23:足手まとい
肉体が空中を飛行し、その後硬い床へと叩き付けられても、竜昇は悲鳴の一つも上げられなかった。
衝撃のあまり呼吸もままならない。内臓を握りつぶされたような痛みと、腕から漏れる血液の感覚が竜昇の脳へと我が身の危険を訴えてくる。
「――互情さん!!」
感情を抑えた、しかし少しだけ慌てたような声がする。
強烈な吐き気と揺れる視界に苦しみながら、それでもどうにか周囲の状況を確認しようとすると、先ほど竜昇を殴り飛ばしたゴーレムがゆっくりとこちらに向けて動き出しているところだった。
なんとか立ち上がらなければならないのに体に力が入らない。それどころか立ち上がるのに体を支えようとした左腕がこぼれる血液で滑り、まともに身を起こすことにさえ失敗した。
(やられた――、殴られた。死んでない。――起きないと、ヤバい、体が――、追撃が来る――)
危機感ばかりが竜昇の内面で何の役にも立たない声を上げている。激しい動揺が内面をかき回し、吹き出す焦燥に相反して体の反応が酷く鈍く、意識だけが肉体の内で行動につながらずに空回る。
「――う、あ……」
視界の隅に、妙にゆっくりとこちらに歩み寄って来るゴーレムの姿が映る。
先ほど竜昇を殴りつけた拳の内、右腕の拳の方が徐々に塵芥を集めて大きくなっていく。
まるで殺傷能力を上げるような拳の巨大化。元々それなりの重量があったその拳を叩きつけられれば、今度こそ竜昇の命そのものが脅かされるだろう。仮に頭にでも受けようものなら、脆い人体の頭部などトマトをつぶすように容易に粉砕されてしまうかもしれない。
そんな未来を予想して、しかし竜昇は全くと言っていいほどその場から動けない。
脳内で鳴り響くけたたましいアラート音を聞きながら、しかし手足がすくんでまともに機能せず、ただ漫然とゴーレムの接近をなす術もなく待つことしかできなくなっている。
「――ハッ、――ハッ、……あ、ああ……!!」
そうなってしまった理由に思い至るまで、竜昇の混乱した頭でもそう時間はかからなかった。なにしろ今竜昇を縛るものの正体は、考える力などなくとも分かってしまうくらい単純で、意外性の欠片もないものだったのだから。
ただの恐怖。
結局のところ、この時竜昇を縛っていたのは言ってしまえばそれだけのものだった。
たった数発攻撃を受けて、明確に自身が死に近づくのを認識したというそれだけで、こうも竜昇の体はこうも動かなくなっている。
(こんなに……、こんなにも、俺は……)
なによりもその事実に愕然とした。
覚悟はとうに決めてきたはずだった。あの武器だらけの部屋から進むときに、あるいはその後、もんぺの女と遭遇した際に、これは命がけの戦いなのだと、そう自分に言い聞かせて、それを覚悟したつもりだった。
だというのに、竜昇の精神は今あっさりと、脆くも崩れ去っている。
たった一度、立て続けにとは言え攻撃を受けて、その痛みをたっぷりと味わう羽目になったというそれだけで、今竜昇は恐怖に動くことすらできなくなっている。
自分はこんなにも脆かったのかと、そんな決定的な実感が胸を満たして、折れた精神が無意識に助けを求めてその視線をさまよわせて――。
「遅くなりました、互情さん」
と、まるでその願いにこたえるように、竜昇のすぐそばで、革靴が床を踏みしめる音がして、全身に赤いオーラを纏った静がスカートを翻しながら駆けつける。
「――あ」
瞬く間に、乱れ切った竜昇の精神に安堵の感情が満ちる。
どうやら竜昇が危険に陥ったと見るや、動きの遅いゴーレムを追い越す形ですぐさま駆けつけてくれたらしい。蜘蛛の方はいったいどうしたのかと見れば、陰陽師のすぐ目の前でまるで陰陽師を守るような位置取りで問題の茨蜘蛛が陣取っているのが見えていた。
「使い残していた電撃投石をありったけ陰陽師に投げつけてきました。蜘蛛に防がれるのはわかっていましたが足止めにはなるかと思いまして」
永楽通宝を新たに投擲物としたことですでに用済みとなった【静雷撃】仕込みの砂利だったが、しかし一度魔法をかけた以上ただ捨てるのも無駄になると、静は電撃を込めたそれだけは使い捨てのつもりで未だにウェストポーチの中に持っていた。投げてしまえばそれで回収せずに終わりにするつもりの代物だったわけだが、今回はそれをすべて使い切って蜘蛛の足止めにしたらしい。
その頼もしい対応の速さに、竜昇は自分を縛る恐怖が消えて、体に感覚が戻って来るのを感じ取る。立て続けに受けた攻撃のダメージ故か、まだすぐに万全の動きができるような状態ではなかったが、それでもどうにか体を起こすくらいはできるようになっていた。
とは言え、そんな竜昇の遅い立ち直りなど、相手が待っていてくれるはずもなく。
「――【甲纏】」
