「間違いない?」

 その通りだった。

 私は一度ぬいぐるみを盗んだ。そして、1週間後にもう一度カスミの家に忍び込み、シャチのぬいぐるみを机の上に戻しておいたのだ。

「家に帰ってきたらぬいぐるみが戻ってきてるんだもん。びっくりしたよ」

「……」

「でもすぐに気づいたよ。ユキノがちゃんと返してくれたことに。ほっとしたなあ。捨てられる可能性も少しは考えたしね」

「そんなこと、」

 できるわけがなかった。あれはカスミにとって大事な宝物で、そんなものを捨てるなんて、私にできるわけが、

「ごめんね。ちょっとだけ疑っちゃった」

「で、でも……私が犯人だと気づいていたなら、どうして何も言わなかったの? 大事なものなんでしょ?」

「何か理由があるんじゃないかと思ったんだよ」

「はあ?」

 意味がわからなかった。自分の大切なものが盗まれたのに、理由なんて気にするだろうか。

「あ、その反応は心外だなー。言っとくけど私、ユキノのことを一番の友達だと思ってるんだからね。理由もなく盗むようなことはしないと思ったんだ。お金も盗られてなかったし」

「……」

「なに驚いてんの?」

「いや……」

 カスミは私の呆けた様子を見て、おかしそうに笑っている。

 そんな風に思われていたなんて、全然知らなかった。

 しかし、だ。

 それなら、ぬいぐるみはどこに消えてしまったのだろう。

 そう、それだけが謎だった。

 タイムカプセルを埋めるときに、カスミはシャチではなく、ゴリラのぬいぐるみを用意した。カプセルには一番大切なものを入れるのだとあのときは思っていたから、シャチを用意しなかったのは、手元にそれがないからだろうと考えたのだ。

 しかし、タイムカプセルには必ずしも一番のお気に入りを収めるわけではない。昼間に話した同級生も言っていた。“一番大切なものはなかなか入れない”のだ。カスミも当然お気に入りのものは手元に置いておきたいはずだ。

 ならば、シャチのぬいぐるみは今もカスミが持っているのだろうか。

 私にはそうは思えなかった。なぜなら、私はあれ以来、シャチのぬいぐるみを確認していないから。

 あのぬいぐるみはどこに消えてしまったのだろうか。

「ユキノ。あまり複雑に考えすぎない方がいいよ」

「……」

「ちゃんと説明してあげるから。ただ、その前にもう一つだけ確認していいかな」

「……なにを?」

 カスミは人差し指を立てた。

「一つだけ。ユキノが私の家に忍び込んだのは『3回』だよね。あってる?」

「!」

 心臓が大きく跳ねた。

「どうして」

「いろいろ考えて、たぶんそうなのかなって思っただけ」

 説明になっていない。

 私にはカスミが何を知っていて、何が見えているのか、全然わからなかった。

 すると、困惑している私に気を遣ったのか、カスミは軽く手櫛で長い髪を梳いた。

「あー、ユキノのことはすべてお見通し……って言いたいところだけど、別に何もかもわかっているわけじゃないよ。ただ、私が知っているユキノならきっとこうしたんじゃないか、こう考えたんじゃないかって推測しただけなの」

「……それで、わかっちゃうわけ?」

 私はいくら考えてもカスミのことがわからないのに。

「ユキノは、私がタイムカプセルにシャチのぬいぐるみを入れなかったことを不思議に思ったんだよね。一番お気に入りのものはあれ以外ありえない。なのにどうしてゴリラのぬいぐるみだったのか」

 カスミは件のゴリラを持ち上げて、抱きしめるように胸元に抱え込んだ。

「普通に考えれば『シャチのぬいぐるみを手元に置いておきたいから、代わりのものをカプセルに入れることにした』ということになると思うけど、あなたはそのようには考えなかった。なぜか?」

「……」

「たぶん、“自分が返したシャチのぬいぐるみが、私の手元から再びなくなっていると思ったから”じゃないかな」

「……」

 沈黙は肯定の証だ。

「じゃあなぜユキノはそう思ったのか。たぶん私の家に遊びに来たとき、返したはずのぬいぐるみが見当たらなくて驚いたのね。いつも机の上にあったはずのものがなくなっていたら確かに驚く。再び盗まれないように別のところに隠したというのがもっとも考えられる線だけど、もしかしたら自分以外の誰かに盗まれてしまったのではないか。罪悪感に加えて疑心暗鬼にとらわれていたユキノは、ぬいぐるみの所在がとにかく気になった。そして、三度目の侵入に及んだのね」

「……」

「どれくらい探したのかまではわからないけど、怪しいところはそれなりに探したと考えられる。だけどぬいぐるみは見つからなかった。巧妙に隠しているのか、それともなくしてしまったのか。いや、もしかしたら自分以外の誰かに盗まれてしまったのかもしれない。本物の空き巣が盗んでいった可能性もゼロではない。もしそうだとしたら大変なことだよね。それこそ自分のせいではないか。自分が泥棒みたいなことをしてしまったから、本物の泥棒を招いてしまったのではないか。神様は自分の悪事をしっかり見ていて、そんな私に罰を与えようと本当にぬいぐるみを奪ってしまったのではないか――とまあ、12歳のユキノちゃんはどんどん悪い方向に想像を膨らませていったのではないかと、私は考えるわけです。違う?」

「…………」

 馬鹿にされている気がする。

「そんなにしょげないでよ。できるだけ明るく言った方がいいかなと思ったんだけど、ダメ?」

「ダメ」

「ごめんごめん。でも、間違ってる?」

「……」

 ほぼ正解だった。

 驚いたことに、3度目の侵入の際も鍵の隠し場所はまったく同じだったから、おそらくカスミの親は私のしたことにまったく気づいていなかったのだろう。カスミも言わなかったに違いない。だから3度目の侵入も実にたやすく成功した。

 しかしぬいぐるみは見つからなかった。誰にも見つからないようにどこかに隠していたのかもしれないが、カスミの言ったとおり、私は悪い想像ばかり膨らませて、ぬいぐるみが知らない誰かに盗まれた可能性を頭の中から拭いきれなかった。

 タイムカプセルの件で、いよいよぬいぐるみがなくなってしまった可能性が強まり、私は今さらながらに後悔した。そして恐怖した。お前のせいで友人の宝物は永遠に失われてしまったのだと、知らない誰かが脳内に囁き責めているような、そんな錯覚にすら見舞われた。眠れない日が続いた。

 町を離れるとき、私は正直ほっとしていた。この町にいることが、カスミの傍にいることが、ひたすらに辛く、苦しかったから。逃げられることに安堵していた。

 結局は8年間で、その苦しみを忘れたことは一日としてなかったのだけど。

 もう何も隠す必要はない。私はカスミにすべてを話した。些細なきっかけでぬいぐるみを盗んだこと。それを返したこと。何も言われないことが逆に怖かったこと。ぬいぐるみの行方がずっと気になっていること。……ずっと謝りたかったこと。

「ごめんなさい……こんな言葉なんかで償うことなんてできないけど、それだけは言っておきたいの。本当に、ごめんなさい」

 涙は出ない。出さない。加害者が泣くことは許されない。私はただ、何もできないことを思い知りながら、謝ることしかできない。

 これ以上ないほど深々と頭を下げると、カスミは普段どおりの調子で言った。

「まだ終わってないよ」

「……え?」

 顔を上げると、カスミはまだいたずらが終わっていないとでもいうような、楽しそうな顔を浮かべていた。

「私の手元に戻ってきたぬいぐるみは、誰かの手によって再び盗まれた。ではその犯人は一体誰なのか。どうしてそんなことをしたのか。それを明らかにしないと」

「それは」

 そんなこと、できるのだろうか。

 それともカスミにはすべてわかっているのだろうか。

「わからない?」

「わかるわけないよ……。私には、何もわからない」

 友人の本音さえ、私にはわからない。

「いや、消去法でわかるよ」

 ショウキョホウ。

「……は? 消去法?」

 意味がわからなかった。

「だから、シャチのぬいぐるみが私の部屋にあることを知っていて、ユキノがそれを盗んだことと後で返したことを知っていて、そのタイミングでぬいぐるみを盗むことができた人物。そんなの、一人しかありえないじゃない」

 ……それは、名指しで言っているようなものじゃないか。

 でも、それは違うのだ。そう思われてしまうのも無理はないが、本当にそれだけは違う。

 私は犯人じゃない。

「私じゃない。信じてカスミ。私は本当に知らないの。信用できないかもしれないけど、それだけは本当に本当」

 私は必死に訴えた。ようやく本当のことを言えたのに、違う疑いをかけられてしまうなんて、そんなのは耐えられない。

 抗弁が果たして届いたのか、カスミは――

「……あー」

 苦笑いを浮かべていた。

「その反応は、ちょっと予想外だったかな、うん」

「……え?」

 カスミはゆるゆると首を振った。

「この期に及んでユキノを犯人だなんて言わないよ。あ、いや、私の言い方がいけなかったんだ。ごめんね。はっきり言わないと、ユキノも困っちゃうよね」

「……どういうこと?」

「だから、消去法なんだって」

 カスミは胸の中のゴリラを抱えなおした。

「ユキノは一度ぬいぐるみを返している。再び盗む理由もない。動機の面から否定できる。私が知りようのない動機を持つ可能性もないとは言いきれないけど、そんなことを言い出したら何でも理由付けできてしまう。だから、普通に考えたらユキノは犯人じゃない。じゃあ犯人は、自動的にもう一人の容疑者に確定する」

「もう一人?」

 私は考えた。カスミの言うぬいぐるみを盗んだ犯人。それは一体誰なのか。

 そんなの、一人しかいなかった。

「……カスミ」

「ん?」

「そうなの?」

 犯人は、うなずいた。

「そうだね。ぬいぐるみを盗んだ犯人は、持ち主である私しかありえないね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る