2:罠の中の選択肢

 想像していなかったわけでもなかったが、踏み込んだ【不問ビル】の一階フロアは、ビルの外観同様、本当に何の変哲もない場所だった。

 特に不可解なものが有る訳でもない。本当に普通の、だだっ広い建物の内部。薄暗い中の様子に関しても、そもそも自動ドアが動かなければ電気が通っているかもわからなかったような施設なのだから特に不思議とも思わなかった。

いくつかの柱が乱立する以外、観葉植物や待合のソファなど、これだけ広い空間ならば置かれていそうなものが一つも置かれていない。とは言え、それについてはこのビルの特性上、あまりおかしさのようなものは感じなかった。なにしろ人が一人も来ないビルなのだ。人を待たせるための設備などあっても無駄なだけだろう。


(まあ、受付の一人でもいれば話は早かったんだろうが)


 幸か不幸か、一階フロアは見渡した限り受付はおろか人一人の姿すら見受けられなかった

 受付や警備員のようなものがいなかった点については、どんな奴らが出てくるかわからないこのビルの不透明さを考えれば胸を撫で下ろす状況だったが、先に入った彼女がこの場にいないというのは少々問題だった。何しろここで彼女を捕まえて、すぐさま帰るという選択肢が取れなくなってしまったのだ。それができればとりあえず目標を達成できて万々歳だったのだが、生憎と世の中そうはうまくはいかないらしい。


(さて、どうしたものか)


 顔を隠すために巻き付けたタオルの位置を調整しながら、死角になる柱の陰などを確認し、竜昇は今後の行動にしばし迷う。

 とは言え、あまり時間は掛けられない。先ほどの少女がここにはいないということは、つまり彼女がこの先のどこかに行ってしまったということだ。これだけ広い建物内を自前の足だけで探し出すのは相当に困難である。

 やはりここまでにして引き返すべきなのかと、そんな考えが頭をよぎっていた、ちょうどそのとき。


「ん?」


 明かりがつく。ただし通常の照明ではない。もっと小規模な、漏れだしてきたような明かりが、視界の隅で床の決して広くない面積を照らしていた。いったいどこからかと光の出どころへと視線を向けると、そこには明かりが漏れ出しているらしき小さな部屋がある。


(いや、これは……、エレベーターか?)


 恐る恐る近づき、中をのぞき込むと、そこに存在していたのは確かにエレベーターのようだった。

 中はビルの規模故か相当に広く、のぞいた先では車いす利用者用の鏡に自分の姿が写っている。

 周囲を見れば、どうやら同じようなエレベーターが八台もあるらしく、他にも何台か呼び出しボタンが押された形跡が有った。


(さっきの彼女がを押していったのか?)


 突然来た理由として真っ先に思いついたのはそれだったが、だとするとあの少女はエレベーターを呼びながら結局使わず、階段を利用したことになる。

 いや、片っ端からエレベーターを呼び出して、最初に来たものに乗って行ったのだろうか。上を見上げてエレベーターがどの階にいるのかを順番に確認しようとしてみたが、不思議なことにこのビルのエレベーターには普通のビルにはあるような回数表示というものが存在していなかった。

 加えて言うなら、周囲を探しても階段のようなものもやはり見当たらない。


(階段が無いなんて、あるのかそんなこと?)


 もしかすると暗くて見えていないだけなのかとも思ったが、しかしどちらにしろこの状況では探し出すのも困難なようだった。

 とは言え、状況を見れば先ほどの少女が他の階へと移動した可能性は比較的高い。


 もっとも、それにしたところでどの階を目指せばいいのか全く当てなどなかったのだが。


(そういえばこれがエレベーターなら中に案内表示があるか?)


