2:Door knocker

「えー、拙者生国を日本の歴葉市、生まれてより齢十六年の留守≪とどもり≫勝一朗≪しょういちろう≫と申しまする。留守≪とどもり≫は留≪とど≫まり守≪まも≫ると書きまして留守≪とどもり≫、留守≪るす≫とは書きますが読み方はトドモリと読みまする。勝一朗という名は勝って一になると書きまして……」


「わけのわからんこと言ってないで真面目に話しなさい。こっちはあなたのお願いを聞いてただでさえ貴重な時間を浪費してるのよ。これ以上ふざけると容赦しないわ」


「服を着てくださいって言うのはそんなにふざけたお願いでしたでしょうか!?」


 やたらと広く白い部屋の中で正座しながら、目の前で仁王立ちする少女に向けて勝一朗はそう抗議する。

 勝一朗がこのおかしな部屋に転がりこんでから二十分ほど経過しただろうか。部屋を見たショックでとりあえず頭の冷えた少女に対して勝一朗が求めたのは、落ち着いて話し合うこととそのために少女に服を着てもらうことだった。こんな寒さの中で女の子をいつまでも裸同然の格好でいさせては風邪を引かせてしまうし、それ以前にまず勝一朗にとって目の毒だ。何とか説得して少女を手前の部屋に戻し、そこで毛皮のようなものでできた奇妙な服を着せたのがついさっきの話である。


「何よまったく。人がどんな格好でいようとこっちの勝手でしょう。そりゃたしかに少し寒くはあったけど……」


「いやお前、曲がりなりにも女だろう!? 男の俺の前で半裸とか、少しはまずいと思わないのか!?」


「女だったら何がいけないのよ。あんたら男なんて村のど真ん中で普通に体洗ってるくせに。みんなしてお前は女だからどうのこうのって……」


「そういう問題じゃねぇ!! っていうかお前羞恥心をどこに落として来たんだよ!! すぐに探しに行きなさい。きっと君の人生のどこかには落っこちてるはずだから!!」


「うるさいわね。そんなこと今はどうでもいいのよ。今話すべきはあんたと、この部屋のことよ」


 勝一朗と部屋の中心を順番に指差して、少女は毅然として態度でそう言い放つ。


「この部屋は一体何? こんな部屋今まで間違いなくなかったのよ? さっきのすごい『気』と関係あるの?」


「いや待て待て待て!! そんな急に言われてもわからないっての!! まず聞きたいんだけどさ、この部屋は君、あー、えっと……」


「ランレイよ。それが私の名前」


「そ、そうか。えっと、ランレイはここに住んでるのか?」


「はぁ? 何を言ってるのよ。ここは狩宿所≪しゅしゅくじょ≫よ。あまり使われていない場所だけど、そんなこと男のあんたの方が詳しいでしょうに」


「しゅ、狩宿所?」


 よくわからない単語に勝一朗が目を白黒させていると、それに対してまるで容赦なくランレイは人差し指を突きつける。


「そんなことはどうでもいいの、さあ言いなさい。この部屋は一体何!? 言っとくけど、こんな部屋が無かったのは間違いないんだからね」


「いや、そんなこと言われたって……」


 勝一朗にしてみれば、正直目の前の少女が知らない部屋を発見して混乱しているようにしか思えない。そもそもの話、そうでなかったとしたらいったいどういう事態だと言うのか。

 もしこの部屋がもともとあったものではないと言うのなら、それではまるでこの部屋は先ほど勝一朗によってつくられたようではないか。


「……いいわ。それなら質問を変える」


 困惑する勝一朗の表情に埒が明かないと悟ったのか、ランレイはため息と共に話を切り替える。勝一朗としても応えられない質問をいくらぶつけられてもどうしようもないため、ある程度こたえやすい質問に切り替えてもらえるならそれに異論はなかった。

 だが、


「さっき私がここに飛び込むちょっと前、すごい『気』を感じたけどあれはなに? あれも『気功術』なの?」


「はい、まず『気』だの『気功術』だのが意味分かりません!!」


「ハァッ!?」


 ほとんど反射的に口を衝いて出た勝一朗の言葉に、ランレイは今度こそ驚きで百パーセントを占められた声を上げる。その様子はまるであまりにも常識的なことを知らない人間を見たような反応だった。

