第28話 くそったれな秘蹟
『嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ』
頭の中を抉るように蠢くように、その言葉が繰り返される。
秘蹟となった男。その男が残した秘蹟の本質が、露わになった。それは、生存本能とも、生への激しい執着心。誰よりも自分の命を重く見て、誰よりも人の命を軽く見る人間。
だからこそ、町が賊に襲われた時、真っ先に逃げ出した。凌辱の末、殺されると理解しながら、迷うことなく妻と三人の娘を差し出した。自分が助かる為に。
その先でも、男は助けを求める友人を見捨てた。身を隠していた親類の居場所を告げ、進んで差し出した。
『生きてこそ』
それが悪行だと男は微塵も思っていない。
むしろ、男は彼らの為に祈り、そして約束した。お前達の分まで生きてやる。幸せになってやると決意を固め、胸を張った。あぁ、俺はなんて立派なんだと!。犠牲になった者達の意味を、これだけ誠実に受け止めたんだぞ!。
『逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ』
安心してくれ。悔いも恨みも残す事は無い。俺が生きている。逃げて、逃げ延びて、俺は生きているんだ。それだけでお前達が受けた凌辱も屈辱も迫害も殺戮も絶望も、全て報われたんだ。囁く。怒鳴る。嘆く。求める。もう、必要ないだろう。
喜んでくれ! 父よ母よ妻よ娘よ友よ名も知らぬ奴らよ。俺は助かったぞお!。
思念の本流は凄まじい。藤堂七夜も膝をつきかけたとき、口から血を流して倒れ込んだ少女と目が合った。深い闇が滲む眼。それを見た瞬間、藤堂七夜は一気に頭に血が昇った。
「ダメだ......あの目は、絶対にダメだ......! 絶対に、ダメなんだ!」
フラッシュバックする『忌まわしい記憶』に支えられ、藤堂七夜は秘蹟の汚染を振り払う。
再び少女を殴ろうとした兵士を小屋から追い出すように蹴り飛ばす。歌仙伝・蜃を血が滲むほど、強く握る。
「俺は、こんなくそったれな秘蹟じゃない。秘蹟になった奴なんかじゃない!」
この時点で、藤堂七夜から人を斬ることへの躊躇いと戸惑いは消えた。
小屋を飛び出し、兵士に斬りかかる。兵士もまた、獣のような叫びを上げた。
本来ならば、この兵士の実力は藤堂七夜より上であった。だが、精神の均衡が崩れ、剣術という剣の扱い方を忘れたかのような兵士は、格段に弱くなっていた。
二合、三合と斬り合う。お互いの生死を賭けた斬り合いを祝福するものは死神か、それとも戦死者を導く戦乙女か。
兵士が斬りかかってくる。防御に徹し、その姿を直視しながら、ほんの数秒。藤堂七夜は息を吸い、吐いた。
初撃を潰せ。その為の戦い方を、柳生宗不二に教わっている。両腕の膂力で力任せに振るう相手ならば、全身の力を使い、刀を振るえ。相手の刀ごと、押し込んでしまえ。
踏み出した右足で、地面を踏み付ける。背負うように構えた刀を、上段から振り下ろし、兵士にぶつかるように歌仙伝・蜃を放った。
細身の身体であろうと、全身の力を込めた一撃は、重い。兵士は刀を受け止められ、そのまま押し込まれた。
「ぐぁぎぃ!?」
手首を痛め、刀を取りこぼした兵士の首筋に、白刃が叩き込まれた。
肉を斬る感触が伝わる。普段の藤堂七夜であれば、ここで止まっていただろう。だが、彼は次の教えを迷わず実行した。
地面に倒れ込んだ兵士の胸に、歌仙伝・蜃の刃を間髪入れずに突き刺したのだ。狙われたのは、心臓が鼓動する肉体を動かす絶対機関。
『首を断つも心の臓を貫くも良し。必ず殺せい。それが戦場で生き残る唯一の術だぞい』
それが意味することを知らない程、藤堂七夜は子供ではなく、大人だった。
最後まで足掻く兵士の形相は、醜く歪み切り、死の恐怖がありありと浮かび上がっていた。暴れる。死にたくないと。藤堂七夜を引きはがそうとする力は、半死人とは思えないほど、強かった。
藤堂七夜は必死にそれに抗い、刃をさらに押し込んだ。
次第に暴れる手足から力が抜け、何度か、口から血を吐いて、兵士は事切れた。
「................っか、はあ.........う、ぇ..............」
歌仙伝・蜃を引き抜き、返り血で汚れた自分の身体に目を落とす。
汚いな。臭いし、鼻が曲がりそうだ。
ガランと歌仙伝・蜃を地面に落とした。藤堂七夜は力なく、座り込む。目の前には、初めて斬り殺した兵士の死体。心臓を貫かれ、苦悶に歪んだ死に顔。
------人を、殺した。殺して、しまった。
血で真っ赤に染まった両手を見つめ、刀を投げ捨て、藤堂七夜は絶叫する。
目を背けたくなる。
深い呼吸を繰り返し、何とか立ち上がると、小屋の中へと入る。そこには気を失った少女。微かに呼吸をしている。生きていた。
藤堂七夜は安堵する。外套を脱ぎ、少女の身体を隠すように包んでやり、抱き抱えた。このままこんなところに置いておくわけにはいかない。
藤堂七夜は両腕に抱き締めた少女の顔を見る。痛々しい傷が浮かんでいる。そして、男の死体を再び見た。
この少女を救う為に、必要な行いだった。それを再認識した上で、藤堂七夜は、堪え切れず、泣き出した。
「.......................人なんか...............殺したくなかったな...................」
腕の中の小さな温もり。助けることができた一つの命。
味方の兵が駆け付けるまで、藤堂七夜は、その場から動く事が出来なかった。
●●●
岩倉尾田家の春日町の焼き払い。それに対して、ペンドラゴン・エムリス・テオドシウスの報復は素早かった。春日町の掃討が終わらぬうちに、ゴーヴァン・ロトに命じ、岩倉尾田家の領地に攻め入らせ、岩倉付近の領地を焼き払わせたのだ。
この出来事に呼応し、尾州下四群を支配する尾田弾正家の家中による不穏な動きが加速することになった。後日、テオドシウス家から離反し、尾田信行を擁立する勢力が表立って台頭したのだった。
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