豆ぱん

@harumasiki

豆ぱん

 昼休み。

 私はいつものように部室にいる。

「お、遥センパイ、今年も弁論大会出るんですね!」

 ”男バス全道進出!”の記事を下書きしながら、せっちゃんは声をあげた。

 うん、とうなずいて、私は書き上がった記事をパソコンの前に座っている優子に渡す。

「これお願いね」「はい」

「じゃあセンパイ、結局3年間もやるんですねえ。あんなめんどくさそうなこと」

 あきれ半分でのびをするせっちゃん。一学年年下なのになぜ私が一年の頃のことを知っているのか、という疑問は彼女には通用しない。せっちゃんは我が部が誇る「情報屋」なのだ。

「去年の先輩の話、良かったもんなあ。家族の話でしたよね?」

「あ、覚えててくれてるんだ」

「もちろんですよ~」

「先輩、打ち込み終わりました」

「早っ!」

 私はパソコンをのぞきこむ。画面にはほぼ完成した新聞が映し出されている。

「・・・うん。なかなかの出来」

 情報屋のせっちゃんとパソコンプロ級の優子。新聞部部長としては安心して部を任せられる。今は7月。もう少しで引退だ。まあ,弱小文化部に引退はあまり関係ないけれど。

「じゃあ私,売店でお昼買ってくるね」

 ポケットの財布を確認しながら部室を出る。毎日よく飽きませんねえ、とせっちゃんの声が見送ってくれた。


 一階の奥にある売店はすごく小さい。ノートとか消しゴムとか最低限のシンプルな文具と、おかし数品と、あんぱんと豆ぱんしか売っていない。

 私は毎日、昼休みそこで豆ぱんを買う。好きだからじゃなくて、単にあんが嫌いであんぱんが食べられないから、豆ぱんを買う。

 一階の廊下を進んでいくと、売店が見えてくる。もう少し進むと、死角になっていた売店の隣の自販機が見える。そこにたむろっている4、5人の男子のグループを見ると、その中のツンツン頭を見つけると、いよいよ私の心臓は爆発しそうになる。

 平常心、平常心と心の中で唱えながら、私はそこを通り過ぎ売店へ向かう。男子の大きな笑い声の中から彼の声を見つけて、身をかたくした。

 そして豆ぱんを買ってもと来た道を戻る。じろじろ見ていると思われるのが嫌で、目だけは絶対向けないようにしながら、それでも全身で彼を意識していた。すれちがいざま、男子の声が聞こえる。「てかジュンヤなんで彼女つくんないのー?」「うるせー!」

 その言葉に少しほっとして、すぐにそんな自分を恥ずかしく思った。


              *


 彼とは、1年生の時、クラスが同じだった。

 彼はいわゆる”受け入れられている人”だった。クラスの中心っていうか、大声で話して目立ってもいい人。同じような人達と授業を盛り上げる彼を見て、私とは世界が違うんだな、と思っていた。

 だけどある日、私は彼の、きっと見てはいけなかったものを見てしまった。

 授業中、私は黒板から何気なく目をそらした。と、彼が視界に入った。彼は窓を見ていた。多分、空を見ていた。その瞳はとても哀しげだった。空を見ているはずなのに、何も映っていないような暗い瞳。私は驚いた。あまりにも、いつもの彼と違いすぎて。