 だが、『気』だの『気功術』だのと言われても、勝一朗にはマンガか何かのネタだろうかとしか思えない。


「あんたいったいどういう生活してきたの!? 一応聞くけどあんた男よね?」


「いや、これって男とか女とか関係あるのか? むしろそれ以前の問題なんじゃ……」


「そうよ。初めて意見があったじゃない。気功術なんて女の私でも知ってるわ。本当にそれ以前の問題なのよ。なのになんで一番使わなきゃいけない男のあんたが知らないのよ」


「そんなこと言われたってなぁ……」


 当然のことながら、勝一朗にとって気功術など当たり前に語られても困る代物だ。なにやら医学だか武術だかの延長で以前テレビで紹介されているのを見たことがあるような気がするが、正直テレビで見ているだけではよくわからず、実感としては占いや幽霊とどっこいどっこいの信憑性である。

 それにそもそも、この少女の語る気功術と言うのは、どうもそういった代物とも違う気がする。

 と、そこまで考えて、勝一朗の中に一つの可能性が閃いた。


「……なあ、今言ってたその『気』だかってどこから感じたんだ?」


「どこからって、そんなのあんたが居たあたりよ」


「強いて言うなら右手とか?」


「右手? ……そうね。気配が強くてわからなかったけど、確かにそんな感じだったかしら」


「……そうか、あれが気の感覚ってやつなのか」


 あのときはかなり混乱したので強く意識してはいなかったが、今思い出してみれば確かにあのとき右腕になにかが集まっているような強い感覚があった。

 口では説明しづらい、勝一朗の普段感じている五つの感覚のどれとも違う未知の感覚だが、それでもそれが『あった』と言うことはかろうじて思い出せる。


「ねえ。あのとき『気』はあんたの右腕に集まってたの?」


「たぶんな。って言ってもこんなこと今まで生きてて初めてなんで良くわかんないんだが……」


「なら、今おんなじことできる?」


「同じこと?」


「気を右手に集めるのよ」


 そう言い放つと、ランレイは勝一朗の目の前に自分の右手を突き出し。口から小さく息を吐く。そうして二人の意識がランレイの右手に集中したその瞬間、


「うわっ、なんか動いた!?」


 少女の体から手の先に向けて、目に見えないなにかが確かに駆け巡ったのを、微かながらも確かに勝一朗の未知の感覚は捕らえていた。

 そしてその感覚は、うろ覚えの先ほどの感覚に確かによく似ている。


「ほら、やってみて」


「いや、やってみてって言われても……、どうやって?」


「どうやってって言われても……、なんて言うか、自分の中にある気が手の方に移動するのを想像するって言うか……、ああっ、んもうっ!! とにかくやるのよ。あんただって体動かす方法なんて説明できないでしょう!!」


「そんな自然な感じなのか!?」


 彼我の認識の差に驚きながらも、勝一朗は言われた通りの想像を頭の中で確かめて見る。

 先ほど感じた、未知の感覚が右腕へと流れる感覚。それをもう一度思い出し、自分の体とイメージで合わせていると、唐突に気の気配が右腕へと流れ込み、予想だにしなかった現象が勝一朗の右手に現れた。


「うわっ、なんだこれ!?」


 突然右手の甲、ちょうど先ほど『気』が集まっていたのと同じであろうその場所に、輪を噛んだ獅子のような奇妙な印が光を放って現れる。入れ墨のようでありながら、『気』のものと思われる奇妙な気配と共に輝くそれに対し、勝一朗が抱ける感想は一つしかない。


「な、なにこれっ!? 気持ち悪っ!! 刺青ぃ!? お、おい、これどうなってんだよぉっ!?」


「し、知らないわよっ。あんたの体でしょうが!!」


 突然の事態に二人して狼狽し、勝一朗はどうしていいか分からず腕をぶんぶん振り回す。だがそんなことをしても一向に印は消えず、少しして先に落ち着きを取り戻したランレイが思いついたように勝一朗に声をかける。


