深紅の隠れ姫

森の奥に暮らす猟師の娘は愛らしい。

雪が溶けたような白い肌。桃色の頬。熟れた林檎のように赤い唇。細く滑らかな黄金色の髪。

猟師は狩人としてだけでなく、村での力仕事を引き受け働き、村人から慕われていた。

村人とは違う、やや煌びやかな服を身につける愛娘も、親に似て真面目で働き者の為、嫌味がない。

糸を紡ぎ、織り上げ、そして細やかな花の刺繍をあしらって仕立てられた深紅の洋服がよく似合う。

年々美しく成長する娘を、猟師は村から遠ざけるようになった。悪い虫がつかぬように。

父と共に村で薪割りを手伝うか、村の女衆と共にワインや保存食を作る。1人で村にいることは殆どない。

深紅の隠れ姫が森から現れると、気の弱い青年は仕事を放り投げて影から見つめた。

自信家は軽くあしらわれてもへこたれることなく声を掛ける。

強者は森へ押しかけて冬の寒さに赤切れる手を震わせて洗濯する娘の手を握った。

もしくは強い日差しに項を垂れながら羊の世話をする娘の肩を抱いて払われた。

誰も相手にされなかった。

お高くとまったお嬢様と揶揄されることもあるが、娘は気にしていなかった。

彼女は見知らぬ世界に憧れている。



「そんな事言わないで、穏やかに暮らす方が良いわよ。あの山羊飼いペーターの三男なんてとっても良いと思うわ。彼はあなたを大事にするわ。」

屋根裏に暮らす妖精がうんざりした声を出した。糸紡ぎの手を止めて娘を見た。

「あら、私に冒険へ駆り立てる心を植えつけたのはユタよ。」

「そうね、眠れない夜にと色んなお伽話を披露したのは悪かったわ。退屈しのぎに一緒に描いた絵もね。」

「自分の目で見てみたいのよ!」

また始まったという非難の視線を無視して、娘は歌を口ずさんだ。

妖精から教わった異国のメロディ。

視界全てに広がる砂の大地。眩暈がしそうな高い岩山。閉ざされた氷の世界。手入れされた広大な花園。塩辛いという海。広大な草原、そして地平線に沈む太陽。見た事もない植物や動物。

