第32話 悩むこと。苦しむ事。その価値を。

こんがりと焼かれた鳥の胸肉を頬張り、酒で流し込む。棟方冬獅郎は酒に強い。勿論、大の酒豪である柳生宗不二も酒に強い。しかし、酔いも早い。それでも酒を飲む手を休めたことはない。ちなみに、藤堂七夜は、酒に弱い。実際、徳利数本空けただけで、泥酔状態だ。


「だいたいなんでおれがいせかいのようなせんごくじだいにこなけりゃいけないんですか おれであるひつようがどこにあるんですか こんなオッサンじゃなくてリア充やらイケメンやら中二病のれんちゅうがくればいいじゃないですか りふじんだりふじんすぎる」


ぶつぶつと際限なく不満を零す。藤堂七夜の醜態。

美味いとも言えない酒だが、それでも愚痴を聞くだけで五割増しに不味くなる。

棟方冬獅郎は考える。どうも、こいつは武士には不釣合いすぎる。考え方と言い、あまりに向いていない。つか、人を斬ってなんぼの戦場だ。

敵なら斬る。至極単純なお仕事だ。それをどうしてここまで深く考え込むのか。弱い、弱過ぎるんだ。


「ったく、大将もライデンの先生もなんでこんな奴を気にかけるんだよ」


大体、こいつはさっきから何言ってんだか、全然わかんねぇ。

盃に酒を注ぎながら、柳生宗不二の方を見れば、酒樽に手を突っ込み、手酌で飲んでいる。そのペースの早いこと早いこと。

その間にも、藤堂七夜は、次の徳利を手にしようとして、遂にひっくり返るように、大の字で倒れる。頭の中は、靄がかかったように不鮮明で、視界はグニャグニャしている。意識は朦朧としており、弱々しい声を上げた。


「潰れやがった」


皿の上の焼きメザシを齧り、店内を見回す。ちなみに、店の主人はすでにいない。無理を押し通し、朝まで貸切という形で、ここにいるのだ。決して追い出した訳でも乗っ取ったわけでもない。

いつの間にか柳生宗不二の姿が無くなっている。店の酒では足りんと、外に買出しに行ったことを思い出す。この深夜に開いている店があるのか、甚だ疑問だが、あの御仁ならどうにかしてしまうのだろう。

すると、少しは酔いが醒めたのか、藤堂七夜が上半身を起こして、テーブルに突っ伏した。


「むなかたさんはぁ......なんで、人を斬れるんですかぁ......?」

「武士になりてぇからだ」

「人殺しですよぉ......いやじゃぁ、ないんですか......」

「関係ねぇ。嫌なもんだろうが何だろうが、それで武士になれんならやるさ。いくらだって恨まれてやる。苦しんでやる。悩んでやる。背負ってやる」

「......いやですよ。そんなの、俺は」

「てめえの生き方なんぞ知るか」


きっぱりと言い捨て、苛立たしげに、メザシを飲み込んだ。盃を手に取り、中身を口に流し込む。喉を通る強烈な熱さ。お、この酒は良い、この味わいは癖になりそうである。酒樽を見れば、越州産の地酒と書いている。


「......俺は、このままなんて、嫌です」


ぽつりと、酔いが醒めた藤堂七夜が漏らす。その言葉に力は無く、疲れ切った感じだ。起き上がり、両手の掌をじっと見つめる


「臭いが取れないんです。感触が残ってるんです。何度も洗っても、落ちやしない。とっくについてないのに、頭から消えやしない。あの男の、死に顔が忘れられない」

「初めて人を斬った時は、大抵そんなもんだ。俺が初めて人を殺したのは、十二ぐらいだったか。暴漢に襲われてよ。護身用として脇差を持ってたから、そいつで一突き。呆気なかったぜ。けど、今でも忘れてねぇ。忘れるつもりもねぇけどな」


