糸紡ぎの少女

戦況は断崖の先端。滅びが口を開けて待っていた。


藁にもすがる研究の成果が、窮地を救うアルドネルカの糸。迷宮へと化け物退治に向かった貧乏青年に託された愛の糸。

暗闇に光り輝く、生への希望。


田舎村に住んでいた美しい少女は、部屋の片隅で全身を震わせて蹲っていた。無理もない。将来を誓った男の無残な姿を見せられた後であった。


少女が再会した姿は悲惨だった。下肢を失い、全身大火傷を負っている青年。管に繋がれ、絶え間なく治癒術を施されていた辛うじて生きている、人と呼ぶのも憚かられる肉塊。


まるで必然の様に半分だけ残されていた顔が、青年が誰であるかを表していた。それが生々しく痛々しい。


「逃げるのならば、手助けするよ。」


計画が成功する保証はなかった。何人もの人柱が失われ、そこに少女が加わる。国の未来は泥沼で、もがけばもがくほど汚れて沈んでいる。転落するのが分かっているのに、引き返すことも出来ない片道のレールを、外れる勇気も気概もない。


人を守る為に人を捧げ、内からも蝕まれて最早勝利を掴んでも崩壊は免れない。なのに計画は止まらない。滅ぶのならば敵もろとも。それが中枢の最終決定だった。


「もう悩むのは許されないんですね。」

「ええ。」


少女の事を、聡いのだと感じていた。丸め込まれることもなく、考える時間が欲しいと申して出、そして陰鬱な表情で引き篭もっていた。


時折部屋を窺うと、いつも震える両手を握りしめて、一点を見つめていた。左手の薬指に煌めく、小さな緑色の石のついた指輪。


その指輪の意味が分からない者はいないだろう。


華院の術師は嘘をついた。巧妙とは言えないが、筋は通っている計画。重なる実験が失敗に終わっていると知らなければ、最高峰の術師達ならば実現可能と感じるだろう。


けれども彼女の新緑の瞳に希望は宿らず、深淵が広がっていた。


確かに、器用に糸を紡いで質素に生きてきただけの少女には荷が重いだろう。


錬術と魔術の最高傑作。国を救う英知の結晶。


その中核となる誉れ。


「逃げるのなら、協力します。」


屍の上に立ち続けた青年の、その理由を知っていた。近くで見てきた。全身を血で汚し、それでも守り抜こうとしたもの。


それが今失われようとしている。


けれども何かを失ったのは、失おうとしているのは彼だけではない。この国も、敵国も信奉する正義が異なるだけ。誰かが消さなければたち消えない負の連鎖。


圧倒的不利でも、殲滅に抗うのは当然だった。生きる道に手を伸ばすのは生物の本能。抗えない。


死の恐怖から免れるべく、アルドネルカの糸を求めて、選定した命を握り潰し続けている。


いっそ、敵国にあとほんの少しの武力や作戦があれば冷酷無慈悲な研究をする事も無かったであろう。


「彼を捨ててはいけません。」


約束の日。


悲しみを湛えているのに、力強い決意の炎を灯した両眼。


あの日、力尽くでも連れ出してしまえば良かったと今は後悔している。


「あんなのは生きているとは言えませんよ。」


けれども、失われていない右目に涙を浮かべる青年に対して、死人だと自分は受け入れられなかった。少女もまたそうであっただろう。


「永遠に共に居ようと約束したんです。私、決めました。」


力強く歩きはじめた少女。黄金に煌めく髪がさらさらと通り過ぎて行った。


酷く青白い唇に指輪を寄せて、身を投げ捨てる為に部屋を出るのを、絶望へと導くしかなかった。





こうして剣は産まれた。






一つの剣は暴走してからほぼ予想通りに落ち着いた。


対価として大地が天災に飲まれ、敵も味方も関係なく手を取りあい生き延びるしかなかった。


文化も技術も失われたが、皮肉にも望んだ平和が訪れた。


数十年の時間が過ぎて、早くも綻びそうな仮初めにしか感じられない、危なげな凪いだ時代。


「同じことの繰り返しね。」


傍で糸を紡ぐ少女が呟いた。かつて甘い香りのした蜂蜜色の髪に手を伸ばしてみたが、冷たく固い感触がするだけだった。


今年の冬は酷く寒い。特にここ数日、少女が仕立てた毛布を何枚も重ねているのに凍えそうだ。


「本当に行くのか?」

「ええ、彼と離れる決心がつかないの。でも、まだよ。貴方を置いてはいかないわ。 」


異色になった瞳からは感情が読み取れない。生気の失われたガラスのような目に、皺だらけに年老いた自分が映る。


少女はあの日のまま、若々しく美しい。


己のことは自身が1番分かっていた。


灯火が消えようとしている。


「すまなかった。」


声になったか分からない。消されていった人民へ、戦場で背中を預けた親友に、そして何より彼が守りきった少女に伝えたかった。


少女がゆっくりと首を振った。


「雪から青豆を出しておいたの。明日の朝は温かいスープを作るわ。」


手袋を外すと、少女の腕が毛布に潜り込んできた。珍しく柔らかな微笑みに許された気がする。


握られた手は冷たい筈なのに、温もりを感じた。そんな筈はない。


少女にはもう体温が無いのだから。


朦朧として薄れる意識に身を委ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る