6:Door Stopper

 さて、無事にランレイの住むという村にたどり着いた勝一郎な訳だが、では一体どこに潜んでいるのかというと、実は少々説明を要する。

 否、言葉にすると簡単なので必要なのは説明よりも弁明(いいわけ)だ。誤解を恐れずに行ってしまうと、勝一郎は今ランレイの服の中に潜んでいるのである。

 とは言っても、流石の勝一郎もランレイが直接肌に触れる衣類に潜もうなどという猛者ではない。もしも自分が同年代の少女の下着に部屋を作って隠れ潜み、『ひゃっはぁっ!! 俺ってば今ランレイたんパンツの中にいるぜぇ!!』などと叫びだしたら自分自身でドン引きである。追加で壁にでも頬ずりしている光景など想像すれば、それだけで悶絶できるくらいの嫌な想像だ。

 間違っても勝一郎はそんな太いを通り越して大樹のような神経の持ち主ではないし、そもそもの話、そういった服では布面積が小さすぎて、勝一郎が中には入れるような扉は作れない。


 ではいったいどこに扉を作ったのか。答えは簡単、ランレイが勝一郎のいる小屋を訪ねる際に一番上に着ていた、マントのような大きな布の面だった。

 実際、これなら勝一郎もランレイと一緒に行動することができるし、作る扉を覗き穴のある玄関扉にしておけば、中から外の様子をうかがうこともできる。


 もっとも、そんな利点は実際のところ後付けのいいわけでしかないことを勝一郎は知っている。

 勝一郎がランレイのマントに部屋を作り潜むことになった本当の理由、それは偏に、勝一郎自身が部屋から出ず済むからなのだ。


(……ああ、畜生……。情けないにもほどがあるだろ……)


 昨晩、あのティラノサウルスに似た恐竜に襲われた後、しばらくしてようやく自分たちが助かったのだと実感した勝一郎は、しかしその後その場を全く動けなくなってしまった。

 ランレイが冷静に外の様子を確認し、危機が去ったのを確認している横で、勝一郎はあの怪物の脅威に震え上がり、出発を提案するランレイの言葉をはっきりと完全に拒絶した。


――この部屋から出ていきたくない――


――危険な外へと出たくない――


――あんな化け物がいる森を歩くなど正気の沙汰ではない――


 その他思いつく限りの文句を並べ立て、ひたすら部屋の中から出ることを拒む勝一郎に対し、ランレイが提示してきたのがこの自身のマントに勝一郎が新たに部屋を作り移動するという方法だったのである。

 実際、冷静さを取り戻してみればよく見捨てられなかったものだと思う。何しろその時勝一郎が口にした言葉など、文字通りの意味でただの文句でしかなかったのだ。

 一応村へ侵入するという目的を考えれば、マントに部屋を作るという案は多分に理にかなってはいたものの、その時の自分の言動を考えれば今の状況はほとんど勝一郎がランレイに寄生しているようなものである。


「あるいは部屋にこもる引きこもりか、あるいはヒモか……、やめよう。気分が滅入るばっかりだ」


 それにそもそも、勝一郎の立場上迂闊に外に出るわけにもいかないのだ。いかに勝一郎が一大決心して外へ出たとしても、そこで村人に見つかっては本末転倒である。

 しかしそうとわかっていても、やはり後ろめたいような気持ちは捨てきれない。


(あるいは、目の前でああいう姿を見せられてるからそう思うのか……)


 勝一郎の視線の先、壁際に座る勝一郎から見てちょうど部屋の中心にある位置では、現在服を着替えて準備を整えた(ちなみに、勝一郎の目の前で平然と着替えを始めようとするランレイに、勝一郎はあわてて更衣室を作って対応した。どうやら彼女、弓の練習をするときは胸にさらしを巻く必要があるらしい)ランレイが、弓の弦を引いては放すという行為を無心に繰り返していた。なにやら気功術を利用しているらしく、先ほどから意識を凝らすと腕と弓を中心に断続的に気と呼ばれるものが流れているのが分かる。気配の強さはどちらかと言うと弓から感じる方が強いが、これはどうも体の外に出ている『気』より、体の中で動いている『気』を感じ取る方が難しいというのが理由らしい。


(気功術、か……)