両手両足での指では全然数え切れない。そういう世界の一欠片だけでも見てみたい。

「私はね、この家の木に宿った妖精だから。何処へも行けないわよ。」

「知っているのよ。ユタが森の外へも行ける事。昔私が高熱を出した時に森から離れられないお父様の代わりに街まで薬を買いに行ってくれたのはあなたでしょう?」

「そうね、街までなら行けるわよ。ギリギリだけど。一緒にちょっとそこまでお出かけならいいわよ。ベンが首を縦に振ったらね。」

決してそんな事はしないのに。妖精はそうやっていつも父親を盾にする。

「夢や希望、美しくものばかり伝えてしまったからいけないのね。身体中の生傷が消えて、新しく出来なくなったら説得を考えてあげるわ。可愛いお姫様。」

糸紡ぎ機から離れると妖精は屋根裏の窓を開け放った。森の木々に冷やされた夜風がさあっと首元を撫でた。

まただ。と彼女の背中を見つめる。ピクリとも、髪の先すら動かない。まるでこの世に存在しないかのように、何にも影響されず…妖精は、いる。

「こんなの怪我のうちに入らないわ。」

くるりと振り返った妖精の表情は寂しげだった。村で1番美しい娘と呼ばれている自分など霞む程に整った容姿と相まってとても儚く感じる。

薄雲の隙間から覗く三日月に照らされて、蜜色の髪が煌めきを放つ。

「前言撤回。隙を見てベンと共に遠くへ、遠くへ行きなさい。」

近づいたと思ったら、ふわりと赤子のように抱き上げられた。

「何、どうしたの?」

「静かに!口を閉ざして息を潜めて。昔よくしたでしょう。隠れん坊よ。」

隠された途端に玄関の扉を殴るような音が聞こえた。遅れて野太い男の声が響いた。父親が応対するや否や騒がしさが家を包んだ。

「金髪の美しい娘がいるであろう。偉大なる女王陛下が侍女にとご所望である。」

「娘を?何故?女王陛下とはカッザニアの麗しの真珠女王のことで?」

「そうである。大変な名誉につき直々に親衛隊が迎えに参った。」

「ここはカッザニアの領土外であります。どうかお引取りを。」

「探せ!」

ドタドタと大きな靴音が響いて二階の部屋へと近寄ってきた。乱暴に扉を開ける音が静寂な部屋を貫く。

黒ずんだ銀の鎧兜に身を包んだ兵隊達が押し入ってきたと同時に静まり返った。

「父に、村に乱暴をしないでください。私は逃げも隠れもしません。偉大なる女王陛下がお望みでしたら、取るに足らない身ですがお捧げいたします。」

まるで妖精の独壇場のように、しんと沈黙が部屋を包んだ。飛び出しそうになるのを押さえつけられて身じろぐ。

息を飲む音が部屋を満たした。

「なんと美しい。これなら女王陛下に満足していただける。」

いかにも雑兵という黒ずんだ鎧の兵士の中で、汚れひとつ見当たらない白銀の鎧に血のように赤い外套を纏った青年が凛と立っていた。

彼にに捕まり、首元に短剣を突きつけられた怒りに顔を赤くしている父の姿。

燃え上がるような赤い髪に日に焼けた褐色の肌。この辺りでは一度も見かけた事がない異人。鋭い眼光が妖精を見下ろす。

「娘に手を出すな!」

父が叫ぶと、喉元から血が垂れた。黙れと鳩尾に蹴りを入れられて父は悶絶したがそれでも低く妖精に近寄るなと呻いた。

「娘よ、我らと共に来るならば親も村も失わずに済む。」

「言う通りにします。」

儚げに妖精が告げた。自分の代わりに連れて行かれるのを、クローゼットの鍵穴から見つめることしか出来なかった。

固められたように動かない体がもどかしく、涙が頬を伝い続けた。



カッザニアは骨肉の王位争いを続けてきた血塗られた王家が治めてきた。

神に選ばれ、民想いであった王家は時代が積み重なるごとに強欲に支配されていた。

貧富の差は広がり、かつて緑の都と謳われた国は見る影もなく疲弊していた。

先代国王の弟は権力を求め、水面下で画策し、ついに国王暗殺を実行した。病死と処理され新たな国王に推され、結果は大成功であった。

先代国王の寵姫は月色の美しい髪に、真珠のような白い透き通った白い肌。そして血のように赤い唇と頬。

身重の王妃は嘆き悲しみ、胎児は流れ、奇病を患った。

艶やかな金髪は黒曜石の輝きに代わり、視力を殆ど失い、真珠の白さを残して肌は青ざめ、床に伏せた。

新たな王は兄の家臣を王宮から追放し政権を樹立し先代王妃と婚姻の契りを交わした。

以後、切れ者で口達者な真珠女王陛下が影から国を動かし豪遊と残虐の限りを尽くしている。



黄金、銀、色とりどりの宝石、真珠、珊瑚と埋め尽くされた宝物庫でうっとりとする真珠女王を騙る女。

17年前、逃げるべきでは無かった。けれども別の道を選べば別の後悔がある事を知っている。

逆さに吊られ、切りつけられ、真珠女王へ生き血を注ぐ生娘の首を刎ねた。

悪戯に命を弄んでいるのはこの女ではなく、むしろ自分の方であろう。それでも見て見ぬ振りが出来ない。

なんて短絡的で愚かなのだろう。

「お前か?どうやって切ったのだ?」

「我はカッザニアの守護神。王の剣の名の下に政権交代を宣言する。」

赤黒く染まった豊満な肉体を取り押さえ、身動き出来なくした。

こんな事はすべきではない。永遠に閉じこもって、世間から隔絶し、傍観するべきなのだ。

「身体が動かぬ。何故じゃ。そなた一体…。」

周囲の金属に拘束された真珠女王が見えないという設定の目で、こちらを睨みつけた。けれども口に押し込められた財宝でそれ以上声を発する事は出来なかった。

「考えがあるの。このまま悔い改めながら死を待ってなさい。」

金属に埋もれ、身動きできない真珠女王を見下ろす。

この世のあらゆる金属は彼女の僕であり、人外の力は何者にも阻めない。

失われた平和を取り戻しても同じ事を繰り返すだろう。

愛した男と興した国は数百年も持たずに崩壊し、統合され、繰り返すうちに膿を溜め腐敗した。

