5:ファーストリザルト

「……ふぅッ、ふぅッ、ふぅッ、まったく、シャレにならん……!!」


 もと来た道を戻るように、派手な戦闘を行った場所から逃げるように移動した竜昇は、手近な展示台に寄り掛かるようにして今更のように震えだす体を必死に鎮めながらそう漏らす。

 実際問題、今の敵との遭遇は一つでも判断を誤っていたら命がなかった。


(甘かった。本当に、予想外のことばっかりだ!!)


 最初の部屋の中でいち早く事態の危険性を認識していた竜昇だったが、実際にこうして命の危機に直面してみると事前に考えていた予想など鼻で笑いたくなって来る。

 いきなりの遭遇戦、魔法ではない武器が叩き出す想定外の破壊力。魔法が思いのほか使いやすい力であったことは僥倖だったが、そうでなければ、あるいは一度でも判断を誤っていれば、その瞬間には竜昇の人生はそこで終わっていた。


(……それにこの状況、やっぱりそう言うことだよなぁッ!!)


 周囲の状況と、自分が知るこの手のゲームの基本的構造を思い出し、その絶望的な予想に竜昇は頭を抱える。

 これがゲームであったならば抗議のメールの一つでも送っているところだったが、しかし電波の表示はやはりと言うべきか圏外で、そもそもメールの送り先をどこにすればいいのかさえ竜昇にはわかっていない。

 ただこのスマートフォン、圏外でありながら何らかのデータのやり取りはあったらしく、ふと見たその画面に新着のメッセージのようなものが届いていた。


(なんだこれ?)


 すぐさま画面に触れて、そこに届いていたメッセージを確かめる。


【魔法スキル・雷】:2


(……)


 表示されていたそれを見て、竜昇の胸の内に湧き起こる感覚は複雑だ。

 単純に戦力の増強という意味ではレベルの上昇は喜ぶべきことなのだが、しかし表示されているのはそのメッセージだけで、具体的に何がどう変わったのか、その変化が全く表示されていない。

 もしや新しい魔法がとも思ったのだが、いくらステータス画面や記憶を探っても先ほど以上の何かを思い出すことはできず、結局レベル上昇による変化はわからないままだった。


(というか、レベルが上がった理由はこの場合なんなんだ?)


 単純にゲームと同じと考えるならば、竜昇の【魔法スキル・雷】のレベルが上がった理由は竜昇が敵を倒して経験値を手に入れたからだろう。

 だがそもそもこれは単純なゲームではなく現実だ。そんなルールがどこまで適応されているのかも不透明で、まだ断定するには早い段階にある。


「ゲーム、か。やっぱこれって、そういうゲームってことなんだろうな」


 ゲームというその言葉から、竜昇は今度はこの“ゲーム”の趣旨とでも呼ぶべきものへと思考を移す。

 竜昇とて陸上部員である前にゲーマーだ。最初の部屋のスキル・武器の選択、前の部屋の床にあった『60』と言う数字と、この博物館に入ってすぐ見かけた『59』と言う数字、そして今しがた遭遇したばかりの敵(エネミー)の存在と、これだけ材料がそろっていれば、経験でゲームの趣旨くらいは見えてくる。


「恐らくはロールプレイングゲームを模したルール、それも多分ダンジョン探索系ってところか。地上六〇階のあの場所から最下層、と言うか、地上一階の出口のあるところまで、敵(エネミー)を倒しながら突き進め、と」


 推測したルールを口にして確認しながら、直後に竜昇は背後の壁へと拳を叩きつける。叫びこそしなかったが、今の竜昇の心境はやって良いのならばそうしてしまいたいくらいの心境だった。


(ふ、ざ、け、ろ……!! こちとら命がけだってのになんだそのルールっ!! って言うか六十階って、あんなのをいったいどれだけ相手にすりゃいいんだよ!!)


 特に最悪なのが、先ほどの敵がこのビルの中ではただの雑魚である可能性が高いということだ。つまりこれから先、あれより強い化け物がうじゃうじゃ出てくる可能性がある。


(しかも今回のことで魔法の存在が完全に証明されちまった。その上武器を使っててもあの攻撃力。本っ当にシャレにならない……!!)


 先ほどの六十階で武器の選択を迫られた際、竜昇はリスクを承知で魔法を己の初期装備として選んだわけだが、しかし安全策としてならば、適当にリーチの長い武器を選んでそれを使うという選択肢も頭には有った。

 いかに相手がファンタジックな存在であったとしても、まったく武器が通じないとは竜昇自身全く思っていない。むしろ効果や存在が怪しい魔法などよりも、あの場では適当に金属武器を選んでいた方が確実性は高かったはずなのである。

 それでも竜昇が武器ではなく魔法を選んだのは、一つには武器の扱いに心得が無いことと、それ以上に素人の扱う武器だけでは予想される超常的な敵に対して対抗できないのではないかと考えていたからなのだが、しかし実際に武器を扱う敵と遭遇してみると、その予想に若干の誤りがあったことを認めざるを得なかった。


 竹槍の一突きで、壁を粉砕する予想外の破壊力。

 魔法スキルによって魔法の知識を得られたことを考えても、これが武器のスキルであれば武器の扱いも習得できた可能性はうかがえる。


 もちろん、魔法の存在の有無を早急に確認できたという意味では自身の選択が間違っていたとも思えないのだが、しかし正直に言うなら武器という選択肢の有用性を若干軽んじていたというのもまた事実だ。


