追憶の花と禁断の恋

一面に広がる古代花。白い花弁は中心にいくほど七色に輝く。陽の光を乱反射した花畑はまるで伝書内の神の国のようだ。宝石のオパルに類似したその輝きにより宝石花の異名を持っている。

実際に古代花を閉じ込めたガラス細工や金属加工は宝石と同等、それ以上に取引される。

ほんのりと甘ったるい、果物のような匂いにつられ、あらゆる虫が食い漁る。故に酸素の薄い高山に咲き、虫を食う動物を従える。一攫千金を夢見て、希少で貴重なこの花を求める冒険者は多い。

垂直の崖の上に広がる古代花の桃源郷。人あらざる者でなければ訪れる事は叶わない。いや、かつての国まで発展すれば違うかもしれない。

幾百もの月日が流れ、過ぎていく中で時折見かける事のあった古代花は、様々な名前で呼ばれた。真実の名などありはしない。どれも本物で、そして偽物。けれども名前などなくともそれは存在してきた。まるで自分のようだ。

忘却の彼方であった風景に酷く懐かしさがこみ上げる。腰を下ろしてみても、感触は分からず甘美な匂いも感じない。

意識をすれば髪に飾ることはできるけれど、不意に乗せられたあの日のようにはもう不可能で、それが憂鬱だった。

真っ直ぐな瞳をした良く笑う青年だった。顔などとうに忘れて朧気だが、夏の空色をした澄んだ瞳だけ微かに覚えている。名は何と言っただろうか。

「君の名前と同じだ。」

声色は消え、思い出は霞みがかった人影、言葉、そして自分に初めて触れられたという記憶。何度も何度も反芻してやっと心に残せている古い、古い、古い出来事。

差し出された花の名前は一体なんだっだろうか。何と呼ばれていただろうか。

「きっと帰ってきて本物の宝石を送るから。」

幾つもの夜を越え、蓄積される記憶は古いものから剝がれ落ちる。そうでなければ耐えられなかった。

戦場へ駆り出された彼とは2度と会えなかった。

初恋の人。

それが彼の名であり、本名は呼ばれていた筈の自身の名前と共に時の流れの中に溶けてしまった。

恋慕を咎められたことも自制する必要もなかった。時代が時代であれば、ほんの些細な違いがあれば、共に睦まじく年老う事が叶っただろう。

子を成し、孫が産まれ、朽ちていく。そんなありふれた幸せを嚙みしめたかった。温もりが恋しい。

でも、と心のなで呟く。何度も呟いた。あの初恋が無ければ今、ここには居ない。誰かを恋い慕うという気持ちを知らぬままでいたら、弓矢に射抜かれる炎に巻き込まれて果てられた。

恋を知らなければ、孤悲もまた知らずに済んだ。

伝承される物語は形を変えて、真実を葬ってしまっているけれど、禁じられた恋だというのは嘘ではない。 道すがら聞かされた物語を反芻した。


花の化身である女神クローリスは田舎村の羊飼いに一目で心を射抜かれた。

クローリスは羊飼いに告げた。

永久の命、使いきれぬ財産、地位と名声を与える事が出来る。私を妻に召さないか。

羊飼いは答えた。

愛する者と土に還ることこそ至高の喜び。手と手を取り合い生きていきたい愛する娘もおります。眩暈がする程眩い美しい女神を見つめる事すら恐れ多いのです。お許し下さい。

激情したクローリスは国に炎の雨を降らし、王を脅した。田畑は焼け、家畜は逃げ、死者が出た。多くの者がクローリスの機嫌をとろうと貢物を捧げた。

厄災の元凶である羊飼いは城へ連行された。

羊飼いが愛した娘はクローリスの遣いの精に醜い石ころへと変えられた。

嘆き悲しむ羊飼いは石と共に海へと身を投げ命を絶った。

クローリスはさらに怒り、国を破壊する為に嵐を呼んだ。

雷雨が都市を壊し、洪水があらゆるものを沈めた。

妹のあまりの蛮行に呆れた、海を統べるボセイドは嵐を止めた。哀れな恋人を1つにして花を創造した。

宝石のように輝くその花を交易に利用し、新たな国が興った。

兄に叱責されクローリスは地上を去った。こうしてあらゆる花に寿命が生まれた。

ボセイドを祀る神殿の周りには美麗な花が枯れることなく咲き乱れている。


神など1度も目にしたことがない。世界が創造された時、まだ地上にいたかもしれない。もしくは目には見えない存在かもしれない。

彼女が時を重ねた期間には少なくともいなかった。炎が降り注ぎ、津波が襲い、雷雨が降り注ぐ、そんな激しい争いはあった。

隣国との戦争、一体どんな思惑や事情が入り乱れていたのかは知らない。

人も書物も飲み込んで全てが滅びに向かった争い。真相は闇の中。逃げ回る事に精一杯であった。

古代花はその頃、観賞に値するものであれど希少価値の高い花ではなかった。

自分達を示す話ならば、関与した者で生き延びた人がいたのだろうか。

それとも不吉な噂が捻じ曲がり、月日を越えて創作されただけなのか。


広がる虹色をぼんやりと眺め、このままこの場所で朽ちてしまえたらと願う。

その為に帰ってきた。記録や伝承を巡り、辿り着いた。やっとこの時がきた。

身体が無意識に崖の下へと向かう。雲で隠れた眼下で彼が待っている。永遠の別れを惜しむ気持ちを押し殺している、とても優しい子。初恋の人と同じ色の瞳をしたあの子も、随分と大きく成長しもう少年とは呼べない。

このまま引き返したい衝動にかられるけれど、押し殺さなければならない。でなければ再び同じ過ちを繰り返す。

約束を果たせない自分を許して欲しい。嘘を吐いた事も。

腰を上げると崖に背を向けて、花畑を歩き出した。何処かに神殿として伝えられている場所がある筈である。

指輪がキラリと光り、風もないのに掌の上で揺れた。




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