 自分も両手に気を集め、勝一郎は教わった気功術についての知識を思い出す。

 気功術というのは早く言えば、『気』と呼ばれるエネルギーを使って、生物の肉体の機能を上昇させる技術らしい。

 気には基本的に四つの性質があり、筋力を強化する『筋』、骨や爪などを強化する『爪』、怪我などへの自然治癒力を強化する『血』、そして視力や聴力、気に対する感度などの感覚を強化する『感』があるとのことだった。


(えっと、今やってるのは腕の筋力を『筋』で強化するのと……、弓の方は『爪』か? 確か『爪』は武器の強化に使うとか言ってたけど)


 ほかの三つと比べて人間には使いにくそうな『爪』だが、どうやら彼らは自分たちが振るう武器を動物からとった骨や牙などで作ることによって武器を気功術の対象にしているらしい。その考えに照らし合わせれば、いま彼女が使っている弓も何らかの生き物の一部から作られているのだろう。

 ためしにと槍を掴み、右手の烙印を経由させずに直接『気』を流し込んでみる。


(『気』、か……。考えてみればこれも結構おかしな力だな。扉もそうだけど俺が使える理由がよくわからない)


 気功術も扉の力も同じ『気』を使って行使する力のようなので扉の力と同一の理由で使えるとも考えられるが、気功術は扉と違いこの世界の人間も普通に使えている。だとすれば気功術の方はこの世界の法則に基づく力であり、勝一郎もこの世界だから使えているという可能性もある。

 ただ、現実問題としてこちらに来る前と後で、勝一郎の体に何らかの変化があったのは間違いなさそうだった。


(やっぱり、これだけ離れているのによく見える)


 壁際に座ったまま部屋の中心に立つランレイを見ながら、勝一郎は黙ってその事実だけを確認する。

 先ほどから『部屋』などと呼称してはいるが、実のところこの部屋は勝一郎の学校の体育館並みに広い。その壁際と中心ならばそれなりに距離が開いているわけだが、これだけ距離が離れていてこれだけ見えるというのは、考えてみれば日本にいた時の勝一郎には無かった事態だ。

 そして、一度気づいてしまえば自覚できる症状は他にもある。


(思えばこっちに来てから、やけに体が軽かった。暗い中でもやたら物がよく見えたし、さっきの扉向こうの声だって、あの声量で扉越しに聞き取れるってのも考えてみれば変な話だ)


 きっかけは、この部屋の中で暇を持て余して体を動かしてみたことだった。この体育館を作って適当に体を動かすうちに不審に思い、春ごろに行った体力測定のデータを思い出して今と比べてみて、初めて発覚したのである。

 身体能力の明らかな上昇。一応勝一郎もこの世界の重力が地球より小さいのではないかとも考えたのだが、重力の問題だけでは視力までは上がらない。先に気功術なる技術で感覚の強化という概念を知っていたため、どちらかというとそちらの方がしっくりくる話だった。


「ねぇ」


 と、勝一郎が座り込んだままそんな考え事をしていると、不意に目でランレイが声をかけてくる。


「槍の気功術、解けてるわよ」


「え? ああ、本当だ」


 言われてみて初めて、勝一郎は槍に流していた気功術が跡形もなく消えていることに気が付いた。見ている分にはそうは思わなかったが、この気功術というものは意外に持続させるのに集中力がいる。


「まったく、気功術の基本すら満足にできない男なんて初めて見たわよ」


「し、しかたないだろ。俺の世界には本来なかった技術なんだから」


「ふーん、あっそ。まあいいわ。それより、矢を射るから何か的になるものがほしいんだけど」


「的ったって、この部屋穴開けられないから何か打ち付けるわけにもいかないし、書くものも特に持ってないぞ?」


「知ってるわよ試したから。だからあんたに言ってるんじゃない。なんならあんたが的になってくれてもいいのよ?」


「いや殺す気かよ!! 言っとくけどお前、俺が死んだらお前もこの部屋から出られねぇからな!?」


 半ば本気でそう答えながら、慌てて勝一郎は的を用意しようと立ち上がる。流石に冗談だろうとは思うが、この少女ならば本気でやりかねない。

 とりあえずとばかりに少女から離れた壁へと向かい、迷った末に手のひらサイズの小さな扉を壁にいくつかこしらえる。開いた扉の中に飛び込ませるように撃てば、とりあえず的替わりにはなるはずだ。


