17 旧友との再会

 今年の冬はいつもより寒いみたいだ。

 毎日ニュースで寒さが厳しいことを伝えている。例年に比べると雪の降る日も多いようだ。

 高臣は白い息を吐きだしながら凍て空を見上げる。街の高い建物の間から見える空には、太陽の光を遮る厚い雲しか見えない。昼間だというのにまるで夕方みたいだ。今日は風があまりないので、それだけが救いかもしれない。

 隣で歩く吉平がコートのポケットに手を入れて、マフラーに首を竦ませている。鼻の頭が赤い。さっきくしゃみをしていたから、少しだけ風邪の心配をしてしまう。

「結構いい感じのデザインだったよな。あれなら店内にも馴染むだろうし」

 吉平の言葉に高臣は「ああ」と短く答える。

 ふたりは桜木堂の定休日である本日日曜日、リサイクルショップに赴いていた。目的は店に設置するための小型のテーブルと椅子である。(ちなみにふゆがいないのは、紅音とどこかへ出かけているからだ。女の子だけの秘密だと言って、どこに行くのか教えてくれなかった。腹を立てこそしないが、落ち着かない気分になったのは言うまでもない)

 リサイクル品といっても、その商品たちは決して新品に劣らないものだった。寧ろ使用されたことによって深みが増し、趣があるように感じられた。高臣と吉平は気に入ったテーブルと椅子を見繕い、後日店に運んでもらう手筈を整えた。

 それというのも、桜木堂にイートインスペースを設けることにしたからだ。

 更なる来店者数の増加を目指しての試みである。店内のスペースを考えると設置に踏み切るには難しいものがあったが、吉平はやってみたいという強い気持ちがあったらしい。

 確かにその場で食せるというのは、消費者側の気持ちになって考えると便利で魅力的である。店側としても、出来たてパンの美味しさをより伝えられるだろうし、気に入ってもらえれば更にその場でパンを購入してくれるかもしれない、という購買意欲増加の期待もある。吉平の作るパンの美味しさを知ってもらいたい高臣としても、イートインの営業形態には賛成だった。

 新しいことに挑戦する吉平を、高臣は応援したいと思う。そして一緒に、挑んでいきたい。

「まあどうなるか、いまんところわかんないけどさ。やってみないことには、良いも悪いもないしな」

「そうだな。それにウチの客はマナーが良いから、イートインを設置しても店のイメージダウンにはならないと思う」

「……だといいんだけどねえ」

 そう言いつつも、目元を緩めて笑う吉平は確信しているのだ。パンを作ることが好きという気持ちと同じように、パンを食べてくれる客のことも吉平は好きで、少なからず信用しているのだ。本人はそんなこと、きっと口に出しはしないだろうが。

 吉平の天邪鬼を心中で苦笑していると、歩道の只中で声をあげる男女の姿を発見した。ふたりは高臣らと同じくらいの年代で、なにやら言い争っているらしかった。

「なんだよ、こんなところで痴話喧嘩かよ」

 隣の吉平が明らかに不機嫌な声をあげる。相手に聞こえてしまうのではないかとひやひやする高臣だったが、男の顔を見るなり「あ!」と驚きの声をあげてしまった。

 高臣の声に気づいた男がこちらに振り向く。男もびっくりした表情になって、高臣と吉平を交互に見つめた。

「あれ、ノブじゃん! 久しぶり、元気?」

 相手に気づいた吉平はころりと態度を変えると、手を振って男のもとへ近づく。思いがけない出会いに高臣も笑顔を浮かべた。

「高臣に吉平! 久しぶりだな! ふたりこそ元気だったか?」

「元気元気、超元気。ノブ、いまこっち帰ってんの?」

「ああ、少しの間だけどな」

 ノブ――土田つちだ伸雄のぶおは、高臣と吉平の高校からの友人である。いまは地元を離れており、近頃は連絡も疎遠になっていたが、ふたりにとって気の許せる、信頼できる親友であった。

 高臣と吉平の高校時代の思い出を作ってくれたのは、他でもない伸雄だった。楽しかった、面白かった、そういった記憶にはほぼ伸雄が係わっていると言っても過言ではない。

「そういえば、お前らふたりでパン屋やってるんだったよな? いまから行ってもいいか」

「それは嬉しいけど、今日は定休日なんだ」

 高臣の言葉に「なんだ残念」と、伸雄は本気で落ち込んだ様子を見せた。こういった誠実さ、裏表の無さを、高臣は好ましく思う。久しぶりに伸雄に接すると、高校時代の思い出が甦ってくるようだ。

「――気分悪い。あたし、先に行ってるから」

 突如飛んできた棘のある声に高臣はハッとする。旧友との邂逅に喜び、伸雄の連れである女性を蔑ろにしてしまっていた。

 三人が話し込むその脇で黙って佇んでいた彼女は、業を煮やしたように踵を返す。

「あ、待てよ千栄ちえ!」

 伸雄の呼びかけを無視して、彼女は街中に消えていく。伸雄の引き止めるように伸ばした手が虚しく宙を掻く。だらりと腕を垂らし、溜息を漏らす横顔には哀愁が漂っていた。

「……伸雄、追いかけなくていいのか?」

 高臣の問いに伸雄は首を振る。その表情には、どうしようもない、といった困惑が滲んでいた。

「彼女、ノブの恋人?」

 吉平が問う。伸雄は彼女が消えた方向を向いたまま、困ったような笑顔で頭を掻いた。久しぶりに見る伸雄の癖だった。

「婚約者だよ。俺、結婚するんだ。その報告も兼ねて、こっちに帰省してるんだよ」

 高臣は思わず目を瞠る。

 そうか、結婚するのか。あの伸雄が。

 一時とはいえ、同じ時間を過ごした仲間が一足先に結婚するという事実は、嬉しいと思う反面、奇妙な気持ちにもなった。自分たちは、もうそのような年頃の年齢に、いつの間にかなってしまっていたのだ。

