3:In Door

 一言でいうならこの能力、『【気】を流し込んだ面に、隠し部屋とその扉を生み出す能力』らしい。


 ランレイに自分の現状を話してどうにかそれを受け入れさせ、夜明け近くになってランレイがなにやら慌てふためいて『明日の夜また来るからここにいろ』と言い残してどこかへと行ってしまった後、ランレイを待つ暇になった時間にいろいろ検証したことで、勝一郎は自身が得た力にある程度の法則のようなものがあることを理解し始めていた。

 隠し部屋とその扉、というのはおそらく生み出せるこの部屋と扉の最大の特徴で、昨日話している間に何度か作った扉の数々も、勝一郎が開いて見せるまでその存在をあのランレイは全く認知できていなかった。

 どうやらあの扉は閉じている状態では勝一郎にしか見ることができないらしい。

 加えて、開くことができるのもどうやら勝一郎だけのようだった。

 これは実際にランレイが閉じ込められたことで分かった事実で、早い話が最初に作った扉をランレイが何となしに閉めてしまい、いざ出ようとした際に開くことができず大騒ぎになったのである。

 一度閉じてしまった扉はランレイがどんなに開けようとしてもびくともせず、そのくせ勝一郎が開けようとした際には全く問題なくすんなり開いて見せた。おそらくこれも、この扉が持つ法則の一つと見ていいだろう。

 これだけではない。室内が光源もないのに明るいのは部屋を見渡してすぐに目につく事実だが、この部屋はまだまだほかにも不可解な性質が目白押しだった。

 たとえば壁。これは壁だけではなく扉にも言えることだが、この部屋の白一色の壁はどんなに頑張っても傷一つ付けられないのである。

 これに関しては昨晩閉じ込められた際にランレイが扉を蹴り破ろうとしたり、その際にまったく扉が開かなかったことを不審に思った勝一郎自身が、部屋の外の狩宿所の中に有った槍(槍!!)を持ち出して壁などに果敢なアタックを繰り返したことで判明した事実で、触った感触では明らかにそんな強度はないはずなのに、どんなに頑張っても傷つけることができなかったのだ。

 まだある。というよりこれが一番異常かもしれないのだが、実はこの部屋、位置関係的にどこにも存在しえないのである。

 これは部屋の外の狩宿所、そこからさらに屋外に出てみて分かったのだが、部屋の面積は狩宿所の壁に穴をあけて部屋を作ったにしては明らかにありえない広さを誇っていたのだ。というか、体育館並みのこの部屋から外に出てその部屋のあるはずの場所を眺めてみると、部屋の半分の距離もいかないうちに岩山が終わっているのである。

 試しにとバックの中にあったノートを一ページ破き、その表面に小さな扉を作ってみたところ見事な広さの部屋が薄い紙の向こうに現れた。どうやらこの能力、穴などを掘って部屋を作っているのではなく、まさしく『面に』空間を一つ生み出しているようなのである。


「……いや、ありえないだろ。なんだこの超空間」


 検証すればするほど、否、検証する以前にこの扉を開けた瞬間から、勝一郎の常識は崩壊しっぱなしだ。それどころか昨日森の中で目覚めたあの時から、すでに崩壊は始まっていたのかもしれない。

 だというのに。


「フフ、フフフ……」


 口からこぼれる笑い声を抑えきれず、勝一郎は寝たまま目の前に腕をかざして二度三度と手を握り、開きを繰り返す。

 意識を自分の中へと沈め、意識して操作するのは少女が『気』と呼んでいた何かの感覚。それらを自分の右手に集めると、やはり思い通りに勝一郎の手の甲には輪を噛む獅子のしるしが浮かび上がった。