守護神と王家の宝である剣が神話へと代わる間、彼女は古い書庫のある古城の塔の上に隠れ住み表舞台から姿を消してきた。

余計な諍いを産み出すと考え、滅多に人の来ないその場所で端から端まで大量の本を読み漁った。時折、街へ降りて変わりゆく国を嘆いた。

あらゆる知識と巨大な力を得て理想の国を創ろうとする気概もなければ、愚かに思える人類を滅ぼす程の絶望や拒絶もない。

死ぬ術は見つからず、時間つぶしの為に知識を増やす。

それはとても気が楽だった。

対外戦争、内乱、王位争い、虐殺。見て見ぬ振りをしてきた。

そしてあまりの孤独に耐えきれなくなった頃、友人ができた。

本物の真珠王妃。

王家の血を引くも、継承権利の低い彼女は、身の危険から自身を守るために古城に隔離されてきた。

1人で過ごすよりずっと時間が過ぎるのが早かった。

策略陰謀の果てに好きでもない男に嫁がされ、それでも健気に国を憂いた静かだが芯の強い少女。

その美貌と聡い頭脳で先代国王を上手く誘導していたのは良く知っている。

彼女を側で見て支えてきた。

命費える時、彼女の宝物を預かり見守ってきた。こんな風になってから心許せる者は本当に久しぶりで、あまりの命の短さに珍しく憤りを感じた。

隠してきた姫を引きずり出すのは、気が重い。幾百の年月の中で子を育てたのは初めてで、彼女の幸福のためなら何でもしてやりたい。

理解しているのは、自分から遠ざける事が最善策であるという事。



真珠女王の御乱心、残虐非道な行為が世間に公表され国に戦慄が走った。

王家の血筋ではない国王陛下は、真珠女王の失脚と共にその座を引きずり降ろされ斬首となった。

生き血の為に奪われた娘の数は137人であるという。

そして真珠女王の身体のどこにも王家の家紋がなく、側近の証言もあり偽物であると判明した。

前王を慕い、崩御後に虐げられ続けてきたカッザニアの民の怒りは頂点に達するのは必然。

権力闘争に奔走する要職者と王家の血縁者、王家崩壊を目論む内乱軍、内乱鎮圧のため粛清を行う護衛隊、混乱する狂気の国から民を守ると立ち上がった自警団。

カッザニアは激動の時代を迎えた。

それを無視して逃がした娘を探しに国を去った。



パチパチと燃える炎に照らされる彼女の横顔は月と火の明かりで不思議な色を滲ませている。

「何を思い出してるんだ?」

眠る事の出来ない彼女の夜は長い。

「昔、赤ん坊から育てた女の子がいたの。とても愛らしくて素直で優しい子だったわ。でもお転婆で冒険心が強かった。」

それは、と口籠り唇を閉じた。珍しい独白に耳を傾けることにする。

「産んだのはもちろん私じゃないわ。友人の子よ。陰謀策略に巻き込まれないように隠して、大切に育てたの。父親と2人家族。私は森の妖精ってことにして。人並みの幸せを手に入れて、老いて、死ぬ。そういう人生を歩ませてあげたかった。」

声色が心底寂しそうで胸が痛む。

「そう、ならなかった?」

「昼間見た絵画を覚えてる?深紅の服に身を包んで旗を掲げる革命軍の戦乙女。」

真珠女王の娘と名乗りを上げ、革命軍を率いた美しい乙女。

戦場に似合わぬ深紅のドレスを身に纏う正当なる姫。

革命は成功し平和が訪れたが、味方に裏切られて惨殺された聖女。

「濡れ衣を着せられて、再会した時はもう殺されてた。私がその後何もしなかったと思う?」

酷く冷たい声が夜空に響いた。カッザニアという国は戦乱の最中、地割れと大洪水に合い水没都市と化してしまったという。民は流民となり、国は消失した。

その後、長い年月が過ぎ優れた建築技術を持つ民が暮らし始めるまで廃墟であったという。

「天災だと言ったけど、やはり君だったのか。」

隣で寝息を立てるルーオに毛布をかけ直して彼女はこちらを見た。煌めく瞳は泣いているようだ。けれども彼女は涙をこぼす事が出来ない。

「あの子を安全な地へ逃がして、それから国を立て直そうと思っていたの。カッザニアは私が創った国だったからそうするべきだと思ってた。でも、探しても探しても約束の場所でも、他の所でも見つからなくて。ずっとあの子のそばを離れなければ良かった。でも人1人が死んだだけで酷いわよね、私。」

「結構、感情的だよな。」

非難するつもりは無かったが明らかに傷ついた表情をして、彼女は俯いた。

「そうね、それにとっくの昔に命を奪うことに躊躇いがないわ。酷い女でしょう。」

一見まだ、あどけなさの残る美しい娘。けれども共に過ごすほど、過去を知る程、彼女は遥かに成熟した老女でこの世のあらゆる事に絶望している女なのだと感じる。

彼女が積極的に語らぬ武勇伝や慈悲に満ちた行いも、ふと溢す冷酷非道な行いも、想像を絶するが理解できないこともない。

「あの子にとって私はちょっと口煩い世話焼きの妖精で友人みたいなものだったけど私は母親気取りだったの。だから何もかもが許せなかった。」

壊れ物を扱うように、ルーオの頬に触れようとしてその手を止めた。

絶望しながらも人間を愛してしまうその心は哀れで、悲劇だ。

人の体へと戻り、閃光のような人生を取り戻せば救えるだろうか。



親愛なる妖精へ

無事にこの家に戻ってくると祈って、信じて手紙を残します。

父に出自を聞きました。逃げて、隠れて、そして人並みの幸福を手に入れなさいと言われました。

けれども貴方が紡いでくれた赤いドレスのように、燃えるように生きたい。

絶望を照らす人でありたい、

それから愛する人を支え、尽くしたい。

貴方が私を育て、大事にして、守り、身代わりになってくれたように、愛のある人生を歩みたい。

どうか娘の我儘を許してください。

愛しています。

愛してくれてありがとう。

お母様が大好きです。

フィオナ。


誰にも見られずに家ごと燃やされ炭となった手紙の存在も内容も少女は知らない。




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