(……いや、落ち着け。“どっちも使える武器だった”と考えるなら、別に俺は選択を誤ったわけじゃない)


 大胆な手を打ってみてそれが下策だったのではとそう思いかけて、しかし竜昇はその考えを即座に否定する。

 武器を使うことであんな馬鹿げた破壊力が出せるという事態は想定外だったが、しかし竜昇の選んだ魔法という選択肢も決して間違っていたわけではない。実際思った通りの効果は発揮しているのだ。武器という選択が思っていたより有効だったとしても、だからと言って自身の選択がを間違いと否定するのはまた違う気がする。


(それに、これが本当にその手のゲームを下敷きにしているのなら、挽回のチャンスが全くないわけじゃない)


 そう自身の中で結論付けて、そこでようやく竜昇はそばに転がる竹槍の方へと視線を向ける。

 先ほどの戦闘の後、唯一残されたもんぺ女の遺留品。いや、これもゲーム的に考えるならばドロップアイテムと言うことになるのだろうか。敵撃破後に唯一残されていたそれを、竜昇は使用できる可能性も考えてきっちり回収して持ってきていたのだ。


(見たところこいつも普通の竹槍だな。いや、竹槍なんて見るのは人生初なんだけど……、けど材質はただの竹で間違いなさそうか……)


 あんな馬鹿げた使い方をしておいて、まだただの竹槍が原形を保っていることにも驚かされたが、しかしそれがあの『技』の性質なのかもしれないとひとまず割り切り、竜昇は携帯電話に勝手にインストールされたアプリの、新着メッセージを確認する。


(最初の部屋で本を手に取った時には勝手に【魔法スキル・雷】なんてのを習得できたから、もしかしたらこいつも手に取っただけで【槍スキル】か何かを習得できるかもと思っていたが……、あてが外れたな)


 ならばアプリのそれぞれの機能も調べておかねばと、そんなことを考えかけたその時、ふと自分の手元に、あったはずのものが無くなっていることに気が付いた。


(あれ……、そういえばあの本どこ行った?)


 前の部屋を出るときに持ち出して、このフロアに入った時にも持っていたはずの【雷の魔導書】。それが無くなっていることにようやく気付き、竜昇は立ち上がって元来た道を戻り、自分がいた場所を探してみる。

 幸いにして、探していた魔導書はすぐに見つかった。モンペ女に最初に襲われた際隠れていたガラスケース。すでに粉砕されたそれのすぐそばに、見覚えのある本が転がっていたのである。どうやら逃げる際に落っことして、そのままにしてしまっていたらしい。


(そういえばこの本が無くても別に魔法は使えたんだよな……)


 ガラスに気を付けてそれを拾い上げながら、ふとそんなことを考えて少し迷う。なにしろ本なしで魔法を使えてしまった今、この碌に読めもしない本は完全に無用の長物である可能性が出てきてしまったのだ。仮にこの本がこの先何の役にも立たないのなら、わざわざ拾って持って行かなくてもここに捨てていくという選択肢もある。

 もしもこれで、ゲームのように無尽蔵にとまではいわないまでも、それなりに荷物を持てるのならば竜昇もこんなことは考えなかっただろう。だが今の竜昇は上下のジャージにランニング用のウェストポーチを付けただけと言う、はっきり言って持てる荷物が極端に少ない格好だ。本は文庫本サイズと小さくはあるが、それでもポケットに入れるにはかさばるし、ウェストポーチもランニング用と言うだけあって、汗拭きタオルと小銭入れ、そしてスマートフォンが入ればいっぱいになってしまうような小さな代物である。ここでさらに本を一冊入れていくには少々余裕が足りない。

 とは言えこの本、少し気になると言えば気にはなる。なにしろあんな状況で手に入れた物品だ。はたして迂闊に手放していいものか、判断がつかない所がある。


「……まあいい。今後役に立たないとも言い切れないし、一応捨てずに持っておこう」


 意を決し、竜昇は腰のウェストポーチからタオルを取り出し、空いたスペースに持っていた魔導書を押し込んだ。

 取り出したタオルをウェストポーチのベルトに結び付け、奪った竹槍の感触を確かめながら周囲を見回す。


――と、ちょうどそのとき、竜昇の耳にガラスが割れるような、何らかの破砕音が届いてきた。


(――なんだ!?)


 反射的に身をかがめ、その音の正体を探ろうと耳を澄ます。するとどうやら気のせいではなかったらしく、同じような破砕音が再び竜昇の耳へと響いてきた。


(……いや、落ちつけ。音はだいぶ遠い。少なくともさっきの場所でもない。けどどういうことだ? もしかして他にも誰かがあんな敵と戦って――!!)


 そう考えて、再び竜昇はこのビルに入るきっかけとなった、不問ビルに先に入って行ったはずの少女のことを思い出す。

 先ほどは少女ではなくもんぺ女と遭遇する形となってしまったが、しかし彼女がこのビル内に踏み入っているのもまた確かなのだ。ならば、彼女もまた武器とスキルを与えられ、どこかで戦う羽目になっている可能性は十分にある。


(とにかく探してみるか。うまくすれば、脱出のために手を組むこともできるかもしれない)


 すぐさまそう判断し、竜昇は曲がり角で展示物などに身を隠しながら、音の発生源へと向けて突き進む。

 感情面でも合理面でも、助けに行かないという選択肢は竜昇の中に生まれてこなかった。

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