第43話 コーヒーを売る道中 中
【東区・武家屋敷街にて】
疾走する。疾走するっ。疾走するっ!。
「うわあああああああああああああああああああッ!!」
人力車を引きながら、藤堂七夜は悲鳴を上げて、武家屋敷街を全速力で走っていた。
その脇では、同じく必死に走るシドニアとエルメール。三人の後ろから刀やら槍やらを振り回した武士達が追いかけてくる。
「まてぇいっ!!! この無礼者のぉっ!!!」
「ちょっと! どうすんの!?」
「し、知りませんよ! つーか、何でどうして追っかけられる羽目になるんですか!?」
「わっかんないわよ!」
「..................はぁ............はぁ............はぁ...............」
三人とも息切れし始めていたが、シドニアは完全に限界、グロッキー状態だ。
「シア! これに乗って!」
「きゃ......!」
エルメールはシドニアを力づくで人力車の荷物の中に押し込む。
一段と重くなった人力車。藤堂七夜は悲鳴と批判の声を上げた。
「ちょっと! これじゃ俺が逃げられなくなりますよ!」
「なによ!シアを見捨てるつもり!?」
「いや、見捨てませんけど......もうちょっと、軽く」
「わ、わたし、重くないです...........!」
「いや、けっこう重い............」
「いいからもっと早く走って!」
路地へと飛び込み、ジグザグに逃げ回る。
ヤクザ顔負けの形相で追い掛け回して来る武士達のしつこい事。しつこい事。
何故こうなったのか。武家屋敷街に来たものの、どの屋敷でも門前払いを受け、ようやく興味を持った屋敷のご当主様にコーヒーを献上した。そして味見した途端、腹を下して厠に駆け込んだのだ。よほど苦しかったのだろう。
厠から壮絶な下痢の音と叫び声が聞こえてきて、配下の武士達が毒を盛られたと誤解したのだ。
その結果、三十分以上、一時間未満の間、武家屋敷街を追いかけ回されたのだ。「斬り捨て御免だ!下郎!」と怒りの声を上げて追っかけてくる始末。そして命からがら逃げ回る羽目になった三人。
「まてえい! 殿のお命を狙う不届き者め!」
「ちがうわよ! あんたたちのバカ殿の 命なんかいらないんだから!」
「ば、ばかとのだと!? おのれえ! どこまで侮辱するか!」
「さらに怒らせてどうすんですか!?」
「もう! こうなったら!」
「ちょ........なにを!?」
藤堂七夜の腕を掴み細い路地に入り込むと、エルメールは藤堂七夜を人力車から押し出し、それを横にして固定して、道を塞いでしまう。そしてシドニアの手を握って荷台から引っ張り下ろし、
「さあ、行くわよ!」
「せめてコーヒー豆ぐらいは!」
「早く!」
焙煎した豆の入った麻袋だけを担ぎ、三人は全速力で駆け出した。
道を塞がれ、喚く武士達。路地を抜け、人込みの中へと紛れ込んで、三人はようやく危機を脱したのだった。
【東区・町屋街】
何とか町屋街まで逃げ延びた三人は、人目も憚らず、ぐったりとした様子で地面に座り込んでいた。汗だくで、息切れ。しばらく、三人は無言で深呼吸を繰り返していた。
「...............................死ぬかと思った」
「実際、捕まってたら手討ちにされてたかもしれません」
「..............................................」
「シア、だいじょうぶ?」
「..............................コクン」
シドニアの疲労困憊っぷりは半端ではなかった。
「ねぇ。あのコーヒーっての、ホントに問題ないの?」
「わ.......わたしも、気になります」
「問題ない、と思いますよ。利尿作用はありますけど、あんなに酷い下痢を引き起こすとは考えられないんですけど。.........体質的にあわなかったのかな?」
「はぁ。しばらく武家屋敷街にはいきたくない」
「同感です」
もう追い掛け回されるのは懲り懲りだ。
呼吸が整ったところで、『ぐぅ~』と腹の虫が鳴る。最初に鳴ったのはエルメール。続いて、シドニア。二人とも微かに頬を染め、エルメールはそっぽを向き、シドニアは両手で顔を覆う。
恥かしいことか?と首を傾げながら、藤堂七夜も空腹を覚える。そろそろ昼飯時だ。少し早いが、食事にしよう。
