3
この8年間、カスミのことを忘れた日は1日としてなかった。
カスミのことは私の中で度々思い起こされて、その度に会いたいという気持ちと、会いたくないという気持ちが同時に湧き上がった。
カスミの容姿は、頭の中でほぼ完璧に再現できた。
頭の中のカスミは、もちろん8年前の小学6年生で止まったままである。しかし、その長い黒髪がランドセルの上にかかる様子も、お気に入りの藍色のスカートが真っ白なソックスの上で映える恰好も、私に向かって屈託ない態で向けてくるその笑顔も、すべて再現できる。
彼女の姿は脳裏に焼きついている。
だから、たとえ8年の歳月が過ぎていても、墓参りに行く途中で出会ったその女性が、成長した友人であることはすぐにわかった。
両脇にお墓が立ち並ぶ狭い道だった。その女性は私に気づくと頭を下げかけて、怪訝そうに目を細めた。
私は小さく会釈をして、目を合わせないようにした。右側に寄って道を譲りながら、そのままやり過ごそうと思った。
だが、女性はその場に立ち尽くしたまま動かない。
「……ユキノ?」
私は息を呑んだ。鼓動が早くなったような気がして、胸が苦しくなる。
気づかれた。
人違いだととぼけようか。しかし、こちらが一目で気づいたのと同様に、向こうも確信を持ったからこそ声をかけたのだろう。そのままやり過ごせるとは思えなかった。私は仕方なく顔を上げた。
彼女は屈託なく、うれしそうに笑った。
「やっぱりユキノだ。ひさしぶりだね」
私はとっさに言葉が出ない。どんな応答をすればいいのか、頭が真っ白になりかける。
「えっと、もしかして、私のこと忘れちゃった?」
「……大丈夫。ちゃんと覚えているよ。カスミ」
私が名前を呼ぶと、カスミはさらに笑みを深めた。
「よかった。でも、だったら声かけてくれればいいのに。人違いかと思っちゃったよ」
「こっちも、勘違いかもしれないと思ったの」
カスミは私の笑顔が引きつっていることに気づいただろうか。無邪気そうな明るい顔から、そんな様子は微塵もうかがえない。
「あ、墓参り? 私も線香上げさせてもらっていいかな」
「別にいいけど」
つい、そっけなくなってしまう。カスミは気にした風ではないが、こちらはどう接すればいいのかまだ決められずにいる。母に無理やり行かされた墓参りの途中で、態度を決められないままカスミに出会ってしまったのは不運としかいいようがない。やっぱり外に出るべきではなかった。
墓には祖父が眠っている。私が生まれてくる前に事故で亡くなっているので、人となりも知らなければ情も持ちにくい。もちろん先祖を尊び、個人を敬う気持ちは少なからずあるが、隣にカスミがいるために他の感情が邪魔をして、それらの思いはなかなか湧き上がってこなかった。
うわべだけの墓参りを済ませると、私はいよいよカスミのことをまともに見るしかなかった。ここでさっさと別れてしまうのは、なんだか決まりが悪い。だから、とりあえず尋ねた。
「うち来る?」
「ここからだと、私の家のほうが近いでしょ。帰りは車で送ってあげるから、今日は私んちに行こ?」
その提案に従って、私はカスミの後ろをついていった。
後ろから見える黒髪は、子供の頃と同じように長かった。昔よりも洗練されているように見えるのは、それだけ手入れをするようになったということだろうか。お互い化粧もするし、服だって子供の頃とは全然違う物を身につけている。カスミが羽織るハーフコートは少し地味目のフレンチベージュで、特に目立った装飾もないからそのまま着ると野暮ったい。なのにしゃんとした様子のカスミが着ると、どこかかっこよく映った。私が着ているアイボリーのロングコートが、なんだか霞んでしまうようだ。
「そんな後ろにいないで、隣においでよ」
ぼうっとしてしまっただろうか。はっと我に返ると、カスミが小首をかしげてこちらの顔を覗き込んでいた。
「体調悪い?」
「いや、そんなことは、ないけど」
カスミの顔がずいぶん近くに寄ってきて、途端に顔が火照ってきた。大丈夫だから、そんなに見ないでほしい。