「ほら出来たぞ。って言っとくけどまだ撃つなよ!? そういう危ないもんは人に向けちゃいけないんだからな!? 先生との約束だぞ!!」


「誰がセンセイよ誰が。大丈夫よ。あんたは役立たずだけどその部屋づくりの力はとても役に立つもの。流石に殺したりはしないわよ」


 言外に勝一郎のことを扉の力抜きでは役立たずだと言いながら、ランレイは勝一郎が離れたのを確認して弓を構える。

 勝一郎としてはランレイの言葉に憮然とする部分もあったが、現実を見れば到底否定できるものではなかった。


 しばし、ランレイが弓を射る姿を黙って見守る。

 驚いたことにこのランレイという少女、練習などが必要になるのかと疑いたくなるほどに、正確無比な命中率を誇っていた。

 いくつか作ってやったこぶし大の的扉の向うに次々と矢を飛び込ませ、開いた部屋の中へ残さず矢を収めていく。

 まあもっとも、実力というのは着けるだけではなく維持しなくてはいけないものなので、そいう意味ではこうした練習を日常的に行うのは理に適っているのかもしれないが。


「ねぇ、ショウイチロウ」


「ん? どうした」


「一つ聞きたいんだけど、あの矢どうやって回収するの?」


「え? ……回収するのか?」


 思っても見なかったランレイの言葉に思わずそう聞き返し、その直後から部屋の中に嫌な沈黙が立ち込める。

 勝一郎の作った的扉は扉の大きさこそこぶし大だが中は意外と広く、少なくとも手を突っ込んだくらいでは中に飛び込んだ矢は取り出せない。そもそもが大量生産大量消費の国で育ち、弓道などの心得もない勝一郎には、練習用と言えど矢など使い捨てにするものであるといったような思い込みが無意識下にあった。

 ただしランレイの方はそうではない。


「待て、頼むから少し待ってくれ!! 弓をこっちに向けるな、今取り出す方法を考えるから!!」


「うるさいわねどうするのよあの矢!! 言っとくけどあの矢、こっそり材料をくすねて少しずつやっとあの数までそろえたんだからねっ!! ただでさえあんたの食糧をくすねるのにも苦労してるのに!!」


「痛っ、ちょっ、ほんとに痛い!! 弓で叩くな、変な性癖に目覚めたらどうする!!」


「うっさいっ、この馬鹿!!」


 八つ当たり気味に蹴り倒され、勝一郎は逃げるようにランレイから距離をとる。

 さすがのランレイもひときわ暴れて多少は落ち着いたのか、肩で息をしながらも追っては来ず、頭を抱えて何やら雄叫びをあげていた。


「ああ、もうっ!! また矢の材料を集めるところから始めないと……。残ってる矢これだけしかないし……」


「っていうかさ、態々くすねなくても村の人たちからもらえたりしないわけ? 材料だけじゃなくて矢そのものとかもさ」


「できるわけないでしょう!? 女の私が矢を集めたりなんかしてたら、絶対何に使うんだって問い質されるわよ。誰かの代わりに取りに来ましたって言っても本人に確認されたら絶対バレるし」


「いや、堂々と貰えないのかよ? 別にやましいことをしてるわけでもないし」


 勝一郎がそう尋ねると、ランレイは呆れたような表情を見せた後、何かに気づいたようにため息をついた。どうやらここにも、世界を隔てる|文化の壁≪カルチャーギャップ≫が横たわっているらしい。


「あんたの世界はどうだか知らないけど、そもそもこっちじゃ女が武道に手を出そうってだけでいい顔をされないのよ。戦うのは本来男の役目、女はそれを支え守るに足る存在であるべし。それを侵すことは、男たちに対する侮辱だってね。だからふつう女が武器を作ることはあっても武器を使うことはないわ」


「いや、まあ似たような考え方は俺の世界にもなかったわけじゃないけど、そこまで極端なものなのか? っていうかそれなら、そんな価値観に逆らってまで、なんでそんなに弓使うことにこだわってんだよ?」


