▼エピソード3 調理実習の時間だぞ、勇者よ!▲

 キーンコーンカーンコーン……。

 三時間目の開始を告げるチャイムの音が校内に響き渡る。場所は特別教室棟の二階、家庭科室。先ほどアジを捌いた生物室の真上にあたる教室だ。

「よーし。拷問かと思うかもしれないが、解剖が終わった後の三時間目と四時間目は、二時間ぶっ通しで調理実習だ。お前ら、ちゃんと吐かずに作れよー」

 張りのある教師の声が、家庭科室内に響く。その声を聞きながら、健介は不審げな顔をした。

「……おい。何故同じ教師が生物と家庭科を教えに来るんだ」

 ……そう。今健介達の目の前に立っている教師は、先ほどアジを捌かせた生物教師と同じ顔だった。小学校ならともかく、高校で一人の教師が複数の科目――それも、関連性のほとんどない生物と家庭科を教えるというのは、珍しい気がする。

 だが、転入生でない、元からの生徒である正孝達は「ん? あぁ」という生ぬるい反応だ。

「双子だったっけか?」

「え。私は五つ子だって聞いたけど?」

「クローンだって説もあったなー」

 どうやら、血縁関係にあって同じ顔の教師が複数名存在している様子である。そして、全部で何人いるのか……正確な数は誰も把握していないらしい。

「はい、そこー。喋ってんじゃないぞー。じゃあ、献立は事前に言ってあった通り、自由だ。各班、頑張って作れよー」

 教師がパンパンと手を叩き、正孝達を始め生徒達は各自作業に取り掛かる。正孝はエプロンを身に付けながら、彩夏に視線を向けた。

「うちの班が何を作るかは、彩夏に一任してあったよな?」

「うん。うちの班は、グラタンを作ります。メールしておいた材料は用意してくれた?」

 髪の毛を三角巾でまとめながら問う彩夏に、正孝と立花は「あ、うん」と頷いた。

「牛乳と、小麦粉」

「バターとマカロニ」

「……で、私はタマネギとチーズと、冷凍のエビ。……あ、健介は今日転校してきたばっかりで調理実習の事知らなかったしね。材料代免除で良いわよ」

 彩夏の言に、健介はフン、と鼻で笑った。

「下々の者が準備をするのは、当然の事だ」

「……えい」

「ぐわっ!?」

 無言のまま、表情すら一切変えずに。彩夏が傍にあった容器を手に取り、健介に向かって中身を発射した。

「何をするんだ変態妖精! 台所洗剤を顔に向けて発射するな!」

 どうやら、皿洗いに使用する台所洗剤だったようである。尚こういった洗剤類は必ずどこかに「目に入ったらただちに洗い流して、眼科を受診してください」と記載してある。つまり、何を言いたいかと言うとだ。

 

 大変危険です。画面の前の皆様は、絶対にマネをしないでください!


「じゃあ、指示を出すわね」

 何事も無かったかのように立ち回り始める彩夏。一方、健介はシンクで目を洗っている。痛そうだ。

「まず、正孝。タマネギ刻んで。くし切りね」

「え。俺、タマネギ切るの苦手なんだけど……目にしみて涙出てくるし」

「それが良いんじゃないの」

 鬼のような腐女子がここにいる。

「……で、健介はホワイトソース作って」

「……作り方を知らないんだが……」

 ハンカチで顔を拭きつつ、健介が困惑の表情を見せる。それに動じる事無く、彩夏は口を動かした。

「まず、牛乳をお鍋であっためておいて。沸騰しない程度にね。……で、立花は小麦粉をふるいにかけてくれる? ダマが無くなるまで、丁寧にね」

「りょーかい!」

 ビシッと敬礼すると、立花は調理器具の棚からふるいを探し出してきた。小麦粉を入れると、ボウルの上で楽しそうに振り始める。

 作業を始めた男達の横で、彩夏も動き始めた。まずは鍋をもう一つ持ち出してきて、火にかける。

「まずは鍋をあっためて、そこでバターを溶かす。こう……焦がさないようにね。それで、その鍋の中に……立花ー。ふるいにかけた小麦粉、少しずつこの中に入れてちょうだい」