「……『開け』」


 期待を込めてそうつぶやき、勝一郎はすぐさま起き上がり、目の前に広がる広い床に手に集めた気を叩き込んだ。

 勝一郎の手が触れた瞬間、瞬時にその手を中心に扉が出現し、新たな隠し部屋を誕生させる。


「ハハッ、出た。出た出た、ハハハッ」


抑えきれず笑いながら、この部屋の木でできた扉と違い鉄でできた住宅の玄関のような扉を開いて中を覗き込む。

 今回作ったのはやたらと細長い、何となく廊下のようなイメージの部屋だった。

 その構造はわずかだが、決定的に勝一郎が目指していたのと形が違う。


「やっぱあんまり複雑な形の部屋は作れないんだな。っていうか、作れるのって立方体とか直方体とか、四角っぽい部屋だけか? 曲がり角とか作ろうと思ったのに……」


 口元を笑みの形に歪めながら、勝一郎は自身が得たこの力を色々と試して検証する。否、検証という体をとってはいるものの、実際はほとんど手にした力を使ってとにかく遊んでいただけだった。今の勝一郎には、とにかくこの力を使う行為そのものが楽しくてしょうがない。

 そして当然そんな状態で力を使い続ければ、当然周囲への影響は絶大だ。


「何よこれぇっ!!」


 次の検証という名の遊びにかかろうとしていた勝一郎の耳に、唐突に|遠くから≪・・・・≫女のものと思われる叫び声が聞こえてくる。同時に、その声が聞こえた場所が遠かったという事実によって、勝一郎はようやく正気を取り戻すことになった。


「……あ、やべ」


 周囲に視線を戻し、それによってようやく勝一郎は自分がいる部屋の状況に気づく。

勝一郎がいる部屋の中は、壁から床に至るまで大小さまざまな大きさとデザインの扉、扉、扉。

調子に乗って部屋中に扉を作った挙句、そこからさらに作った部屋に移ってさらに扉を作った結果、狩宿所に作ったこの不可思議な部屋はもはやほとんど迷路のような様相を呈していた。


「ちょっとショウイチロウ!! あんたいったいどこにいるの!! 出てきなさい!! すぐにこっちに戻って――キャアッ、何よこれ、落ちる、落ちるぅっ!!」


 なぜか悲鳴に発展した少女の声に、勝一郎はあわてて扉を閉じて出口付近に向かおうと走り出し、しかしすぐにそれを中断することになった。

 冷静になったショウイチロウの頭が、一つの疑問を脳裏に投げかけてきたからだ。


「……あれ?俺、どの扉からこの部屋に入ったんだっけ……?」


 完全に迷路と化した白い部屋の中に、遠くから少女の悲鳴が鳴り響く。勝一郎がその声を頼りに動けばいいと気づくのは、ここからさらに一分後のことだった。







「……で? とりあえずこの状況は何? ちゃんと説明してくれれば刺さずに殴ってあげるから」


「……穏便に済ませるという方法はないのでしょうか?」


「無いわよ!! どうするのよこんなに無節操に部屋作っちゃって!! 本当に小屋のある山が崩れたりしないんでしょうね!!」


「そ、それは大丈夫だ。ほれ見ろ、この紙の部屋を。これ見ればこの部屋が岩山に穴掘って作られてるんでないのはわかるだろう?」


「わかるっていうかその薄い『カミ』とかいう代物も、それにできてる部屋も、全部理解不能なんだけど……、っていうか、なんであんたそんなに自慢げなのよ」


 嬉々として紙に作った部屋を見せる勝一郎に、ランレイはあきれたようにそう口をとがらせる。ランレイにしてみれば、いきなり現れたわけのわからない男がわけのわからない力で自分の使っていた場所を部屋だらけにしているのだ。その相手が調子に乗って力を使っているなど、考えようによっては脅威でしかない。


「……さっきだって床にできた部屋に危うく落っこちるところだったし」


「それはほんとに悪かったよ……。あ、でもさ、落ちかけたんならわかったと思うんだけどあの部屋もすごいんだぜ。部屋を縦に作ったせいか部屋の中の重力が別方向に働いててさ、中に落ちても外から見た時の壁の方に引き寄せられるんだよ」


「あんたって……」


 ランレイが呆れるのを気にも留めず、勝一郎は自分が得た力の性質を楽しそうにしゃべり続ける。

 ランレイは、その様子になんとなく覚えがあった。村の少年たちの中で、他の子供よりも早く技を習得できたものが時折見せる、どこか慢心すら混じった自慢の表情だ。村ではたいていの場合大人たちの手によって鼻っ柱を折られることになる。