十手を腰に差して刀を構え、静は黄色いオーラで刀身を包んでゴーレム目がけて走り出す。
同時にゴーレムの方もまるでスイッチが切り替わったかのように機敏に動きだし、肥大化した拳を構えて目前の静と正面から激突する。
巨大な拳が目の前の少女の顔面、それを頭ごと砕くべく突き出され、静は大勢を右に傾けるようにして無理やりそれを回避する。
相手の攻撃を寸前で回避する、一切の無駄のない完璧な回避。それによって生じたゴーレムの隙へと目がけ、静は刀を両手で振りかぶり、一気にゴーレムの懐へと飛び込んだ。
「――ああッ!!」
初めて、そんな荒々しい声を静が挙げて、カウンターで叩き込まれた【加重の小太刀】がゴーレムの顔面を叩き割る。その奥にあった核らしき呪符を喰い込ませた刃で引き裂いて、脅威として立ちはだかっていたゴーレムを、ただの寄せ集められたチリへと戻す。
「――ふぅ」
【甲纏】による刀身強化、そして【剛纏】による筋力の強化に、恐らくは【加重の小太刀】の特殊効果を組み合わせて、攻撃の瞬間に刀の重さを増やして一撃の威力を上げたのだろう。
なれない力技に一つ吐息をつきながら、しかしそれ以上の様子は見せずに静が一度こちらへと戻って来る。
「ご無事ですか、互情さん」
「あ、ああ。助かった。良くあのゴーレムの呪符の位置がわかったな」
言いながら、血液が零れ落ちる左腕を押さて、竜昇はどうにか立ち上がる。
対する静は、竜昇の前に立ちはだかって小太刀を構えながら、こともなげにそのからくりを解説した。
「いえ、どこだかわからなかったので、とりあえず頭を狙って見ただけです。それでだめなら、次は心臓のある位置か、いっそのこと両足を砕いて動けなくする形で対処していたかもしれません」
『武器への負担が大きいので、あまり何度もとりたい手ではありませんが』と、こともなげにそんなことを言いながら、静はもう一度右手に十手を引き抜き、左手の刀を黄色いオーラで包みなおして陰陽師の方へと差し向ける。
残る敵は今だ三体。蜘蛛の方は人型でない分得体が知れないし、先ほど竜昇のシールドをぶち抜いた黒い鉄杭、それを放ったカラスのような召喚獣も健在だ。そもそも陰陽師がいまだ健在である以上、あのゴーレムとて再び生み出されないとは限らないのだ。現状は数の上でも、すでに圧倒的に不利となっている。
だというのに、静はそれに危機感を抱く様子もなく、どころか立ち尽くす竜昇に対して、その数の振りをさらに広げるようなことを言ってくる。
「互情さん。互情さんはとりあえず、その腕の傷を押さえて少しでも出血を防いでいてください。腕をやられている現状では難しいかもしれませんが、できるなら手当の方も」
冷静に、そして冷徹にそう告げる静の声に、思わず竜昇はその意味を理解して息をのむ。
反射的に口を突いて出てくるのは、まるで反発のような感情と言葉だ。
「……いや、待ってくれ。俺も、手伝う。いくらなんでも小原さん一人に任せるわけには――」
「――いえ、先ほどから試しているのですが、一番厄介なあの蜘蛛に、【静雷撃】がまるで効果を示していません。恐らく【雷撃】の方でもさして効果は見込めないでしょう。もちろん他の二体についてはその限りではありませんが、蜘蛛に防がれる可能性が高い現状、下手に気を引いて手傷を負った互情さんが狙われては流石に守り切れません」
「守り、きれない……?」
特に悪意があったわけでもないだろう、冷静な現状分析のその言葉が、しかし鋭い痛みと共に竜昇の胸へと突き刺さる。
それではまるで足手まといではないかとそう思い、直後に竜昇は自身の決定的な思い違いに気付かされることとなった。
まるでも何もない。今の竜昇は、言い逃れの余地なく小原静にとって足手まといになっているのだ。
負傷した体、効かない魔法、そして何よりあっさりと乱れてしまう竜昇の精神。今竜昇の中で渦巻くあらゆるものが、小原静の足を引っ張る要素にしかなっていない。
「互情さんは下がっていてください。ここは私が何とかします」
平然とそう言って、刀と十手を両手に携え、静は竜昇の前から歩き出す。
その姿は三体もの敵を前にしながら、まるで物怖じした様子すらなく。
それだけに、一撃受けただけで心を折られた竜昇との、その絶対的の差を如実に物語るかのように。
互情竜昇
スキル
魔法スキル・雷:13
護法スキル:8
守護障壁
探査波動
装備
再生育の竹槍
小原静
スキル
投擲スキル:8
投擲の心得
纏力スキル:7
二の型・剛纏
四の型・甲纏
装備
磁引の十手
武者の結界籠手
小さなナイフ
永楽通宝×10
加重の小太刀
保有アイテム
雷の魔導書
黒色火薬
集水の竹水筒
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