 特に何かを考えるでもなく、ただの興味だけで勝一郎はそんな質問を口にする。当然そんな勝一郎には、帰ってくる答えで自分が後悔することなど予想できていなかった。


「私にはね、この手で討ち取りたい魔獣が、仇≪かたき≫がいるのよ」


「え? 仇≪かたき≫……?」


 帰ってきた言葉の予想外の重みに、重い理由など何も想像していなかった勝一郎は少々面食らう。敵などという言葉、勝一郎の中で知識としては知っていても、人生の中でついぞ意味を持つことのなかった言葉だった。


「一昨年の夏に森を越えた先の平原までの遠征があった時、遠征に行っていた村の戦士たちが一匹の魔獣と遭遇したの。そいつがとにかく強い奴だったらしくて、戦士たちの中にも何人か死者が出た」


「その死者の中に、身内がいたのか……?」


「……死んだのは村の人間よ。身内でない人間なんていないわ。ただ、その中に一人、私が装備の面倒を見ていた奴もいたのよ」


「それって――」


――もしかして恋人だったのか?

 とっさに口の中に封じたその言葉に、しかしランレイはあらかじめその疑問を予想していたのか、答えるように首を横に振る。


「確かにそいつとは仲が良かったけど、別に恋仲だったわけじゃない。まあ、私の方が成人してたら、もしかしたら夫になる相手だったかもしれないけど……」


 『生憎とその時まだ十三だったし』と、ランレイは真っ白な天井を見上げてそう語る。

 ちなみに、この世界での成人年齢は十五歳からだというのは、勝一郎自身がこの村に来てすぐに聞かされた話だ。そういう意味では、今年十六を迎えたばかりの勝一郎も、この世界では立派な大人ということになる。

 この世界の人間から見れば、さぞかし情けない大人だろうが。


「抜けた人だったのよね。なんていうか。同年代の中じゃ弱い方、とまでは言わないけど、それでも突出して強かったわけでもないのに、そのくせ理想は高くって。みんなの安全に一番気を使ってて、……でも、そのくせあっさりと死んだわ」


「……その魔獣って奴が、憎いのか……?」


「……憎い? ……そうね。正直言うとよくわからないのよ」


「わからない?」


 魔獣に対する、それこそ『刺し違えてでも殺してやる!!』というような強烈な憎悪を予想してた勝一郎は、ランレイのその言葉に少しだけ拍子抜けする。

 だがすぐに気が付いた。ランレイの放つ眼光が、憎悪による濁りも、迷いによる揺らぎもない真っ直ぐな輝きであることに。


「憎んでいないわけじゃ、たぶんないと思う。そもそも相手は天に仇なす魔獣。憎まない理由の方がないわ。ただ……」


「ただ、なんだよ……?」


「死んだそいつの装備が返ってきたときね、バラバラになった鎧とかを見て、思ったのよ。私は今まで何をしてたんだろうって。

 自慢じゃないけどさ。私って結構器用なのよ。十三だったその時も、武器も鎧も、大人に負けないくらいすごく上手に作れててさ。その時そいつに渡したものだって、私が作った最高傑作くらいの物だった。

 でも、何の役にも立たなかった」


 そう言って、ランレイは手にした弓に込める力をわずかに強める。それは勝一郎が初めて目にする、決意した人間の姿だった。


「今までいったい何やってたんだろうって思ったわ。万全の準備をして、無事に帰ってくるよう祈りを込めて装備を整えて、それでも結局あいつの命は守れなかった」


「だから、自分で戦うことにしたのかよ……?」


「遠征には男たちだけで行くわけじゃない。どうしても戦士たちの身に回りをするのに女も必要になるわ。もしも女が守られるだけじゃなく、ちゃんと後方からでも加勢できれば、それだけで戦士たちの生存率は上がるはずよ。

 まあ、あいつの敵もちゃんととってあげたしい、それができる位になるのが当面の目標ってわけ」


 『村の皆は認めてくれないけど……』と僅かに不満を滲ませ、ランレイはしぶしぶといった様子で弓を片付け始める。どうやら今日のところは矢の件は保留にするらしい。自分の不手際が棚上げにされたことを内心でホッとしながら、同時に勝一郎は、もう一つ別の感情をランレイに対して抱いていた。