「……はぁ。すごい力を持ってるからまさかと思ってたんだけど、ほとんど中身はガキと変わらないみたいね」


「んぁ? なになに? 俺のことなんだと思ってたの?」


「言わせないでよばかばかしい。それより昨日の続きよ。いい加減あんたの処遇を決めちゃいましょう」






いくら勝一郎が自身の得た力に舞い上がっていたと言っても、 さすがに自分のおかれた状況を気にも留めないほど迂闊だったわけではない。

 というか、力の検証を行う傍ら、力を手に入れるだけならともかくなぜこんな見知らぬ土地に放り出されねばならなかったのかと、自分これまで接していた文明の不存在を本気で嘆いたりしたものだった。まだ自分が帰れない可能性までは考えないようにしているものの、それを考えてしまわないために力の検証に没頭してしまったという部分も少なからずある。

 異世界と、恐らく今いる場所はそう呼んでしまっても構わない所なのだろう。昨晩の時点では遠い未来だなんだと色々な可能性を考えていた勝一郎だが、そもそも異世界の定義など世界が違うと感じる以上未来だろうが宇宙の果てだろうが異次元だろうがわけのわからない場所であるという点では大差がない。ならばもうこの場は異世界ということで納得してしまった方がいくらか気分が楽だろうというのが、最終的に彼が出した結論だった。正直そこを細かく追及しても意味はなさそうに感じたのも大きい。


「いや、あの、ごめん待って。昨日聞いた時も思ったんだけどなに異世界って? その一言であなただけ納得されても困るんだけど」


「いや、要するに違う世界から来たんだよ。この世界にはそういう概念無いの?」


「違う世界って……、別の村とかじゃなくて世界? ……もし仮にそれが事実だとしても、なんであんたはそんなこと簡単に理解してるのよ?」


「いやまあ、異世界なんて概念、俺の住んでた国じゃ子供向けのアニメから青年誌のマンガまでありふれたネタだったからなぁ。まさか自分がそんな状況に陥るとは思わなかったけど」


「ちょっと待ちなさい。お願いだからこれ以上わけのわからない単語を増やさないで……!! 」


 あまりに理解を超えた勝一郎の話に、ランレイは何もない部屋の中頭痛に苦しむように頭を抱える。

 いくらなんでも、勝一郎の話は鵜呑みにするにはあまりにも非常識な話だった。というか、話だけを聞いていたらまず間違いなく嘘か狂人のたわごとと判断していたところだろう。

 ただ、そう判断できない理由として今この場には、というか、この場である非常識な部屋がある。


「…………とりあえずあんたの話は置いておくわ。もうこの際よ、最悪あんたにはこの質問にさえ答えてもらえればそれでいい」


「……なんだよ?」


「正直に答えて。あなたは本当に『烙印持ち』じゃないのね?」


「『烙印持ち』?」


 神妙な面持ちで放たれたよくわからない言葉に、今度は勝一郎が対応に困って頭を抱える。平然と嘘がつける雰囲気ではないためできうる限り正直に答えるつもりでいた勝一郎だが、さすがに知らないことに関しては答えようがない。

 唯一心当たりがあるとすれば、


「えっと、その烙印ってのはこれとは違うのか?」


 自分の右手に気を流して力を作動させ、同時に手の甲に現れる輪をかむ獅子の印をランレイに見せる。何度か見せたことがあったはずとは思っていたが、やはりというべきかランレイは少し印を見つめた後静かに首を振った。


「それは烙印とは違うわね。烙印は大体どこか見えるところに刻むもので、どこに刻むって明確に決まってるわけじゃないけど……。刻む印自体はどこの村でも同じはずだからそれが違うのはわかるわ」


「っていうかさ、その烙印ってなんなんだ? 聞いた感じだと刺青みたいなものみたいだけど」


「咎人の証よ」


「……え?」


 聞こえてきた不穏な言葉に、勝一郎が疑問の声を返すと、ランレイはあきれたような表情で『そんなことも知らないのね』とため息交じりに呟いた。どうやらこの世界ではこの烙印という代物も常識的な代物らしい。


