうかがえる。
だが一方で、それでも竜昇は普通の少年だった。
確かに有能で、優秀ではあったが、それはあくまで常識の範疇に収まっている。
冷静であるとは言っても静のようにまるで動じないというわけではない。突発的な事態に見舞われればそれ相応の動揺を見せるし、危険が迫り、傷を負えばそれ相応にパフォーマンスも低下する。
静のように、どこか人として決定的になにかが欠けているというわけではない。
優秀であるというだけで、異常な訳ではない、それが互情竜昇という少年だ。
(……そう。互情さんは私とは違う。普通で、平凡で、そしてきっと、それが正しい)
翻って見て、静はどうだろうか。
他人の感情に同調できない。他人を傷つけても心が動かない。恐怖や躊躇と言った感情が鈍く、過激な行動を簡単に取ってしまう。
これではまるで異常者だと、そう思ったことは一度や二度ではない。しかもそんな認識は、現在さらに悪い方向へと修正されつつある。
以前からそんな自分の危険性は自覚していたつもりだったが、しかしこのビルに入って見え始めた己の本性は、それにさらに輪をかけてすさまじいものだった。
自分を殺しにかかって来る怪物を目にしても、まるで動じずそれに対応し、隙を見てそれを返り討ちにしてしまえる機械染みた精神。
殺し合いの中でどんどん洗礼されていくのを感じる己のセンス。
なによりも恐ろしいのは、そんな自分に対して先ほどまで疑問すら抱かず、それどころか奇妙な充実感さえ覚えていたということだ。
先ほど自分を見る竜昇の視線を目の当たりにするまで。静は戦える自分が異常だなどとは考えていなかった。
あまりにも自然にできてしまったがために、それが普通なのだとすら思いこんでいた。
果たしてこんな自分の姿は、竜昇の目にはどう映ったのだろう。
今さらながら、静は全て手遅れとなったこのタイミングで、そんなことを考える。
なまじ動けすぎる自分という異常に自覚がなかっただけに、これまで静はそうした自分の素養をまったく隠してこなかった。
命がかかっている故に手を抜けなかったというのもある。スキルという、本来なし得ない技術を習得させてしまう、このビル特有の要素が感覚をマヒさせていたのもその原因だろう。
だが結局のところ、静はこのビルでの戦いに酔いしれていたのだろう。
武器を手に敵と戦う時の、これまでに感じたことの無いような充実感。まるで丘の上で生き延びていた魚が初めて水の中で泳いだような、まるでこのために自分が生まれてきたとでもいうような“しっくりくる感覚”。自分の異常性がぴったりとハマるこの環境が嫌になるほど心地よくて、静はいつの間にかその感覚に酔ってしまっていた。
だがそのツケが、今竜昇を通じて静の元へと返ろうとしている。彼の眼に小原静という存在がどう映ったのかは、他人の心に同調することを苦手とする静には推測しかできないが、しかしそれでも彼のあの視線を見た限りでは決して好意的な感想は抱けなかったはずだ。
彼はいったい、静ですら初めて目の当たりにしたこの異常性を見て何を思ったのか。
胸の中に異物を詰め込まれたような、重く苦しい感覚と共に静はそんなことを考える。
その感情を恐れと呼んでいいのか、歪な自分の精神をかんがみればそれすら自身が持つことができなかった。
「あの、小原さん……?」
「――あ、はい?」
「いや、なんか、手が止まってたから……」
申し訳なさそうにそう言う竜昇の姿に、静はようやく自身が、手当の途中で手を止めてしまっていたことを自覚する。
「ああ、すいません。少し考え事を……」
自覚して、静はしかし慌てるようなこともなく、すぐさま一言そう言って竜昇の手当てを再開する。
もしかしたらここで慌てるようなそぶりを見せておくべきだったのではないかと、そんな考えがわずかに頭をよぎったが、しかし気付いた時にはすでに遅く、静自身もそんな失敗をすぐさま自分の中で割り切って、とにかく途中になっていた竜昇の腕の手当てを淀みない手つきで終わらせた。
「……とりあえず今できるのはこのくらいでしょうか。どうですか互情さん。腕は動かせますか」
陰鬱になる内心を押し隠し、静はできる限りいつものポーカーフェイスを貫いて、手当の終わった竜昇にそう問いかける。
対する竜昇も、隠しきれない消沈をそれでも抑えつつ、一通りの手当てが終わった腕を少しだけ動かし、手指を握ってその調子を確かめていた。
「あ、ああ。痛みはするけどとりあえずは。……小原さんって、もしかして医学系の身内がいたりとかするの?」
「いえ、あくまで保険の教科書に載っていた程度の知識です。しかも応急手当ですから、本来ならば医者に見せた方がいいのですが……」
「まあ、こんなビルに医者がいるとは思えないわな」
苦笑して、しかしやはり相当に堪えているのか竜昇の表情からは暗さがぬぐえない。
それはそうだろう。致命的な深手というわけではなかったが、しかし深手ではなくとも怪我は怪我だ。それも日常の中で負う些細な傷とはわけが違う。敵対する存在から攻撃されて、それによって負った怪我である。いかに鈍感な静でも、攻撃を受けて負傷したというその事実が心に強い負荷をかけるものであることくらいは知識で知っている。
誰だって斬られれば痛いし、殴られても痛いし、痛みに対しては恐怖を抱く。
静と違って。それが正常な人間のなんの間違いもない反応だ。
これでもし竜昇が言うところの回復魔法やアイテムのようなものがあれば話も変わってくるのだろうかとそう思ったが、しかし生憎と今の静たちは傷に巻く包帯にすら事欠いているありさまだ。
頼みの綱の新しいドロップアイテムにしたところで、それが回復系のアイテムではないことはすでに静も解析アプリを用いて確認している。
「――ああ、そう言えば互情さん、先ほどの陰陽師を倒したことで、また一つアイテムがドロップいたしました。どうもマジックアイテムというもののようなのですが、見ていただけますか?」
「あ、ああ」
思考がそちらに流れたことでようやく思い出し、静はそう言って先ほど拾って名前だけを確認しておいた、一つの紙束のようなものを取り出して見せる。
鑑定アプリによって検出されたアイテム名は【思念符】。
一目見ただけではわからなかったが、どうやら陰陽師が魔法を使うのに使用していた、あの呪符と同質のもののようだった。
互情竜昇
スキル
魔法スキル・雷:13
守護障壁
探査波動
装備
再生育の竹槍
小原静
スキル
投擲スキル:9(↑)
投擲の心得
纏力スキル:8(↑)
二の型・剛纏
四の型・甲纏
装備
磁引の十手
武者の結界籠手
小さなナイフ
永楽通宝×10
加重の小太刀
保有アイテム
雷の魔導書
黒色火薬
集水の竹水筒
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