第42話 コーヒーを売る道中 上
【東区にて】
「こうしてちゃんと見るのは初めてですよ」
おお。時代劇の舞台そのものだ。
木造建築が立ち並ぶ和の町並み。南町や北町が、和洋折衷の様式だとすれば、東町は純粋に和風の様式だ。一般市民の住む集合住宅である下町の長屋街。職人や商人の住む独立住宅の町屋街。そし、広大な敷地を持つ武家屋敷街。
思いっきり、藤堂七夜の知る時代劇に出てくるような町並みだ。東町には何度も来たが、こうしてゆっくり見て回るのは、初めてだと、今更ながらに藤堂七夜は思う。
「弁天堂に来たじゃない」
「ゆっくり見る暇なんて無かったんですよ」
「そうなんですか?」
「色々と大変な人達に振り回されて。ついていくのに必死でした」
言い方は乱暴。批判的な文言。それでも、感謝してもし切れない恩はある。
実際、柳生宗不二や霧隠と出会わなければ、訳が分からないまま、野垂れ死にしていただろう。この世界がそこまで甘くも優しくもないことは、思い知った。
「ふーん。で、どうするの?」
「とりあえず、長屋から行きましょうか」
「それが無難ね」
「ちゃ、ちゃんとごあいさつしないと」
「二人は長屋街に行ったことはあるんですか?」
「い、いいえ。弁天堂から出ることはあまりありません」
「買い物を頼まれても、町屋街で用事は済むから。.......それに、長屋街の連中、いい顔しないし」
わずかに不快そうな表情を浮かべたエルメール。
シドニアは「あうあう」と困った様子。
「異邦人だからですか?」
「他にないでしょ」
「............もしかして、安里さんも?」
「せ、先生はとてもよくしてくれます!」
軽い気持ちで聞いた疑問に、シドニアが声を荒げて反論した。
自分でも声の大きさに驚いたのか、顔を赤くして俯いてしまう。
「シアの言う通りよ。センセーは差別なんてしてない」
「そうですか。安心しました」
「よくベタベタ触るけどね」
「あ、ううううう...........」
シドニアがさらに顔を赤くする。
安里はいったいどんなスキンシップをしているのだろうか。
途切れがちな会話を交わしながら、三人は長屋街へと向かった。
【東区・長屋街にて】
東区の裏町に長屋街はある。平屋建ての木造住宅。集合住宅の一形態である。間口は約2.7m。奥行は約3.6mの住戸が連なっている。この長屋を九尺二間の長屋という。九尺二間の長屋とは畳6畳の部屋とほぼ同規模の大きさでありそのうち約1畳半を土間として、4畳半を部屋として区画されている。
この時代では一般的な長屋である。店と住宅を兼ねた町屋街の長屋は二階建ての長屋が多いのが特徴だ。
長屋街に到着した三人は、さっそく荷物を下し、屋台の準備を始める。幸いなことに、人が多い。すぐに三人は注目を浴びる。
ただし、その視線の半分はエルメールとシドニアに向いていた。『異邦人がいる』という不信感を含んだ視線だ。残りの半分は、屋台への関心だ。一体、何をやるんだろうかという好奇心。
藤堂七夜は準備を終え、直立不動で、立つ。長屋の住民は興味津々で見る。藤堂七夜は頭をかき、顎を撫でる。黙ったまま。
「...................ちょっと、何か言いなさいよ」
「..............................................」
両手で顔を覆う藤堂七夜。
「........................き」
「?」
「緊張しすぎて...........喋れません............」
「は?」
「え?」
辛うじて側にいたシドニアとエルメールだけに聞こえるような小声で、藤堂七夜は白状した。
いやだって、こんなに注目されたことないんだ。極度の緊張ぐらいするでしょう。
事態を理解したエルメールは半目になって呆れ多大に見つめている。シドニアは困ったように微笑している。この瞬間、大人として威厳が一気に崩れ果てたようだ。
「おい、いつまでぼーっと立ってやがる。なにしに来やがったんだ」
「そうだそうだ!」
「え、えっとっ この度、新しい飲み物を紹介にきました! コーヒーを味見してみませんか! 南蛮から渡来した珍しい飲み物ですよ!」
気の短い野次馬のはやし立てる声に、シドニアは精一杯の声を上げた。
え? これって南蛮渡来の飲物なのか?。初めて聞いたぞ。
「水菓子で使うコフィアの種を使った飲み物です!。みなさん、味見してみませんか!」
「こふぃあ? あの異邦人どもが食ってるプルプルした甘いもんのことか。あれって飲み物になるのか?」
「そうみたい。よく知らないけど」
「いや、知らないって。そんなもん売られてもなぁ」
「とりあえず飲んでみたら? 文句はおじさんに言っていいから」
お、おじさんっ!?。普通にショックを受けた藤堂七夜。
一人が「じゃあ、くれ」と手をあげると、二人、三人と手をあげて味見を希望する。
シドニアの柔らかくほんわかした振る舞いが、長屋の住人の警戒心を和らげた。エルメールは無愛想な態度を取っているが、しっかりと宣伝はこなして、コーヒーを注いだ茶碗を配っている。
今やカカシ同然の役立たずと化した藤堂七夜は、泣きたい気持ちに満たされていた。
「うげっ なんだあこりゃあ! むちゃくちゃ苦いぞ!」
「えっと........これがコーヒーです。南蛮では珍重されてるんです」
「良薬口に苦し、よ。好きな人は好きみたい」
「おいおい、南蛮のやつらはこんなのを好き好んで飲んでるのかよ。......よく、飲めるよなぁ」
「なら、これを入れて飲んでみてよ」
そういってエルメールが差し出したのは、甘葛のシロップが入った小壷。
一匙すくい、それを味見する住人の茶碗に加える。クルクルとかき混ぜて、エルメールは「飲んで」と促す。
強烈な苦さに渋っていた住人だったが、意を決して飲む。
「......................ちったあ、飲みやすくなったな」
「うまくはねぇけど、ずいぶんマシになった」
味見客の反応は好転したようだ。
だが、飲み慣れない未知の味に買おうという者はいなかった。
しばらくの間、セールスに励んだ三人、いや正確にはシドニアとエルメールの二人と使い物にならなかった藤堂七夜は客がまばらになったところで、屋台を移動するべく片付ける。
「.............え、と、二人とも、ありがとうございました」
「そ、そんなことないです」
「へたれ」
わたわたと両手を小さく振るシドニアと、一発で藤堂七夜の精神を、致命傷で撃ち抜くエルメール。
がっくりと肩を落とす。な、泣きたい。いや、本気で泣きたい気分だ。
「あ......あの、次がんばれば大丈夫です。が、がんばりましょう!」
空気の読める良い子だ。今はそれが傷口に塩を塗られたようでさらに辛くなる。
次は武家屋敷街だ。今度こそ、しっかりとセールスしよう。自分に言い聞かせる藤堂七夜だった。
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