 どうしてあんなに哀しそうな目をしていたのだろう。

 その日から、彼を意識するようになっていった。彼はやっぱり、時々すごく哀しそうだった。

 そして、そんな彼を見るたび、私は不思議な切なさを感じた。


               *


「よし!」

 昼休み。

 私は印刷したてで、まだ少し熱をもっている紙をかかげる。

「7月号,完成!」

 わー、とせっちゃんと優子が拍手する。

「放課後、各クラスに貼りにいこうね」

「次はどんな記事にします?」

「そーいえば、数学の川原センセイ結婚したんですって!それについて特集しましょう!」

「あ、それ面白そう!」

 そんな会話をしてから、私はまた売店へ向かう。2年でクラスが離れてから、彼を見かける唯一の場所。

 いつものように緊張しながら彼らの、彼の横を通り過ぎるだけだ。

 通り過ぎるだけだと思っていた。

「?」

 こつ、と足に何か当たる。缶ジュースだった。

「あー、ごめん!」

 どき、と、心臓が高鳴る。声でわかる。彼だった。

 後ろから男子の声。「何やってんだよ,ジュンヤー!」「おめーらが遊んでたんだろー!」彼はこっちに向かってくる。

 私はぎくしゃくとそれを拾って、彼へ差し出した。「はい」彼はありがと、と受け取る。

「北島さんさ」

 え?思わず声が漏れた。――名前。

「いつも売店で豆ぱん買ってるっしょ」

 名前を、覚えてくれていた。

「・・・うん」

 私はうなずく。

「――好き、だから」

 彼はへえ、と笑って、男子たちの方へと帰って行った。


 初めて彼と話した。名前を覚えていてくれた。豆ぱんを毎日買っていることを知っていてくれた。

 それは全部、私の身体に力をくれる。いつもよりはやく階段をかけあがって、いつもより勢いよく部屋のドアを開けた。

 せっちゃんと優子がお昼を食べている。

 いつもよりたくさん、いつもより笑顔でしゃべった。別に好きじゃなかった豆ぱんがいつもより美味しく感じた。

「そういえば」

 休み時間も終わりそうな頃、せっちゃんが言う。

「センパイの学年に三谷純也っていますよね?」

 一瞬ぎく、として、私はうなずいた。

「うん」

「その人」

 それは。

「今日で転校するらしいですよ。なんでも家の都合で違う県に行くとか」

 それは。

 せっちゃんにしたら、本当に何気ない一言だったんだと思う。川原先生が結婚したって言ったときと、同じ感じで。

 でも、せっちゃんの一言を、私は同じようには受け取れなかった。



 放課後。

 3年5組の新聞を貼りかえて、私は誰もいない6組の教室に入る。黒板のサイドの壁を色々なプリントが埋めつくしている。その中に埋もれた先月の新聞を見つけて、少し酸っぱい気持ちになりながら、私は画鋲をはずした。――と。

 床に、一枚の花弁が落ちていた。ああ、と思う。きっと、帰りのHRで彼のお別れ会をしたんだな、と思った。

 お別れ。

 なんだか胸の奥をおさえつけられたような感じがして、私は花弁を拾い、ごみ箱に向かう。

「あっ・・・」

 私は目を見開く。ごみ箱に、袋が捨てられていた。きっと誰かが食べたのであろう、売店の豆ぱんの袋だった。

 私は、今度こそ強く胸が痛んだ。


――いつも売店で豆ぱん買ってるっしょ


 そう。私はずっと売店に通って、豆ぱんを買っていた。「好きだから」。でも好きなのは豆ぱんじゃない。三谷くんだ。三谷くんに会いたくて、私は売店に通っていた。

 私は、2年間弁論大会に出た。今年も出るつもりだった。あれだけが私が彼に見てもらえる唯一の場所だった。馬鹿みたいだ。あんあカタい行事で、彼が真剣に私の話を聞いてくれるわけないのに。

 新聞を貼りにいくとき、いつもどきどきして、少し期待していた。教室の片隅でひっそりとしている紙切れを、彼が読んでくれるなんて本当に思っていたわけじゃないのに。

 でも、それで良かった。平凡な日常の中に、彼との繋がりを探していた。それで十分だった。

 まぶたの裏が熱くなって、ぐっと目を閉じる。

 明日から、お昼は何を食べたらいいんだろう。弁論大会、私は誰に向かって話せばいいんだろう。これからどんな気持ちで新聞を作ればいいんだろう。


 いつから、こんなに好きだったんだろう。


 かたく閉ざした瞳から、2年半分の想いがあふれだす。

 私はこの気持ちを誰にも話さなかった。

 教室の隅にある新聞と、2回の弁論大会と、毎日食べたあの豆ぱんだけが、私の恋を知っている。

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