「りょーかーい」

 小麦粉の投入されたバターを、彩夏は木しゃもじで丁寧に混ぜ合わせていく。鍋の中で、次第に小麦粉とバターが一体化していった。

「む……固形物のようになったな」

 物珍しげに鍋を覗き込む健介に、彩夏が視線を向ける。そして、視線を牛乳の鍋に移した。

「健介、さっきあっためた牛乳を、少しずつこっちの鍋に加えていって」

「わ、わかった……」

 こくりと頷き、健介は牛乳を少しずつバターの鍋に加えていく。その間も、彩夏の手は休みなく鍋の中を混ぜ合わせている。

「それで、これに塩と胡椒を加えて味を調整して……あ、牛乳はこれ以上入れなくて良いわよ」

 健介がまだ少しだけ牛乳が残っている鍋をコンロに戻し、今度は立花が鍋の中を覗き込んだ。白くてトロリとしたホワイトソースが、そこにある。

「吉岡、すげーっ! ちゃんとホワイトソースができてる!」

「当然でしょ。ちゃんと調べたんだから」

 自慢げに胸を張る。

「これであとは、マカロニを茹でて……炒めたタマネギやエビと一緒に耐熱容器に入れて、ホワイトソースとチーズをかけて焼けば完成よ。……で、正孝。タマネギ切れた?」

「……ごめん、まだ……くっそ、目にしみる……!」

 見れば、まだタマネギ二個の皮を剥いただけである。どうやら、相当タマネギに弱い目のようだ。すかさず、健介が鼻で笑った。

「ふん。タマネギ如きで涙するとは……未熟だな、勇者よ!」

「……うるさいなー……」

 ぐすっと鼻をすすりながら、正孝は思わず目を擦った。お陰でますますタマネギの成分が目に入ってしまい、更に涙がぼろぼろと零れ落ちてくる。慌てたのは、健介だ。

「な、何もそんなに泣く事は……おい、本当にそれはタマネギによる涙か? 何か異物でも入ったのではないのか?」

「いや、本当にタマネギで……」

「良いから、見せてみろ」

 タマネギを脇に置き、目を見せる見せないで口論を始める二人。そして、それを恍惚の表情で見詰める彩夏。

「ふふ……ふふふふふ……」

「……いや、やはり本当にタマネギなのだろうな。見せる必要は無いぞ、勇者よ」

 パッと正孝と距離を取り、努めて冷静に言おうとする健介。しかし、そうは問屋(さやか)が卸さない。

「……健介ぇ。遠慮しないで、正孝の目を見てあげてよ」

「……嫌な予感がするから、断る」

 どうやら、たった二時間でかなりの学習をしたというか、経験値を積んだようである。しかし、彩夏とてこの程度で引き下がる程度のやわな根性は持ち合わせていない。

「良いじゃない。減るもんじゃあるまいし」

「私と正孝の名誉とマジックポイントが著しく減る気がする。……と言うか、何故カメラを出す」

「えー、だって調理実習中の風景は写真に撮っておきたいじゃない?」

「笑顔が白々しいぞ」

 そこまで言われて、ようやく彩夏は引き下がった。チッという舌打ちと共に、デジカメをしまう。

「……それよりもさ、健介。アンタ、正孝に勝負を挑まなくても良いの? その気になれば、調理実習だって立派な勝負の場になると思うけど?」

 何を考えてか、彩夏が健介を煽った。そして健介は、見事に煽られる。

「……む、確かに。……よし、タマネギを半分私に寄越せ正孝! どちらが先に切り終わるか、勝負だ!」

「おい。彩夏にのせられるなよ!」

 嫌そうな顔をしてツッこむも、健介は既にやる気満々になっている。

「どうした。怖気づいたのか、正孝? この程度の勝負を恐れるとは……その体たらくで、よくも私の心を救うなどと言えたものだ!」

 その言葉が、正孝の心にも火をつけた。

「……わかったよ。その勝負、受けてやる!」

「その意気だ! 来い、勇者よ!」

「うぉぉぉぉっ!」

 叫ぶが早いか、二人はタマネギを一個ずつ手に取り、高速で刻み始めた。タマネギで涙が出るという正孝の言は何だったのかと問いたくなるほど、二人とも速い。

 二人があっという間に刻み終わったタマネギをさっさと回収しつつ、彩夏はちゃっかりと二人に言った。

「その調子で、後片付けもよろしくねー」

 聞こえていたのだろう。タマネギを刻み終わった二人は、そのまま高速で使用後の鍋などを洗い始めた。この調理実習、さり気無く彩夏は楽をしているように思われる。

「吉岡ー。マカロニ、茹で上がったぞー」

「サンキュー。じゃ。あの二人が洗い物をやっている間に、残りを済ませちゃいましょうか。そこのエビ取ってー」

「りょーかーい」

 殺伐としながら高速食洗する二人の横で、彩夏と立花はかなり平和だ。

 そして十数分後、チーンというオーブンの音が響き渡った。

「お?」

「む?」

 洗い物を終えて調理器具片付け勝負に移っていた正孝と健介は、その音で我に返った。立花が嬉しそうに、オーブンからグラタンを取り出している。

「おーい、グラタンできたぞー」

「上出来、上出来」

 完成品を一皿教師の元に提出し、彩夏と立花はさっさと椅子に座り込む。その様子に、正孝と健介は言葉無く顔を見合わせた。

「じゃ、冷めないうちに食べましょ」

「あ、あぁ……」

「そうだな……それじゃあ……」

 そう言って、正孝達も椅子に座ろうとした。その時だ。

 ガラッという音がして、教師がもう一人入ってきた。

「お、良い匂いだなー」

 白衣かエプロンかの違いはあるが、目の前にいる二人の教師は同じ顔をしている。

「あれは……先ほどの生物の……」

「あー、うん。双子の」

「五つ子の」

「クローンの」

 グラタンを頬張りながら、正孝、彩夏、立花が頷き、自身の知る説を再度口にする。同じ顔が二つ並んでいる様を見て、健介は目を丸くした。

「本当に、見分けがつかぬほどそっくりだな……」

「うん。俺も何気に並んでいるトコを見たのは初めてだけど、本当に見分けがつかねぇや……」

「俺も俺も」

 生徒達がざわつくのを放置して、教師達は普通に会話を始めている。

「どうしたんだ、兄貴?」

「いや、何。さっきの授業で作った刺身な。たくさんあるから、おすそ分けしようと思ってなー」

 そこで、エプロンの方の教師がニヤリと笑った。

「ははーん……読めたぞ、兄貴。刺身を分ける代わりに、実習で作った料理を貰おうって魂胆だろう?」

「いやー、バレたか!」

 そう言うと、生物教師は頭を掻きながらはっはっはと大きな声で笑い出す。家庭科教師の方も、つられたように笑い出した。同じ声、同じテンポの笑い声が響く中、生徒達は互いに顔を見合わせる。

「……さっきの、アジ……」

 ぎょぎょぎょーん、という謎の鳴き声が、脳内を過ぎった。立花までもが、微妙な顔付きをしている。

「グラタンと、アジの刺身……?」

 食い合わせ的には、できればご遠慮したいタッグだ。生徒達は、再び顔を見合わせた。そして、声を揃えて。

「食えるかっ!」

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