▼エピソード1 HRの時間だぞ、勇者よ!▲

 キーンコーンカーンコーン……。

 軽やかな予鈴の音が、学校中に響き渡る。挨拶を交わし合うクラスメイト達を横目に見ながら、少年――赤坂正孝は大きな欠伸をした。そんな彼に、幼馴染でクラスメイトの吉岡彩夏が近寄ってくる。

「おはよー、正孝! どしたの? 寝不足?」

 元気な彩夏さやかの声に振り向き、正孝は更なる欠伸をかみ殺し、にじみ出る涙をぬぐいながら応じた。

「んー……ゆうべ、懐かしい夢、見ちゃってさ……」

「懐かしい夢?」

 首を傾げる彩夏に、正孝は「そ」と短く言って頷いた。

「魔王マグダスと最終決戦をする直前。……ディアーゴと、戦った時の事」

「ディアーゴと……」

 ハッと、彩夏の顔が強張った。小さな声で「そっか」と呟く。

「正孝……ううん。ジークフリースは、まだ気にしてるんだ。ディアーゴを救えなかった事……」

「……」

 二人揃って、しんみりとした顔になる。しかし、暗い雰囲気はいつまでも続かない。

 ガラリという音がして、教室の扉が開く。クラス担任教師が姿を現し、教室内を見渡した。

「よーし、ホームルーム始めるぞー。全員席につけー。……で、今日は転入生がいるから。そいつの章かいした後にそのまま一時間目のロングホームルームに突入して、濃厚な質問タイムなー」

 一瞬にして、教室の中がざわめきたった。どうやら、転入生がいる事を誰一人として聞いていなかったらしい。教室のあちらこちらから、「男? 女!?」「可愛い?」「かっこいい子?」と色めきたった言葉が飛び出してくる。教師は苦笑しながら、「落ち着け」というポーズをして見せた。

「おいおいお前ら。一気に質問すんなって、いつも言ってるだろ? 転入生はまだこの学校にも、お前らにも慣れてないんだ。質問する時は、ある程度の容赦はしてやれよー」

 途端に、「はーい」「りょうかーい」という元気な声が聞こえてくる。教師は、満足そうに頷いた。

「よーしよしよし。相変わらず返事だけは良いな、お前ら。先生、お前らの事信じてるぞー。……というわけで、鈴木ぃ。入れー」

 間延びした声に呼ばれ、開きっ放しだった出入り口から比較的長身の男子が入ってきた。パッと見優等生風の外見だが、目付きが悪く、どこか冷たそうな雰囲気だ。

 転入生は教師の横に立つと、じろりと睨むように教室内を見渡した。教師はくるりと背を向けて、黒板に転入生の名前を書き出す。転入生が、フン、と鼻を鳴らした。

「本日よりこの学校に通う事になった、鈴木健介だ。精々無礼が無いように頼むぞ、愚民ども」

 クラス一同、ぽかーんと固まった。そんな生徒達を見て、教師は楽しそうに笑っている。

「ふてぶてしいだろー? こんな奴だが、まぁ、新しいクラスの仲間なんだし。がっつり仲良くしてやってくれよー」

 そう言うと、彼は「ふあぁぁぁ……」と大きな欠伸をした。

「じゃ、そのままロングホームルーム開始ぃ。先生は寝てるから、お前ら、あとは適当にやってくれぃ」

 そしてまた一つ欠伸をすると、教師は教卓に突っ伏して大いびきをかき始めた。途端に、生徒達はまだ席にもついていない転入生――健介の元へと駆け寄ってくる。

 クラス一のお調子者、立花が真っ先に健介の元へと辿り着いた。

「なぁなぁ。鈴木君って、今までどこの学校にいたんだ? 趣味は? 部活は、もう何に入るか決めたか?」

 相手の反応も気にせず、矢継ぎ早に質問を浴びせかける。すると健介はそれに慌てる事も無く、フン、と冷たく鼻を鳴らした。

「愚民の問いに答える義理は無い。それよりも……」

「へ? 鈴木君?」

 立花を押しのけ、健介はツカツカと歩き出す。そして、教室後方まで歩くと、ある一つの席を睨み付けた。

「……ん?」

 その席の主――正孝は、何が起きているのかわからず、眉を顰めた。その様子に、目の前に立つ健介はニヤリと笑う。

「……久しいな。勇者ジークフリース」

「なっ……!?」

 目を見開き。正孝は思わず立ち上がった。椅子が、ガタリと音を立てる。

「お前……」

「その気配……まさかディアーゴ!?」

 横の席に座っていた彩夏も、顔を強張らせる。その様子に、健介は増々満足気に顔を歪めた。

「ほう……そちらはあの姦しい妖精か。また随分と大きくなったものだ」

 最早、疑う余地は無い。転入生、健介健介は……生まれ変わりだ。数千年前に世界を滅ぼそうと企てた魔王マグダス。その配下であり、勇者ジークフリースの宿敵でもあった、ディアーゴの……。

 気を張り詰める正孝と彩夏に、健介はフン、と鼻を鳴らした。

「その様子では、貴様ら二人とも、私の事を覚えているようだな。ならば、好都合。……抜け」

 そう言ってビシリと指差してくる健介に、正孝は顔を顰めた。緊張している顔ではない。怪訝な顔だ。

「……何を?」

 今度は、健介が不機嫌に顔を歪めた。

「……貴様、私を愚弄するつもりか? 私と貴様が一つ所に会し抜くものと言ったら、一つしかあるまい?」

「……三十センチ定規で良いか?」

 頭を掻きながら鞄をあさり始めた正孝に、健介が目を剥いた。

「定規だと? 貴様! 私を舐めて……」

「ないわよ。ここをどこだと思ってんの? 平成の日本国内にある、高等学校の普通教室よ。剣なんか持ち込めるわけないでしょ」

 至極真っ当な彩夏の言に、健介は「ぐっ……」と言葉を詰まらせた。そこに、立花がひょいと顔を突っ込んでくる。先ほど健介に冷たくあしらわれたばかりだというのに、全く物怖じしていない。流石はクラス一のお調子者。

