5:Closed Door

 染み一つない、完全な純白の部屋というものは、実際に住んでみるとそれはそれは気持ちの悪い物らしい。実際にこの部屋とご対面してから二日近くたって、ようやく勝一郎はそんな感想を抱いた。

 『清水に魚棲まず』などというが、この部屋は確かに住みにくい清水かもしれない。埃一つ落ちていないと言うには、さすがにこの部屋を作ってからの時間が短すぎるので判断が難しいところだが、そもそもこの部屋には汚れ以前に家具の一つもないのだ。

 あるのは寝ころぶ勝一郎本人のほか、勝一郎が脱いだコートとランレイに無理やり押しつけられた槍が一本だけである。

 持ってきた荷物は、昨晩すべて失った。

 もちろん、ポケットの中にはハンカチくらいは入っているし、携帯電話もなんとか失わずにはすんでいたものの、ハンカチ一枚あったくらいでは何の慰めにもならないし、携帯電話に至っては数時間前バッテリーが限界を迎えご臨終となってしまった。死因は餓死である。大変に残念で悔やまれる事態だった。

 そんなわけでほぼ体一つ。それ以外に何もない白い部屋を眺めていると、流石の勝一郎もこの異常な部屋を不気味にも感じてくるというものだ。

 しかもそれが正体不明、原因不明、出自も不明の超能力の産物ともなればなおさらである。それがたとえ自分の超能力であってもだ。


「……まあ、この世界の天だか神様だかっていうのも、どうも眉唾っぽいしな……」


 最初こそ、異世界らしきこの世界には地球とは違って神様がいて、その神様が自分に何らかの力を与えたのではなどとムシのいいことを考えもした。この世界には奇跡を自在に起こせる上位の存在がいて、その存在に勝一郎が選ばれたのではないかと、そんな赤面物の思い込みに、一時とはいえ勝一郎は浸っていたのだ。

 だが話を聞いているとこの世界の神様というのは、こういってはなんだが勝一郎の世界と同じ程度の干渉力しか持っていないようなのである。何というべきか、昨日のうちに聞くことができた神話や宗教的な教えの数々が、どうにも作り話という意味での神話の域を出ないような気がするのだ。


 たとえばこの世界、神話では神がその手で自ら作ったものとされているそうなのだが、その神様自身はこの世界に降り立とうとした際、作られたばかりのこの世界に現れた悪魔や魔獣と呼ばれる存在によって、なんとこの世界から追い出されてしまったらしい。この時点で勝一郎としてはこの神様の頼りなさに呆れるところなのだが、この神様、それでもただ追い出されたわけではなかったらしく、新たに悪魔を駆除する存在を作り出して、それを世界の中へと送り込んだというのだ。

 その神が作り出した、言ってしまえばこの悪魔や魔獣への先兵として登場するのが何と人間である。


「神様のくせに人間頼りってどうなんだよ……」


 いるかどうかも知れない神様に向かってツッコミを入れながら、勝一郎は努めて冷静に、自惚れや自己陶酔を排除してこの世界における神の存在を分析してみる。

 一番勝一郎にとって気になるのは、やはり自分の異世界渡航や能力が本当にこの神様によるものなのかどうかということだ。

 実際、勝一郎の持つこの能力は確かに神がかっているかもしれない。何しろ何もない平面に空間を丸ごとひとつ作り出せてしまうのだ。世界という空間を作った神様が与えた力なら、こんな空間を作る力を勝一郎に与えることも、まあ、できるかもしれない。

 ついでに言えば、この世界において神から人へ贈られるものは、必ず女性が受け取るものだという教えがあるらしい。そう考えればこの世界で最初に出会ったのがランレイという少女だったことにも意味を見出すことができるし、考えようによってはこれを神様の常套手段なのだと考えることもできなくは、ない。