「烙印っていうのはね、村で許されざる罪を犯したものが、村を追われるときにその罪の証として刻まれるものなのよ」


「村を追われるって、追放ってことか?」


「そう。『烙印持ち』となった人間は二度と村に戻ることを許されない。ほかの村に入ることはできないわけじゃないけど、烙印を持つ人間をわざわざ受け入れる村なんてそうはないから、大抵は人知れずどこかで死に至るわ」


「……遠回しな処刑道具ってことかよ」


 自分で言っていて、勝一郎は背筋が寒くなる感覚とともに納得もする。なるほど、確かにランレイが勝一郎に警戒していたのももっともだ。極端な話、自分は死刑囚と疑われていたのだから、むしろよく生き残ったと自分をほめてやりたい気分になってくる。


「まあでも、あなたが烙印持ちじゃないってのは信じてもいいわ。烙印を刻む場所に決まりなんてないけど、このあたりの村なら大抵は顔に刻むはず。それに、あなたがこんな部屋を本当にいくつも生み出せるとするなら、これは本当に天よりの賜りものかもしれない」


「え……、テン?」


「ねえあなた。これからどうするつもり?」


「いや、どうするって……」


 問われて、しかしどうしたらいいのかと勝一郎は答えに詰まって言いよどむ。

 勝一郎としてはできれば早く自分の世界、そして家へと帰りたいところではある。だがそもそもの話、どうすれば家に帰れるのかが分からない現状では何をしていいのかがまずわからない。


(ああ、くっそっ。そもそも超能力に目覚めるだけならともかく、なんで異世界に放り出されてんだ俺……? 明らかに異世界要素はじゃまだろうに。……いや、それともこの力で何かをしろってことか? いや、でも――)


 思い、勝一郎は頭に当てていた右手を下ろしてそこに輝く『烙印もどき』にもう一度視線を向ける。

 思うのは昨晩、この力に目覚める瞬間の勝一郎の思考と、この力の因果関係についてだ。


(……そうだ。なんていうかこの力、“俺が願ったから現れたような気がするんだ”)


 まるで願いをかなえるかのように、隠れるために扉が開くことを願った勝一郎の右手には、まさに隠れられる部屋を作るための能力が芽生えてくれた。

 もしそうだとしたら、勝一郎のその“願いをかなえてくれた存在”は一体なんだというのか?


(願いをかなえる存在って言ったらそんなもの、神か、悪魔か、あるいは……)


――『天』か。


 先ほどのランレイのつぶやきを思い出しながら勝一郎はふとそう思い、その視線を『烙印もどき』から再び少女の方へと向けなおす。するとそれで勝一郎の考え事が終わったと判断したのか、ランレイも勝一郎を見守るのをやめ、先ほどのは言わなかった話の続きへと意識を戻してきた。


「ねえ、もしもあなたがこれから行くところがないのなら、こっそり私の村に来る気はない?」


「え? ……そりゃあ願ってもないことだけど、……こっそり?」


「そりゃあそうでしょう。どこから来たのかもわからない、『烙印持ち』かもしれないよそ者が村に入ってきたら、今度こそ村の戦士たちにたたっ斬られて終わりよ。……言っとくけど私と違って、戦士やってる男達は相当に腕が立つんだから……」


「……?」


 最後の言葉をどういうわけか調子を下げて言い放つ少女に疑問を覚えながらも、しかしそれを気にし続けるだけの余裕もなく勝一郎は自分の今後へと思いを傾ける。

 彼女の言う『天』という言葉が、正確にはどういう意味を持つ言葉なのかは勝一郎にはわからない。

 だがもしもその『天』なる存在が『神』的な存在で、勝一郎の異世界来訪に関わっているとすれば、彼女の村に出向き、その『天』なる存在の正体を探ることは元の世界に帰る手がかりを得ることにもなりえる。


「あんたのこの部屋、もしこの部屋がどこにでも自由に作れるなら、あんたが隠れて村に住むのも不可能じゃないわ。それに私も、できるならこんな場所まで来なくても使える広い場所がほしい」