事実、時折、あの時の夢を見る。

兄を守ろうとして、無我夢中で斬りかかったあの日の事を。肉を斬り、臓物を抉り、骨を削った。殺した奴の顔は忘れた。けれど、その声は未だに覚えている。


「忘れちゃ、いけないと?」

「そうは言わねぇ。なんつーんだろうな、こういったことは、大将の方が得意なんだろうが」

「鬼に堕ちぬ為に精々、悩み苦しめということよ」


特大の酒樽二つを肩に担ぎ上げた柳生宗不二が、扉を開いて、入ってきた。

またでかいのを持ってきたと、棟方冬獅郎は呆れる。しかも、二つだ。どんだけ飲むんだ。この人は。


「いや、大将。何で樽? 何で二つ? 店にあった二十近くあった酒樽全部、飲み干したんだぜ。まだ飲むのかよ?」

「剣の修行も欠かさぬが、酒の修行も欠かしておらんわ。まだまだいけるぞおー!」


ドカッと酒樽を置く。酒樽の側面に、『稲荷屋秘蔵。店主の許可なく触れるべからず。決して触れるべからず。売るべからず。断じて売るべからず。飲めば末代まで恨みて候』と書いてある。

どうやって手に入れたかは、聞くのを止めよう。飲むのも止めよう。この酒を造った人間の凄まじい怨念じみた執念が滲み出ている。

というかどうやって手に入れたんだよ。これ。


「人を斬り、悩み苦しむのは人でいるための命綱。決して離してはならん。それを捨て去れば堕ちて鬼となる。冥府魔道を生きることになる。だが、斬るときは迷わず斬れ。自ら命を捨てるのは、鬼に勝るとも劣らぬ罪深さよ。わしの師匠の受け売りよ」

「......悩んで、苦しむことで、人でいられる......」

「師匠はそう言っとったの。まぁ、参考程度にしとけい。偉そうなことは言っとったが、酒に博打に女遊びは師匠の十八番だったわい。根っからの遊び人だったしの」


グビグビと秘蔵の酒を美味そうに飲む柳生宗不二に、藤堂七夜と棟方冬獅郎は半眼で呟く


「大将の師匠だなぁ」

「柳生さんの師匠だ」


見事に意見が一致した。


「でもま、大将のお師匠さんの言葉を参考にすりゃいいだろ」

「どのような答えであれ、それは逃げる事ではない。戦に背を向ける者を、臆病者と罵る小僧がおるが、ただの馬鹿者。それがそやつにとっての答えであり、ただそれだけの事に過ぎん。人も世も至極、単純なものよ。常に複雑怪奇にするは、答えを出さん奴らよ」

「............おれは......」

「世に、人に憚ることなき答えを探せ。その為に、精々、悩み苦しむ事よ」


諭すように、されど突き放すように、柳生宗不二は藤堂七夜を見据えて、告げた。

じっと考える。人を殺した事実は変わらない。例え、それがどんな糞野郎であったとしても。それでも、人殺しを厭うばかりに、あの少女を見殺しにすればよかったのか。


------違う。人殺しをしたから、助けられたんじゃない。あの子を助けるため、人を殺したのだ。順序を逆にしてはいけない。

あの時、心の中で覚悟したはずだ。人を殺した罪より、少女を助ける事を選んだんだ。あの時、俺が自分で判断した事。行動した事。他の誰でもない俺自身が、だ。だったら、答えを出せるのは、俺自身だ。悩んでみよう。苦しんでみよう。命綱を離さずに。


俺は人でありたい。鬼になりたくない。


両手に持った盃を握り締める。柳生宗不二と棟方冬獅郎は、藤堂七夜の顔つきが変化したことを察した。僅かとはいえ、一歩前に進んだようだ。柳生宗不二は、空になった三つの盃に、酒を注ぐ。


「今宵、最後の酒だ。しっかり味わえ」


三人は盃を手に取り、高々と乾杯する。

藤堂七夜は、一気に飲み干した。

言われた通り、しっかりと味わった酒は、本当に美味しかった。


「柳生さん。棟方さん。ありがとうございます」


帰ってきて、初めて浮かべた笑顔で、藤堂七夜はお礼を口にした。

そして、そのまま後方にぶっ倒れた。意識を失う直前、今、口にした酒が、あの怨念染みた執念が込められた酒だった事実を思い出し、やっちゃったと苦笑し、酔い潰れたのだった。

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