「よくわかんねーけど、チャンバラごっこするのか? なら、定規よりもホウキとかの方が良いんじゃねぇのか、勇者様ー?」

 その、呼び名に。健介の目がカッと見開かれた。

「勇者だと? 勇者ジークフリース……貴様、生まれ変わった現世でも、既に勇者として人民に慕われているというのか!?」

「あー……違う違う。そうじゃなくてー……」

 どこかうんざりした顔で、正孝が手をひらひらと振る。横から、立花が「説明しよう!」と口を出してきた。

「チャンバラごっことか、戦いごっこみたいな事をする時は、皆こいつの事、勇者って呼んでるんだよ。……何でかって? こいつの名前は、赤坂正孝って言うんだ。……で、ローマ字にして、子音を全部消しちまうと、ああああ、ああああ、になる。ああああ、つったら、勇者だろ?」

「……な……」

 謎の理論に、健介は口をぽかんと開けて呆けた。様子を見守っていた彩夏が、はぁ、とため息をつく。

「あんたも何だかんだ言って、十七のこの歳まで現世で人間として育ってきたんでしょ? なら、現世のルールや文化がわからないとは言わせないわよ」

「くっ……生まれ変わっても、相変わらず姦しい妖精だ……」

 ギリ……と歯を噛む健介から目を逸らし、正孝が遠くを見た。

「……姦しいままなだけなら、良かったんだけどな……」

「? どういう事だ?」

「すぐにわかるさ……」

 首を傾げる健介に、正孝はまともに答えようとしない。疲れたように着席しながら、首を振っている。健介の顔が、不愉快そうに歪んだ。

「……あくまで私をおちょくるつもりか。だが……まぁ、良い。こうして同じクラスになったのだ。貴様と雌雄を決する時など、腐るほどあろう」

 ククッと笑い、健介は机に手を突く。顔を、正孝の顔に近付けた。

「さぁ、これからは常に共にあろうぞ、勇者ジークフリース! そして私は貴様を倒し、世界を……」

「常に共にあろうって事は、事実上のプロポーズよね!?」

 突如発された彩夏の大声――奇声に近い――に、健介は思わず硬直した。正面では正孝が、「あー……」と間延びした声を発しながら顔を両手で覆っている。

 そんな事は気にせず、彩夏は健介に向かって、ずずいっと顔を近付けた。

「……で、どっちが攻めで、どっちが受け? 言葉から察するに、ディアーゴ……じゃない。健介は、攻め希望? けどけど、私的には普段は割と穏やかめな正孝が攻めで、キリッとしてる健介が受けでも良いと思うの!」

「ま、待て待て待て待て! この姦し妖精! プロポーズ? 攻め? 受け? 何の事だ!?」

 事態が飲み込めず混乱している様子の健介に、正孝が大きなため息をついて見せた。

「……だからさ。姦しいままなだけなら良かったってのは、こういう事だよ。彩夏……ここ数年ですっかり腐女子と化しちゃって、節操が無いったら……」

 そこで、大きなため息をもう一つ。頭を抱えて、突っ伏した。

「可愛かった妖精ルーナがこんなんになったなんて知ったら、村の人達がっかりするよ……」

「? 婦女子? 要は女らしくなるという事だろう? この女のどこが婦女子だ。婦女子としての品性というものが、微塵も感じられないぞ」

 音は正しく伝わっているのに、漢字が一文字違ってしまっただけで意思の疎通がまったくできなくなってしまっている。わかり合えないとは、哀しい事だね。

「あー、うん……わからないなら、それで良いよ。そのままのお前でいてくれ……」

 知っていなければいけない知識ではない。……が、しかし。それで収まる彩夏ではなかった。

「おーっと! ここで正孝からもプロポーズ来ましたーっ! 甘い台詞の鉄板、そのままのお前でいてくれ! あぁん、もう! あんた達、一体私をどうしたいのよぉうっ!」

「とりあえず、静かにさせたいな……」

 声をハモらせ、諦めたように呟いて。正孝と健介は仕切り直しと言うように睨み合った。尚、先ほど話に割り込んできた立花の存在は、完全に空気と化している。それで良いのか、クラス一のお調子者。

 健介が、ゴホンと咳払いを一つした。

「……変な邪魔が入ったが……良いか、勇者ジークフリース。私は貴様に勝つ事を諦めたわけではない。必ずや、貴様を倒してみせる!」

「……俺だって、諦めたわけじゃないぞ、ディアーゴ。今度こそ、お前の心を救ってみせる!」

 その言葉に、健介は、ふ……と馬鹿にするように笑って見せた。

「精々気張るが良い。だが、忘れるなよ。私はいつでも、貴様を倒す機会をうかがっているという事をな」

「ディアーゴ……」

 もう一度鼻で笑い、健介は踵を返すと、己の席へと歩いて行った。その後ろ姿を眺めながら、正孝は、再び己の心に誓う。

(ディアーゴ……三千年前、俺はお前の心を救う事ができなかった……。けど、今度こそ……今度こそ救ってみせる。絶対に……!)

 その時、授業の終了を知らせるチャイムが、明るく鳴り響いた。

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