「広い場所がほしい? いったい何でまた?」


 勝一郎が反射的にそう聞くと、ランレイはしまったとばかりに顔をしかめる。勝一郎がその意味を判断できずに怪訝そうな顔をしていると、ランレイは仕方ないとばかりに口を尖らせ、その答えを口にした。


「弓の練習をしたいのよ。それにはある程度広い場所が必要でしょう」


「弓の練習って……、それになんで俺の部屋が必要なんだ? 村の中に場所とか無いの?」


「……驚かないのね。女の私が、弓を使おうとしていることに」


 驚いたような顔をするランレイに対し、勝一郎もその意味が分からず疑問とともに沈黙する。どうやらこの話題の根底には、異世界人である勝一郎にはわからない文化の違いというものがあるらしい。


「……まあいいわ。弓の練習場所にこの場所を提供してくれるなら、私も村の中であなたを匿ってあげる。今日みたいに食料をくすねてくるのだって、あなた一人じゃもちろん無理でしょう?」


「……それに関しましては本当にありがとうございました」


 実のところこの話を始める前、勝一郎は少女が持ち込んだ食糧によってどうにか飢え死にの危機を免れていた。

 もっとも勝一郎のカバンの中にはコンビニで買って手つかずになっていたパンが一つだけあったため、実際のところそこまで致命的に飢えていたわけではなかったのだが、それでも三食きっちり食べていた食べ盛りの男子高校生にとって丸一日の食事がパン一個ではあまりにもあんまりだ。


「私からあなたに持ち掛ける交換条件はこうよ。私はあなたを村に連れて行って生き延びられるように世話をする。代わりにあなたは私にあなたの作った部屋を提供して」


「お安い御用だけど、それっていつまでだ? できれば元の世界に帰る方法も探したいし、いくらなんでもずっと部屋の中に引きこもっているのは嫌だぞ」


「まあ、それについてはおいおいなんとかするわよ。この部屋は村にとってもとてつもなく有益よ。確かに異世界から来たなんてデタラメみたいな話だけど、部屋といい持ちモノといい、あんたはデタラメみたいなものをたくさん持っている。その有用性さえ示せれば、村の奴らも納得させられるかも」


「そうなのか。そりゃあ助かるよ」


 いくらなんでも全く外に出られないというのは勝一郎としても勘弁してもらいたいところだったので、ランレイのその見通しは本当にありがたいものだった。何しろそれでは、この部屋がそのまま勝一郎の牢獄になってしまうのだ。『烙印持ち』とやらがこの世界における重犯罪者のことなのだとしたらその扱いは妥当なところかもしれないが、そもそも本物の『烙印持ち』ではない勝一郎がそんな扱いを受けるのは納得できない話だ。


「でもまあ、しばらくは部屋の中に隠れておとなしくしてて。実は最近にも一人村から烙印持ちが出て、村全体がピリピリしてるの。って言っても、そいつには烙印を刻めなかったんだけど」


「刻めなかった? どういうことだ? っていうか、さっきも許されざる罪とか言ってぼかしてたけど、そいつはそもそも何をしたんだ?」


「人殺しよ」


「……はい?」


 思いもしなかった、しかし考えれば当然思いつきそうなその回答に、しばし勝一郎は何も言えずに沈黙する。そんな勝一郎に何を思ったのか、ランレイは最後にもう一度念を押すように言葉を続けてきた。


「その人が罪を犯して人の道を外れたのはついこの間の夏前。森に出た際に一緒にいたうちの一人を殺して、そのまま姿をくらました。その人に烙印を刻めなかったのはそのせいよ。

 だから気を付けて。今村の人たちは、烙印持ちに対して神経質になってる。もしもあなたが烙印持ちと勘違いされたら、本当にそのまま斬り殺されてもおかしくない」


 重く、そして鋭いランレイのその言葉に、心の片隅で浮かれていた勝一郎もさすがにつばを飲み込む。

 だがこの時点でもまだ、勝一郎は知りもしなかった。この世界がどういう世界なのか、その本質の一端さえも。

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