「ね、ねえ、その印いったいなんの印なの? っていうかそれってやっぱり烙印?」


「だから烙印ってなんだよ。っていうかなんの印ってそれは……」


 少女の言葉に多少の落ち着きを取り戻し、勝一朗は改めて自分の右手の甲に輝く印を観察する。

 輪を噛む獅子。現れている印は、そうとしか表現できない代物だった。獅子以外の何か別の生き物かとも思ったが、この鬣と顔つきはライオン意外に考えられない。

 と、そこまで考えたとき、初めて勝一朗の頭にその正体が思い当たる。


「まさかこれ、ドアノッカーか?」


「どあのっかー?」


 疑問の声を上げるランレイをしり目に、勝一朗はまさかと言う思考にとらわれる。

 手の甲に現れた奇妙な印。

 『気』と呼ばれる未知の力。

 ドアノッカー、そしてこの突然現れた部屋。

 そして、部屋が現れる直前に、勝一郎が必死で願っていたこと。


「まさか……」


 半信半疑で立ち上がり、勝一朗は近くの壁へと歩みよる。背後のランレイが見守るなか、勝一朗は壁に向けて思いついたその方法をとって見た。


 何をするか。そんなもの、ドアノッカーですることなど『ノック』に決まっている。


 そして勝一朗が恐る恐る壁を叩いたその瞬間、あまりにも唐突にその扉は現れた。


「うわっ!!」


 予想はしていたものの余りにも唐突だったその扉の出現に、勝一朗は驚きのあまり尻もちをつく。

先ほどまでは真っ白の壁だったその場所には、いつの間にかどこかで見たような扉が出現して、特に触ったわけでもないのに押し開かれて、その先の何もない白い部屋を覗かせていた。

 扉の方は一見すると、どこの家にでもありそうな木でできた普通の扉。いや、それどころかその扉のつくりは、今も勝一郎の自宅で、勝一郎の帰りを待っているだろう勝一郎の自室の扉とそっくり同じだった。しいて言うなら、足元のあたりに子供のころにつけた傷がないのが違いと言えるだろうか。


「……何よそれ、さっきまでそんなところに扉なんか……」


 驚くランレイの声を背中に受けながら、勝一郎は恐る恐る立ち上がって部屋の中を覗き込む。

 勝一郎が直前までいた部屋と同じような、何もない、ただひたすら白い部屋。部屋の大きさは若干狭い気がするが、それ以外は今までの部屋と何も変わらない。


「い、いよいよ漫画じみてきやがったな……」


 本能的につばを飲み込み、その音がやけに耳に響くのを感じながら、勝一郎は後ずさり、同時に扉をいったん閉める。

 もしかしたら、無意識に扉を閉めることで問題を棚上げにしたかったのかもしれない。だが結果的に勝一郎は、そうしたことで更なる問題に直面することとなってしまった。


 ドアノブを引っ張って扉を引き、何の違和感もなく扉を閉めたその瞬間、そこに部屋があったのが嘘だったかのように、そこにあったはずの扉が跡形もなく消滅する。


「なっ!?」「えっ!?」


 立て続けに起こる更なる怪奇現象に、部屋の中の二人が同時に目を見開き、驚きの声を漏らす。

 頭がどうにかなりそうな混乱の中にあって、しかし勝一郎にだけは、一つだけ理解できることがあった。


(……ある。まだ、ある……。見えないけど、まだ、ここに……!!)


 少なくとも視覚には捉えられていないのに、見た目は元通りの、なんでできているかもわからないただの壁なのに、勝一郎にはそこに扉があることだけははっきりと知覚できていた。

 放したばかりの腕をもう一度伸ばし、ドアノブがあると“わかる”その場所にゆっくりと手をかけると、勝一朗は手の震えを押さえてもう一度扉を開ける。


「……嘘」


 扉を開いた瞬間聞こえてきた驚愕の声に、勝一朗は常識の崩れる音を聞きながらこの扉の性質を理解する。

 閉じている間は勝一朗にしか知覚できない奇妙な扉。

 そして、壁に作ったはずの扉の向こうには、真っ白で何も置かれていない部屋が今も確かに存在している。


「は、ははは……。なんだこれ……?」


 ことここに至って、勝一朗はもう一つこの部屋の異常さに気が付いた。

 明るいのだ。

部屋が真っ白だとわかる時点で気づいているべきだった。

照明器具らしきものは一切ないのに、この部屋の中では一切暗さを感じない。壁が光っているわけでも天井が光っているわけでもないのに、この真っ白な部屋の中には光源のない光があふれている。

 ことがここに至ればもはや疑うべきではない。勝一朗は今、常識をはるかに超えた部屋の中にいる。

 否、下手をすると部屋の外すらも。


「……ねえ、あんたいったいなんなのよ」


「わかんねぇ。この部屋も、この場所も、お前のことも」


 震える声に対して返した言葉は、後から考えれば異常なほどに冷静だった。


「だから教えてくれ。わかることを全部。俺にわかることは全部言うから、俺は俺以外のことが全て知りたい」


 なにもないくせに異常だけはあふれた部屋の中で、勝一朗は意外にすんなりと笑みを作ってそう声をかける。

 そのとき勝一朗の左胸の中では、もっとも感情に左右されやすい内臓が、経験したことのない奇妙な高鳴りを勝一郎の全身へと響かせていた。


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