ショートショート「イレイザーヘッド」
生まれ変われるなら、手段は問わない。
魔法でも、科学でも、なんでもいい。美しくなれるのなら。
広々とした間取りに対し照明の数は少ない。それでも十分に明るいのは、床も壁も天井も真っ白だからだろう。近所の内科みたいに、健康増進のポスターなんて貼っていない。
ぼんやり発光する六面に囲まれて、私は椅子に座っている。
真っ白な空間の主である先生も、当然、白衣を着ていた。
『……同じ場所で半年以上開院することは稀です。手術が終わればお会いすることは無いと考えてください。術後のケアもありません。もしも再び施術を受けたい場合は我々の移転先を独力で探し出し、今回と同額の施術費を支払う必要があります。
いいですか。私は覚悟を問うているのです』
覚悟なら、ずっとしてきた。
毎日鏡を見るときに覚悟してきた。初対面の人間の視線と嘲笑を覚悟してきた。
生涯独り身で過ごす覚悟を、親からも愛されない覚悟をしてきた。
人並みに生きられない覚悟をしてきた。
あの噂を聞いたとき、私は初めて、覚悟の矛先を変えた。
冗談のように高額な手術費と、その何倍にもわたる調査費用は、貯金と借金で支払った。
それだけの覚悟を積み重ねて、生まれ変わりにきたのだ。
まったく表情のない顔で、淡々と先生は続ける。
『……金銭面だけではない。あなたは多くのものを失う。生命の危険はありません。これだけは約束しましょう。しかし、それ以外は激変します。顔全体を作り直す訳ですから、見え方、聞こえ方、ひいては呼吸の仕方まで、全てが今までと変わる。耐えられますか』
先のことはどうでもいい。とにかく綺麗な顔が欲しいの。
懇願する私に、先生は告げる。
『私の施術を受けると、あなたは声を失います』
それでも、私に迷いは無かった。
私は人生に復讐したい。先生、もう言葉が要らないほど、美しい顔にしてください。
先生は少し間をあけて、ゆっくりと頷いた。
『では、最後にもう一言だけ仰っていただきましょう。永遠に声を失う前に』
そういうわけで、私は待っている。
さっきまで先生がいた椅子に座って、白衣を着て、自分が院長みたいなフリをして。
先生との打ち合わせでは、直に待ち人はやってくるはずだ。
『技術が格段に進歩しても従来の整形手術には限界がある。何故か。被験者が生まれ持った顔面のパーツを最低限保持しなければならないからです。眼窩、鼻骨、耳道、唇、舌、どうしても動かせない部品がバランスを崩す。必要とされているのは、まっさらなキャンバスなのです』
やがて聞こえてくる絶叫。こちらへ駆け寄ってくる足音。
少し開けておいた扉から転がり込んできた中年男性は、警備員の制服を着ていた。
「化け物が出たんだ!医者の化け物だ!早く逃げろ!こっちにくるぞ!」
顔面蒼白で震えている。やれやれ、どれだけ驚かしたんだろうか。
口角泡を飛ばす彼から顔を背け、私はゆっくりと、教わった言葉を口にする。
「ねえ、その化け物って、こんな顔でした?」
変装用の白衣と気絶した警備員が運び出され、私は手術台に横たわる。
先生と助手たちが私を取り囲み、ゴム手袋を嵌めた手を上に向けている。その表情に緊張の色は無い。当然だ。皆、のっぺらぼうだから。
私は先生に問いかける。直接相手の脳裏に訴えるのだ。先生がやっていたみたいに。
『先生、わたしの顔、もう、無いんですよね』
もう目がないのに、先生が静かに頷いたのが分かった。
歓喜が込み上げる。私の醜い顔面は、この世界から消え失せたのだ。
手術が始まった。麻酔をかけられ、瞼もないのに眠気はやってきた。
抉られ、縫い合わされ、何一つない私の顔が完璧な美貌に近づいていく。
人並みの人生は送れなかった。 だから、私はもう人間じゃなくていい。
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