 ふと思いつき、恐る恐るエレベーター内に入って中を調べる。思えば迂闊な行動だったが、生憎とそれに気づく前に、腰につけていたウェストポーチが突然震えだした。


「うわっ、なんだ!?」


 気を張っていたがゆえに驚き、悲鳴を上げて、そこまで行ってようやく竜昇はその振動の正体が中にあるスマートフォンのものであると思い出す。

 竜昇はいちいち変更するのが面倒だという理由で、普段からスマートフォンの設定をマナーモードにして変更していない。恐らく電話かメールでも来たのだろうと、つい普段の調子で着信を確認しようとして、しかしすぐに取り出した画面を見て首をかしげることとなった。


『あぷりヲいんすとーるシテイマス』


「……アプリ?」


 見れば、インストールを告げる文字と共に、その進行状況を告げるバーが少しづつ緑色の面積を広げている。だが当然ながら、竜昇は何かのアプリをインストールする操作などしていない。そもそも今まで鞄に入れっぱなしだったというのに、このスマホはいったい何を勝手にインストールしているというのか。

 と、そうして意識を手元に向けてしまったのがいけなかった。


 最初に気付いたころにはもはや手遅れ。

 鏡に何か動くものが写って、竜昇があわてて振り返ったその時には、すでに背後にあったエレベーターの扉が音も立てずに閉まり切る直前だった。


「――なっ!?」


 慌てて扉に飛びつくが、閉じた扉は当然のようにびくともしない。

 ならばボタンを操作しようと考えたが、しかしよく見れば、エレベーター内部には案内表示はおろか、そもそもボタンの一つも存在していなかった。

それどころか、エレベーターは竜昇を乗せたまま勝手にどこかに動き出す。


「――ッ、罠か!!」


 自分がまんまとはめられたことを悟り、竜昇は苛立ち交じりに閉じた扉に拳を叩き付ける。

 拍子抜けするほどなにも無いビルの様子に、いつの間にか油断のようなものを感じていた。無意識に普通の建物の常識をあてはめて、エレベータを自由に操作できる自身の味方のように考えてしまっていた。

 実際にはこのビルの設備全てが、ビルに潜む何者かによって操作されている可能性すらあったというのに。


(……いや、悔やむのは後だ)


自己嫌悪に流されそうになる思考を一度放棄して、どこかに脱出の手段がないかと視線を走らせる。当然見つかるはずもなかったが、しかしそうしているうちに軽快な電子音がエレベーター内に響いて、竜昇の意識を己の手元へと呼び戻した。

 今度はいったい何だと画面を覗くと、そこにはまるでこちらの状況を見透かしたような、カタカナのメッセージが表示されている。


『ヨウコソ、ゴジョウタツアキ、サマ』


「――ッ!!」


 名前を知れているという事実と周囲のこの状況に、思わず竜昇は小さく舌打ちを漏らす。

 顔のタオルを剥ぎ取りながら、いったいどうやってこちらの名前を知ったのだろうと、そんな疑問を抱きかけて、竜昇はすぐさまその思考を頭の中から振り払った。

 生憎と今聞かねばならないことは他にある。


「俺を、どうするつもりだ……?」


 出した声が、相手に届いたのかどうかはわからなかった。

 だがただの偶然なのか返事なのか、投げかけた疑問の答えはすぐさまスマートフォンのアプリに無機質なカタカナで表示されてきた。


『アナタニハマズ、「センタク」ヲシテイタダキマス』


(センタク……?)


 『センタク』と言う言葉を脳内でいくつ漢字変換して、すぐさま竜昇はその中から『選択』と言う言葉にあたりを付ける。まさかこれだけのことをしておいて、捕らえた竜昇にパンツを洗わせようと考えているとは思えない。

 そう竜昇が判断し、その選択の内容について新たな問いを投げかけようとしたちょうどそのとき、軽快な音と共にエレベーターがどこかで止まり、固く閉じていた扉があっさりと開いて、投げかけようとした疑問の答えをわかりやすく部屋と言う形で提示した。


「……おい。なんだよここは……」


 案内された部屋の異様に、思わず竜昇はそう呟き、それ以上言葉を見つけられずに絶句する。

 目の前に広がっていたのは、薄暗く、石造りのような内装の大きな部屋。

 ご丁寧にろうそくの明かりで照らされた雰囲気ばっちりのその部屋の中には、竜昇を絶句させた大量の物品が所狭しと並んでいた。

 剣や槍と言った、刃物を中心とした大量の武器の数々が。


『コノナカカラヒトツヲエラビ、サキニススンデクダサイ』


 手元に視線を戻すと、そんなメッセージが無機質にスマホの画面に表示される。

 言葉とは裏腹に選択の余地などまるでない。

 部屋を満たす濃密な鉄のにおいそれだけが、竜昇へと示されたあまりにもわかりやすい選択肢だった。

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