 ただ、である。

 そもそもの話、ではこの神様が本当にいるというのなら、いったい何を求めて勝一郎をこの世界へと出現させ、さらにはこんな能力を与えたのかが分からない。

 何らかの力を与えるならもっと勝一郎以外の誰か、それこそ現実に魔獣だか悪魔だかと戦っているこの世界の人間に与えればいいはずである。さらに言えば与えられた力も問題で、この能力はほとんど何かと戦う力として使えないのだ。強いてできるとすれば昨晩のような逃げ込むスペースを作り出すくらい。加えてしまっていれば勝一郎以外には認識できないという極めて高い隠密性を考えれば、部屋にこもることで隠れることはできるかもしれないが、しかしせいぜいできるのはそれくらいである。とても悪魔と戦うことを人間に求めるような神様が、わざわざ送り付けてくるようなものではないはずだ。

 しかも送りつけるといったとて、ここにも大きな問題が潜んでいる。否、潜んでいるなどというレベルではない。どっかりと鎮座しているといった方がいい。

 先にも述べた通り、この世界の宗教には神からの贈り物は女性が受け取るのだという信仰があるのだが、ではその送られてくるものとは通常何なのかというと、実は目に見えない『運気』やら、神が新たに作った人間、つまりは『子供』なのである。

 加えて彼らが信仰上の敵とする悪魔や魔獣のうち、昨日会った魔獣・咬顎竜と呼ばれる生き物は、どう見ても博物館にいるものよりリアルな恐竜そのものであった。

 魔獣というよりは猛獣、猛獣というよりは古代生物といった方が印象としては近い。


「……こりゃ、神様云々の神話より、実際にある現象を宗教的に解釈したって言った方が近いのかもしれないな……」


 この世界の人間にはない考えかもしれないが、科学文明の申し子である勝一郎には彼らの考え方に別の側面を見出すことができる。

 要するに神からの贈り物はただの運不運と妊娠で、悪魔や魔獣というのはただの猛獣・天敵の類であるということだ。

 昔の人間が天災を神の怒りだと捉えたように。

 この世界の人間は危険な猛獣を悪魔や魔獣だと考えている。

 そう考えれば、自分たちは悪魔と戦う先兵だという考え方も実は理にはかなっているようにも思える。

 要するにプロパガンダである。自分たちがあの怪物と戦ううえで士気を保てるように、自分たちは神から使命を与えられていると思い込むのだ。つまり彼らにとって魔獣と呼ばれる巨大生物に挑む行為は、その一つ一つがいわゆる聖戦なのかもしれない。


「でも、そうなってくるといよいよ俺の『扉』とか異世界トリップとかの理屈が本気でわかんなくなるな」


 言いながら、しかしよく考えればすべて神様のせいだと考えるのも実は相当に乱暴だとも思いなおす。神様を原因とする回答は、それは確かに万能の回答ではあるものの、ある種現実逃避的でまったくと言っていいほど問題解決能力を持っていない。

 説明が難解な現象の、説明を放棄する行為にしかなっていない。


「しっかしそうなると後怪しいのは……」


 勝一郎の中で今一番原因として思い浮かぶのは、こちらに来る直前の最後の記憶にある、橋の下の地面に描かれていた魔法陣のような落書きだ。神様という容疑者の冤罪がほぼ確定的になった今、最も疑わしいのはあのあからさまな魔法陣しかない。


(あの時はただの落書きだと思って普通に踏んづけてたけど、その後にこうなったってことはやっぱりあれが関係してるのか……?)


 ただ、そうなってくると一つ大きな問題も出てくる。否、問題というならなぜあんな場所にあんな魔法陣があったのかなど、上げ始めればそれこそきりがないのだが、それ以前の問題として、この世界にはそもそも『魔法』も『魔法陣』もないのである。