「……そうか。おめでとう伸雄」

「サンキュー。けど帰ってきたばっかで、親にちゃんとした報告もまだなんだよ。また改めて披露宴の日取りとか決定したら知らせるからさ。……来てくれるよな、結婚式」

 どこか不安げな伸雄に、高臣は微笑み頷く。隣で吉平が「式はちゃんとこっちでするんだよね?」とひねくれた物言いをする。唇を尖らせる吉平を見て、伸雄は小さく噴き出した。

「お前ら変わってねえなあ。なんか安心したわ俺」

「それって喜んでいいのか悪いのかわかんないんだけど」

 伸雄は吉平の肩を叩いて「喜んでくれ」と明るく言う。吉平はちょっと黙ってから、「俺らのことより」と話題を変える。

「彼女のこと、いいの? なんか怒ってたみたいだけど。このままじゃ婚約取り消されるんじゃない?」

 照れくささを隠すように、吉平は意地悪く伸雄の肩に腕を置く。吉平が伸雄を心配しているのと同様に、高臣も先程の彼女の様子が気がかりだった。

 伸雄の迷いが苦笑のなかに見える。

「近頃アイツ、いつも機嫌が悪いんだよ。落ち込んでると思ったら、今度は腹を立てたりしてさ……最近部署が変わったみたいで、慣れない仕事に悩んでいるのかもしれない。だからその苛々を、俺にぶつけてしまうのかもって思ってさ。もしかしたらマリッジブルーって可能性もあるかもな。……責められないよ。どうにかして手助けしてやりたいとは思うんだけど」

 彼女を思い遣る伸雄の気持ちに嘘はないだろう。ひとは変わってしまう部分もあれば、決して変わることのない部分があるのもまた事実だ。心根なら、伸雄だって変わっていない。こういうやつだからこそ、高臣も、そして吉平も、伸雄と親友でいたいと思うのだ。

「お前は良い夫になるな」

 確信して言うと、目を丸くする伸雄がまじまじと高臣を見つめた。

「……いやあ、高臣にそう言われると、俺マジで良い旦那になれるような気がするわ」

 気がする、ではなく、実際になれるだろうと思って口にしたのだが、伸雄は頭を掻いて喜んでいる。

 彼女のことを慮る伸雄の、大切にしたいという気持ちが伝わってくる。そんな姿に、高臣は胸を打たれる。学生の頃、ふざけた話で盛り上がったり、馬鹿なことをやって喜んでいた少年は、知らぬうちに大人になっていた。

 自分のことのように誇らしく思うと同時に、なぜか一抹の寂しさも感じた。なんだか少しだけ、遠くに行ってしまったように感じてしまったのだ。

 喜ばしいことなのに。俺は勝手だな。

 自分の子どもじみた思考に呆れ、それを振り払うように小さく息を吐いてから、高臣は伸雄を見返す。

「機会があれば、彼女とふたりで店に来てくれ」

 桜木堂の住所と電話番号を伝えると、伸雄は笑顔で頷いた。

「もちろん行くよ。吉平が作ったパン食べたいし、ふたりが働いてる姿も見たいしな」

「めちゃくちゃ美味いから期待してていいよ」

 自信満々に答える吉平に「了解」と破顔して、伸雄は手を振って去っていく。ふたりで手を振り返しながら、後ろ姿が小さくなっていく伸雄を見送る。

「ノブが結婚ねえ。俺らもそんな歳かあ」

「同窓のなかには、既に子どもができたやつだっているんだろうな」

 そうだねえ、と吉平はなんとなく、心ここにあらずの返答をする。

 ――夫、父親。

 まだ俺たちには……俺には、考えられない。そんな自分が、想像できない。

 いつか俺も夫になる日が、父親になる日が、来るのだろうか。

 そうなったとき、俺は――

 とりとめのない考えに囚われていた高臣の耳が、不意にくしゃみの音を拾う。我に返って隣を見ると、吉平が顔を歪めて鼻を擦っていた。

「俺らもとっとと帰ろうぜ。腹減ったし寒い」

「そうだな。ふゆももう帰っているかもしれない」

 洟を啜る吉平が心配になる。風邪でも引かれては堪ったものではない。

「今日の昼飯さ、残りのパンと、簡単にポトフでも作るか。大量に作って明日の朝まで持たせる!」

「ああ、いいんじゃないか」

「やったーお兄ちゃんが作ってくれるんだー嬉しいなー」

「お前も手伝ってくれ。でないと散々な出来になる」

「へいへい。承知してますよ」

 軽口を叩きながら、恋しいアパートを目指して足早になる高臣と吉平であった。

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