 ほとんど無意識に、その感情が勝一郎の口をついて出る。


「……ましいよ、ったく」


「え? 何……?」


「え、ああ、いや……」


 口に出してしまっていたと気づいてから後悔するがもう遅かった。とは言え、この段階ならばまだはぐらかすこともできなかったわけではない。それこそ『何でもない』と一言いえばそれで済んだはずなのだ。ただ先に話を聞いてしまっていた分、勝一郎にはどうにもその選択肢を選びにくく思えてしまった。

 いや、それ以上に。もっと単純に勝一郎が誰かに聞いてほしかっただけかもしれないが。


「……羨ましいって、そう言ったんだよ。俺とそう年も違わないのに、っていうか多分一こ下なのに、自分に目指したいものがあるってのが、なりたい自分を持ってるってのが、その……」


「……別に、そんなに良いものじゃないわよ。周りの皆とは何度も喧嘩する羽目になってるし、そんな周りが正しいんだってのがわかっちゃってて、それでも止める気にならないし」


「それもだよ」


 本来ならば、こんなこと勝一郎は口に出すべきではなかったのかもしれない。それこそこの先の言葉は、自分の胸の内に秘めておけば、ここからさらにみっともない姿をさらすことはなかったかもしれない。

 だが、一度流れ出したなら、もう言葉の流れは止まらなかった。どんなに後で後悔しようとも、流出した鬱屈はもう止められない。


「俺の世界ではさ、自分の人生ってのは全部自分で決めるべきだって風潮があるんだよ。俺くらいの年にはもう自分の将来決めてて、その目標に向かって頑張ってるやつほど偉くてすごい奴なんだって感じの風潮がさ。

 でも、俺はその考え方がすごく嫌いだった」


 実際問題、そんな考え方が浸透したのは、どう考えてもここ数十年の間だろう。もっと昔の、それこそ百年どころか五十年も時代を遡れば、人の人生などという者は生まれた際に周囲によってある程度決まってしまうことの方が多かったのではないだろうか。

 それがここ最近は、そういった価値観は勝手に古いものとなり、代わりにそれを決められる人間が尊く、決められない人間が劣っているとするような風潮すらある。


「この世界に住んでるそっちにとっては、目指してるもんがあるあんたにとっては、周囲が勝手に生き方を決めちまうってのは窮屈なもんかもしれないけど、俺はずっと、誰かに自分の人生を決めてほしいと思ってたんだ。下手に選択肢なんて与えて悩ましてないで、勝手に俺の行く先を『こう』って決めてさえくれれば、俺もそれに向かって力を尽くすのにって、どんな運命でも受け入れてやるって、ずっとそう思ってた」


 社会でも才能でも構わない。どうしようもないものであったとしてもむしろ好都合だ。迷いに迷って決められない勝一郎のような人間には、むしろ同時もならないものの方が多かった古い時代の価値基準の方が羨ましくさえ感じる。

 恐らく選べない窮屈さを感じてそれを悪いものとした過去の先人たちは、勝一郎が感じるような、選ばなければいけないという苦悩は感じなくてすんでいたはずなのだから。


「どんな運命でも、ね……」


 勝一郎の独白に、ランレイはどこかため息でもつきそうな雰囲気で、勝一郎に向ける目をわずかに細める。

 その視線から温度が下がっていることに、勝一郎は直前まで気づけていなった。


「それで? どんな気分? こうして予期せぬ運命に流されて、こうして違う世界とやらに来た気分は?」


「え?」


 唐突に言われて、勝一郎はしばしの沈黙を経て、ようやくランレイの言わんとしていることを理解する。

 思えばこの訳のわからない、異世界に放り込まれるというこの状況こそ、それこそ勝一郎が願ってやまなかった、自分の道を勝手に決めるどうしようもない運命のそのものなのだ。

 だがしかし、そう考えることはさすがに勝一郎にも異論がある。


「いや、俺が言ってる運命ってのはこういうのじゃなくて……」


「じゃあどんな運命だったらよかったのよ? どんな運命でも受け入れるんでしょう?」


「いや、それは……」


 ここまで来て、ようやく勝一郎は自分が随分と身勝手な独白をしていたことに気が付いた。

 とはいえ、気づいたからと言って一度発してしまった言葉はもう戻らない。


「私はさ、たぶんあんたが言うような、運命を受け入れるってのができなかった人間なんだと思うの。周りが望む方向に生きようとしないで、自分勝手に自分の道を進んでる、そういう人間ね。でも、あんたが言う運命を受け入れるってことがどういうことかは、たぶんあんたよりもよく知ってると思うわ」


「なんで、だよ……」


「実際にいたのよ。この前新しく就任した新しい巫女が、まさにそれをやって見せてくれた人だったの」


「巫女……? 確か、女性のトップだったか……?」


 巫女という言葉に、勝一郎は慌てて教えられたこの村の知識を思い出す。

 この村では男の戦士長と女の巫女の二人が、それぞれ担当を割り振って村の重要事項を決定しているらしく、男の戦士たちを率いる軍事担当の最高責任者に戦士長を、それ以外の村の中での政治や生産の中心となる人物として女性の巫女を置いているのだと聞いている。


「戦士長は巫女が成人したときに試合をして、一番強い戦士が成るものなんだけど、巫女の方はその前の時代の巫女が占いをして、最も天に選ばれた娘を幼いころから巫女になるべく育てるものなの。

 ただ、そうして育てられていた娘が必ず巫女に成れるわけでもなくてね……」


「……? どういうことだよ?」


「いくら天に選ばれた娘でも、成人するまで生きられないこともあるということよ。次代の巫女の重要性なんて悪魔も理解しているから、当然呪いに狙われることもあるしね」


「呪い、ねぇ」


 それは何かの病気についての考え方なのかと、勝一郎は内心でこっそり勘ぐってみる。彼女はこう言っているが、現実問題あの恐竜が村の重要人物について理解しているかと問われれば相当に怪しいものだ。

 とはいえ、それは今重要な事項ではない。


「えっと、それじゃあ巫女になる娘が死んじまったら一体どうするんだ? 誰かかわりを立てるとか?」


「そういうことになるわね。村には巫女のほかに、巫女の補佐をする女官が何人かいて、巫女になる娘が亡くなった場合、その女官の中から次代の巫女を選ぶのよ。実際、この村の新しい巫女であるリンヨウ様はそうして選ばれた巫女なの。でも、巫女になる前のリンヨウ様には、すでに恋仲だった相手がいてね」


「それってなんか問題あるのか?」


「あるのよ。何しろ、村で唯一、巫女になる娘の相手結婚だけは、戦士長になるものただ一人と決められているのだからね」


「戦士長……? それって……」


 先ほどランレイは、戦士長は村で試合をして、一番強いものが成るのだと言っていた。つまり今の話からすれば、その巫女が恋仲だったという相手と結ばれるためには、村の戦士のだれよりも強くならなくてはいけないということになる。


「その当時のリンヨウ様のお相手は、正直言ってとても強いとは言えない人だった。はっきり言ってリンヨウ様が巫女になってしまったら、結ばれる可能性はほとんどなくなってしまうと言われていたほどにね。でも、リンヨウ様は巫女になるべしというお告げを迷うことなく受け入れたわ」


「な、どうしてだよ!? 恋人がいたんだろう? 断れないにしても迷いなくって――」


「――『あの人に相応しくない私にはなりたくないから』って」


 驚き詰め寄る勝一郎に対し、ランレイはふてくされたような口調でありながら、どこか尊敬の念のこもった様子でそう告げる。

 実際、尊敬しているのだろう。

 ランレイ自身とは違う生き方をしている相手ではあっても、否、違う生き方をしているからこそ、ランレイはそのリンヨウという巫女に敬意を抱いている。


「あなたの言う運命を受け入れるっていうのは、そういう人にこそできることだと私は思う。どんな状況に陥っても、そういうことが言える人。どんな運命が訪れても、それでぶれることのない確固とした自分を持っている人」


「確固とした、自分……?」


「かくあるべしと自分に言える、こうでありたいと自信に願う、そんな理想の自分。運命を受け入れることができる人間というのはきっと、どんな運命にも左右されない、そんな自分を持っている奴なのよ」


