第3話
領主は女を屋敷にあげ、客間へと案内した。
夜叉など客に迎えた事のない家人達は怯えていたが、女が危害を加える気がないと解ると、落ち着きを取り戻して普段の仕事ぶりに戻った。
ここは仮にも武家屋敷である。
戦で相まみえた事もある仇敵をもてなす事もあり得るのだから、女の事もそういった手合いと思えば大差ない。
「改めて、数々のご無礼をお詫び致す」
「ああ、済んだ事はいいよ。早速だけど、あの母子について事情を聞こうじゃないか」
客間で領主は深々と頭を下げたが、女はどうでもいいとばかりに応え、本題を切り出した。
「あれを連れては行かぬのか。我等に抗う力はない」
「訳を知りたいのさ。お前様方の言い分が正しいと思えば置いていくよ」
「左様か…」
「所詮は行きずりだから義理はないしね」
領主は、女の答えを意外と思いつつも、事情を語り始めた。
「あれは、拙者の家内でな」
「つまり赤子の方は、お前様の子かい?」
「うむ。家内が逃げたのは、産まれた子が元なのだ」
「不義の子とかかい?」
「いや、決してそういう訳では無いのだが…」
「何か不都合があったんだね」
「生まれて半年になるというのに眼は開かず、音が聞こえる様子もないのだ。あれではまともに生きてゆけぬだろう」
「ああ、蛭子だね」
蛭子とは、不具として生まれた乳児を差す。
「蛭子が出たとなれば、当家と家内の実家双方の恥。故に、返さねばならぬ」
蛭子は大抵、そうと解ってすぐに子返しされ、闇に葬られる事となる。
働き手、稼ぎ手となれない事が判っている子を養う様な親は稀だ。
しかし、情が深く、我が子を手にかけるに忍びない親も中にはいる。
領主の妻は我が子を助けようとして出奔を謀ったのだ。
「それでお前様は子返ししようとして、嫌がった女房は子を連れて逃げ出した。そういう訳かい」
「概ね、その通りだ。見えず、聞こえず、恐らくは口もきけぬ子を抱えても、報われぬ苦労を背負うだけであろうに…」
「情が深すぎるってのも考え物だねえ」
「この様な事情につき、どうか願わくばご放念頂けぬか」
領主は女に懇願した。
家名に傷がつく事を、何としても避けたいのである。
「あたし等が薬を商う傍らで、いらぬ子を仕入れているのは知ってるかい?」
「承知しているが、蛭子でも購うのか」
「まあね。そういうのでも、使い途があるんだよ」
「家内が納得してくれれば良いが」
「そもそもお前様の女房があたしに声を掛けて来たのはね。赤子を売ろうとしたんだよ。子返しする位なら伊勢に売って助命したかったんじゃないかねえ?」
「ならば、受け入れるであろうな」
事態は丸く収まりそうだと、女は一息ついた。
女が出されていた茶に手をつけたところで、バタバタという足音と共に襖が勢いよく開かれ、いかにも慌てた様子の女中駆け込んで来た。
「何事だ!」
「奥方様が、奥方様が!」
領主と女が駆けつけてみると、女房は寝かされていた部屋の欄間に帯を掛けて首を括っていた。
「よくお眠りでしたので、お布団を敷いてお休み頂いていたのです、それが、それが! 少し眼を離した間に!」
「何をしてるんだい! 早く降ろすんだよ!」
女はうろたえている女中を怒鳴りつけると、ぶら下がっている女房を抱え、領主は腰の刀で欄間に掛けられている帯を斬った。
女は女房の首から帯を外し、床に敷かれている布団に寝かせると、手首をとって脈をはかった。
「大丈夫か?」
「とりあえずは息があるね。少し手を施すから、この部屋には誰も入れないでおくれ」
女は領主や女中を部屋から出し、襖を閉ざした。
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