今度は並んで歩き出す。背の高さは私の方が上で、隣に立つと肩の位置が低く感じた。カスミがこちらを見上げながらため息をつく。
「私もそこそこ伸びたと思ったんだけどなあ。ユキノ、170くらいあるんじゃない? 10センチは差があるように見えるよ」
「そこまではないよ。差もせいぜい5、6センチでしょ」
「十分だよ。昔は私の方が高かったのになあ」
「そんなに変わらなかったと思うけど」
「0.5センチ私の方が上だったもん」
「なにそれ」
要するに同じくらいの背丈だったということだ。記憶の中のカスミは確かに大きくもなければ小さくもなかった。お互いに平均値だった覚えがある。
カスミは楽しそうにからからと笑う。
それを見て、私はますます後ろめたい思いを強める。
私に対して隔意を抱いていないのだろうか。不思議なくらいにカスミは、昔と同じ笑顔を見せる。
好きな笑顔だ。
だから余計に怖くなる。
訪れたカスミの家は、変わっていなかった。
平屋の一戸建て。小さいながらも庭付きで、壁の塗装が多少色あせた以外は、ほとんど以前のままだ。庭もよく手入れがされていて、ちょっと「裕福そうな家」に見える。その印象は小さい頃にこの家を訪れたときとまるっきり同じだった。
小さい頃の私は、カスミの家をうらやましく思っていた。おもちゃも服も本も、私の部屋にはないものばかりだったし、リビングにある革張りのソファーや脚の太いテーブルが、ものすごく素敵なものに映っていたから。
そんな子供っぽい憧れはもう抱いていないが、変わらない内装の家に入ると、ひどく懐かしい気持ちにとらわれた。
カスミの部屋も同じだった。さすがに机やベッドは変わっていたが、ぬいぐるみがタンスの上に飾られてあるのは、記憶の中の風景ともぴったりと重なるようだった。
「……まだ、ぬいぐるみ集めてるの?」
何気ない風を装って、私はカスミに聞いた。
「まあ、そこそこ。最近はあまり集めてないよ。たまーにクレーンゲームで取ってくるくらいかな。昔のやつはほとんど押入れに仕舞っているんだけどね」
「……」
少し逡巡する。しかし、せっかくこの家に来たのだ。確認したいことがあった。
「昔のぬいぐるみ、見せてもらってもいい?」
「ん? ユキノも結構ぬいぐるみ好きだったっけ。うん、いいよ」
あっさり承諾すると、押入れの引き戸を開いてカスミはぬいぐるみの入った段ボール箱を取り出した。捨てられなくてさ、と恥ずかしそうに言うカスミを尻目に、私は中身を一つ一つ確認する。ほとんどはかわいらしくデフォルメされた動物のもので、カスミは昔からこの手のぬいぐるみを集めていた。
大きく口を開けたワニ。しっぽをまっすぐに立てたねこ。メガネをかけたおしゃれなサル。狩りなんてできそうにない眠そうな顔のライオン。
見覚えのあるものばかりで、どれもこれも懐かしかった。しかし、今探しているのは彼らではなかった。
ない。
目当てのものが、どこにもなかった。
ああ、“やっぱり”。
私はそっとため息をつく。
「どうしたの?」
「いや……」
私はそのことを聞こうかどうか迷った。やぶへびになりそうな気がしたし、尋ねても今さらの話だ。私にはどうしようもない。
だけど、
「……あのさ、昔、あれ持ってたよね。イルカのぬいぐるみ」
カスミは首を傾げてから、ぱん、と手を合わせた。軽くいい音が鳴った。
「ああ、違うってば。もう」
「え?」
「イルカじゃなくて、シャチ。ユキノったら、昔とおんなじ間違いしてるよ」
そうだっただろうか。私はずっとイルカだと思っていたのだが。
「あれでしょ。一番小さいやつ」
そう、それだ。
「ごめんね。もうここにはないんだ」
「……そう」
その答えを、私は“知っていた”。
あのぬいぐるみは、もうカスミの手元にはない。
あんなに大事にしていたぬいぐるみを、カスミは失ってしまったのだ。
私はそのことを知っていた。
なぜなら、その原因は私にあるのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます