ショートショート「ヘルスマネジメント」
「本日からお世話になります、鹿島と申します。よろしくお願いいたします」
中途入社社員の歯切れの良い挨拶に、石崎は目を細めた。
「採用面接以来ですね。こちらこそよろしく」
「本当に採用していただき、ありがとうございます」
「優秀な人材を採用できてよかった。今日から鹿島くんには品質管理部で働いてもらう」
「異業種からの転職なもので、一からのスタートになりますが、頑張ります!」
いまだ面接中のような口ぶりの鹿島を、石崎は苦笑しながら品質管理部へ連れて行った。
喫茶店で待っていたダークスーツの男は、恭しい一礼で石崎を迎えた。
「その後、いかがですか。鹿島さんの働きは」
「精力的に働いてくれているよ。不安になるくらいだ。元気がありすぎて」
石崎の含みのある言葉に、男は微笑みで応えた。
「…・・・まちがいないだろうな、鹿島くんの余命は」
「ええ。もってあと半年です。弊社の調査に誤りはございません」
「そうでなければ困る。だからこそ未経験者に法外な給料を払うんだ」
鹿島が担当する業務は特殊な手順で引き継がれる。
効率的で大きな利益を上げ、ただし確実に法律に抵触する手法を教えられるのだ。
複雑怪奇なプロセスは、全ての責任を鹿島が被る形で構築されている。
そして鹿島は、その企みに気づく経験も、習熟するための時間も持ち合わせていない。
当局が嗅ぎつける頃には、真相は全て、鹿島とともに葬られるだろう。
「リミットオフ・エージェンシーとはまた、悪趣味な社名だな」
「否定できません」男は微笑みを崩さない。
「ですが、他の斡旋業者よりも大手に就職できるチャンスが多く、異業種への転職活動も積極的に支援してもらえる、と、概ね好評を頂いております」
「しかし、余命僅かな転職希望者なんて、どうやって集めて来るんだね」
「我々は企業様が求めておられる人材を、ヘッドハンティングしてくるだけですので」
守秘義務ということか。石崎は顔をしかめても、男は慇懃無礼な微笑みを崩さない。
帰宅の途についても、なお石崎の胸中は晴れなかった。
まだ若い鹿島に真実を告げず、あの世へ濡れ衣を着せて送り出すことに罪悪感だろうか。
それでも、こうするより他はない。石崎にも守るべき立場があるのだ。
むしろ鹿島は幸せな人間だ。最期の最期まで、他人の役に立つことができるのだから。
自らにそう言い聞かせながら我が家へ辿り着いた石崎を、愛してやまない妻と娘が迎えた。
(そうだとも、俺は家族のためなら、なんだってやってやるぞ)
娘を抱き上げる石崎の元へ、妻が一通の封筒を差し出す。
「これ、届いてましたよ。貴方宛に。言っておいてくださいな。転職を考えているなら」
封筒に印刷された社章は、昼間、ダークスーツの襟元で輝いていたものだった。
リミットオフ・エージェンシーからの転職の誘いから、石崎は目を逸らすことができない。
(そんなバカな)(健康診断の結果だってまだ)(余命は)(俺の余命は)
石崎は俄かに胃の痛みを覚えた。かつてないほど重苦しい、おそろしく不穏な痛みだった。
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