「御飯で食べに行きますか」
「ちょっと......あたしは」
「二人のことだけじゃなくて、俺も疲れたから休みたいんです。なにせ、年ですから」
「..............やっぱりおじさんなんだ」
「.......................................」
どの時代も若い子は容赦ないな。特に思春期の女の子は。
【両福亭にて】
まだ昼時前ということもあり、両福亭の中の客はまばらだった。とはいえ、昼時にはすぐに満席になるだろう。安くて美味くて居心地が良い。近所にある行きつけの定食屋としては最上位の満足度を保証しよう。ここはそれだけ良い店だ。
「いらっしゃい! おやぁ?、藤堂さんじゃないか」
「こんにちは」
威勢のいい声と笑顔を浮かべた女将は、藤堂七夜といるシドニアとエルメールに目をつける。
「こりゃまた可愛い娘っ子じゃないか。あんた、攫ってきたんじゃないだろうね?」
冗談のつもりだろう。そのはずだ。その割には目が笑っていなかった。
「違います。弁天堂の安里先生からちょっと頼まれまして。商売の手伝いをしてもらってるんです」
「あたしたちが商売してるの間違いでしょ」
「..................はい。そうでした....................................」
エルメールのツッコミにうなだれる。正論だ。全く反論できない。
「へぇ。安里の。...................あいつも変わったんだねぇ」
「?」
「いや、なんでもないよ。それより、ウチに顔出しにきたってことは飯を食いに来たんだろう?」
「はい。いいですか?」
「飯屋が飯を食いに来た客を断るもんか!。好きなとこに座りな!。なんにするんだい?それともこっちでてきとうに用意するかい?」
「えっと、定食のようなものはありますか?」
「あるよ。おまかせだけどいいかい?。豚肉の煮汁に焼いためざし、ご飯にたくあんになるけど」
思いっ切り和食だな。俺は良いけど、シドニアとエルメールはどうだろうか?。
「二人はどうする?」
「わ、わたしもそれでいいです」
「..............あたしも」
「それじゃ、三人分、お願いします」
「あいよ! 茶でも飲んで待ってな!」
空いている座席に移ると、三人は運ばれてきたお茶の注がれた湯呑を手に取る。
カラカラだった喉を潤すと、三人は同時に安堵の息をつく。
しかし、コーヒーは本当に売れるんだろうか。内心、藤堂七夜は心配していた。まぁ、趣味が高じた延長線上で始めた商売だ。何より、戦という血生臭い場所から少しでも違う場所に行きたいという切実な思いもあった。
戦場から、離れていたいのだ。
「......ねぇ」
考え込む藤堂七夜に、エルメールが声をかける。
「あの珈琲って飲み物、本当に売れるの?」
「...エ、エルちゃん......」
「分かりません。今の時点だと、可能性はゼロですね」
湯気の立つ湯呑に手を付けながら、エルメールの疑いの目に藤堂七夜は正直に答える。
藤堂七夜自身も不安である。エルメールやシドニアもそう思うのは当然だろう。
「いきなり売れるとは思っていないさ。今は、こういうものがあると知ってもらう事を優先してるし」
「私もシアも、暇じゃない」
「手伝わせたことが気にいらないのかい?」
「......先生に言われたから......」
「それだけ?」
「............................そうよ」
多分、違うな。
藤堂七夜は思案する。エルメールの頭の中は、シドニアの事でいっぱいだ。シドニアの一挙手一投足が気になって仕方がない感じた。
今回、付き合ったのもシドニアがいるからだ。エルメールはシドニアと望んで距離を取っているわけじゃない。
自分を許せない。自分に対して怒っている。シドニアの隣にいる資格がない。そう考えている節があった。
それにしても、エルメールという少女は思った以上に重症だと、と藤堂七夜は考える。安里の見立て通りだと言えた。こうして、外に出ることで、気分転換になればいいと思っていたが、そう単純ではなかったのだ。
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