「……」


 自分にそう言う部分があるかと思い返し、勝一郎は愕然とする。

 気づいてしまったのだ。自分という存在が、いったいどんな考え方でさっきの言葉を吐いていたのかに。

 そんな勝一郎の内心に気づいていたのかいないのか、ランレイは片づけた荷物を抱えて、勝一郎のいる部屋の出入り口へと歩いてくる。


「さて。それじゃあ私は今日はもう寝るわ。あなたも夜遅くまで付き合わせて悪かったわね」


「あ、ああ……。い、良いってことよ」


 できるだけ顔を見られないようにしながら、勝一郎が扉のドアノブを静かにひねると、ランレイがわずかに開いたその扉から様子をうかがい、やがて外へと忍び出る。恐らくこのまま村の者達に見つからないように寝床に戻り、そこで遅めの眠りにつくつもりでいるのだろう。


 あるいは、今の勝一郎を一人にするつもりで出ていったのか。


 ランレイが部屋から出ていくと、後には静寂に満ちた白い部屋の中に、勝一郎一人が残される。


「……ああ、畜生……」


 壁にもたれかかり、右手をそのまま振り下ろして『ドンッ』と一度壁を叩く。

 一度の音が二度となり、三度となり、四度となり、五度となり、音自体もだんだんとその音を大きくしていく。

 そして六度目。手に痛みが走るほどに壁を叩く力が強くなったところで、ようやく勝一郎は我に返り、そのまま壁に体重を預けて座り込んだ。

 ひどく、みじめな静寂が室内を満たしていく。


「……ああっ、畜生……。あいつ、遠慮容赦なくこっちの言い訳叩き潰しやがって……!!」


 たまらない気分とともに両手で頭を掴み、目をきつく瞑って外界と自分を遮断する。

 とても周囲を直視できなかった。周りには誰もいないとわかっているのに、まるで周囲で誰かが笑っているような気がしてそれを確認することができない。


「ああ、そうだよ。ホントはわかってんだよ。俺が何かを選ぶことから逃げて、何かになることから逃げて、責任って奴から逃げるためにっ、勝手に何かにされるのを待ってるんだってことくらい、言われなくたってホントはわかってんだ……!!」


穴があったら入りたい気分だった。

 部屋を作って中にもぐりこんでみた。

 結局のところ、勝一郎は楽な方に逃げてきただけなのだ。決断して前に進むよりも、その場にとどまった方が楽だったから変わらないままで来ていた。自分で決めるよりも他人に決めてもらった方が楽だったから決めてくれる人間を探していた。

 そして今、実際に何かにこの訳のわからない、異世界に放り出されるという状況に置き去りにされて、しかしそれが楽じゃなかったものだから文句ばかりを垂れている。

 自分にとって都合のいい扉の力はあっさりと受け入れたくせに、都合の悪い異世界への渡航は受け入れようとせず、それどころか楽になるように他人に甘えてこうして安全なだけの空っぽの部屋に一人何もせず引きこもっている。

 何と都合のいい精神、確たるものの何もない、なんと恥ずかしい思考回路か。


「……きっと俺って、今より楽そうなとこがあったらずっとそっちに転がってくんだろうな……」


 さっきまで見えてもいなかった、自分という人間の醜さが今はよく見える。分かりたくない自分の卑怯な行動パターンが、負け犬のそれにも似た自分の最低の思考回路が、今はありありと予想できた。


「ああ、ちくしょう……!! ホント、俺って奴は……!!」


 手を伸ばし、棺桶のような小さな部屋の扉を自ら閉める。無駄に明るい純白の部屋が、今はどうにも鬱陶しかった。






 誰かが扉の中で止まっていても、扉の外では変わらず世界が動く。

 たとえば巨大な魔獣が潜む森の一角で、たとえば人が集う村の中心で。


「大変、大変ですぞ各々方ぁっ!!」


 一人の少年が部屋の中で腐りゆくその間にも、時は流れ、日は巡り、状況は刻一刻と変化する。


「オオッ、戦士長殿、巫女様、一大事でございまする!!」


 村に住む人々の注目を一身に集めながら、一人の戦士がその高い声で持ってして、森から持ち帰ったかつてない報告を、村という小さな世界にぶちまける。


「降臨、召されました……!!」


 それは、たった一人の例外の少女を除けば、かつてない遭遇。


「天より、天より神が、降臨召されましたぁぁぁああああ!!」


 波紋を起こす大きな石が、安定していた水面へと落とされる。起こされた波は周囲を飲み込み、水面とその周囲にあるものたちの形を変えていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る