 一応、魔法的な、ある種現実性からかい離した技術として、気功術なる技術がこの世界にはあるにはある。

 ただこちらは、大雑把にいうなら武術の延長線上にあるような技術で、あんな落書きも必要なければ世界を渡るような力も無いようなのである。

 別に詳しく話を聞いたとも思っていないが、さわりを聞いただけでもそれくらいはわかる。むしろ魔法的と言うなら、勝一郎の力の方がよほど魔法的なのだ。

 しかしそうなってしまうと、ではそもそもあの魔方陣はいったいどこから湧いたものだったのかという話になってくる。


「……まさか出自は実はうちの世界ってわけじゃないよな……?」


 実は自分の知らないところで自分の世界に魔法なる技術体系が存在していたのかと疑ってみて、しかしすぐに勝一郎はこの思考を放棄した。

 現実味がないというには、もうすでに現実味のない状況に遭遇しすぎている勝一郎だ。まさか今更それをありえない可能性として切り捨てたわけではない。

 単に判断材料のなさに気づいて、いくら考えても無駄であるという結論に至っただけである。

 そもそもの話、この手の思考はそれこそこの部屋に入った昨晩、もっと言えばそれ以前から暇さえあれば行い続けていたものだ。それはある種、このなにもない部屋において唯一勝一郎ができた暇つぶしだったのだが、それゆえにこの思考はすでに十回以上の堂々巡りを繰り返している。


「……ん?」


 そこまで考えていたとき、ふと勝一郎の耳に何か声のようなものが飛び込んできた。

 一応真剣な考え事はしてはいたものの、先に述べた理由から勝一郎はその思考をあっさりと放棄し、声らしきものの聞こえた部屋のたった一つの入り口に向かって立ち上がる。

 変化のない堂々巡りの思考より、外での変化の方が重要なのは明白だ。


「―――ぃっ!! ねえっ、聞いてるの!!」


 近づいてみてようやく聞こえるその声に歩む足を速め、この部屋の出入り口である小さ目の玄関扉ののぞき穴をのぞきこんでみると、案の定その向こうには整った顔を苛立ちに歪めたランレイの顔が見えていた。


(そういえば部屋に入るときの合図とかを決めてなかったな……)


 どうやら随分前から扉の向こうで小声で叫んでいたらしい。一応この扉、普通に声を出してもらえれば外の声は聞こえるようになっているのだが、大きな声を出せない状況で外から中に声を届けるのは、考えてみれば相当に難しい注文だった。閉めている間は作った面の性質に戻っているこの扉の性質上、まさかノックして開けさせるわけにもいかない。


(やばいな、早く開けないと今度は何を言われるか……)


 少々ビクつきながら、それでもさっさと扉を開けようとした勝一郎の手が、ドアノブに触れる寸前に一瞬止まる。

 少しだけこの扉を開けるという行為が、安全なこの室内に危険な外の何かを呼び込む行為に思えてしまったのだ。


(……馬鹿なこと考えるなよ。あんな化け物がこんな場所にいるわけがないだろ)


 脳裏に昨晩の恐竜が室内へと頭を突っ込んできた光景を思い浮かべ、あわてて勝一郎はその考えを頭の中から追い払う。

 今扉の向こうにいるのは、勝一郎がこの世界で唯一知り合った人間の少女だ。

 もっとも、下手をするとこの少女の方が勝一郎には危険かもしれないが。


「……はぁ」


 ため息を一つ。そしてすぐさま扉を開ける。

 ノブをひねり、軽く自身の方に引っ張ると、扉は完全にこちらに開く前に向こう側にいるランレイによって押し開けられ、そして入り込んだランレイの手によってすぐさま閉められた。

 瞬き一つの間に部屋へと入り込み、音一つ立てずに扉を閉める。

 隠密行動に明らかに慣れていた。


「いったいいつまで待たせるのよ……!! 私が外から何回呼びかけたと思っているの!?」


「いや、全然聞こえなかった――、はい。ごめんなさい。放してください」


 胸ぐらをつかむ少女に必死に謝罪の言葉を返し、勝一郎はどうにかランレイを宥めて危険を脱しようとする。

 どれだけ待たせてしまったのかは聞く勇気がないので予想するしかないが、待たせてしまったことによって苛立つ彼女に苛立ちに任せてまた刃物でも持ち出されてはかなわない。


「とりあえずこれからはできるだけ扉の近くに控えてます」


 できそうな対策を宣言し、なんとか許しを請うしか今の勝一郎には許されていないのである。

 ちなみに、一応話としては外にいる彼女が大きな声を出してくれても事態は解決はするのだが、それだと村にいるほかの村人に気づかれてしまう。


 勝一郎が今いるのは、ランレイが住むというこの異世界の彼女の村。

 そこで今勝一郎は、この真っ白な部屋をランレイに貸し出すことを条件に、隠れ潜み、住むことを許されていた。

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